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ティル・ナ・ノーグの空の下

心に唄う雨

作者: 夕霧ありあ

「また雨かよ……これじゃ、いつまでたっても遊びに行けないじゃないか。つまんないの」

 ある時、ある日の雨の日のこと。緑の髪の幼い少年は、部屋の窓からのどんよりとした景色を見て、頬杖をつきながら口を尖らせている。

 家にこもっているのは嫌だ、とでも言わんばかりだ。遊びたい盛りの少年にとって、ざあざあと降りつづける雨は鬱陶しいものでしかなかった。

「雨も、悪いものじゃないよ」

「ねえさん」

 少年と同じ髪色をした少女が隣にやってきた。彼女は、仏張面のままの少年に向けて、ぽつりと言葉を投げかけた。

 ねえさん、と呼ばれているあたり、彼女は少年の姉なのだろう。曇りのない瞳も、少年とよく似ていた。

「空がいろんな表情を見せなかったら、つまんないよ。私たちだって、いろんな気持ちになったりするでしょう? ちょうどあんたが今ふてくされてるようにさ」

 少女は歌うように、少年に語りかける。

「じゃあ、雨が降ってる時、空はオレたちに向かって怒ってるの?」

 少年は、ただ首を傾げた。

 空と人間とでは、大違いじゃないか。彼の心にはそう映っていたために、姉の言っていることは不思議としか思えなかった。

「怒っている、とでもとれるかもしれないね。でも、怒りや涙があるからこそ、笑顔は素敵なんだよ。色んな感情があるから人は面白いんじゃない。だから私は空が好きなんだ」

「うーん。よく分かんないや」

「きっとあんたが大きくなる頃には、わかるかもしれないね」

「そうかなぁ……?」

 雨の降っている様子を眺めながら呆然としている少年に、少女は優しく諭した。

「きっとこの先、イヴァンはいろんなことを知ってくよ。いろんなことを思うだろうね。そう、あんたの人生なんて、まだまだ長いじゃない。ね?」

 その意味を、イヴァンと呼ばれた少年が知るのは、ずっと後のこと。

 幼い彼の心は、こんな風に過ごす日々がいつまでも続くのだろうと思っていた――。


  ◇◆◇◆◇


 それから十年後。いつの時代でも変わらないように、雨は地面を叩き続けていた。穏やかに、しかしとめどなく降り続ける様子は、まるで音楽を奏でるようだ。空一帯が雲に囲まれて、まるで世界が雲で覆われているように見える。

 そんな中、イヴァン・デイルは空を見上げて、ため息をついていた。

 彼はちょうど旅から戻ってきて、生まれ育った街、ティル・ナ・ノーグに帰ってきたところだった。

「なんだってまたこんな天気なんだよ……」

 十八の少年、イヴァンは雨雲に向かって皮肉まじりに呟いた。空に話しかけたって、雨雲は聞く耳を持たないというのに。

 彼――イヴァン・デイルは天文家だ。ただし、天文家としてはまだまだ発展途上ではあるが。

 イヴァンは雨が嫌いだった。星が見られないからというだけではない。姉・セリーナのことを思い出してしまうからということもあった。

 もう彼女が亡くなった時の年になるのだなと思うと、時の流れの早さが身にしみる。

 天気が悪いときには、彼女の話を聞くことだけが楽しかったあの頃。けれども、今はもう、話をすることさえできない。

 あの時、彼女が自分を庇う前に、魔物に対抗できていたら――。

 今でもはっきりと思い出せる。それが、どんなに見たくもない光景だったかも。後悔の念にさらされるから、思い出したくなかった。暗い気持ちでいたくなかった。

 いつまでも暗いままだと、家族も気分がどんよりしたままだろうとイヴァンは思っていた。だから、明るさを取り繕うことに必死で。家族は皆、「イヴァンのせいではない」と口を揃えたけれども、申し訳なさでいっぱいだった。

 この街に霊能者がいるという話を聞きつけて、姉がどうしているかを問うために、彼女のもとを訪ねたこともある。

「セリーナさんは、きっと成仏したのでしょうね」

 リーシェ・マリエットといった霊能者の少女は、そうイヴァンに告げた。

「きっと、現世での迷いはないみたい……どこか遠い所で、イヴァンくんを見守っているのかもしれないわね」

 けれども、彼女はこんなこともまた口にしていた。

 会うことができなくてもどこかで見守っているのだと考えると、なんとも不思議な感じだ。

 リーシェに話を聞いてもらうことで少しは楽になったとは思う。姉は自分を恨んでいないのだと理解することができた。しかし、気分が落ち込んでいる時には嫌な考えが巡るのが人の性。

 どうか、雨が止んでくれないか――?

 イヴァンはそう願うことしか、できなかった。



 どこか屋根のある場所はないかと、イヴァンは何となしに街の中を歩いてみる。

 こんな天気であるからか、昼間であっても道の人通りは少なかった。

 気の赴くままに歩き続けていると、ふとイヴァンは、一人で雨宿りをしている女性を見かけた。

 彼女は紫の長い髪を下の方でひとつに結わえ、右目には眼帯をしている。きれいな人だ、と無意識で受けた印象と同時に、どこかただ者でない雰囲気も感じられる人物だった。

「誰だ?」

 思わず見とれていると、女性は不思議そうに首をかしげた。向かい合ってみると、イヴァンよりもいくらか背がある。

「俺はイヴァンだ。イヴァン・デイル。そこらへんの天文家ってところかな」

「はあ……」

 臆することなく笑顔で名乗るイヴァンに、ただ女性はまばたきをするばかりだった。

「名乗ったからにはそっちも名乗ったらどうだ? 名前、何って言うんだ?」

 イヴァンは女性に対して名前を尋ねようとする。

「シェイナリウスだ」

 女性は表情を変えずに名乗った。

「シェイナリウス……長くて呼びづらいな。お前、あだ名とかってないのか? 普段呼ばれてる呼び名とかさ」

「シェイナ、と呼ばれることもある」

「わかった。じゃあそう呼ぶことにするよ、シェイナ。……雨、強いな」

「ああ、そうだな」

 しばしの間、沈黙。

「どうしてここにいたんだ?」

 イヴァンは何を話そうかと考えてみたが、結局は当たり障りのない質問になった。とりあえず、沈黙には耐えきれなかった。

「ただ、なんとなく。ぼんやりしてたら、雨が降ってきていたんだ」

「そっか。……俺はな。なんとなく帰ってきたのはいいけど、家に帰る気もしないから、雨宿りできる場所を探そうとしてたんだ」

「帰る家があるというのに、お前はどうして帰ろうとしないんだ?」

 これまで無表情だったシェイナが、ふと感情を見せたような気がした。

「それは……」

 少しだけ、考える。すぐには、答えが見つからない。まるで、ごちゃごちゃの引き出しから探し物を見つけ出そうとする感覚に陥った。

「家族がいるってことは、それだけで幸せなことだろう。どうしてお前は家族に会えるというのに、会おうとしないんだ」

 イヴァンがどう答えようかと考えている間に、シェイナの話が続く。

「俺、現実から逃げ続けてきたんじゃないかな」

 考える前に、言葉が出ていた。シェイナが言ったことは答えに繋がるヒントだったのかもしれない。

「へ?」

 それに対してシェイナは、予想外だ、とでもいうような返事をする。

「ありがとう、シェイナ。俺って、幸せ者だったんだな。自分が恵まれてるって、やっと気付いた」

「何故礼を言うのだ?」

「言いたいから言う。それで十分だろ? じゃあな」

 イヴァンは軽く手を挙げて、シェイナに別れの挨拶をした。

「あ、そうだ。お前、そんなに気負わないほうがいい。もっと心を楽にしてもいいと思うんだ」

 思い出したように、イヴァンはそう言い残す。

 シェイナはぽかんとしていたものの、その後のこと、イヴァンは一度も振り返らずに走っていた。

 彼女ともう少し話をしていたい気もしたが、今はただ走ることのほうが大事だった。

 雨は、止むどころか寧ろ強くなっている。道路にも、水が徐々に溢れてきている。

 イヴァンがひたすら道を駆けると、水たまりがしぶきをあげた。

 ぱちゃり、ぱちゃり。降り続ける雨に新たな旋律が生まれる。

 足が水の重さで囚われようが、服と靴がびしょびしょになろうが、イヴァンは気に留めなかった。

 ただ先へ、先へと向かうため。何としてでも、目的の場所に、たどり着くため。


  ◆◇◆


「ただいま……」

 やっとのことでイヴァンが帰ってきたのは、生まれ育った家だった。

「その声は、イヴァにーだ!」

「イヴァにー、おかえりなさい!!」

 イヴァンをはじめに出迎えたのは、3つ下の双子の弟と妹。

 たくさんの兄弟の中で囲まれて育ったものの、下の兄弟は彼らだけだった。年の離れた兄二人や父親は、まだ仕事に出かけている時間だろう。母親や上の兄の奥さんも姿を見せてないものの、どこかにいるに違いない。

 そういえば、昔は彼らや今は亡き姉にまとめて面倒を見られていたっけと、イヴァンは思い出す。彼らには迷惑をかけてばかりだった。そして、今では弟や妹にも迷惑をかけてしまっている。なんて情けないのだろうと、今更ではあるものの、柄にもないことを考えていた。

「イヴァにー、しばらく帰ってきてなかっただろ? どうしたんだよ? オレたち、心配してたんだよ」

「悪かったな」

 皮肉混じりにそう吐き出すと、ふと目の前が真っ白になる。

「イヴァにー、どうしてそんなにずぶぬれなのよ! 風邪引く前に早く、着替えて着替えて!!」

 白いものは、触るとふかふかしていた。どうやら妹にタオルをかけられたようだ。

「おい、何も見えねーじゃんか!」

「さあ、早く!!」

 妹に引きずられながら、脱衣所へと向かう。

 弟が(勝手に)用意していた替えの服に着替えた後、脱衣所の扉を開くと、家の廊下には母親の姿があった。

「おかえりなさい、イヴァン」

「かーさんか……もしかして、ずっとここで待ってたのか?」

「待ってなかったとしたら?」

「いや、何でもないんだ……心配かけて、ごめん」

 図らずも、素直に謝罪の言葉が出たことが不思議だった。

「また家出? レイくんの所に聞いてみてもいないって言うから……。全く、こっちの身にもなりなさい」

 そう穏やかに言う母親に、申し訳なさを感じられた。

 もう、怒りを通り越して呆れているに違いない。

「セリーナだけじゃなくって、イヴァンまでいなくなったらどうしろっていうの……」

「かーさんは、俺がいなくなったら悲しいか?」

「悲しくない訳がないじゃない、ばか」

「バカって何だよ……」

「どうして分からないのかしら」

 ぴしゃりと言い放った母に、イヴァンは何も言い返せなかった。

「そうだ、イヴァン。部屋、そのままにしてあるわよ。後で片付けなさいね」

 ややあって、母は笑顔でそう言い残して去っていった。思わず顔がひきつる。

 これは後で見に来るから片付けろっていうことだろう。イヴァンは、渋々と階段を上って部屋へと向かった。

 家は住んでる人数に対しては狭く、部屋までの距離はそう遠くなかった。少し歩いただけで、すぐにたどり着いてしまった。

 けれども、この狭さがどこか懐かしい。

 この家は、建築家の父が限られたスペースをいかに有効活用するか考えて、意匠を凝らしたものだ。これで不自由なく暮らせるというのだから、父の腕前を認めるほかにはなかった。

 イヴァンは部屋のドアノブを回す。鍵もないために、かちゃりと音をたててあっさりとドアは開いた。ここに入るのは、久しぶりだった。

 ドアを開けてはじめに見えたものは、天体観測の結果を殴り書きした紙や、過去に作ったと思われる図面だ。部屋の狭さが、乱雑さをさらに際立たせていた。

「これは酷いな、俺……」

 思わず、呆然とするイヴァン。しかし、とにかく片付けを始めないことには何も変わらない。彼は床にちらばっているものをまとめ始めた。

 その最中、紙の山から出てきたものは一冊の本。

 それは、星や宇宙について、子供でもわかりやすいように書いてある本だった。

 昔、雨が降っていた時にはこれをよく読んでたものだったなと、心の底から懐かしい気持ちがこみ上げる。

 遊びに行けないのは残念だけれども、星や宇宙の話を聞くのは昔から大好きだった。目をきらきらさせて、本のページをめくったものだった。

 こんな本を読んでいたから、今の自分があるのだろう。

 イヴァンは本棚の一番目につく所に、そっと思い出の本を仕舞った。

「たまにはこんな天気でも、悪くないか」

 「雨も悪いものじゃない」と語った姉の言葉を思い出す。

 不思議と、つらい気持ちはなかった。ただそれが、遠い遠い、懐かしむべき思い出へと昇華された瞬間。

 屋根に雨が打ち付ける。ぽつぽつと、不規則な旋律が流れる。

 今度晴れたら、また星を見よう。そしていつかきっと、誰も見てこなかったような星を見つけてやるんだ。

 そのために、姉の分まで生きていこうって決めた。絶対に夢を叶えたいと思った。

 片づけをしながら、イヴァンは傍らで雨が奏でるメロディーに耳を傾けていた――。


  ◆◇◆


 次の日のこと。空は変わらず、雨模様だ。

 だが、どしゃ降りは昨日で終わりだったらしく、今では小降りになっているだけだった。

 そんな中、イヴァンはレイとアールのもとを訪ねていた。

「イヴァン、雨が降っているというのに嬉しそうだな。何かあったのか?」

 そう、レイが問いかける。彼はおたまを手に、昼食を作っている最中だった。

 レイは料理上手であることに定評がある。イヴァンが彼の家を頻繁に訪れるのは、付き合いの長い友人であるからというだけではなく、この料理をごちそうになるためという目的も、あるとかないとか。

「久々に、家に顔を出してきたんだ」

 イヴァンの声は弾んでいた。まるで星を見ているときと同じように、目を輝かせて話す。

「そうしてくれ。こっちはお前がいない間、イヴァンは来てないかって聞かれたんだぞ」

「余計なことしてくれやがって」

「お前の親の行動はもっともだろ……」

 レイはため息混じりに頭を抱えた。

「好きにやらせてくれたっていいのに。な、アール」

 イヴァンは共に昼食を待つアールに話を振る。

「そうだ、そうだ」

 アールは家を飛び出して旅をしていたという経歴もあってか、イヴァンに同意した。

「お前ら……」

 レイは呆れた、とでも言ったように背中を向けて、調理に戻った。

 鍋の中には、何が入っているのだろう。とてもいい匂いだ。

「でも、なんでだろうな。嬉しいのは、それだけじゃない気がする」

 昼食を心待ちにしながら、イヴァンは不意につぶやいていた。

「変なイヴァン」

「アール、お前まで何だよ」

 理由が分からないものは仕方がない。その答えはきっと、後で見つかるはずだ。


「二人とも、出来たぞ」

 その後のこと、アールとしばらく話をしているとレイから声がかかった。どうやら、食事の支度ができたらしい。

「待ってました!」

「おい、待てって。メシは逃げやしないんだからさ……」

 声を揃えて今かと待ちわびるイヴァンとアール。レイは苦笑い混じりにそんな彼らを落ち着けようとしていた。

「そう言ったって……なぁ」

「ああ」

 三人で顔を見合わせて、思わず笑い合う。そんな何気ないことが、ただ幸せだった。


「あれ、雨止んでないか?」

 昼食の最中、窓ごしの景色をレイはちらりと眺める。

「え、マジで!? これ食い終わったら、散歩にでも行かね?」

 つられて窓を見たアールは、目を輝かせた。旅行記を書いて、儲けることを夢見る彼のことだ、きっとまたネタを探そうとでも思ったのだろう。

「いいな、それ!」

 窓越しに、日差しが差していた。いつの間にか、雨雲は去ったようだ。

 久々に浴びた太陽の光は、とても心地が良くて。そんな時、イヴァンには外に出ないという手はなかった。

 これからも、いろんな出来事があって、いろんな人に出会って、いろんな想いを得ることだろう。

 雨が降ろうが嵐になろうが、いつか空は晴れる。そんなふうに、例えどんな未来が待っていたとしても、笑って過ごしていけたら。

 そう、イヴァンは心から願っていた――。

お読みいただきまして、ありがとうございました!


執筆にあたって、シェイナリウス(考案、デザイン・黎珠那さん)、レイ(考案、デザイン・道長僥倖さん)、アール(考案、デザイン・タチバナナツメさん)をそれぞれお借りしました。キャラクターの親御さま方、ありがとうございます。

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[一言] こんにちは、ありあさん。イヴァン君の小説読ませて頂きました。 ちょっぴり切なくも、読了後は温かな気分で読み終えることができました。 シェイナちゃんが雨の中で語るというのも、なんだか彼女らし…
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