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あの子の給食袋  作者: お寿司
第二幕 分析

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25/44

午前三時

マンションに戻ったのは16時過ぎだった。10日目の夕方。


チェーンをかけて靴を脱ぎ、コートを椅子にかけてエアコンのスイッチを入れる。昨日と同じ手順を繰り返している。


デスクの前に座ってMacBookを開くと、渉からメールが来ていた。住民記録の追加検索の結果だ。


開く前にスマートフォンを手に取り、真奈のXのアカウントを開いてフォローリストをスクロールした。デザイン関連のアカウントが多く、フォントや配色やUIやブランディングの投稿が並ぶ中に、瀬川和彦のアカウントがある。プロフィール画像は風景写真で、最後の投稿は5月だった。瀬川和彦が失踪したのは春のことだ。


瀬川のフォロワーリストを開いて412人の中をスクロールしていくと、真奈のアカウントが見つかった。アイコンは自分が撮った渋谷のビルの写真で、見慣れた画角だった。


真奈の名前がリストにある。SNSのフォロワーで、デザインの話をした相手で、テキストだけの関係で、会ったことも声を聞いたこともない。ただその事実が、喉の奥に引っかかっている。


渉のメールを開いて住民記録のデータをスプレッドシートに組み込む作業を始めたが、数字を打ち込む手がいつもより遅かった。


真奈にLINEを送った。


<今日ありがとう。気をつけて帰ってね>


送信してから、真奈はもう帰っている時間だと気がついた。3時からオンラインミーティングがあって、今は4時半だから、終わっているかまだ続いているかのどちらかだ。


既読はつかない。


渉にLINEを送った。


<瀬川和彦のSNSアカウント、確認しましたか>


返信は3分後に来た。


<一応見てます。フォロワーリストも保存はしたんですけど、400人超えてて全部は追えてないです>


文面を打ちかけてやめた。真奈の名前を渉に伝えることに抵抗があった。でも判断を感情に預けるのは正しくないと分かっている。


文面を打ち直した。


<瀬川のフォロワーの中に、私の親友がいました。デザインコミュニティでつながっていた。本人は失踪の件を知りません>


渉の返信が来る。


<アカウント名を教えてもらえますか>


教えて、30秒ほど待った。


<確認しました。デザイン系のアカウント。瀬川との直接のやりとりはX上では見つかりませんでした。DM等は分かりませんが>


渉は事実だけを返してくる。


<気にしすぎかもしれません>


<気にしすぎだとしても、記録には残しておいたほうがいいです>


真奈の名前も、412の中のひとつとして保存される。渉に真奈のことを伝えたとき、別のことも考えていた。自分に何かあったとき、渉が真奈の名前を知っていれば——何の役に立つのかは分からないが、誰かが知っているという事実だけが、真奈との接点を自分の外側に残す行為だった。


目を画面に戻して住民記録のデータ整理を続け、転出届の日付と届出人と転居先住所を打ち込んでいく。21時を過ぎた頃に最後の行を入力して保存し、渉に共有リンクを送ったが、真奈からのLINE返信はまだなかった。4時半に送ったメッセージに既読がついておらず、ミーティングが終わってそのままCI案件の修正に入ったのだろうと思う。真奈は仕事に入ると返信が遅くなる。


ポケットの中の紙ナプキンの3角形に指が触れている。


 ◇


真奈のLINEにまだ既読がつかない。CI案件が長引いているのだろう。


スマートフォンを手に取ってカメラロールを開いた。カフェの外観と、真奈が見せてくれたスケッチを保存したはずだ。


写真が1枚多い。


撮った覚えのない写真がカメラロールの末尾にある。


タップした。


夜景だった。


暗い。街灯の光が下のほうに見える。道路のアスファルトが濡れている——いつ雨が降ったのか分からない。


画面をピンチアウトした。建物が写っている。外壁のタイル。3階建てか4階建ての集合住宅で、2階の窓に明かりがひとつだけ点いている。


見上げの構図だった。


外壁のタイルに見覚えがあった。薄いベージュの長方形が横に並ぶパターン。築年数の出た色味。それから駐車場の屋根の角が画面の右端に切れかかっている。


自分のマンションだった。


椅子の背もたれに体重がかかった。


5枚の写真が頭の中に並んだ。1枚ごとに近づいてきていた。知らない住宅街。看板が読めた街。商店街。隣の駅。5枚目で最寄り駅の近くまで来ていた。


6枚目は。


自宅だ。


住所を知っている。


建物を知っている。


どの窓が自分の部屋かを知っている。


2階の窓の明かりがひとつだけ点いている。寝室の隣の部屋——デスクのあるほうだ。MacBookのスリープランプか、充電器のLEDか。消し忘れた小さな光が、深夜の外から見えていた。


プロパティを開いた。GPS座標なし。機種名なし。撮影日時——午前3時17分。昨夜の午前3時。


窓を見た。カーテンは開いたままだ。駐車場のコンクリートと道路と街灯が見えている。


立ち上がった。窓に近づいて駐車場を見下ろした。人影はない。昨夜の午前3時に、あそこに立っていた。自分が眠っている間に。今朝、いつもどおりに起きて、コーヒーをいれて、渋谷に出て、真奈とカフェに行って、帰ってきて、データを整理した。その間ずっと、この写真がカメラロールの中にあった。


カーテンを引いた。指が震えていた。


デスクに戻った。


渉にLINEを送った。


<6枚目が来ました。自宅マンションの外観です。下から見上げた構図で、部屋の窓が写ってます>


<撮影時刻、昨夜の午前3時17分です>


送信してから画面を見つめていた。渉の既読がすぐについた。


<自宅って……嘘でしょう>


<外観です。下から見上げてる。建物の前に立って撮ってます。午前3時に>


<弟のときと同じです。生活圏まで来た後に、もう一段近づいた。夜中に、家の近くで>


渉の入力インジケーターが点いて消えて、また点いた。


<すみません、これ打つのきついです。でも言います。海斗のときもこの順番だった>


もう一段。


真奈の声が聞こえた。今日の午後、カフェでアイスラテのグラスを置いて笑いながら言っていた言葉が頭の中で再生される。


「なんか最近、見られてる気がするんだよね」


笑って言っていた。困ったように、でも怖がってはいなくて、疲れのせいだと思っていて、夜道でそういうの感じるの、フリーランスあるあるじゃない? と言って、アイスラテの最後の一口を吸った。


あのとき何か言わなければいけなかった。5枚目の写真のこと、駅のホームのこと、誰かがすぐそばにいたことを——何ひとつ言えずに「気をつけてね」で終わらせてしまった。真奈は「気をつけるって何に?」と笑っていた。


真奈にも同じものが見えていたのだ。駅やコンビニの前で、振り返ると誰もいない視線を感じていて、それを真奈は合理的な説明で自分を安心させていた——仕事のストレスか目の疲れか、夜道で感じるただの気のせいだと。


自分は合理的な説明を持っていなかった。真奈のフォロワーリストに瀬川和彦がいて、瀬川和彦のフォロワーリストに真奈がいて、サイトの制作者とつながっている人間として真奈の名前がリストに表示されている——その事実だけが、カフェで聞いた「見られてる気がする」と写真の距離の縮まりの間に橋を架けている。


スマートフォンをデスクに置いた。カーテンを引いた窓の向こうに駐車場がある。昨夜、あの場所から撮られていた。自分が眠っている間に。


窓は閉まっている。かぎもかかっている。でも外から見えていたのだ——部屋の小さな光が。眠っている自分がいる建物の、どの窓かまで。


エアコンの風が顔に当たっている。部屋の温度は22度で、距離は分かるし、写真の構図から撮影者の位置を推測できるし、データは読める。


何が撮っているのかは分からない。なぜ自分なのかも分からない。


分かるのは、昨夜の午前3時に、すぐ下から撮られたということだけだった。知らないまま、1日を過ごしていた。


真奈のLINEにまだ既読がついていない。

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