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あの子の給食袋  作者: お寿司
第一幕 接触

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5/12

ROMを破る

1日で43個のファイルを全部開いた。


取材のつもりだった。コンテンツの構造を把握して、制作者の設計意図を分析して、記事にまとめる。テックライターとしての基本的な動作を繰り返しているだけのはずだった。ただ、ファイルを開くたびに「この子」の輪郭が1枚ずつ重なっていく。レシートの品目から買い物の癖が分かり、連絡帳の文字から性格が見えてきた。


鹿島さんに進捗報告のメールを打った。「コンテンツ構造と参加者コミュニティの動態を分析中です。来週半ばに構成案を出します」。事実だけを書いた。動機が取材から逸れ始めていることは書かなかった。


朝起きて、コーヒーをいれて、MacBookの前に座る。昨日からずっと同じ動作を繰り返している。違うのは、白い企画書の代わりにゲームのサイトが開いていることと、コンビニに行くのを忘れていることだ。昨日は昼食を食べ忘れた。空腹に気がついたのは午後4時で、自分が17年前の小学生と同じ時間帯にコンビニに向かっていることに、レジで気がついた。


カーテンを開けた。今日にして初めて。午後1時の光が入ってきて目を細めた。窓の外は晴れていた。知らなかった。


レシートで買い物の傾向は見えた。この子はどんな子だったのだろう。残りのファイルを開いた。


給食袋のファイルは6つあり、最初に開いたのは台紙の上に置いた全体像で、残りは部分のクローズアップだ。赤い刺繍の拡大、布地の織り目、巾着の紐の結び目、縫い目の裏側。


Discordで参加者のひとりが指摘していた。「刺繍の下にもう一層、別の糸の跡がある。名前を一度ほどいて、同じ場所に刺し直してる」。画像を拡大して確認した。確かに、赤い糸の下に薄く白い糸の跡が残っている。元の名前が別にあって、それを消して刺し直したのだろう。名前が変わったのか、誰かのお下がりなのか。サーバーでは「お下がり説」が優勢で、兄弟のお下がりを使うのはよくある話だった。


連絡帳のファイルは12あった。3ヶ月分の日々が記録されている。同じ丸みのある字が、同じ罫線の上に並んでいる。


「今日は図書室で本をかりました。『ズッコケ3人組』の3かん目です。」

「今日はそうじの時間にバケツをこぼしてしまいました。さいとう先生がいっしょにふいてくれました。」

「今日は図工でにじの絵をかきました。」


ひとつずつは何でもない小学生の日常だが、12ページ分を通して読むと、この子の1日が浮かんでくる。朝は集団登校で、教室では本を読んでいる。掃除は真面目にやり、図工の日は字が弾んでいる。同じ友達の名前が繰り返し出てくる。「なおちゃん」と「ゆかちゃん」。


「今日はなおちゃんとゆかちゃんとおにごっこをしました。わたしがおにでした。二人ともはやくてつかまえられませんでした。」


鬼ごっこで二人を捕まえられなかったことを、悔しがりもせずそのまま書いている。捕まえたいとも書いていない。走った事実だけ。


「今日はお兄ちゃんがかぜをひきました。早くよくなってほしいです。」


この子には兄がいて、風邪を引いた兄の心配を連絡帳に書いている。


別の日のページを開いた。


「今日は家族でイオンに行きました。くつを買ってもらいました。白いくつです。」


この日の連絡帳は、他の日より字が少し大きかった。はみ出してはいないが、1文字ずつが広い。


遠足の前日の記入があった。


「明日の遠足が楽しみです。おべんとうはたまごやきがいいです。なおちゃんと同じ場所にすわりたいです。」


「なおちゃんと同じ場所に座りたい」——バスの座席だろうか、遠足の前日にそれだけが気になっている。翌日の連絡帳は、「遠足で山に行きました。おべんとうにたまごやきが入っていました。」卵焼きの希望は通ったらしい。なおちゃんと隣に座れたかどうかは書いていなかった。


ファイル1覧の「questionnaire」はふたつ。学校の生活アンケートだった。印刷された質問の下に手書きの答えが並んでいる。


「朝ごはんは食べましたか?」→「はい」

「きのうの夜は何時にねましたか?」→「9時」

「学校から帰ったらまず何をしますか?」→「宿題」

「すきな給食のメニューは?」→「カレーライス」

「おうちの人と何をしてあそびますか?」→「トランプ」

「こまっていることはありますか?」→「ない」


朝ご飯は食べて、9時に寝て、帰ったら宿題をやり、好きな給食はカレーで、家族とはトランプで遊ぶ。困っていることはない。最後の「ない」だけ1文字で、他の回答が「です」「ます」で終わっているのとトーンが違った。


2枚目のアンケートは時期が少し後のものらしく、質問が具体的になっている。


「おこづかいはいくらですか?」→「500円」


月に500円だった。レシートの合計金額を見ると、1回の買い物は100円から200円台が多い。500円で月に何回買い物ができるかと考えると、3回か4回が限度だ。レシートは3ヶ月で16枚あり、月に5枚を超えている。500円では足りない計算になる。


 ◇


気がつくと、ゲームの参加者が集まっているDiscordサーバーに入り浸るようになっていた。


昨日規約に同意して参加したサーバーは、#レシート分析、#連絡帳、#写真解析、#給食袋、#雑談とチャンネルがきれいに整理されていて、参加人数は62人、アクティブなのは10人から20人程度だった。


最初はROM専で、参加者たちの書き込みを読んでは自分の分析と照合していた。取材の基本は「まず聞く」だから、書き込む前に全体の空気をつかみたかった。


空気は思ったより良かった。オンラインコミュニティにありがちなあおり合いや馴れ合いが少ない。ファイルの内容について、根拠を示しながら議論している人間が多い。


役割分担のようなものが自然に生まれていた。レシートを日付と曜日で整理してCSVにまとめる人がいて、連絡帳の内容をテキストに書き起こす人がいて、写真の背景から場所を特定しようとする人がいる。「7ページ目の公園のベンチ、手すりの形が○○市の△△公園に似てない?」。#写真解析のスレッドでは、Googleマップのストリートビューと見比べている画像が共有されていた。誰が決めたわけでもなく、自分の得意な切り口でファイルに向き合っている。


書き込みの文体だけで個人を識別できるようになってきた。データを構造化する人、テキストを丁寧に書き起こす人、文末に「かも」を多用する慎重な人と断定型で書く人。統計に強い人がひとりいて、購入金額の分散やレシート間隔の中央値を出している。その数字の出し方にプロの匂いがした。投稿のタイムスタンプを見ると、深夜帯の書き込みが多い。仕事が終わってからゲームに向き合う人が大半だろう。平日の昼間に投稿しているのは数人だけで、その中に私がいる。フリーランスの特権といえば聞こえはいいが、仕事が来ていないだけだ。


CSVをダウンロードしてスプレッドシートに展開した。曜日の列を追加して、金額帯で色分けする。100円以上が青、50円前後が緑、10円台が赤で、赤い行は少ないが散発的に現れる。


真奈からLINEが来ていた。


<静ーー。生きてますかーー>


3時間前の送信だった。既読すらつけていなかった。


<生きてる>


<生存確認完了! でねー、この前のリテイクのクライアントさん、今度は「最初のが良かった」って言い出した。もう笑うしかない。あと駅前のタイ料理屋の向かいに新しいカレー屋できてた。カレーの匂いめちゃくちゃ強い。入ってないけど気になる。静は何食べた?>


<食べてない>


<でしょうね。ゲームの取材そんなに面白いの?>


<面白い>


<じゃあ許す。でもごはんは食べて>


スマホを伏せて、画面に戻った。


#レシート分析のチャンネルに新しいスレッドが立っていた。「金額パターンの異常値」。


ひとりの参加者がやっている分析の精度に目を引かれた。レシートの品目を全件リスト化して、「菓子」「文房具」「飲料」にカテゴリ分けしている。菓子の中でも「定番」と「初購入」を区別していて、うまい棒のコーンポタージュ味は全7回で「定番」、めんたいこ味は2回で「準定番」、チョコ菓子は3種類がそれぞれ1回ずつで「初購入」だった。


「定番に戻る頻度が高い。冒険するより安心感を選ぶタイプかも」


コンビニの棚の前で迷う小学生の姿が見えた。新しいお菓子に手を伸ばしかけて、結局いつものコーンポタージュ味を取る。そういう子がいた。17年前に。


スレッドの最新の書き込みが目に留まった。


「レシートの金額パターンに気がついた人いる? 大半は100〜300円なのに、たまに10円の日がある。うまい棒1本だけ。この日だけ何が違うの?」


返信がすぐについていた。


「それ気になってた。10円の日って何曜日?」

「曜日はバラバラ。周期性はない」

「小遣いが底をついた日とか? 月末に多い?」

「月末に集中してない。月の前半にもある」

「じゃあ小遣いとは関係ないのか」


目の奥がじんわり熱い。ディスプレイを見すぎている。


CSVにフィルターをかけた。うまい棒だけの日を抽出すると7件で、曜日に偏りはない。投稿者の言う通り周期性は見えないが、2日連続で10円の日はなく、必ず前後に100円以上の日がはさまっている。


連絡帳の日付と照合してみた。うまい棒だけの日に対応する連絡帳を探す。日付が一致するものが3件見つかった。


「今日はふつうでした。」

「とくにありません。」

「今日も元気です。」


他の日は学校の具体的な出来事を書いている。リレーの順位、図書室で借りた本、バケツの失敗、なおちゃんの消しゴム。


スプレッドシートに「連絡帳記述量」の列を追加した。うまい棒だけの日と複数品購入の日で、平均文字数を比較した。


うまい棒だけの日は平均8文字、複数品の日は平均32文字。4倍の差がある。


Discordに書き込んだ。#レシート分析のスレッドへの、初めての投稿だった。


「うまい棒だけの日と連絡帳を照合しました。うまい棒だけの日は連絡帳の記入量が平均8文字で、他の日の約1/4です。『きょうはふつうでした』のような定型文になる傾向があります」


送信ボタンを押した後で、自分がROM専を1日で破ったことに気がついた。取材者が取材対象のコミュニティに書き込んでいる。ジャーナリズムの教科書なら赤線を引かれる行為だ。ただ、このデータは自分の中だけに置いておきたくなかった。


返信が来た。


「すごい。データで出してくれるの助かる」

「つまり、うまい棒だけの日はこの子にとって『書くことがない日』?」

「書くことがないんじゃなくて、書きたくない日なんじゃない?」

「それだと意味が変わるな」

「金額が気分のバロメーターになってる説。元気な日は色々買って、そうでもない日はうまい棒1本」

「でも10円って、買う気なければ行かなくない? コンビニまで歩いて10円だけ使って帰るの?」


最後の書き込みで、何かが引っかかった。


10円だけ使うためにコンビニに行く子供。お菓子が食べたいわけでも、文房具が必要なわけでもない。ただうまい棒を1本だけ買って帰る。


コンビニに行くこと自体が目的だったのではないか。


Discordにはそこまで書かなかった。証拠がない。レシートの金額と連絡帳の文字数から導ける結論ではないし、テックライターが根拠なく仮説を公開するわけにはいかない。


でも、この感覚は覚えがある。取材を続けていると、データの外にあるものが見える瞬間がある。数字では測れないが、向き合った人間にしか分からないことだ。うまい棒1本の向こう側に、この子の1日が見えた気がした。


17年前の、名前も顔も知らない子供の、普通の日と、普通ではない日のことを考えていた。


ブラウザのタブに戻った。ファイル1覧のページを開いたままだった。リロードしようとして、ページの最下部に目が止まる。フッターの右端に、小さなテキストリンクがひとつ増えていた。さっきまで無かったはずだ。クリックしようとしたが、リンク先はグレーアウトしていて開けなかった。

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