六話 変異種
テッセラの街の西にある森、そこはランク二危険区域である。
ここには基本的に(・・・・)、ランク一『ゴブリン』とランク二『森狼』しか出ない。それぞれ集団ではランク二と三であるが、ランク二冒険者が四人でパーティーを組んでいれば十分対処できるだろう。もっとも、連戦して生き残れる保証は無いが。
それはともかく、低ランクの危険区域には、稀に高ランクのモンスターが出現することがある。他の危険区域のモンスターが迷い込んだ場合などがその例であるが、血狼はそういった類の存在ではない。
血狼は森狼の変異種である。森狼が魂の欠片を吸収し続けて成長した存在、成長した森狼が交わると産まれる、あるいは特殊なアルビノの類など諸説あるが、血狼が発生する仕組みは解明されていない。今挙げた例は全て間違っているかもしれないし、あるいは全て正しいかもしれない。
分かっているのは、血狼がランク五に匹敵する戦闘能力を持っていることと、血狼と群れた二匹の森狼は、錆狼と呼ばれるランク三モンスターになることである。
錆狼自体の危険度は比較的低いものの、錆狼と血狼はそれなりに高度な連携を行うために、集団での危険度は高い。
ランク二危険区域を探索するような冒険者にとってその戦闘能力は脅威の一言に尽きる。数年から十数年に一体しか現れない存在ではあるものの、運悪く遭遇してしまった冒険者にとって、それは何の慰めにもならない。
それは、『ブラッディマッド』のメンバーとヘイルにとっても同じことであった。
◆
背を合わせて構える、マッド、ベニー、ヘイルの三人と、それを囲む三匹の狼。
「「ブースト!!」」
三人が背を合わせて構えるとともに、マッドとベニーが自己強化の魔法を発動させた。
それと同時に血狼が遠吠えの如く吠える。次の瞬間、三匹の狼が赤い靄のようなものを纏う。血狼固有の身体能力強化魔法である。
元々身体強化を発動させていたヘイルとしては一人置いていかれた形になる。先程錆狼の不意打ちを避けたとはいえ、三回やったら一・二回は死んでいただろう程度には運の要素を含んでいた。ベニーが負傷し、ロック、ニッドがやられたことを考えれば避けられただけでも凄いのだが、それはそれとして今後の展開はきつい物になるだろう。特に血狼に襲われた場合はやられる可能性が高い。
身体能力強化の魔法を纏った狼三体が自分達の周りをゆっくりと回り始めたのを確認しつつ、ヘイルはこの先の展開を考える。
状況的にはかなり追い詰められているものの、ヘイルはいたって冷静である。前世でも、今世でも、最も行っていたのは精神修行だ。先程の『こ、これは……』のように、思考内における口調が焦ったようなものになることもあるが、行動に支障をきたすようなものではない。
今後の展開で重要なのは、血狼が誰を攻撃するか、である。
ランク四のマッドとベニーではあるが、普段受けている依頼や鍛錬の内容ゆえか、錆狼よりやや強い程度であり、血狼には到底敵わないだろう。二対一なら可能性はあるかもしれないが、錆狼がいる以上それは不可能だ。
ヘイルは、今の状況では錆狼一体ぐらいは自分が殺らなければいけないと考えている。
マッドとベニーの様子と精神状態、実力を考えると、一対一では錆狼を殺るのが限度だろう。
そのため、血狼を倒すにはなるべく早く錆狼を倒し、数的優位に立つ必要がある。
三人が背を合わせている今の状況なら、おそらく一対一が三つ発生する。そのため、錆狼と対峙した者がいかに早く相手を倒し、血狼と対峙した者がいかに生き延びるかが鍵となる。
ヘイルは右手にダガーナイフ、左手に錆びたナイフを構える。
回避に専念したいところではあるが、突っ込んでくる角度によっては下手に避けると後ろの二人を襲われる可能性がある。森狼が相手の時は小石で牽制していたヘイルだが、身体強化魔法を纏った錆狼相手にそれが効くかと言われると疑問である。もっとも、錆びたナイフも十分微妙なのだが。
「フレイムランス!」
「ウインドカッター!」
先に動いたのはマッドとベニーであった。血狼がヘイルの正面に来たタイミングで二人は得物から片手を離し、適正の高い属性の下級魔法を、それぞれの目の前にいた錆狼に発射した。二匹の錆狼は掠りつつもそれを避け、二人へと襲いかかる。それに合わせて血狼もヘイルへと距離を詰める。
ヘイルは内心で舌打ちをした。相手が錆狼であれば――危険はあるが――手傷を負わせるなり、あしらうなり、目などの急所を狙って倒すなり、色々と手はあった。
しかし、でかい、硬い、速いの三拍子が揃った血狼が相手だと、大きな怪我をせずに相手をするのはおそらく不可能だ。ヘイルが予め考えていた手の中で一番現実的だったのが『左腕を犠牲にして相手の口内にアイススピアを叩き込む』だったぐらいである。
しかし、ヘイルへと距離を詰めていた血狼は、あと一跳びという距離で進路を変更、右の方へと逸れて行った。死角の気配も探っていたヘイルは、マッドとベニーに注意を促すべく短く叫んだ。
「左!」
叫ぶと同時に左から迫っていた錆狼の目を狙い錆びたナイフを投げる。全力で投げると体勢が崩れてしまうため、手首のスナップを使い適当に投げた。目へと跳んで来たナイフを避けるためにラスティウルフの勢いは落ちる。毛皮の上を滑らせるようにナイフをいなした錆狼は――毛皮がそれなりに丈夫なこともあり――擦り傷にも満たないほどの些細な傷を作りつつ、ヘイルへと跳びかかる。胴を噛み潰さんとするそれを、ナイフを持った右手を振って身体を回し、マッド・ベニーから離れる形でかろうじて避ける。ナイフでの一撃は、回避優先で動いたことと、森狼のそれよりも丈夫な毛皮によって、皮を浅く切り裂いただけに終わる。
やや距離を取って反転した錆狼に対し、自分を狙える位置には正面の一体しかいないことを確認したヘイルは、積極的に攻めることを決める。
「アイススピア」
再び突っ込んで来た錆狼に対し、アイススピアを発射。不意打ちに対応した先程と違い、タイミングと射角を調整して発射されたアイススピアは効果的に錆狼の速度を落とす。ラスティウルフの意識がアイススピアからヘイルへと戻り、再び地を蹴った時、ヘイルは錆狼の斜め前まで接近していた。速度が落ちたとはいえ、ある程度勢いがついていた錆狼は角度的にヘイルを攻撃できず、そのまま通り抜ける。対するヘイルはダガーナイフを錆狼の左後ろ足へと突き出す。
確かな手ごたえとともに錆狼の肉を裂いたナイフは、錆狼の機動力を削ぐ程度の傷は与えたものの、骨を断つまではいかず、さらには十分な握力が無かったヘイルの手から弾き飛ばされてしまう。
(…向こうはどうなった)
ヘイルは腰に下げている布袋から小石を取り出しつつ、マッドとベニーの方を見た。
そこでは丁度、ベニーが血狼に頭を噛み砕かれ、マッドが錆狼に左腕を噛みちぎられたところであった。
「があああ! 俺の腕がああああ!」
腕を噛みちぎられたマッドが叫んだ。
錆狼の身体の側面には切り傷が入っているものの、血狼には傷らしいものは無い。
(さ、流石に詰んでるだろこれ…)
思わずそんなことを思ったヘイルだが、思考を放棄したりはしない。
無防備なマッドへと飛びかかろうとする血狼を牽制するべく、ヘイルは小石を投げようとする。しかし二匹の錆狼に見られているため身動きができない。
そして、血狼がマッドへ、二匹の錆狼がヘイルへと飛び掛り、ヘイルが最後の抵抗を試みようとした次の瞬間、状況は急変する。
マッドへと飛びかかった血狼に雷の槍が直撃して動きを止め、錆狼の一匹は火球を喰らい吹っ飛び、そして最後の一匹は真っ二つに両断された。
「あとは任せてくれ!」
ヘイルの前へと割り込み、錆狼を斬り伏せた男が言った。
そこからの展開はあっという間だった。
槍を持った女が吹っ飛んだ錆狼が体勢を立て直す前に仕留めると、剣士の男・槍使いの女・魔法使いの女の三人が協力して、実にあっさりと血狼を仕留めた。