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あの子の給食袋  作者: お寿司
第二幕 分析

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15/17

逃げても同じ

SNSを全部消して、メールアドレスを変えて、端末を新しくした。引っ越しまで予定していた人間が、13日目にいなくなっている。


<久野木さん。このブログ、キャッシュがGoogleに残っていて。今朝見たら、最終投稿の翌日——10月23日に、1件だけ記事が公開されてるんです>


<内容は>


<「引き継ぎます」>


natsuki_03のXに残っていた「お世話になりました」、aki_0217の「ありがとうございました」、haru_puzzleの「引き継ぎます」。そしてこのブログにも同じ言葉が残されていた。


<山際さん>

<はい>

<逃げても同じなんですね>


返信が来るまでに時間がかかった。山際がタイピングしては消し、また打ち直している気配がインジケーターの点滅から伝わった。


<……そうみたいです>


<山際さんは大丈夫ですか。このサイトのことを調べていますよね>


<調べてますけど、サイト自体のファイルはもう見てないです。Discordにも書き込んでない。あくまで人を辿ってるだけで>


ファイル044のリストに山際の名前がないのは、そのためかもしれない。


<久野木さんこそ。やめたほうがいいんじゃないですか>


やめる。スプレッドシートを閉じてブックマークを消す。MacBookを閉じて布団に入って、明日の朝にはカフェでコーヒーを飲んで、1週間後にはこの取材のことを忘れている。


セキュリティの専門家は、それ以上のことをして、同じだった。


<やめません>


<なんで>


<逃げても同じなら、理解するしかないので>


30秒の間があった。


<久野木さんらしいですね。何か手伝えることがあったら言ってください。サイトの中は見ないようにしますけど>


<ありがとうございます>


通知を閉じた。


ノートに書いた選択肢を見直した。2番「逃げる」に引いた下線の上に赤いペンで1本の横線を引いて、取り消し線にした。前例は確認された——逃げてもいなくなる。残った選択肢はみっつだ。


1は無視で、3は警察で、4は分析を続けるというみっつだ。


1を眺めた。セキュリティの専門家が全力で逃げてもいなくなった以上、無視で何かが変わるとは思えない。3は——オンライン上の行動パターンと写真のExifデータで相談することになるが、加害者が特定できないし、証拠はスプレッドシートと謎のサイトのHTMLとカメラロールの写真しかない。「様子を見ましょう」で返される姿が浮かんだ。


4番だけが残った。


 ◇


真奈からLINEが来ていた。1時間前の送信で、通知バーに真奈の名前が光っている。


<生きてますか。3日ぶりのごはん問診です。1. 今日何か食べた? 2. 冷蔵庫に何か入ってる? 3. うまい棒まだある? はい/いいえで答えてください>


3問。真奈はときどきこういう問診形式のLINEを送ってくる。質問を構造化するのはデザイナーの職業病だと本人は言っていた。


<1. コーヒー 2. 牛乳 3. ある>


返信を打ってから3番目の答えに目が止まった。うまい棒はまだある——デスクの隅にコンビニの袋に入ったまま取材ノートの横に立てかけてあって、1週間前に買ったのにまだ開けていない。


既読がすぐについた。


<1はごはんじゃない。2は飲み物。つまり答えはNO。今すぐコンビニ行って固形物を買ってきなさい。パッタイの代わりにカップ麺でもいいから。3が健在なのだけは安心した>


<買ってくる>

<証拠写真送って。レシートでもいい>

<分かった>


スマートフォンを伏せた。


話すべきか。この問いは3日間で何度も浮かんで、そのたびに押し返した。話したら真奈はどうする。心配して、自分で調べようとする。サイトに近づいてファイルを開く。


黙っていても同じだ。自分が8日後にいなくなったら真奈は探す。あのリテイクの愚痴を聞いてくれた相手がある日突然既読をつけなくなったら、真奈は必ず調べに来る。


どちらを選んでも巻き込む可能性があった。今は黙っておいて、言えるだけの材料が揃ったら話す。材料が揃うかどうかは、分からない。


コンビニに行ってカップ麺と牛乳とバナナを買い、レシートを撮って真奈に送った。「えらい。バナナ偉い」というコメントと一緒に、犬が親指を立てているスタンプが返ってきた。


 ◇


午後、デスクに戻った。カップ麺の容器がゴミ箱の縁にかかっている。瀬川のアパートで見たコンビニ弁当の容器を思い出した——ふたが閉じられたまま捨てられていた。


スプレッドシートに戻ると、経過日数の列に13日の数字が9人分並んでいて、黄色いハイライトの最後の行に自分の名前がある。経過日数の欄に表示されている数字は5だった。


写真アプリへのAPIアクセス権限を確認した。「設定」からプライバシーの項目を開いて写真ライブラリへのアクセスを許可しているアプリをひとつずつ確認したが、書き込み権限を持っているサードパーティアプリはひとつもなかった。マルウェアスキャンを走らせた結果もクリーンで、あの写真を説明できる技術的な経路が見つからない。


あの写真は、どこから来たのか。


窓の外は曇っていた。11月の午後3時で日が傾き始めていて、椅子に座ったまま首を回すと関節が3回鳴った。背中が固まっている。立ち上がって台所で水を飲んだ。蛇口の水が冷たくて、11月の水道水は冬の温度になっている。


デスクに戻ろうとしたとき、スマートフォンが震えた。グラスを持った手に振動が伝わって、水面が揺れた。


カメラロールだった。


開くと、幹線道路沿いの風景が表示された。2階建ての住宅が並ぶ通り。電柱の影が短く、遠くにチェーン店の看板がぼんやり読める。1枚目とは違う場所だった。


この辺り——通ったことが、あるかもしれない。道の緩い右カーブか、看板の位置か。何かが引っかかるのに、つかめない。チェーン店はどこにでもある。確信はなかった。


Exifデータを開いた。GPSなし。カメラモデルなし。1枚目と同じだった。撮影日時だけが記録されている——11月16日、13時11分。


指が止まった。


13時。コンビニに行っていた時間帯だ。真奈に言われてカップ麺とバナナを買いに出て、レシートを撮って送って、戻ったのが13時半頃。自分がマンションを出ていた30分のあいだに、どこかで誰かがこの写真を撮っている。


場所は知らない。自分のいた場所とは無関係だ——たぶん。時間が重なっただけで、それ以上の意味はない。


スプレッドシートに新しいシートを追加した。「写真ログ」と名前をつけて、受信日時、撮影日時、GPS、カメラモデル、場所の印象、備考の6列を作った。1枚目のデータを入力し、2枚目を入力した。GPSとカメラモデルの列は2行とも空欄。場所の印象に「不明(知らない街)」と「既視感あり(チェーン店看板)」と打ち込んだ。備考の列に、少し迷ってから「撮影時刻が外出時間帯と近似」と入力した。


2枚の写真を横に並べた。1枚目は山並みの見える住宅街。2枚目は幹線道路沿い。どちらも撮った覚えのない風景で、どちらも自分のカメラロールに入っている。


1枚目は知らない街だった。2枚目には、見覚えがある気がする。


モニターの光がデスクの隅のうまい棒のパッケージに反射していた。コーンポタージュ味の黄色い袋の向こうで、2枚の写真が並んでいる。

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