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クリスタライズ  作者: 三澤いづみ
ミダス王たち

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ミダス王たち(1)

ミダス(Midas):

 ギリシア神話において、触ったものを黄金に変える能力を与えられた王として知られる。

 童話『王様の耳はロバの耳』にて、ロバの耳になってしまった王もこの人物とされる。



1、

 三田の白髪には黒が混じっていて、それは都心に積もった雪を思わせた。

 彼は勤めた会社を定年退職し、悠々自適の生活を送っている。昼飯時に一緒に一食五百円ほどの天丼屋に入ると、僕は表情に気をつけた。

「東京の天ぷらが一番旨かったなあ。こう、一口食べて感動するんだ」

 店員が笑顔でお茶を出してくれるのを受け取ると、僕は目を伏せた。三田はひたすら話し続けた。

 彼の妻はメニューを手渡したのだったが、三田は東京にある天ぷら専門店の名をいくつか挙げて、それがどれだけ美味しかったかを語り続けた。

「お前らにも食べさせてやりたいよ。あの天ぷら」

 天丼のタレの濃さにケチを付けながら食べ終えると、妻が三人分を支払うあいだにさっさと外に出た三田は、詰まらなそうに煙草を吸い始めた。

「次はどこに行くの」

「お、新しい店がある。行くぞ」

 視線の先にあったのは雑貨屋だ。屋根の古びた駅前のアーケード街は案外中身の変化が激しいようで、繁盛していたはずの店舗もすぐに別の名前に入れ替わる。業種も飲食店からコンビニ、服飾からパチンコ屋、百円雑貨から牛丼チェーン店など、一年二年で節操なく切り替わってゆく。

 婦人服店があった場所に小洒落た雑貨屋が入っていた。日常では若干使いにくそうに見えるが、インテリア用と割り切っている小物が多い。

「なんだこれ。使いづらそうだな」

 若い女性客が眉を顰めるのを気にもせず、三田は傘を手に取った。彼は矯めつ眇めつしばらく手の中で弄んでいたが、急に興味を失って、棚の上に放り出した。妻がその雑な配置を丁寧に直した。

「おい」

 妻はなんですか、と声を潜めて聞き返した。

「高いから買うなよ。お前、こういうの好きそうだけどな、絶対に使いづらいからな。分かってるだろ」

 ぎこちない笑みを浮かべて、店主と思しき女性が遠くから見ていた。三田はすぐそばにあった花瓶を指さし、さらに声に力を込めた。

「見ろよこれ。ひどい造りだ。どうなってんだこれ」

 エアポケットが出来ていた。僕と彼の妻は曖昧な笑みを浮かべた。花瓶の取っ手にくくりつけられていた値札を、三田は仰々しく読み上げてくれた。

「五千円。五千円だとよ。すごいな」

「輸入雑貨だもの。それくらいするんじゃないの」

「原価は千円くらいか。外国から持ってくるだけで価値が上がるわけだよな。いいな。ガソリンと同じで、馬鹿みたいに高いのも当然ってことか」

「出ましょう」

「いいのか。でもお前、まだちゃんと見てないだろ。いいぞ。もっとじっくり見ても。どうせ買わないで見るだけだし」

「いいから出ましょう」

 妻は三田を連れ出した。後ろから刺す白白とした視線に、彼は気づいていない。

 三人順繰りに自動ドアをくぐり抜けた後、ありがとうございましたと発せられた女性の声は、ひどく抑えられたものだった。


 夕方になると三田は家で酒を飲み出した。テレビ番組で威勢のことを言っている元都知事を眺め、今日もくだを巻いていた。

「あいつ、えらっそうに」

 彼の妻と僕は顔を見合わせ、さりげなく逃げようと試みた。三田は彼女を捕まえ、赤ら顔で何度も聞いた思い出話を始めた。

 素知らぬ顔で僕は素早く離脱し、遠くから独演を聞いていた。

「今の連中はアメポチが多すぎる。俺たちの時にはちゃんと抗ったんだ。政治家の言いなりになるのは馬鹿だ。俺たちが頑張ったことを無駄にしやがって」

「お父さん、何杯呑んだの」

「まだ三杯だ。それより、あいつ。昔は一緒に学生運動してたくせによ、いつの間にか偉くなりやがって。ちぇっ。口は上手かったからな。くそ。あ、ツマミがねえぞ。何か作るんだろ」

「え。さっき出したじゃない」

「もう無いな」

「ちょっと。わたし、一口も食べてないのに」

「旨かったぞ」

 ため息が聞こえた。


 酔っ払って寝てしまい、数時間して不意に起き上がった。テーブルの上に皿を置く音で目が覚めたのだ。

 三田は茫洋とした表情のまま腰を上げ、すぐさま廊下に向かおうとする。強かに酔っていたとは思えないほど足取りはしっかりとしている。

「ちょっと、お父さん。ご飯は」

「後でな」

「後で、って。冷めちゃうじゃない」

「先食ってろよ。うるせえなあ」

 引き留める妻を振り払い、三田は書斎へと入っていった。カチャカチャとキーボードを叩く音が聞こえた。

「またよ」

「ごめん」

「あなたのせいじゃないわよ」

「でも」

「いいから。先、食べましょうか」

「拗ねると思うけど」

「お父さん! 先に食べちゃうわよ!」

 返事はなかった。三田の妻は目を瞑り、台所へと戻った。二人分、小さな茶碗にご飯をよそい、そのまま持ってくる。その間に温まった味噌汁を器に注いでおく。

「いただきます」

 二人して手を合わせるが、すぐには食べなかった。さらに二分ほど三田が来るのを待つのだけれど、箸を手に黙りこみ、妙に静かになってしまった空間に、向こうから容赦なくカタカタと響いてくる打鍵音は、僕と彼女を失望させるには十分だった。

「返事くらい、してくれればいいのにね」

 彼女の低い声は、せっかく作ってくれた回鍋肉を味気なくさせるには十分すぎるものだった。


 しばらく前から三田がブログを始めた。もう七十にも届こうとしている彼だが、パソコンに対しての忌避感はなかった。

「分かるに決まってんだろ。ウインドウズが出る前からだぞ。今のやつはソフトをフロッピーから起動してたことも知らないんだろうが、基本は同じに決まってる」

 胸を張って語られてしまい、閉口する。知識量に言及するとそのまま苦労話だか自慢話に移行されるためだ。実務的な話に終始したくなるのは、僕が面倒くさがっているからだけではない。

 ブログ。正確にはweblogと呼称するそれは、その名の通りウェブネットワーク上に残す記録(LOG)である。インターネット上で日記や雑記などの記事を書き、また写真やイラストなどをアップロードして他者に見せる行為であり、その場所の総称である。

「ブログ開設の手伝い、させてやるよ。俺、小さい文字を読むのが辛いしな。その点お前は若いんだから簡単だよな。お前にも良い経験になるだろ。じゃあ最初の設定だけは任せるから。ちゃんとして、なるべく見栄えを良くするんだぞ」

 僕には懸念があった。恐れたのは三田の迂闊さだ。本名をいきなり晒しかねない。決して記載してはいけないことをプロフィールに書き込むのではないか。本人だけが被害を被るのであれば気にしないが、三田が気ままに己の個人情報をばらまけば、連座して僕と彼の妻にまで影響が及ぶ。

 評判が悪くない無料ブログの会社に探して登録させたあと、本名を直接繋がらないハンドルネームを考えさせた。

 絶対に本名や住所、本人や家族を特定させうる情報を書き込んだりしないよう、懇切丁寧にお願いした。電話番号やクレジットカードの番号なども打ち込まないよう重ねて懇願した。

 ネットの通販サイトなどを利用するなら、必ず先に知らせてくれと。

 三田は、いい年した大人である。しかしパソコンが使えても、ネットに慣れているとは言い難かった。彼はインターネット普及前のニフティサーブ利用者ではあったが、その常識と現在の情勢とはまるで異なっている。

 世界が変わったのだ。当時の感覚で勝手に動かれてしまうと、余計な波風が立つことは目に見えていた。

 老齢にさしかかった彼の年齢が、僕にとって不安の種だった。一方でブログという新しいことを始める、その言葉に期待もした。彼は趣味を持っていなかった。有り余った時間の使い道をようやく見つけたのだと安堵もした。

 痴呆の予防になれば。そう考えたのだ。

 パソコンに触れ合ってた時期はとうに過去で、最初、三田はノートパソコンで一文字タイプすることにも長い時間をかけていた。文字を打ち込むことはそうでもないが、ブログ用の文章を作ることに不慣れだった。ですます調とだ、であるが無意識に入り交じり、改行が存在しない作文が画面上を埋め尽くした。

「報告書っぽく書けば簡単だが、ブログってそういうもんじゃないだろ」

 言い訳がましく、僕の沈黙に反応された。

 最初の記事作成にだけは付き合った。ブログ開設のご挨拶と名乗り、それからエッセイ風の雑感。ありふれた文章で、お世辞にも名文とは言えなかったが、選んだ題材に問題はなかった。慣れれば十分で書けそうな内容に、小一時間ほどかかった。

 三田の要望を受けて、ブログの背景には無料で使える画像を配置した。

 イメージしたのは暗い夜と煌めく星。黒と紺色を基調としたため、文字は当然白にせざるを得ない。次にタイトルを決めた。ブログの名前は顔に当たる。あまり大げさだと分不相応だが、せせこましいと内容もそれに準じる。こればかりは自分で決めてもらわなければならない。

 三田はしばらく悩ましげに唸り、突然、自分の発想を褒め称えた。

「『イミテーション・ゴールドな日々』でどうだ」

 悪くはない。山口百恵の歌から名前を引いたことは一目で分かる。性格上、若者向けの情報発信ブログにはなりそうもなく、同年代を引っかけるには正解かもしれない。

「お前も知ってたか。結構洒落てるだろ」

 三田は胸を張った。僕はそれ以上指摘することはしなかった。記事とブログタイトルが乖離したら、また何か新しいものに変更すれば良いだけだ。

 一通り触って問題がないことを確認した。

「おう。もう良いぞ。後は俺がやる」

 僕はノートパソコンの前から追いやられた。書斎から出ずに三田の横に立ち、今後の手順を教え、ネット上でのルールやマナー、注意事項を一つずつ告げるが、彼は僕のことを鬱陶しそうに見上げる。

「分かった分かった。俺は初心者じゃないし、分かんなくなったら聞く。早く触らせてくれ。自分でやんないと覚えないだろ。困ったら聞くから。な」

 三田のブログは完成した。登録したブログ会社のトップページを覗く。まだ掲載されていない。数十分ほど経てば、新規作成、そして更新した情報が乗るだろう。

 アクセス数は、一人。

 管理者が覗いた分も、数字にカウントされていた。


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