大学生になっても東阪弥刀は突然現れる
「次の春も……その次の春も、一緒にいたい」
あのとき、俺はそう言った。
震える声で、でも、精一杯の覚悟を込めて。
放課後の教室、夕日が差し込む窓辺。
黒板の前に立つ彼女は、驚いたように目を見開いて、
そして 、ゆっくりと微笑んだ。
きっとあの瞬間が、俺の人生で一番“勇気”を出した瞬間だった。
少し肌寒い春の風が、窓の隙間からそっと吹き込んで、二人の髪を揺らした。
彼女の頬がほんの少し赤らんで、俺の心臓はバクバクとうるさく鳴っていた。
「……うん。あたしも、そう思ってた」
その一言で、すべてが報われた気がした。
あの春は、たしかに、俺と彼女のはじまりで
俺たちの終わりだった。
◇
春は、いつも少しだけ苦手だ。
別れの季節だから―なんてセンチメンタルな理由じゃない。ただ、意味のわからない期待と不安がいっしょくたになって、息苦しくなるからだ。
あと花粉。お前だけは許さん。
大学2年になった俺は、友達と呼べるやつも何人かできた。授業にも、バイトにも、慣れてきた。特に大きな不満があるわけじゃない。
中二病ぼっちを拗らせ、ひねくれ全開だった俺がよくもこう更生できたもんだ。
ちなみに今は空きコマなので、あくまで一時的に一人で過ごしているだけだ。
決してぼっちだからではない。決して。
「ほんと遥のおかげだな」
誰にも聞こえない声でそうつぶやき、毎日のルーティンである宇宙一可愛いガールフレンドのSNSチェックを始める。
久宝寺 遥。同じ大学に通う彼女は、聡明華憐で品もある、まさに高嶺の花みたいな女性だ。それでいて、人当たりも良く、常に周りに人がいるような学内でも人気の存在だ。
学業にボランティア、さらにまだ2年生になったばかりというのにインターンに参加するなど完璧な大学生活を送っている。
『ボランティア団体の報告会に参加しました!素敵な仲間たちと一緒に!』
写真の中で、遥は満面の笑みを浮かべていた。
周囲の大人びた雰囲気に、彼女の居場所がぴたりと馴染んでいる。
こんな完璧な人が俺の彼女だなんてますます信じられなくなる。
はたして俺は本当に遥に吊り合えてるのだろうか。
「……って、なに考えてんだ俺」
自嘲するようにため息をつき、スマホを閉じようとすると、
「せ・ん・ぱ~い?」
背後から聞き慣れた、けれどどこか大人びた声が飛んできた。
「……え?」
振り返った俺の目に飛び込んできたのは──
セミロングの金髪に、琥珀がかった大きな瞳が映えている。薄手のニットが可愛らしい顔立ちにとても似合う、懐かしい後輩の姿だった。
「……と、東阪?」
春の光のなかに、彼女は立っていた。
少し背が伸びて、髪が伸びて、それでもあの頃と変わらない笑みを浮かべて。
「やっぱり、先輩だぁ。もしかしてと思って声かけてみたけど、ビンゴです」
無邪気なようで、どこか計算高さも感じさせるその表情に、思わず言葉が詰まった。
「東阪……? お前、こっちの大学だったのか?」
「ふふっ、言ってなかったでしたっけ? こっそり先輩のこと追いかけて来ました~、なんて」
「その感じ、高校の頃と変わんねえな」
思わず苦笑い。
「そうですか? 先輩も相変わらず、ですね。
──“遥さん”とは、順調ですか?」
その名前が出て、一瞬たじろいでしまった。
「……まぁ、普通に」
「ふーん、普通に。へぇー」
ニヤニヤとした顔。ああ、これは探ってきてるなとすぐにわかる。
「なんだよ」
「なんでも。ただ、“あの頃のこと”、ちゃんと整理ついてるのかなって」
「……なんの話だ」
「先輩って、ああ見えて結構引きずるタイプですよね。私、ちょっと気になってることがあって」
東阪はわざとらしく髪をいじりながら、言葉を続ける。
「飛鳥先輩、彼氏できたらしいですよ?」
突然すぎて、思わず足を止める。
「……どこ情報だよ」
「講義で一緒になってる女の子が話してました。週末に男の人とカフェに入ってるのを見たって」
「……そりゃ、そんな年齢だし」
俺は努めて無関心を装いながら淡々と返した。
「そうですよね。でも、なんか……先輩、少し顔色変わりました?」
東阪は、ちらりと横から俺の顔を覗き込んでくる。
「別に。なんとも思ってねぇよ」
そう言ったつもりなのに、声が妙に硬い。
何も感じないはずだった。少なくとも、そう思ってた。
でも、『彼氏』という言葉が、思いがけず胸に刺さる。
心の奥で、小さな波が立つのを自分でも感じていた。
「……ふうん」
東阪は少しの沈黙のあと、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
「じゃあ、調べに行ってみます? ほんとに付き合ってるのか、見に行くとか」
その口ぶりはあくまで軽く、ふざけているようでいて、どこか鋭い。
「……なんでお前がそんなこと」
「うーん、なんか。先輩の顔が“知りたい”って言ってたから?」
俺が返せずにいると、東阪は歩き出す。
「一人で行くのも退屈だし。どうせなら一緒に行きません?」
夕暮れの風が、彼女の髪を揺らす。
その一言が、まるでスイッチのように、心のどこかを押した気がして、言葉にはしなかったけれど、気づけば、足は自然と彼女を追っていた。
そういえば高校の時もそうだった。
東阪 弥刀。お前はいつも一歩離れたところにいて、何かがあればすぐに俺たちをかき乱そうとしてくる。
「じゃあ、調査開始です!」
そう言って笑う彼女の瞳はあざとくて、どこか挑戦的だった。