霧に包まれた道の駅2
谷底で釣り道具を片付け、えっさこらさと崖を登って車までようやく辿り着いた。
すでに暗くなっていた。
谷底は道路上より暗い。ギリギリ間に合ったという感じだ。
懐中電灯で足元だけを照らして転ばないようにして歩いたので筋肉が叫んでいた。金属疲労の実験のように疲労困憊だ。
「俺も歳だな……。せめて三十代の体力が戻ってきて欲しい。ふぅ、疲れた」
釣り道具類を車のトランクに積み込み、釣りベストと防水ウェアを脱いで後ろの座席に置き、靴を運動靴に履き替えて運転席に座った。腰も若干痛いようだ。
「さて、道の駅に行くか」
道の駅には、売店、トイレに自動販売機、時間が早ければ天然温泉、お食事処が営業している。
車のエンジンをかけヘッドライトを点灯すると、霧に光が乱反射して前が見えにくかった。
周囲は相変わらず濃霧のままである。
「昔の車にはフォグランプが標準装備されていたのになぁ。今の車にはそれがない。これだけが不満だ」
前がほとんど見えない濃霧の時は、そのまま車を走らせると危険だ。すぐに止まることが出来るようにトロトロと低スピードで走らせる。道端に車が止まっていないか、注意深く進む。
一秒に一メーター進むといった感じで慎重にハンドルを握る。
この場所に通って数十年。地域には明るいので頭の中でもカーナビでも迷うことはない。
「それにしても、この濃霧は酷いな。神秘的で趣深いから俺としては濃霧は好きだけど、時と場合による。全く見えないとは如何なものか」
普通に車で走って十分ぐらいで道の駅には到着できるが、慎重にゆっくり走っていたために結構な時間を費やした気がした。
目的の天庄川道の駅に到着したのだが……
「なんだ、なんか変だぞ」
備え付けられていた道の駅の照明、街灯の光でも駐車場を広くは照らしていないものの、広い駐車場には車が一台も停まっていなかった。キャンピングカーも見当たらなかった。
俺は電気の消えた天然温泉、おトイレ、自動販売機の集まっている場所に車を寄せて停め、一旦、トイレに行くことにした。
トイレは出入り口のセンサー反応で自動点灯する。
「ふぅ~、おっと科学の恩恵だな。光が点くと安心する不思議」
相変わらずの独り言だ。
手洗い場では釣り用の手袋を洗う。魚を外す際に握るので、いつもは川で洗うのだが、濃霧と道具をしまった際には暗くなっていたので、川で滑って落ちるのを防ぐ為お手洗いで洗うことにした。
ま、一度、洗おうとして岩に滑って川に落ちたことがあるので危機管理というやつだ。
濡れた手袋は後部座席の窓の下に置く。朝には乾いている事だろう。
車に手袋を置いた後で自動販売機に向かう。
大物を釣った時には『勝利の誓いコーヒー』を購入するのだが、今日は小魚ばかりでダメだったから安いコーヒーにしようと思っていたところ、更に濃くなった霧が身体にまとわりついてきた。
「なんだ、この霧、やっぱりおかしいぞ」
足を止め、一旦背伸びをしてみる。両腕を振り回してみると、まるで水中のような抵抗を感じる。霧が濃くなって水に限りなく近づいているのだろうか。
「いや、それだと既に豪雨になっているか。不思議だな、重力に負けずに空に浮かんでいるとは」
空を見上げてみると、分厚い雲が海のように波打ち、月の明かりが透けている感じがした。神秘的な風景と言えない事もないが、背筋に寒気が走る。
俺はまた自動販売機の方に向かって歩き始めた。
コインを入れ、缶コーヒーを二本買った。一本をグイッと飲み干し、販売機の横に据え付けられている空き缶入れに放り込む。もう一本は車に戻ったらゆっくりとチビリチビリと飲む。
車を運転するのでお酒は飲まない。持ってきていない。
何かあった場合に、山の神様にお酒を提供すると良いと聞くが、お供えするにも道祖神ぐらいしか見当たらず、いつの間にかお酒は持参しないようになった。
よく釣りに行っている別の河川には不動明王が道路わきに祀られていたりするので、この天庄川では神社の境内まで行かないといけないもんな、と考える。
「それにしても、月明かりもなく電灯すら駐車場の手前までしか届いていない。少し奥になると全く見えないな。漆黒の闇というのが今まさにそれ」
自動販売機前で立ち尽くしたような感じの俺。くるくると首を回して周囲を観察するも他に車もなく、誰もいない。雰囲気は徐々に怖く感じるようになってきた。
「さてと……」
車に戻ろうとすると、自動販売機の反対側の建物の陰から女性が二人出てきて、自動販売機まで近づき、少しライトで明るくなったその場で座り込んだ。太ってるポッチャリ型とほっそりスレンダーの二人だった。年齢は二十歳代ぐらいか。
……正直に言う。俺は死ぬほど驚いた。
◇
俺は怪しまれないよう、丁寧に笑顔を作って軽めの声で二人へ話しかけた。
「えっと、凄い霧ですよね?」
ぽっちゃり女子が唇を震わせて何か言おうとしているが目が揺れて声が出せない感じだった。もう一人の細い方は膝を抱えて顔を埋めてしまっている。震えている感じがしないでもないが、少し異常さを感じた。
「だ、大丈夫ですか? お二人とも」
ぽっちゃりの子が顔をフルフルと横に振る。
もう一人の方は反応が薄い。ショック症状みたいな印象だった。
「あ、あの、私は誘拐犯ではないですし、わ、私はよく釣りに天庄川に来るだけなんですけど、車に乗ってお話しませんか? 地面に座るよりかは良いと思いますけど、ど、どうですか? 人攫いの時はワゴン車ですから、わ、私の車はセダンですし、大丈夫ですからっ」
大企業の管理職、部下も大勢いる。そんな人物が娘みたいな女子に上ずった声をかける……
女の子に気を使いすぎてコミュ障気味になってしまった俺だった。
運転席の後ろは釣り道具や服に占領されており、助手席とその後部座席が空いていた。後ろ座席に細い子、助手席にかろうじて会話に反応するぽっちゃり娘を座らせた。
「えっと、後ろの子は大丈夫じゃなさそうだけど、街に行こうか? 救急病院があるから落ち着ける薬を貰えるよ」
助手席のぽっちゃり娘に話しかける。後ろの座席に座る細い子を観ても俯いているだけで変わらない。顔をあげて会話を試みても難しそうだ。助手席のぽっちゃり娘は、頷いた。
「分かった。高速道路で大きな街のインターが二つ先にあるから早速行こう」
ぽっちゃり娘が頷く。
「それとも119番して救急車を呼ぶのも選択としてはあるけど、ここまで来るのには結局その街の消防から来るだろうし、ヘリが来るかもしれないし、あ、いや、ヘリは霧で飛べないな」
何を言っているのか自分でも分からなくなる程だが、下手を打ってしまうと誘拐犯扱いにされたりしないか? 少し女性に対して怖いのもある。
そういえばAEDで心停止を回避するために使った優しい男性が、あろうことか救った女子に訴えられたりというニュースを読んでいたこともある。
目の前で苦しむ怪我人を放置して無視するという国があることを聞いてはいたものの、ないな……と考えていた俺には、この日本でもいつの間にか同じになってやしないか? と思う訳で。
という高尚な判断の結果、車で大きな街まで送ることにして、濃霧の中、またもや慎重にゆっくりと道の駅の駐車場を出て高速道路の入口に向かう。
駐車場を出る際も周囲を観察していたが、やはりキャンピングカーを始め農家の営業車や若者の友人知人の待ち合わせの車さえないのは違和感をすごく感じる。
そして
『濃霧のため通行止め。高速道路公団』
当たり前の表示と車止めを見て、駐車場に引き返す我々だった。
「高速は通行止め、そうすると山越えか……無理だな」
一人呟いて道の駅の駐車場、自動販売機の傍に車を停めた。
隣の娘、後部座席の娘は二人とも何も話さなかった。
とりあえず119番通報をしてみたが、電話が繋がらなくなっていた。圏外だ。
「なんだかマズいな。侵略とかSFだと、まずは電話が繋がらなくなるのが第一歩のセオリー」
独り言を呟く。
「ちょっと待ってて。何か飲み物を買ってくるよ。リクエストはあるかい?」
ぽっちゃり娘は首を振る。何でもいいのだと解釈した。後ろの座席の娘は俯いたままで反応なし。仕方がないので自動販売機の中から適当に選んで、スポーツドリンクとカルピス、緑茶、爽健美茶、コーヒーと複数を買って車に戻った。
(くそぉ、事案に繋がりそうな若い女の子相手だと、どうして俺はこんなにヘタレになってしまうんだ)
溜息をつきながら車に戻ってジュース類を運転席と助手席との間のペットボトル入れに置く。
「好きなのを選んでな」
ぽっちゃり娘はにこっと笑って頭を下げた。後ろの娘は塞ぎ込んだままだ。
「お、音楽をかけようか」
車のミュージックボックスには山ほどのCDを取り込んである。アニメからゲームBGM、映画音楽、歌謡曲まで何でもありだ。ただ女の子が好む音楽は分からなかった。
「まずはノリのいい音楽だな、そうそう、宇宙戦艦ヤマトのBGM集……」
すると、ぽっちゃり娘が驚いたような顔で俺の顔を見た。
「い、いや、違うよね、分かってるってば」
ヤマトは駄目か。ジブリならいいか? あ、入れてないや。
「やっぱマイケルかな。マイケル・ジャクソン。スリラーなら今の雰囲気にピッタリ」
ぽっちゃり娘の目がスリラーは駄目だと、何を考えてるのよ、と言っている気がした。
車の時計はまだ21:00である。濃霧の夜は長い。
◇
俺は女の子たちに向かって言う。
「あのさ、魔や不浄を祓う呪文って知ってるかい? 私もとびっきりのを知っているんだよ。とても強力な呪文をね」
自慢げに言って女の子たちを見ると、彼女たちは首を横にふりふり振る。後ろ座席の細いスレンダー娘もようやく顔をあげている段階だ。
「オン! アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン!」
彼女たちはきょとんとしている。
破邪の呪文だ、まいったか。
「オン! アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン!」
知らない女性たちを車に乗せ、密教真言を唱えるオジサン。
通常なら正気の沙汰ではない。間違いなく事案になるレベルである。
「オン アビラウンケン ソワカっ!」
「インドラヤ ソワカ」
山の中で怖い思いというか、心霊現象などに遭遇しそうな時、身を守るために光明真言を覚えて唱えるようにしていたので、つい独り言みたいに習慣で呟いてしまった。
関係ないが家は日蓮宗だ。
本人は全く気にしていないが。
……すると、車の中に結界が張られたような感じになった。
「「!」」
「光明真言のおかげなのだろうか……?」
もし濃霧の中に魔物みたいな物の怪たちがいても、車から距離を置きそうだ。
「朝の4:30~5:00には明るくなる。日の出までは時間もあるし夜も長いから、少し眠ろうか」
朝になれば日の光で霧も散って、高速の通行止めも解除されるだろうし、街の病院まで女の子たちを送ってあげられる。ひと眠りすれば直ぐだ。正常に戻れる。
車のエンジンを切り、音楽もなしで静かになった。ドアをロックした。
三人とも目を瞑って眠ることにした。
長い夢を見ていた気がする。
◇
肩を揺すられて目が覚めた。
助手席のぽっちゃり娘が唇に人差し指を当てて「しっ」とジェスチャーする。
スマートフォンの画面を見た。時間はまだ24:00だった。スレンダー娘は眠ったままだ。
そして目を窓から外に向けて俺にも見ろという。
俺は目をこすりながら外を見る。
「つ、ツキノワグマ?」
大きな熊に似た動物がいた。
相変わらずの濃霧のままだったが、自動販売機の側の明かりの中に、薄っすらと体長130㎝ぐらいの動物がうごめいていた。光の中で認識できるのは三匹ぐらいか。車の方には目を向けていないようだった。
肌は黒っぽく、もっと明るい時なら色まではっきりと見えただろうが、黒ずんでいる肌の色としか今の時点では認識できなかった。二足歩行タイプで時々腕を使って四足歩行もしている。
筋肉が発達した腕、手には棍棒みたいなものを持っているように見えた。よくよく観察して見ると、棍棒を持っているのではなかった。右手の爪が長く伸びていて、爪の先がそれぞれ癒着しあって太くなり、丸太というか棍棒に見えたのだ。
「あの爪が重なって大きくなってるみたいな部分、質量があって頑丈なのか?」
ただ問題がある。あの棍棒のように発達した爪で車の窓ガラスを割られたら困る。
普通のクマと違って窓を割られる心配があるのは怖い。とてつもなく怖い。
しかも凶悪な顔つきに見えたので、俺もぽっちゃり娘に目配せをして静かにしている。
様子を窺って、このまま過ぎればいいと考えていたところ、広い駐車場に俺の車があるだけという状況では無理というもの、彼らは直ぐに車に近寄ってきた。
こちらの武器は、クマスプレーと虫除けスプレー、釣竿(仕舞寸法が120㎝ぐらいの棒になる)、車の水没時に窓を割る小さなハンマーだけだ。
心もとないが何もないよりかは随分ましだろう。
(渓流竿は軽くてしなやかさに特化してるから磯投げ竿の様にはいかない。まぁ目を突いていく戦法でいけるだろう。肉弾戦で棍棒がなければいける。俺の空手の技がまだ使えるかな)
そして、襲ってきたら、まずは車で撥ねてやろう。脳内会議では車を凶器にする、これ一択だった。
「大丈夫、俺達は安全だ。任せろ」
残念なことに……こういう時のお約束、彼らが襲ってきたので車をスタートさせようとしたら、エンジンが始動しなかった。
「そ、そんな……」
明るくなるまであと四時間はある。持つのか……人間の力で勝てるのか? ツキノワグマにすら勝てないのに……
「後部座席の彼女を起こしてくれ。何とか君たちを守る」
漆黒の闇の先には悪意ある怨霊のような存在も感じられた。
一気に深刻な顔つきになった俺だった。
次回に続きます。
名古屋から東京へ向かう東名高速のSA(浜名湖辺り)で大学生ぐらいの二人の女子に声をかけられ横浜駅まで送ったことを思い出しました。互いに名前は名乗らず、私は背広でしたし、ヒッチハイクでした。印象に残ったのは運転する私を後部座席に座った二人が私の横顔を撮影していた事。これは……恋の予感!?(は無かったです)
実は、女の子だけじゃなく男から声を掛けられることの方が多く、お金の無心(電車賃が無いので助けて等)や変な売り込み(エロ系か?)、最近はないですが、声を掛けられやすい顔つきや雰囲気をしているらしいです。リアル職業病? うーむ、心外です。




