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そら豆水槽ネコクラゲ

※カクヨムからの転載です。

 水槽を新調した。今はとりあえずクラゲとそら豆が浮んでいるが、それは水槽の付属品にすぎない。水槽は四角い箱庭のような様相であった。わたしはしばらくのあいだ眺めては、むふふと気味の悪い笑みを浮かべていた。えたいの知れない愉悦がわたしの心を押さえつけていた。

 窓から斜光が差し込んでいる。これは良くない。ちょっといけない。水槽が日光で痛んでしまうからだ。どんなに美しい水槽でも、日に当たればいずれしぼんでしまう。何かに囃し立てられて、水槽を勉強机の下に隠してしまった。わたしは満足して、それから水槽をのぞくことはなかった。


 しばらくしたある日、陽光に蹴出されるように目が覚めた。ぬくぬくのおふとんに包まれて、なんだか意識が飽和している。ぼーっと天井を見つめていると、黒猫がわたしの上を横切った。


「にゃーん」


 黒猫は布団をぴょいと飛び越えてどこかに行ってしまう。わたしはその猫にちょっかいをかけたくて仕方がなかった。部屋のふすまの裏通りまで追いかけることにした。なでなでしよう。たんと甘やかしてやろう。

 ふすまの裏には狭い廊下がどこまでも続いていた。ふすまの裏と言っても世界が異なっていて、どちらかというとふすまの表と裏の中間である。歩いているうちに、見たこともない部屋に出た。わたしはその部屋に敷かれたカーペットに足を踏み入れていく。

 ともあれ、黒猫はここに逃げていったはずなのにぜんぜん見つからない。なので、リモコンで太陽の電源をオフにした。夜、昼、夜、昼。目まぐるしく変わる世界に堪えられなくなったのだろう。猫はピアノの下から姿を表し、押入れの上に逃げてしまった。

 猫は高いところに逃げた。しかし心配はいらない。わたしは押入れの前で手をひろげて、猫が降りてくるのを待った。しばらくにらめっこをしてみる。


「おいで~、怖くないよー」 

「しゃー!!」


 猫は毛を逆立てて威嚇してくる。椅子を取りに行こうと後ずさり始めた瞬間、猫が飛び降りてくる。そこをスパッとキャッチ!

 ようやく捕まえた猫は胴体が嘘みたいに長かった。なにより暖かさが段違いで、電子レンジで二分三十秒ほど温めたコーヒーによく似ていた。猫の毛が指を撫でて、負けじと猫の顎をクイクイしてやる。猫がゴロゴロいうので、めちゃくちゃ撫でてやった。


「よし、お前に名前をつけてやろう」

「にゃ?」

「そーだなー、ミミなんてどうだ?」


 するとミミが右腕に噛みついた。痛くはなかった。しかし全然離してくれる気配はないので、参ってしまう。ミミの眼の前に左手を出して、トンボを捕まえるみたいにぐーるぐると渦を巻く。ミミが首を一周、二週、三週、と回す。しだいに眼を回していたようで、力なくぽとりと落ちていった。


「にゃー、にゃー、にg、ゲコゲコ」

「えー」


 落ちたミミはしぼんでカエルになっていた。今度こそ捕まえようとすると、カエルは勉強机の下に潜り込んだ。水槽に入っていった。水槽も喜ばしかろう。

 水の底のカエルを眺める。水槽にはそら豆が薄く浮かんでいて、暗い水槽の底を照らしていた。その光景がどことなくしっくりきて、水槽を買ったとき、こういう情景を望んでいたのかも知れないと思い出した。クラゲはいつの間にかいなくなっていた。

 カエルはしばらくそっぽを向いていたが、次第にわたしと目を合わせる。疑いもなく、カエルは水槽のために存在していた。これまでの苦労が報われるようで、どこか淡々とした重量がわたしを襲った。急にカエルは驚きはじめ、水槽の壁を破って出ていく。そら豆が流れ出る。


「水槽が! この不調法者!」

「ゲコゲコ」


 思い上がった不届き者を追いかけて、そばにあった虫取り網で捕まえる。わたしには人の心があったので、痛めつけることはしない。ベランダに逃がしてやった。

 流れ出たそら豆も捨てなくてはいけなくなった。泣く泣くゴミ箱に捨てようとすると母が、


「食べればいいじゃない」

「なるほどほどほどどしたんたん」

「……?」

「……??」


 今宵はそら豆パーティーになった。


 ―*=*―*=*―*=*―


 目覚めると、わたしはこたつで横になっていた。

 冬至の冷えに、こたつでぬくぬく温まる。これほど素晴らしいことがあろうか。窓の外は白雪が積もり、木々の葉はむなしく落ちている。空だけが何事もなかったように青くひろがり、やわらかい日差しが壁にかかるカレンダーを照らした。

 カレンダーにはルノワールの『ピアノに寄る少女たち』が描かれていた。二人の西洋風の少女がピアノに向かっている。後ろには豪奢なプリンセスベッドがあって、画面全体が黄色くやわらかな色調でまとまっている。こたつみたいに、あたたかい絵だった。

 丸みを帯びたピアノの音、少女たちの談笑が聞こえてきた。見ているとだんだんリラックスしてきて、シャボン玉につつまれ、ぷかぷかと宙を浮いている気さえしてくる。横になって、大きくのびをする。素晴らしいと思った。そら豆があれば完璧だ。

 そら豆を買いに行こうとすると、こたつが私を離さない。うぎぎ。


「なー、買ってきてくれよなー」

「にゃーん」

「だよなー」


 愛猫のミミも同意してくれた。わたしは仕方なく、おあつらえ向きのコートを羽織った。勉強机の下には相変わらず、やぶれた水槽が寝転んでいた。クラゲはいない。


 外に出ると、さみしい寒さが頬をなでた。まっさらな雪のキャンバスに足跡をおとしながら、近所のスーパーへと向かう。くすぐったい気持ちがわたしを微笑ませた。極寒の中に浮き出ていた。見渡すと、街を包む大きな水槽にはうっすら模様が残っていた。恥ずかしくなって消しゴムで消した。

 駅の中で海を見た。流れる川のようにせせらぐ人々の中で、ホームをすいすいーっと泳いでいく。はためくスカートをヒレのように動かして、改札口に出る。弾ける電子音、下を泳いでいく電車の波に耳がくすぶる。無性に何か描きたい気持ちになった。塩水が沁みていた。

 そのうちに、遠くから友達のクラゲが泳いできた。わたしの前でこんにちわする。またあったねと言われても、なんのことだかわからない。だから言ってやった。


「おさかなさん」

「どういう意味?」


 クラゲは首をかしげる。ポニーテールが揺らめいた。魚に首ってあるのだろうか。まああるのだろう。ぽやぽやの頭をやはらかくする。


「そういえば、わたし何してたんだっけ」

「そら豆を買いに行くんでしょ?」

「そうだった」


 うっかりしていた。そら豆を買いに行く気だった。頭までおさかなに成ったら始末ができない。


「まったく、サカナはわたしが居ないとダメダメね」


 クラゲがわたしの手を取った。嬉しそうだったので、私も嬉しくなった。

 気づけば、そら豆を買い終わっていた。すでに手足はきんきんに冷えて、こたつが恋しかった。帰り道の近所のちいさな公園で、小学生が雪だるまをつくっていた。子供のころを思い出して、いびつな雪だるまが何よりもあたたかかった。

 家に帰って早速こたつの電源をつける。まだ空気はつめたい。そら豆をひろげてカレンダーの絵に目をやった。雪だるまのあたたかさだ。ミミが傍にやってきて、そら豆だけが水面に浮かんでいた。やがてこたつもあたたかくなるだろう。


 ―*=*―*=*―*=*―


 最近、ミミの様子がおかしい。

 もとからなにかに影響されておかしな行動を取ることがあった。たいてい三日坊主で、今回のもそういうのの一つだろう。いつもリビングでじぃっと座っている。微動だにしない。そしてチラチラとわたしのほうを見て、こちらも目線を返すと、たいてい目が合う。合うとすぐにミミはうつむいて目を閉じる。かまってほしいときに取る行動だった。

 しばらく放っておくとぐぅぐぅ言いながら、鼻提灯を作り始める。


「なにか言いたいことでもあるの?」

「……べつに」

「ふーん」


 となりに座って、ミミを真似して坐禅もどきをしてみる。それからというもの何も変化がないので、なにか失言を言ってしまったかと心配してみる。まあ良いかと静観を決め込んで、しばらくして飽きたのでそら豆を取ってこようとする。ミミがおもむろに立ち上がった。部屋から何かを持ってきた。

 いびつな水槽だった。


「なにそれ」

「ほら、このまえ、壊しちゃったでしょ」

「もしかして、カエルのときの?」

「そう」


 ミミはばつが悪そうに毛づくろいを始める。すこしいびつな、それでいて心がこもった手作りの水槽であった。不安そうにわたしをチラチラ見ていた。胸の奥から涙が湧き出てくるようだった。別段抵抗はしない。そういう感傷の芽生えが疑わしくなかったからだ。


「へー、へー。へー」

「な、なによ」

「ミミもとうとうデレたかー」

「デレてないし!!」


 しょうがないなぁ、と両手を拡げる。ミミの小さな体が飛び込んできた。小さい割に重いのですこしよろける。怒るので言えないけれど、わたしの家に来てからミミは大きくなった。ミミの喉を撫でてやる。ミミがゴロゴロ喉を鳴らしていた。


「ほらほら、顎を撫でられるのが好きなんだよねー」

「べつに」


 ふてくされながらも嫌ではなさそうなミミが、猫みたいに喉を鳴らした。猫みたいというか、猫なんだけど。最近なぜかそんな気がしない。ひとしきりじゃれあったあと、新しい水槽を勉強机の下に置いた。水槽にはそら豆を浮かべた。ミミの水槽には、そら豆専用の座椅子がついていた。

 明くる朝の九時過ぎ、クラゲが帰ってきた。寝ぼけ眼のわたしはミミに起こされてそら豆を準備した。美しく輝いたクラゲ日和で、水かさの増した上空の水面が陽光を反射していた。わたしにはそれがどうも不安定に感じられるのだと、クラゲに言ってみた。


「あー。気づいちゃった?」

「違うよ。ようやくみんなが追いついたの」

「それもそうにゃ」


 クラゲは嬉しそうににやけながら、水槽に入っていった。わたしも水槽の中から出るつもりはなかった。ミミも異論ないようだ。

 水槽を泳ぐ魚は私たちのことを知らない。何も知らず純粋に、整備された狭い海で生きている。それは知っているよりも幸せかもしれなかった。しかし、知らないのは私たちかもしれない。わたしたちの知らないどこかで、上位の何かが宇宙を水槽に閉じ込めて覗いているのかもしれない。もしくはのぞかれているのは心の方だ。水族館とは意外にもこの世界なのかもしれない。その水槽に映る私たちは何色で、どんな形をしているのか。誰も知らない。

 わたしはとても良く泳いでいた。それは間違いない。そのうち逆波がやってくるだろう。

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