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あの子の給食袋  作者: お寿司
第一幕 接触

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3/12

歯車が回る

コンビニ以外の場所に行くのは4日ぶりだった。


山際とは翌日の午前11時に駅前のカフェで会うことになっている。「直接会って話したい」という書き方が引っかかっていた。テックライター同士の連絡はメールかチャットで済む。わざわざ対面を指定するのは、画面に出しにくい話があるってことだ。


11月の風が顔に当たった。冷たいが、歩いていると体が温まってくる。コンビニまで片道3分の往復しかしていなかった足が、今日は駅まで10分歩いている。靴底が地面を蹴る感覚が、久しぶりにちゃんとしていた。


カフェの窓際で、山際がアイスコーヒーを飲んでいた。短髪で肩幅が広く、ダウンベストの袖から伸びた前腕が妙に太い。週3でジムに通っているらしいが、テックライターの仕事に上腕2頭筋は必要ないだろうと常々思っている。窓からの光が白い。コンビニの蛍光灯以外の照明を浴びるのは4日ぶりで、目がまぶしかった。11月にアイスコーヒーを頼む人間は体温調節の設計が違うのではないかと疑うが、仕事のネタを持ってくる人間には寛容でいたい。


「久しぶり」

「座って。もう頼んだ?」

「今から」


ホットのブレンドを注文して向かいに座った。山際がMacBookの画面をこちらに向ける。


「代替現実ゲームの話、どのくらい知ってる?」

「概要は調べた」

「OK。じゃあ本題」


山際はいつもこうだ。前置きを省いていきなり核心から入る。ライターとしては効率がいいが、飲み会の乾杯の挨拶でも同じ調子なので周りが追いつけないことがある。


山際がブラウザのタブを切り替えた。ニュースサイトの記事が表示されている。見出しに見覚えがある。「人気オンラインゲーム制作者が失踪 警察が捜索」。1昨日の夜、サイドバーでスクロールして通り過ぎた記事だ。


「この記事、見たかも」

「でしょ。この人、瀬川和彦。29歳。本業はWebエンジニアで、個人で代替現実ゲームを作ってた」


「個人で」と口に出した。サイトの構築からコンテンツの制作までひとりなら、相当な作業量だ。


「瀬川のこと、もう少し教えて」

「SNSを遡った限りだと、前職はスタートアップのバックエンドエンジニア。2年前に辞めてフリーランスになってる。受託の合間に個人開発してて、ゲーム関連の投稿が急に増えたのが半年くらい前」

「公開してから失踪するまでは?」

「2ヶ月。サイトを公開して、参加者が少しずつ集まってきた時期がある。瀬川本人もコメント欄で返信してた。それが先月の頭にぴたっと止まって、そのまま消えた」


フリーランスのエンジニアが個人開発に没頭して、ある日消える。前職を辞めて自分の作りたいものを作り始めたという経歴が引っかかった。会社を辞めて自分の手で何かを作ろうとした人間で、私は記事、瀬川はゲームという違いがあるだけだ。逃げた先が違うだけだ。


「先月の頭に連絡が取れなくなって、家族が届けを出した。アパートはもぬけの殻。で、面白いのはここから」


山際がストローの先を指で弾いた。


「瀬川が作ったゲーム、制作者がいなくなった後もまだ動いてる」


「サイトが閉鎖されてないってこと?」

「されてない。失踪前にアップしたコンテンツの量が尋常じゃなくて、参加者がまだ解析しきれてない。ゲームのテーマが変わっててさ。ある家族の日常を、遺留品から読み解いていく設計になってる。給食袋、連絡帳、コンビニのレシート。そういう日常の断片を手がかりに、ひとりの人間の物語を組み立てていく」

「遺留品ベースの推理型か」

「そう。で、制作者が消えたことで、ゲームの中と現実の境界がさらにあいまいになってる。失踪がゲームの演出なのかほんとうの事件なのか、参加者のあいだで割れてて」


止まっていた歯車が回り始めた。導入は瀬川の失踪から入って、ゲームの中身を解説して、参加者コミュニティの動きを追う。テック系読者向けのルポルタージュとして、制作者の失踪という現在進行形の謎が読者を引っ張る構造になっている。


自分が取材の構成を考えていることに気がついた。白い企画書の前で止まっていた脳が、勝手に動いている。


「なんで私に?」

「去年のウェアラブルの記事、あったでしょ。展示会場で開発者に長時間話を聞いて書いたやつ。あの取材の入り方がこのテーマに合うと思った。ニッチなカルチャーを外から眺めるんじゃなくて中に入って書く人が必要なネタだから」


あの記事のことを覚えている人間がいた。


「俺は今ちょっと別件で手が回らないんだけど、寝かすのはもったいないと思って。調べてたリンクと参加者の情報、まとめてあるからそのまま渡す」

「ありがとう。使わせてもらう」


「あと1個」


山際の声のトーンが変わった。


「参加者の中に、古株で急に連絡がつかなくなった人が何人かいるみたい。アカウント削除とか引退宣言じゃなくて、ぱったり。まあ、ネットではよくある話だけど」


よくある話だ。オンラインの人間関係は突然途切れる。でも、制作者の失踪と古参参加者の沈黙が重なっているとしたら、取材としては掘りたくなる構図だった。


「ちゃんと記事にする」

「期待してる。読みたいから」


山際がアイスコーヒーの最後の一口を吸った。ストローが空気を噛む音がした。


 ◇


カフェを出て駅前を歩きながら、スマートフォンでメールを1通打った。あて先は鹿島さん。フリーになって最初の頃から付き合いのあるウェブメディアの編集者で、ガジェットレビューを何度もやり取りした相手だ。


歩きながら文面を組み立てた。代替現実ゲームの制作者が失踪した。ゲームは動き続けている。参加者コミュニティの中で現実とフィクションの境界が揺れている。テック系読者が知らない世界を、手触りのある文章で伝えるルポルタージュにしたい。書き出しは瀬川の最後の投稿から入る。サイトの構造を読み解きながら、コンテンツの中の人間に焦点を寄せていく。構成が見えた。フリック入力の親指が止まらない。200字にまとめて送信した。


昨夜、白い画面の前で「AI時代の」と打っては消していた指が、今日は歩きながら200字を打っている。


駅前のタイ料理屋の看板が見えた。パッタイ。真奈が3回繰り返したメニューで、約束の1時まで20分ある。店の前のベンチに座って、山際から受け取ったリンク集に目を通し始めた。代替現実ゲームの海外事例、瀬川のSNSアカウント、参加者が立てた掲示板スレッドが並んでいる。リンクは30件以上あり、山際がこのネタにかけた調査時間が伝わってくる。


1時に真奈が来た。ショートカットにオーバーサイズのニット、大きなトートバッグ。150センチ台の体で椅子に飛び乗るように座り、パッタイを頼んだ。真奈はリテイク5回目を朝のうちに返し終えたらしく、「日本新記録」と宣言しながら海老を3本食べている。


「静のほうは? スプレッドシートの哲学、続いてる?」

「新しい仕事のネタが見つかったかもしれない」

「まじで。いいじゃん。何系?」

「代替現実ゲーム」

「なにそれ。おいしいの」

「食べ物じゃない」

「分かってるよ。ゲーム系か。静がゲーム書くの珍しいね。詳しく聞きたいけど今はリテイクの話していい? 聞いてよ。あのクライアントさ——」


矛盾フィードバックを再現するひとり芝居が始まった。身振り手振りつきで4回分のリテイク内容を演じ切る真奈を見ながら、テーブルの下でスマートフォンを開いてメールの受信箱を確認する。鹿島さんからの返信はまだ届いていなかった。真奈の話が面白くないのではなく、頭の中で取材の段取りが走り始めていて止まらない。こういうとき、私は人の話を半分しか聞いていない。真奈は気がついているだろう。5年の付き合いだ。


「——で、5回目を朝の9時に送りつけたわけ。返事はまだない。あの人まだ寝てるよきっと」


パッタイは美味しかった。真奈が「春のフェスのチケット、本当に取っとくからね」と念を押して店を出た。手を振って別れる。11月の午後の陽射しは低くて、真奈の影が長く伸びていた。


帰り道、コンビニの前を通った。4日前まではここがゴールだった。今日は通り過ぎるだけだ。自動ドアのガラスに自分の姿が映った。鞄の中に取材ノートが入っている。昨日までは持ち歩いていなかったものだ。足どりが軽いのは、パッタイのカロリーのおかげということにしておく。


マンションに戻ると、鹿島さんから返信が来ていた。件名なし、本文は2行だけ。「面白そうですね。まず自分で取材してみてください。原稿にできそうなら前向きに検討します」。鹿島さんの「前向きに検討」はほぼGOサインだ。「お声がけください」が社交辞令で、「前向きに検討」は仕事になる手前の言葉だから。


ソファに座って、スマートフォンで山際のリンク集を開いた。瀬川のSNSアカウントのリンクを踏む。最新の投稿が表示された。「もうすぐ公開できる。長かった」——日付は2ヶ月前。その前の投稿は3日前、その前は1週間前。半年分をざっとさかのぼると、深夜の投稿が並んでいて、フリーランスのエンジニアの生活リズムが見える。


指が止まった。投稿の間隔だ。半年前から投稿頻度が上がっていて、ほぼ毎日。それが最後の1件だけ、前の投稿から11日空いている。毎日投稿していた人間が11日沈黙して、「もうすぐ公開できる」と書いて、そのまま消えた。


スマートフォンをテーブルに置いた。11日間、この人は何をしていたんだろう。

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