二話 一息
当初、俺は状況がまったく把握できていなかった。当たり前だ、死んだと思ったら再び意識が覚醒し、その上身体の感覚がまるで違ったのだ。死霊術師にアンデットにでもされたのかとさえ思ったりもしたものだ。その後、己が赤子になったことに気付くと同時にだいたいの状況を理解した。すなわち、自分は転生したのだ、と。
転生したのなら、転生モノの話によくあるように平穏かつ有意義な幼少期・少年期を過ごすことになるかと思ったが、そうはならなかった。
というのも、出だしからして貧困に喘ぐような生活だった上、住んでいた国で色々と問題が起こり、それに伴うゴタゴタによって七歳の時に孤児となったのだ。
もっとも、前世の記憶がある俺ならば、算術などをはじめとする使える知識を持っているため、仕事を見つけることも可能なはずであった。あったのだが、実際には色々とツイてなかったおかげで生きるか死ぬかの毎日を送るハメになった。仕事になどありつけていない。
◆ ◆
冒険者登録を終えると、ヘイルはすぐにギルドから出た。現状たいした用がないというのもあるが、長く留まってはあの場にいた人に申し訳なかったからだ。
まともな生活ができていないがゆえに身体から漂う悪臭。方針変更により急遽冒険者登録した事もあり、自分ではもはや慣れてしまった悪臭の事をヘイルは失念していたが、職員の女性が顔を顰めたのを見てそれを思い出したのである。
ヘイルは冒険者ギルドのある大通りから外れ、レンガ作りの建物に左右を囲まれた細い道を進み、曲がり角をいくつか曲がった先にある、やや開けた場所の廃屋の壁に二面を囲まれた場所に腰を降ろした。ここが現在のヘイルの寝床である。
本来ならば廃屋の中を使いたいのだが、既に他の浮浪者が使用しているため使えない。もっとも、テッセラの街は一年を通して温暖な気候であるために、屋外でも生活は可能である。
「ふぅー……」
背を壁に預け、深く息を吐くヘイル。
冒険者登録はまだしないつもりであった。現状では、冒険者となって金を稼ぐには肉体的にも資金的にも万全の状態にはほど遠く、リスクが大きすぎるからだ。今の生活を続けたとして、万全な状態に近づくかといえば微妙なところではあるが、今の貧弱な身体と装備で冒険者になるよりはマシに思えた。
その考えに従わずに今日冒険者になったのは、今日見た夢が原因だ。
ヘイルの年齢が三百代の半ばだった時の事である。当時、ヘイルの知り合いには腕の良い占術師がいたのだが、ある時の占いの結果が「十三歳になったらなるべく早く冒険者登録しろ」というものだった。冒険者登録は前の世界にもあったため、『四百十三歳の時に再登録しろ』ということかと思ったわけだが、占術師に「そういうことじゃないわ。ただの13歳の時に初めて登録しろってことみたいよ」と困惑しながら返されたため、その時は結局どういうことか分からずに、まあこういう事もあるか、と流したのである。
この時の事に関する内容がヘイルの夢の内容だ。
当時は何の事か分からなかった占いの内容ではあるが、転生した今ならその解釈は容易である。転生後に限って言えば、ヘイルは一度も冒険者登録をしていないため、占いの結果が示していたのは転生後の十三歳の事と考える事ができるからだ。ヘイルは、今の自分の年齢は十三歳と一ヶ月程度だと把握している。それゆえに、ヘイルは急いで冒険者ギルドへと向かったのである。
…実際にはヘイルは昨日十三歳になったばかりなのだが、季節等によってだいたいの日数でしか把握できていなかったヘイルがそのことに気付くことはなかった。ちなみに、日本と違いテッセラの街に四季はない。
「…さてどうするか」
一息ついたところで独り言を零す。前世では一人でいる時間が多かったために、ヘイルにとって独り言は普通である。
ヘイルの言う『どうするか』というのはこの後の事である。
具体的には、身体を洗うべきかどうか、である。しかし先ほど登録を済ませたために今更感は拭えない。
(…まあでも、冒険者ギルドにはこれから頻繁に訪れることになるわけだよな。その毎に悪臭を放ってたら誰も近づかないだろうし、それにサポートしてくれる冒険者のこともあるしな。一時的とはいえ行動を共にするんだから、外面的障壁は少ない方が良い、か)
「まあ、洗ったところであまり綺麗にならないんだけどな。…っと」
苦笑と共に背で壁を押して立ち上がるヘイル。
「まずは飯、だな」
腹が減っては身体は洗えぬ、ついでにいつ食料が手に入るか分からないともなれば、優先すべきは食料事情である。身体を洗うのは余った時間で良いのだ。
まずは新鮮な残飯を狙うべく、ヘイルは酒場の裏を目指して歩き出した。
◆
翌日の昼、ヘイルは再び冒険者ギルドを訪れた。
身体を洗ったために昨日よりは(・・・・・)清潔である。洗ったとは言ってもただの水浴びであり、水浴びしたのは街を流れる川の下流、服には匂いがついていて、食事は酒場の残飯がメイン、さらには寝床が屋外であるため、周りの人間と比べると相変わらず汚い。ヘイルが普段あまり身体を洗わないのもこれが理由だ。洗ったところで効果は薄い上にすぐ汚れるのだ。
川の上流で水浴びができれば多少はマシになるかもしれないものの、ヘイルのような孤児が使えるのは川の下流の中でも街の外縁部に位置する場所である。上流部の住民の排水が混じるため、下流にいくほど水は汚い。
ギルドに入ったヘイルがカウンターを見ると、昨日とは違う女性職員がいた。肩程まで伸ばした桜色の髪は先端がウェーブしており、同じく桜色の大きめの目がかわいらしい。
女性職員は、ヘイルに気付くと「げっ!」とでも言いそうな顔をした。
(…気持ちは分かるが、プロ意識とかは無いのか職員さんよ。昨日の人は一瞬で仕事顔に戻っていたぞ)
「あー、すみません」
「うう…今日はツイてないなぁ…。…えーと、何ですか?」
『話しかけてくんな』的な雰囲気を垂れ流している女性職員に、ヘイルが控えめに声をかけてみたところ、返って来たのは投げやりな返事だった。
(聞こえてますって職員さん。それともあれか、わざと聞こえるように言って近づけさせないとかそういうあれか。あるいは仕返しのつもりか)
そんな感じで色々思うところがあるヘイルではあるが、気持ちは分からなくもない。それに実害は無い、というか実害を与えているのはヘイルであるため何も言えない。
「昨日冒険者登録したヘイルと申します。駆け出し冒険者は他の冒険者のサポートを受けられるという事だったので、昨日斡旋を頼んでおいたのですが」
「ああ、昨日先輩が言ってた人か…。えっと、今回ヘイルさんのサポートは、パーティー『ブラッディマッド』が引き受ける事になりました。えーと…ああ、あそこのテーブルに座っている4人がそうです」
職員が示した方をヘイルが見ると、四人の男が酒らしきものを煽っていた。
(チンピラじゃないですかやだー)
四人の柄の悪さに思わずそんなことを考えるヘイル。本当にあの四人がサポートしてくれるのだろうか、と思わずにはいられない。
「なるほど、ありがとうございます」
ヘイルは職員に礼を言うと、覚悟を決めて『ブラッディマッド』のいるテーブルへと向かった。