8話〜狂気〜
「じゃあ、婚約同意書はこちらで作成して公爵家に送ろう」
「そうだな、僕が偶然君を見かけて一目惚れした…という体でいこう」
「あ、あのちょっと待ってください!」
「ん?何?」
トントン拍子に話が進んできてしまいアリシアは流石に少し止めた。
ジョシュアは、本当になぜ止められたのか分かっていない…のかそのフリをしているのか分からないが、とにかくキョトンとした顔を向けた
「い、いいんですか?いえ、こちらからお願いしたんですが…」
「特に問題はないよ、それに君が一目惚れと言ったって公爵様に色々聞かれるだろう?
僕も聞かれはするだろうが、公爵様ほどではないだろうから」
「そ、それは…」
否定できなかった。
公爵は親バカで、アリシアのことを溺愛している
アリシアが一目惚れしたから婚約したいなんて言った暁には、暴れまわることが目に見えている
「すみません…お願いします…」
「さっき了承したんだから、問題ないよ」
ジョシュアは心底面白いというようにカラカラと笑いながら、そう言ってくれたため、アリシアの気持ちも少し軽くなった
「さ、こんなものかな。同意書が届いたらそこからは君の頑張り次第だ
公爵を頑張って説得してくれよ」
「はい、承知いたしました」
心配ではあるが、ジョシュアにここまでしてもらった以上、説得できませんでしたでは格好がつかないだろう
まぁ、公爵はアリシアにかなり甘いので本気で悲しむことはしない。
なんだかんだ言って認めてくれるだろう
“…多分”
「折角だし、お茶でも飲みながら君の話を聞かせてくれ。社交界に出るときに話がなければ困るからね」
「そうですね、では大公子様のお話もお聞かせ願えますか?」
「勿論、君が望むなら」
2人は日が落ちかけるまで、談笑を楽しんだ
ジョシュアの話をアリシアは相槌を打つながら楽しそうに聞いていたが、それよりもアリシアの話を聞くジョシュアの顔があまりにも優しく、愛おしいという目だったため、途中羞恥心が湧き出たが何とか話し終えた
「楽しかったよ、ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございました」
「あ、そうだ忘れるところだった」
ジョシュアが何か思い出したかのように、ポンと手を叩いた
アリシアは一体何だろう、と目を瞬きさせた
「表でも大公子様、ハーシェル嬢、じゃ怪しまれる。呼び方を決めよう」
「あぁ…それもそうですね」
確かにあまりにも不自然だ
目敏い公爵ならすぐにでも気が付き、婚約を反対してくることだろう
公爵ならともかく、他の者に怪しまれては計画が台無しだ
「僕のことは好きに呼んでいいよ」
「では、ジョシュア様…と」
「…うん」
アリシアが名前を呼ぶと、ジョシュアは目を細め恍惚とした表情をした
気に入られなかったらどうしようと悩んでいたアリシアは、その表情を見て合格だった。と胸をなでおろした
「なら僕はアリシア。と呼ぼうか」
「はい」
「くれぐれも、外では間違えないようにね」
ジョシュアにそう釘を刺され、アリシアが少しムッとした表情をすると、ジョシュアはそれを見て噴き出した
声を上げながら笑う姿は、ゲームの中でも見たことがなかった彼女は、目をパチクリと瞬かせて驚いた
「いや悪かったね、その表情が可愛かったから」
目に浮かんだ涙をぬぐいながら、直球で‘可愛い’だなんて言われ、アリシアの顔はあっという間に熱を持った
それも美しい少年に言われたのだから、照れないわけがない
だが、照れたことを悟られないよう少し顔をそらし、ジョシュアの目を見ないようにした
そんなアリシアの様子すらも、ジョシュアは目に焼き付けるようにじっと見つめ、困ったように笑いながらソファから立ち上がった
「さ、そろそろ帰らないと公爵様も心配するだろう。馬車まで送ろう」
「…はい」
アリシアは差し伸べられた手を取り、ソファから立ち上がった
あまりにも自然にエスコートされたため、アリシアはハッとしたが、ジョシュアは手を放すつもりはないらしい
来た時と同じように、アリシアの手を引いて外へと向かっていく、彼女はジョシュアの少し背の高い背中を見ながら歩く
“ジョシュアはアリシアの2歳上…まだ12歳なのに”
転生し、また人生をやり直している彼女自身よりも大人びているような気がして、少し悔しくなってしまった
手を引かれながら歩き、外に出るとアンが馬車の前で待っているのを見て、アリシアの表情はぱっと明るくなった
「お嬢様!」
「彼女とは少し話をしていたんだ、何も言わずに下がってもらって悪かったね」
「話…ですか」
「そう、話。詳しいことはまたすぐに分かるよ」
ね、というような同意を求めているような表情を向けられたアリシアは、空笑いをするしかなかった
アンは少し納得していないような表情をしていたが、アリシアに変わった様子はなさそうなことを確認し、とりあえずは何も言わないことにしたらしい
「…分かりました。お嬢様をお送りいただきありがとうございます大公子様」
「いやいや、呼んだのも彼女をこんな時間まで引き留めてしまったのも僕だからね」
「さ、これ以上遅くならないうちにお帰り」とアリシアは手を放され背中をポンと押された
アリシアはそのままアンの傍まで行き、心配そうな顔をするアンに、大丈夫だというように笑顔を向けた
そんなアリシアに近づいてきたジョシュアは、馬車を降りた時と同じように手を差し出した
アリシアはその手を今度は迷わず取り、馬車に乗り込んだ
アンはその様子に少し驚いていた
“この数時間で何があったのかしら…?”
「レディーどうぞお乗りください」
「あ!あらごめんなさい」
アンにも大公家の騎士の一人の手が差し出され、待たせてしまったと思ったアンは、その手を取り慌ててアリシアの座った席の向かいに座った
「ではお気をつけて、アリシア。また手紙を送るね」
「はい、楽しみにしていますジョシュア様」
その2人の会話を聞いていたアンは、まるで恋バナを聞いた少女のように頬を染め口に手を当てた
そんな案の視線を感じたアリシアは少し恥ずかしさを覚えながらも、ジョシュアに笑顔を向けた
ジョシュアは恥ずかしそうなアリシアの顔を見て、少しクスクスと笑った後馬車の扉を閉めた
馬車の扉が閉まったことで、アリシアに外の音は聞こえなかったが、ジョシュアが口を開いた後馬車が動き始めたので、出発するように命じたのだろう
アリシアは緊張で固まっていた体を背もたれに預け、やっとリラックスできた
「お嬢様、大公子様と何かあったのですか?名前で呼び合うほどになるだなんて…」
「あぁ…えっと…ひ、一目ぼれしたって…」
「まぁ!」
アンは驚きながらも嬉しそうに笑った
ジョシュアに言われたこととはいえ、自分が言い出したことなのに、こんな風に言ってしまって申し訳ないとアリシアの心に罪悪感が芽生えた
“それでも、こういう選択をしたのは自分なんだから…”
アリシアは美しい夕焼けの空を窓から眺めた
それすらも、今のアリシアにはあまりに眩しく目が眩んでしまいそうだった
復讐をすると決めた以上
彼を利用してでも成し遂げると決めた以上
彼にあんなことを言ってもらった以上
引き返すことなどできないのだ
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「大公子様」
「なんだ?」
「ハーシェル嬢と一体どんなお話を?」
アリシアの帰った後の大公家ではジョシュアと、以前ジョシュアに「じい」と呼ばれた年老いた使用人が、2人薄暗いジョシュアの部屋で話していた
ジョシュアは、男の質問に笑みを浮かべながら答えた
「内緒だ」
「…さようでございますか」
男はジョシュアに対し、少し疑いの目を向けていた
だが、それすらも気に留めないようにアリシアたちの馬車が去っていった方角を、窓からじっと見つめていた
少しの間そうしていたジョシュアだったが、思い出したように男の方を振り向いた
「婚約同意書を持ってきてくれないか?」
「婚約…同意書でございますか?」
「あぁ、公爵家に送るんだ」
その発言に、男は目玉が飛び出るのではないかというほどに目を見開いた
ジョシュアはそんな男の様子を見て、ハハッと小さく笑い声を漏らした
「そんなに驚くことか?」
「当たり前です!つまり、ハーシェル嬢に婚約を申し込むのですか!?」
「それ以外に婚約同意書を何に使うんだ?」
頬杖を突きながら、こちらを見上げるジョシュアに男は眩暈がしそうになった
男が昔から仕えているこの少年は、賢く何をするにもそつなくこなすような少年だった
だが、一つ困ったことがあるとすれば突拍子もないことを言い出すことだ
それが良い方向ならまだしも、こちらが正気かと言い出すほどのことを言い出すことも、日常茶飯時だった
それでも、何とかなるかくらいの事しか言わなかったため、皆笑って困ったものだくらいに流せていたのだ
それが今回、この少年が言ったことはなんだ
“皇子との婚約が持ち上がっている少女に婚約を申し込むなど…皇子どころか皇帝すらも敵に回しかねない…”
「…考え直すつもりは」
「ないね、僕が彼女に執着していることはお前もよく知ってるだろう?」
薄暗い部屋で少年は不気味に見えるほど美しい笑みを浮かべた
男の背中にはゾッとした冷たい何かが走った
“確かに…”
男は記憶を思い返した
確かに、少年の彼女に対する執着は異常だった
ある日、ジョシュアが服や肌をボロボロにして遅くに帰ってきたことがあった
使用人たちは驚きながらすぐに医者を呼び、手当てをさせ休ませた
ジョシュアが回復してきたころ、なぜあれほどボロボロだったのか話を聞くと森で遊んでいたところ、迷って転んだというのだ
軽傷のみで済んだとはいえ、薄暗い森の中で一人迷ったというのだから怖かっただろう。と声をかけたのだが、ジョシュアの口からは予想外の発言がされた
「いや、迷ってよかったよ」
男はそれに驚き、ジョシュアにそれはどういうことかと尋ねた
ジョシュアは嬉しそう…いや、興奮じみた笑みを浮かべ話し始めた
とてもきれいな少女と出会ったのだと、その少女は森で野イチゴを摘むのが好きで、よく家族たちには内緒で摘みに来ていると言ったのだと
ボロボロの彼を見て、自身のハンカチを差し出し摘んだばかりの野イチゴを分けてくれたらしい
野イチゴを食べ、彼が美味しいとつぶやくと本当にうれしそうに微笑んだのだと
「その笑顔がね、とても可愛かったんだ」
まるで天使のようだった、と言うジョシュアを大袈裟だと思ったが、今日彼女を実際に見て確かに可愛らしい少女だと納得した
その少女は親切にも帰り道を教えてくれ、帰る途中でお腹がすかないようにと、野イチゴと汚れを拭くためにハンカチをくれたのだという
そのハンカチには、家紋が刺繍されておりその刺繍から、ハーシェル公爵家とその一人娘のアリシアを突き止めたのだ
そこからのジョシュアのアリシアへの執着はすさまじいものだった
アリシアの脅威になりそうな人はすべて遠回しに警告…という名の脅しをし
アリシアが父に会いたいと泣きじゃくれば、仕事中の公爵にで伝書鳩でそれを知らせ
アリシアが熱を出せば、夜遅くなっても寝ずに公爵領の方を見つめ回復を祈った
今日を迎えるまで、ずっとこうだったのだ
手紙が来たときは、ジョシュアの表情が見たこともないほど、目を見開いていたことを大公家では男だけが知っている
今も、鼻歌を歌いながら届いた手紙を愛おしそうに撫でている
男は何を言っても聞く耳は持たないだろう、と溜息を吐いた
「程々にしてくださいね」
「善処するよ」
“ダメだな、これは”
男は内心、この少年が何かやらかした時にどうフォローするかを考えていた




