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ミミと日常

クラゲはお休みです。

 言いようのない閉塞感が、わたしの心を締め付けていた。

 修学旅行が終わって受験シーズンになってしまった。勉強にうつつを抜かして何もできなくなっている同級生たちを不思議に思いながら、かといって何をするでもない自分の状況にもどこか納得が行っていない。生きているのが退屈なのだ。

 思えば京都にいたとき、世界は輝いていた。あの瞬間だけは生きているのがなんと素晴らしいのだという、言いようのない錯覚に身を委ねていた。日常と非日常、ケとハレ、そういう確固とした断絶があって悶々とする。世界はわたしに振り向いてくれない。

 みたいなことを、ぼーっと考えているうちに授業が終わった。流れるように帰りの会が終わって、すぐ放課後になる。教室の外は少し肌寒くて、吹奏楽部の音が聞こえるまで廊下には出なかった。


「ミミ、おそい!」


 下駄箱で足を震わせながら待っていたのはサカナであった。コート、手袋、マフラー完備。スクールバッグには流行りの猫丸キーホルダーがついていて、髪は肩の上で切りそろえてある。でもスカートの下には生足が拝める。


「待ってるなら言ってよ」

「朝言ったじゃん」

「えー、聞いてない」

「言ったし」

「記憶にございません」


 ほら、あれだサカナよ。人間の記憶は曖昧なんだよ。ロフタスのショッピングモール実験を知っているかね。記憶というのは簡単にすり替えられてしまうものなんだ。

 頭の中でだけ反論しておいた。

 サカナはぷりぷり言いながらのんきに歩いている。


「日常だ」


 マフラーの下で唇を小さく動かして、小さくなったサカナの後を追った。

 帰り道で猫に会った。


「にゃんじゃん」

「The cat’s meow」


 猫は塀の上に佇んで大きくあくびをした。わたしとサカナは遠くからそっと眺める。サカナはそっと近づいて意を決したように目を瞑った。

 そして大きく息を吸って「にゃーん」アプローチを始める。猫は何やってんだコイツとでも言いたげな眼でサカナを見た。すくっと立ち上がった。


「にゃーん。にゃ! にゃーん!」


 サカナも必死だった。しかし猫にはそれが帰ってあさましく視えたのだろう。眼を細めてサカナを睨みつけたあと、さっと逃げていった。

 残念だったなと背中をつつく。


「あー、サカナよ……」

「見た? あのキュートなお顔! ぜったい通じ合ってた」

「そ、そう?」

「そーだよぉわかってないなぁミミは。最後笑ってたし」

「はーん」


 これで良いのだろうか。

 まあ良いか。知らないほうが良いこともある。

 かくして偉大なる猫様はわたしを一瞬だけ、鬱屈な日常から解き放ってくれた。

 したがって非日常を感じるために、また京都に行く必要はないのだろう。おそらく日常という平均値からある一定離れたところに日常と非日常の境目がある。それが非日常の境界となる。

 わたしたちの脳はこれまでの思い出を記録している。さっきロフタスの実験については言及したばかりだから信頼性はないのは承知だろう。しかしそれとは別にヒトの想像はこれまでに得たサンプルをもとに作られるから、そういう点で虚偽の記憶も外れ値をとらないはずだ。

 してみると、芭蕉による『おくのほそ道』の冒頭「日々旅にして旅を栖とす」も成立する。平均的日常が「旅をすること」であれば、旅は平均から大きく離れた値をとらないからである。だから、非日常というのはとても不安定で流動的にふるまう。

 だから日常も大切になる。結局のところ非日常ばかりの生活というのは、非日常が日常になってしまった瞬間にまた新たな生活を始めなくてはならない。そういう点で恒常的な幸せというのは日常に求めておいて、突発的な娯楽として非日常を得る。この戦略は間違っていない。


「なるほど、よくできてる」

「……? ありがと」


 サカナはきょとんとした顔でわたしを見た。そこでわたしはご飯を食べていることに始めて気づいたわけである。今日はサカナの当番だったから、褒められたと思っているのか。ならそういうことにしておこう。南無。

 これが日常の平均値なら悪くない。おそらく幸せというのはここにあって、外発的要因によって非日常がやってきたときだけ、楽しめば良いのだ。


「これが幸せかぁ」

「……たそがれるミミ。萌え」


 パシャっと音がした。サカナがスマホを向けていた。


「えー、ネットとかにあげないでよ」

「パーペキです」


 二人で旅行とか行ったら楽しいかもしれないと、心ばかり思った。

 サカナはわたしのことをどう思っているのだろうか。わたしの名前は変なやつ名簿に登録されているのだろうか。考えても仕方がない。人の気持ちを推し量ることなどできないのだから。でもわたしと一緒に旅行に行って楽しいかどうかはわかる。幸福度を測定する質問と指標は色々あるし、MRIか何かでわたしと一緒にいるときの脳神経を見てみれば良い。もちろんやらないけど。

 とりあえず、悪くないことを祈っておいた。


 ―*=*=*―*=*=*―


 明くる日、学校で授業を聞き流していると窓の外にサカナがいた。

 ジャージでバスケをやっている。きょうは大して寒くない。神無月の不安定な大気が、きょうは日本に温かな空気を運んできたようだ。


「……しかしどうしたことだろう、私の心をたしていた幸福な感情はだんだん逃げて行った。香水の瓶にも瘻管にも煙管にもわたしの心はのしかかってはゆかなかった。……」


 檸檬みたいな酸っぱい刺激が、わたしの世界には足りない。

 しかしそれは間違っていなかった。

 日常というのはまず、持続的生存が可能であるという観点から特徴づけられる。加えて日常というのはしばしばルーティンとなる。この良い側面としては、いちいち考えなくても良いことだ。もちろんそれが最善であるとは限らない。しかし、最適解を探し続けた目的を見失うよりは優れた生存戦略であることは疑いの余地がない。動物の本能的な行動様式が示すとおりである。しかしそのせいで日常というのはだんだん、マンネリになってしまう。

 この前読んだ論文に書いてあった。


「以前にはあんなにわたしをひきつけた画本(えほん)がどうしたことだろう。一枚一枚に眼をさらし終わって後、さてあまりに尋常な周囲を見回すときのあの変にそぐわない気持ちを、わたしは以前には好んで味わっていたものであった。……」


 わたしの日常というのは水面のようなもので、ルーティンと化した生活から逃れられない。世界の側から石を投げられるのを、あるいは風が経つのを、じぃっと待っている他ないのだ。


「もしもーし、ミミさん」

「……!?」


 先生に名前を呼ばれて、顔を上げると先生がいた。


「また考えごと?」

「あー、ですです」


 教科書左ページ2行目を指さした。先生は頷いた。なんで成績だけ良いのかしら、と不平を言いながら帰っていった。グッバイ。

 中学生のころは、真面目ちゃんだったのだよ。


「あ、そうだそうだ。」その時私は(たもと)の中の檸檬を(おも)い出した。本の色彩をゴチャゴチャに積み上げて、一度この檸檬で試してみたら。「そうだ。」

 わたしにまた先ほどの軽やかな昂奮が帰ってきた。私は手当たり次第に積み上げ、また慌ただしく(くず)し、また慌ただしく築きあげた。新しく引き抜いて付け加えたり、取り去ったりした。機械で幻想的な城が、その度に赤くなったり青くなったりした。

 やっとそれは出来上がった。そして軽く(おど)り上がる心を制しながら、その城壁の頂に恐る恐る檸檬を据え付けた。そしてそれは上出来だった。


「はい。次、レモンさん」


 これだと思った。世界はわたしに嘘をついていた。

 窓の外では、相変わらずサカナがボールをバシバシして走っていた。あれ、これ行ける?

 あ、頑張れサカナ。そこ。行ける!


「ゴール!」


 わたしは立ち上がった。教室の視線が私に集中する。


「なにがゴール?」

「あ、えっと、サカナが……」


 先生は窓の外をチラッ。


「先生の授業だから良いけど、ほどほどになさい」

「ごめんなさい」


 教室のみんなはわたしを笑った。顔を真っ赤にしてうつむくほかなかった。

 そして私は活動写真の看板絵が奇体な趣で街を彩っている京極を下がっていった。


 ―*=*=*―*=*=*―


 放課後、そんなことがあったとサカナに伝えると「授業を聞けよ」と一蹴された。たしかに。


「にゃーん」


 猫様は今日も塀の上にいらっしゃった。ベストポジションなのだろう。ぶてぶてしくも愛嬌のある目が、サカナの好きなキャラクターと似ていた。だから猫丸と命名する。


「あいつ猫丸っぽくね」

「え、どこが?」


 サカナからは同意を得られなかった。猫丸はゆっくりと立ち上がって塀から降りた。サカナはわたしに目配せをして尾行を始める。別段じゃまをする理由もないので、ついていった。猫の先には非日常が待っている気がしたからだ。

 猫丸はなんの気もなしに、すたすたと道を歩いていった。サカナはとくにひっそりついて行くでもなく、いつも通り通学路を歩くような自然体だった。


「どこ行くと思う?」

「さあ、きれいだし野良ではなさそうだけど」

「なんかセーター着てくればよかった」


 太陽の光が斜めから落ちて、電柱の影がずーっと遠くまで続いていた。影の途中からは通学路から逸れていた。わたしにはその距離が曖昧に感じられて、向こうまでたどり着いた頃には今と違うことを考えているのだろうと思った。特段の意味はない。ただ、距離と時間が連関していて、その分だけ今過ごしている時間が過去になっていると思うと感慨深かった。ほら、もうサカナのバスケなんて昔のことだし。

 そうすると、向こうについたときはもう、非日常になっている気がしてならなかった。

 ぼーっと歩いて、やがて影の末端に立ったとき、これと言ってここに非日常との境目があったとは思えない。しかし、通学路から外れたわたしは、間違いなく非日常の上に立っていた。

 サカナはポケットに手を突っ込みながら白い息を吐いていた。


「マフラーいる?」

「え、いらない」

「そう」


 サカナは数秒ほど歩いて、


「やっぱ貸して」

「ん」


 わたしはマフラーを手渡す。サカナが少し申し訳無さそうにしているけれど、タイツがあるし問題ないと言っておいた。実のところすこし冷える。

 それからサカナとはこれと言った会話がなかった。しかしそれは苦しい無言ではない。むしろ居心地の良い無言であって、そういう意味でわたしは満足していた。


「あ」


 沈黙を破ったのはサカナの声だ。猫丸はある寂れた店に入っていった。


「レモンの店」


 そこの中に猫丸は入っていった。ガラス越しに眺めると、猫はカウンターの隣りにある小さな座布団へと落ち着かせた。店員と思わしきおねぇさんが餌をやっていた。

 どこか、知らない猫の姿を見た気がした。


「ここで飼われてるんだ」


 サカナがガラスケースに手を伸ばしたとき、目はどこか遠くを見つめている気がした。声にはどこか元気が無かった。


「せっかく来たんだし、なんか買ってく?」

「コロッケ。買い食いする」

「いいじゃん」


 コロッケはこれ以上なく温かくて、サクっとしていた。買うとき、クラスメイトのレモンの声が聞こえた。へーと思いつつ、話しかけたりはしなかった。深い理由があったわけではない。サカナはそれを望まないだろうし、わたしはそういうサカナを望んでいた。


「帰るか」

「うん」


 わたしたちはカラスの鳴く住宅街を歩いた。


「ところでさー、あの猫って猫丸に似てない?」

「たしかに」


 わたしたちはしばらく笑って、それからいつも通り。非日常はこうやって、わたしたちの日常を侵食してくる。そういう非日常は忌々しい。非日常なんて求めすぎないほうがいいのかもしれない。それでもやっぱり非日常はわたしの側に迫ってきて、のっぴきならない方へと押しやる。

 なら、わたしには何ができるだろうか。


 ―*=*=*―*=*=*―


 わたしのおばあちゃんの家はすこし遠いところにあって、いつもは電車で通っている。しかしこの前、すこし離れたおばあちゃんの家までを自転車で往復してみた。2つの世界がつながっていることを実感し、やけに奇妙な気持ちにおそわれた。

 いま、学校にいると認識している。これは家と学校をそれぞれ違ったものとして分節しているからで、認識が、言語が、わたしを連続した世界から遠ざけている。

 日常と非日常は連続しているのに地平線で隔てられている。


「だとしたら」


 サカナはショックを受けていた。これは間違いない。なぜなら猫丸は、知っている猫丸ではなかったから。日常だけでいいのだ。日常だけがわたしの世界を救うのだ。

 なら、日常から非日常になにかやってやることはできないだろうか。日常から非日常に侵食してやることは。それはまるで、檸檬の中に見えたような気がした。檸檬の爆弾は何を壊したのだろうか。京都の本屋ではない。非日常なんじゃなかろうか。

 だってそれは、日常にありふれたもので出来ていた。

 わたしは立ち上がって学校を飛び出した。

 家まで全力で走った。


「はぁ、はぁ」


 お風呂の水を沸かして、沸くやいなや制服も脱がずに飛び込む。


「ばーん!」


 お湯の中にわたしが浮かぶと、日常はいよいよ輝いて見えた。透き通ったお湯の中に、制服がゆがんで、なみなみと浮いていた。キャンディーのような甘さが世界を満たした。


「それ見たことか! 世界というのは連続的なんだぞ」


 バスタブはつややかに光っていた。不思議と後悔は無かった。それがわたしに間違いがないことを示していた。証明してやったと思った。

 ふふふ。あはは!


「あはははは!」

「ミミ、何やってるの!?」

「あ、一緒に入る?」

「決まってるし!」


 サカナも制服を着たまま、浴槽に入ってきた。猫丸もどこからかやってきていた。

 むかしは、よくこうやって一緒に入っていた。でも今はサカナの顔が近い。


「ミミ、狭い。詰めて」

「お互い大きくなったんだからしょうがないし」

「むー」


 サカナも、猫も、きっと連続するということをよく知っている。


「ねーねー、ミミ」

「なに?」

「ありがとね。わたしのために」

「べつにそういうわけじゃ……」

「でもありがと」


 サカナは優しくはにかんだ。わたしはその顔を見て、こころが洗われたような気がした。全てが許されたような気がした。

 これで、良かったんだなぁ。


 ―*=*=*―*=*=*―


 それからしばらくしてお風呂から出ると、制服が肌に貼り付いた。


「うぇー、気持ち悪い」

「日干しって大丈夫なんだっけ」

「まあまあ、とりあえず着替えが先じゃない?」


 ということでサカナとわたしは大いに慌てふためくことになる。なんとか落ち着きを取り戻したころ、窓の外は真っ暗になっていた。


「もう、ミミは後先考えないんだから」

「でもさ、やっぱり楽しかったじゃん」

「それはそれ」


 修学旅行の余韻はまだ消えない。いまでもあの日々は輝いていたと思う。それでもサカナと過ごすこの日々はかけがえのないものに違いはない。この違う素晴らしさは連続していて、だから生きるっていうのは素晴らしいことなんだろう。

 月だけが夜空に輝いていた。


 まず本文中でお借りしている文献を紹介します。まず梶井基次郎先生の檸檬を引用しています。また芭蕉の『おくのほそ道』も言及していますね。あとミミが言った論文はこれ→岩佐宣明(2017)「日常への非日常的視点」。それほど関係はないかも。

 さて、本作はほぼ実話です。わたしはもっと頭からっぽな感じで読める文章がきれいだと思っているので、そこんとこよろしく。タイトルにキャンディーとかドリームとかをつける界隈の雰囲気がメインにあります。しょーゆーわけで、そら豆水槽ネコクラゲ。これにて一応の完結となります。

 続編は書くかどうかわかりませんが、ここまで読んでくださりありがとうございました。

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