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あの子の給食袋  作者: お寿司
第一幕 接触

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白い画面

本作が長編2作目です。

よろしくお願いします!

検索結果から名前が消えるのに、半年もかからなかった。


テック系ライターとして5年間書いてきた記事のリンクが並ぶはずだった。ガジェットレビュー、取材記事、AI解説と、ジャンルはばらけていても全部自分の名前で出した記事だ。最近は、あんなに読まれた記事すら検索結果から押し出されて、新しいものは最初からない——それをたしかめるのは、仕事がないことを検索エンジンに証明してもらうようなものだった。


ディスプレイの時計は午前1時を過ぎていた。スプレッドシートが開いてある。今月の入金予定は2件しかない。ガジェットレビューがひとつと、翻訳の下請けがひとつで、ふたつの額を足した数字が画面の右端の列で光っている。家賃68000円の6割に少し届かない。


デスクの上でMacBookが静かに排熱していて、そのわずかな温もりが右手首に届いている。それ以外はどこも寒かった——窓枠のパッキンが死んでいて、11月の夜気が絶えず足元に流れ込んでくる。靴下を2枚履いている。去年の冬にやめたはずの靴下2枚ばきを、今年は11月の頭から再開していた。


先月まで3件目があった。AI生成記事の手直し案件だ。ニュースサイトがAIに書かせた記事を人間が手で直す仕事で、単価は安いが毎月5本はコンスタントに来ていた。5本分の原稿料がちょうど家賃の残り4割を埋めてくれる額で、それが先週、電話1本で消える。


「申し訳ないんですが」と編集者は言った。AIの出力品質が上がって、手直しの工程がコストに見合わなくなったのだという。つまり私が手を入れなくてもそのまま出せるようになった、ということだった。


思い当たるふしはある。最初の頃は1本の記事に段落単位で赤を入れていた。主語と述語がねじれているところ、事実と推測がごちゃまぜになっているところ、同じ接続詞が3回続いているところと、直す場所はいくらでもあった。それが月ごとに減っていく。半年前は1本あたり15箇所あったのが3ヶ月前には7箇所になり、先月は5本のうち2本が、ほとんど直すところのない記事だった。


手を入れる必要がないほど整った文章を読んで、よくできている、と思った。


「他の案件で何かあればまたお声がけしますので」と編集者は言った。いつもの社交辞令だ。


「分かりました」と私は答えて、少し間を空けて「大丈夫です」と足した。大丈夫の根拠は特にない。電話を終わらせるための言葉がそれしか出てこなかっただけだ。回線の向こうで編集者が息を吸って、何か言いかけてやめる。「では」。電話が切れた。


切った後、デスクに戻ってブラウザを開いた。AI生成記事のサンプルが並んでいるニュースサイトのタブが残っていて、昨日まで私が手を入れていた媒体だ。サイドバーの見出しが目に入った。「人気オンラインゲーム制作者が失踪 警察が捜索」。スクロールして通り過ぎた。


最新の記事をクリックして読む。スマートフォンの新機種レビューだった。文法に問題はない。構成も整理されていて、読んでいて引っかかるところがない。直す必要がない。


ただ、読み終えて何も残らなかった。情報は伝わる。買うかどうかの参考にはなる。でも、書いた人間の手触りがどこにもない。読者の9割は情報が正確に伝われば10分で、書いた人間の手触りなど求めていないだろう。


タブを閉じて、台所に立って冷蔵庫を開けた。庫内灯の白い光。牛乳のパックがひとつと、賞味期限が1日過ぎた納豆が2パック、それからマヨネーズ。3日前と何も変わっていない。何も取らずに閉めた。


 ◇


あれから5日が経った。火曜日の午前1時に、同じデスクに座っている。スプレッドシートの数字はあの日から変わっていなくて、変わっていないことを毎晩たしかめるのが、ここ5日間の日課になっている。


企画書のファイルが隣のタブに開いてある。白い。


フリーランスのテック系ライターとして5年になる。最初の4年はガジェットレビューと取材記事で食えていた。新しいデバイスを手に取って、触って、使って、文字にする。指紋認証センサーに親指を当てて、ロック解除までの時間を体感で覚えて、「速い」と書くか「0.3秒」と書くかを判断する。その判断がたぶん私のやれることだった。


去年の春から変わった。AIの解説記事が急に増えて、言語モデルのしくみを一般向けに噛み砕く仕事が来る。プロンプトの書き方の入門記事も書いた。「AIに仕事を奪われる」という話は、そのときはまだ原稿のテーマであって自分の問題ではなかった。夏にAI生成記事の手直し案件が来て、秋には単価が下がり、年が明けて消える。1年で全部起きた。


去年書いたウェアラブルデバイスの取材記事を、たまに開いて読み返す。展示会場で試作品を手首に巻いて、開発者に20分間の話を聞いて、6000字にまとめた記事だ。公開後、読者から「こういう記事をもっと読みたい」というコメントがついた。1件だった。でも、6000字を読んで1件のコメントを書いた人間がいる。依頼さえ来れば。


今月に入ってから、日中の時間の使い方があいまいになった。朝起きてまずメールを開き、受信トレイに新着の依頼がないのを確かめてから、コーヒーをいれる。翻訳の下請けがあればやるし、なければニュースサイトを眺めて1日が過ぎる。11月は5時を過ぎると窓の外に自分の顔が映る。眼鏡をかけた細い顔で、去年より頬の肉が落ちた気がする。冷蔵庫を開けて閉める。それがここ2週間のルーティンだった。


1昨日、スーパーのセルフレジでおにぎりふたつとペットボトルのお茶を通したら586円で、財布の中の1000円札は3枚しかない。次の入金は今月末になる。お金が減っていくスピードを毎日の買い物で体感している。


企画書のカーソルが点滅している。何を書けばいいかは分かっている。今の自分に書けるもので、誰かが読んで「この記事を書いた人間がいる」と感じられるようなもの。


それが何かが分からないまま、白い画面を見ている。


エアコンのタイマーが切れた。送風音が消えて、冷蔵庫の振動だけが残る。「AI時代の」と打って消す。「取材で見えた」。消した。仕事がない状態をどうにかするための仕事を探す、という再帰構造にはまっている。プログラムなら無限ループでフリーズするところだが、人間はフリーズしない代わりに、午前1時のデスクで足を組み替える。


 ◇


午前2時を回った。1文字も打てていない。椅子の背もたれに体重を預けて天井を見上げると、蛍光灯のカバーが薄く黄ばんでいる。


階下から、かすかにテレビの音が聞こえる。壁と床を通って届く低い振動だけが残っていて、この建物に何人の人間が午前2時に起きているのか、考えたことがなかった。


マンションの廊下を革靴の硬い音が通り過ぎていった。この時間に帰ってくる人間がいる。残業か、飲み会か。どちらにしても、その人間には帰る場所があって、明日やるべき仕事があって、廊下の先のドアの向こうで靴を脱いで、冷蔵庫から何かを取り出すのだろう。


携帯が光った。午前2時に連絡してくる人間は一人しかいない。

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