旅の神
「サラ、私の仲間になってくれない?」
俺は信じられない提案に絶句する。サラは反対にかなり冷静なようで、フンと鼻を鳴らした。
そんなの聞こえなかったようにグレイヴさんは杖を拘束されたサラに向けた。
「バカだね、アタイらがそんな尻軽だとでも?」
「そりゃあサラちゃんのことだし簡単に寝返ってくれるんじゃなーい?秘密の神の”秘亡”に忠誠を誓っているわけでもないしその神に認められた、とかでもない。それに…君のとこの組織に恩があるとかでもないんでしょ。」
グレイヴさんの、冷たい訳ではないがまっすぐに貫くような目線がサラに突き刺さったように見えた。そうしてその目線がサラの胸を貫通して、同時にサラは少しだけ目を見開いて呟いた。
「アンタいったいどこまで…知ってんのさ。」
グレイヴさんの穏やかな表情とは対照的にサラの顔は暗いままで、むしろどんどん生気を失っているように見える。
「えぇと、失礼ですがお二人は顔見知りで…?というか組織というのは…?」
「…アタイはコイツのことなんて名前と噂くらいしか知らないよ。」
「私も会ったのは初めてー。組織ってのは、ほら前に話したやつだよ。もう消えた、秘密の神を崇めてる人たち。」
サラはずぅっと怪訝そうな顔をしてまだこちらの様子を伺っている。
そして、なぜグレイヴさんはそれほどサラのことについて知っていたのか問うと、図書館で見たと言われた。
「俺があのお爺さんについて行ってる時そんな事してたんですか。」
彼女が頷いたのと同じくらいの時にサラが顰めっ面になって口を開いた。
「ハァ…?アンタいったい何を売りつければ図書館からそんだけの情報を引き抜けたんだい!?代償はバカに高いよ!?」
声を荒げてまでリアクションするサラが見慣れない表情をしているのが、見慣れない(それほど彼女のことは知らないながらも)グレイヴさんと俺は目を合わせてお互いの目が丸くなっているのを見た。不服そうな表情をしたサラに睨まれた。
「まぁ、私も旅をして色んな人を癒して回っていたからね。情報通なんだ。君の上司たちの狙いは、この子って事とかさ。」
名指しと指差しで急に自分に話題が向けられて驚いた。
えっ?てか俺狙われてんの?
ただでさえ地元のスラムのならずものやあの兄弟やグレイヴさんに狙われてたのにまだ狙われるの?
「アンタ、本当に情報通みたいだね…でもそれくらいの脅しで寝返るような人間は秘密主義者の仲間には居ないよ。」
彼女は冷静になったのか随分と落ち着いた話し方に戻っていた。それよりも、気になることはあるのだが。
「ふたりとも、俺が狙われてるって何ですか?」
あまり口を挟めるような空気感では無いけど、ここでこれを聞くこと。それは今後誰を信じればいいのかに繋がるようなことだと思う。
「…詳しいことは言えない…ってか不透明な事が多いから、その時まで言わない。ごめんね。でも、あぁ、っと少なくとも言えること、それは…」
「やけに勿体ぶるけど、私が狙ってるのはそういう仕事だからさ。深い理由なんてどうせこの女にもないよ。」
またフン、と鼻を鳴らしてぶっきらぼうにサラが茶々を入れる。
彼女の事は気にせず、良いですよ、言ってくださいとグレイヴさんに声をかけてみたら珍しく困った顔をしていた。
少しため息を漏らしていた。
そうして、俺の肩を掴んで、目を合わせてこう言った。
「…君は、もしかしたら神の生まれ変わりかもしれないって事。」
…
…
…
「…バカだね。聞く必要ない戯言さね。そんなはず…無い。」
3人とも何を言ったら良いのか分からない空気で、最初にそれを切り裂いたのはサラだった。
対してグレイヴさんは言葉を選びつつ話していた。
「神の生まれ変わり…という可能性が高いだけなんだけど。秘密主義者のトップが随分君に執着してる…みたいでさ…」
「それ…は…?つまり…???俺が神?魔法もからっきしで…すよ…?」
「それも理由がある。けど今この場でどうこう決めれることじゃないの。どうしても。だからお願い、この事はしばらく忘れてて。」
「そんな、でも突然言われても…何が何だか…」
「とにかくあと数日、いや一晩でもいいから。この事はあんまり私にも分からないから…とにかく話せないの。」
それでは、本当にあなたを信じていいんですか。
そもそも神ってなんですか。
それがどうして秘密主義の組織とかサラに繋がるんですか。
問い詰めたいことなら山のように出てきた。
でも俺は、立ち尽くすことしか出来なかった。一言も発さず。呼吸も忘れて。
パン、と手を叩いて空気を晴らしたのはまたもサラだった。
「で、話は戻すけど。アタイは絶対に裏切らない。」
彼女はまたぶっきらぼうに、この空気に言葉を吐き捨てた。
「…そうだね。でもどうしてもお願い。それにたった今君は世界で数人しか知らない事を聞いてしまった。」
「そんな風に脅しても無駄さね。ならさっさと殺しな。」
「脅しじゃないよサラちゃん。君を助けてあげようと思ってるの。」
「アタイに救いなんて要らないよ。」
「でも、組織内で君は浮いてるんでしょ?」
グレイヴさんがそう言うと、さっきまでのぶっきらぼうで塩っぽかったサラの顔は焦りの色を見せていた。
それは少し前に庭で戦っていた時と同じような、嫌悪感の含まれた色だと思う。
「ほら、一匹狼の傭兵でしょ君は。それに秘密の神に仕える意思もないくせに、汚れ仕事ばかり請け負ってるおかげで組織内でそれなりの地位にいる。」
「アンタなんかいなくてもアタイは組織の中でうまくやれてる!」
「そうかな。上層部は君を都合よくこき使ってるだけじゃない?」
「違う…違う…!アタイは、それで良いのさ…!金と地位があれば…!」
「そっか、それで君は良くても家族のためにならないよ?家族を支えたくて組織入ったんじゃないの?」
グレイヴさんが家族という言葉を出した時、サラの顔はより感情的になった。今度は焦りというよりむしろ怒りか、あるいは、哀しみ。
泣きじゃくる子供のようにグレイヴさんに、ひたすら言葉と思いをぶつけている彼女に少し同調してしまう。
俺も、そんな風にグレイヴさんに聞きたいことがあるのに。この気持ちは、この感覚はどこにぶつければ良いのか分からない。
「そうさ…!そうさ!家族のためにむしろ組織を利用できてるじゃないか!!!」
「でも君は苦しんでるように見える。それで君の家族問題は解決するの?かえって板挟みにされていないかな。」
「フン…!アタイの苦しみなんて二の次さ!お父様に自分を示すこと…お母様や弟たちを守ることの方がよっぽど大事さ…!」
「家族のため?自分は信じていない神を崇めてる人の命令で他人を殺さないと出来ないことなのかな。」
「もう、もうアタイの家族の話はいいだろ…!」
「頼むよ、聞いて。約束する。秘密結社にいるより私についてきた方が父親は君を認めてくれるだろうし、弟たちのことも守れる。」
「うるさい…!」
「上層部に監視されることもない、利用されることもない、純粋に評価してあげられるし、何より殺人稼業から抜け出せる。」
最後までグレイヴさんが言い切った時、グレイヴさんもサラも黙り込んで呼吸の音だけが部屋に響いた。
それでも先ほどのサラの怒号が響いて、この部屋に残っている気がした。椅子に縛り付けられているのに、今にもそれを振り解いてこちらに襲いかかってきてしまいそうな彼女の姿は、異様だった。
きっとあらゆる感情が渦巻いて自分でもよく分からないのだろう。
俺に彼女よ事情はわからないし、聞いてもすぐには理解できないくらい深いような物なのだろう。俺はただ、黙って見ているしかなかった。
ひとしきり叫んで疲れたのか、サラはうなだれたまま浅い呼吸を繰り返している。
「…っんと、どこまで…知って…」
泣いているのか怒っているのかわからないがサラは感情が溢れてしまっていた。
小さく彼女の前髪が揺れている。
「ほら、束縛も解除してあげるよ。好きに帰っていいよ。そして深呼吸してよく考えて。これから自分が何するのかを。もし、もしも協力してくれるなら明日また、ここで会おう。」
そうして彼女の拘束が解けた後、グレイヴさんは俺を連れて城を出て、これからすぐそこの酒場にでも行って生き抜きしようか〜と俺に話しかけてきた。
あれほど大きな秘密を抱えておきながらいつも通りのテンションでグレイヴさんは俺に話しかけてきた。本当に先程の会話が無かったかのように思うほどいつも通りで、ぎこちなさが無くて不気味でさえある。
俺はグレイヴさんを信じているが、それ以上にただ不安だ。今後俺が何をさせられるのかとか、今後普通に生きられるのかとか、考えても仕方の無いこと。
もしかしたらサラの言うように戯言なのかもしれない。
グレイヴさんの言う通りその可能性があるだけで俺は一般人かもしれない。
グレイヴさんの言う通り忘れるべきかもしれない。
ただ数日でも。
…俺は去り際にサラの顔を見ようとした。よく見えなかったが、彼女は拘束もされていない自分の左手を眺めていた。
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酒場は先ほどまでいたあの古城の随分遠くの西にあった。古城の周りにはスラムが広がっていて酒場なんて開けないだろうと思っていたが、そもそもグレイヴさんの言う”すぐそこ”が狂っていただけだった。
しばらく汚い道を歩いていると物乞いや寝ている幼い子の気配もなくなったが、それからさらに歩いていると今度はむしろ多くの人の気配がするようになっていた。どうやら傭兵や冒険家といった人々の簡易的な拠点として利用されている土地らしく、例の兄弟ほどではないが荒っぽい人もちらほら見えた。
そうして酒場につくなり、グレイヴさんは安酒を大量に注文した。
効率的に酔えるらしい。
「俺は飲みませんよ…?ちゃんと一人で飲んでくださいね…?」
とはいえあんまりにも多く注文するもので心配になってきた。グレイヴさんは女性にしては、というか男性視点でも随分長身な人だがとはいえこれほどの水分と食事をしまっておける身体には見えない。
「だぁいじょぶ、私の肝臓と膀胱を甘く見てはいけないよ。何せ、かの有名な演者の一人だからね…!」
演者であることと強い内臓はそんなに関係ない気もしたが彼女は楽しそうだから無視しようと心に決めた。
「しかしグレイヴさん、よくサラをあそこまで説得できましたね。俺てっきり殺しちゃうのかと思いました。…っていうかその顔でしたよね。」
「馬ァ〜鹿言わないでくれよ私演者だからねぇ?命を軽く扱うなんてできないよ!てか他の演者ってさァ、まぁそもそも演者の数自体少ないんだけど、あいつら保守的な上に金に目が眩んだカスの塊だよ!?高度な医療を独占して自国に引きこもってる老害どもだよまったくー!」
「じゃあグレイヴさんはなんでその国出てきちゃったんですか?」
「おいおい私を守銭奴だと思ってるぅ〜?医療は普通に波及させた方が良いでしょ〜。てかその辺のそりが合わなくて半分追い出されたようなモンだけどさぁ。」
「…貴殿がサラを助けようとしたのも善意で?」
耳元で知らない声がした。
「あったり前じゃーん?あんな良い子が消えた神を信奉する秘密結社にいちゃいけないよ〜。てかサラは実際上層部が何を狙ってるかもわかってないだろーし。」
さて、と言いつつ彼女は机に手をついてのっそりと立ち上がった。フラフラする腕のまま自分の首を掴んだ。
その後急にピタリと動きがおさまった。自分に魔法をかけて酔いを覚ましたようだ。
サラやスラングと戦った時と同じような目をしている。
「であんた誰???」
アルコール臭のする酒場の空気。その中にいても、背中に嫌に冷たい汗が流れるのが良くわかる。
彼女が言葉を投げかけたのは俺の一つ隣の席に座っていた感じの良い青年。
不思議なことに彼は顔を覆面で隠している。
「ふむ、皆様の会話に自然に入れたかと思ったのですが…このバシラスは不覚です。」
彼は実に優雅な立ち居振る舞いで立ち上がった。彼は不気味なくらい高い身長で、俺を視界の端で捉えているようだった。
ふとバシラスと名乗った男が指を鳴らすと、彼の服装がみるみると変わった。
彼は先ほどまでラフで実に自然な色の服装だった気がするが、今は少し目立つ神官のような装束に身を包んでいた。
「ああ、誤解せずとも、私はただの酒好きでして。良い気分になった時にこちらの美少年が目についてしまいまして…少々お話がしたいと思いました。」
まぁ…確かに俺はツラが良いが男性からナンパされるのは初めてだな。
心の中でそう思っているとグレイヴさんを見ていたはずの彼の目は俺を見下ろしていた。
「…君は随分ナルシストですね。よかったです。私に似ています。」
何だか思考が読まれた気がするが、そんなことは気にしないようで、彼は立ち上がって酒場を出て行こうとした。
不思議な客人だったと彼の背中を眺めてグレイヴさんとまた酒を煽った。
最後に彼は遠くから少しこちらを振り返り、怪しげな微笑を見せていた。
「バシラス…あの人なんだか話たことある気がする…あぁでもどうだろ。雰囲気似てる人と最近喋ったっけなぁ。」
目の前のグレイヴさんはブツブツと言い、そして安酒を飲んでいた。