裏の裏
「サラちゃ〜ん、お父さんは元気か〜い???」
グレイヴさんはいつになくニヤついて…アレは多分煽っているのだろう。この世の人間がするものとは思えないくらい悪辣で嫌らしい笑顔。というか、口角をやや上にズラしたような貼り付けた笑顔。
「話をしよう。」などと真面目な顔をしたかと思えば煽り文句が飛び出るこの人はもう、最早尊敬モノだ。
「それがしたい話ってんのかい?ネジ飛んでるさね。」
俺が思った事をそのままサラとやらは口にした。元のスラングの風貌はすっかり消えて、そこには銀髪の女の姿があった。若干グレイヴさんに気圧されたようにも見えるが、その唇は、グレイヴさんに対するツッコミをした直後には呪文を唱えているようだった。「ティア…」と聞こえるとだらりと肩の力を抜いたサラがパタリと力なく地面に倒れる。
いや、倒れはしていないのかもしれない。実際、サラは地面に当たったかというところで全身が砂になった。彼女の服装や髪色と同じようなキラキラと輝く儚い砂に。
やがてどこからか穏やかな風が吹かれると、サラであった砂山はいつの間にか消えていた。
「逃げた…?」
俺はそう呟いて膝に手を置き、立ち上がろうとした。
しかしグレイヴさんは、俺に向かって全力でダッシュしてくる。今度はあの怖い真顔でだ。
やがて彼女の手が俺の服の裾を掴もうかという瞬間、俺は自分の背後に何かを感じた。なんとなく、本当になんとなく何かを察した俺は全力で前方向にしゃがむ。
それはもう、頭が庭の土に埋まるのではないかというほど。
上を見るとグレイヴさんがジャンプをして俺を飛び越えている。その目線はしゃがんだ俺ではなく、俺がさっきまで立っていた所の、さらにその少し先に向けられている。
そこには、先ほど砂になって風に攫われたはずのサラが立っていた。バツの悪そうな、というか心の底からの嫌悪の表情の彼女は俺の背中を刺そうと、どこからか取り出した短いダガーを突き出していた。
「なんだい、魔法も使えないデクのくせに。」
彼女はぼやいた。
耳の痛い話だ。
もし、もしもグレイヴさんがサラのやる事に気づかなければ、もし俺が何も察さなかったら。きっと彼女のダガーは俺の背中に埋められていた。
いくらグレイヴさんという演者がいたとて、意識外のところで死んだらそれは…
と、考えを巡らせ遅れて冷や汗をかく俺には目もくれずに、グレイヴさんはジャンプの勢いをそのまま活かすように、器用に身をよじり、ドロップキックを変な顔をしているサラにお見舞いした。
相手はダガーを構えているのにそこに飛び込むのを見ると、やはり自分自身の治癒能力を余程信じているのだろう。
だがそんな全力のドロップキックも虚しく、キックが当たる瞬間にサラはまたも砂へと変わった。彼女は体勢が体勢なだけにそのまま砂山の中に飛び込むかと思ったが、これも予想通りなのかまた身を翻して腰を低くした状態で、華麗に着地した。
彼女は、真顔だが、少しだけニヤついている気がする。
サラは流石に同じ手がそう何度も通じないと悟ったのか、今度は恭しく俺とグレイヴさんの真正面に現れた。…五人も。
ここまでくるとサラが大体どんな魔法を使うのかは見当がついてくる。彼女は、分身を操る。
最初に俺たちに接触してきた時も、どうにかしてスラングの分身を作ったのだろう。グレイヴさんが怪しんだのは今回だけだし、何より今まで特に攻撃を受けてこなかったのだから、ハナからスラングに成りすましていたという線は無いだろう。
そして今だってサラと同じ顔と同じ服装の人間が目の前に五人いる。
「デトネッド…」
グレイヴさんは杖を支えに体を起こし、続け様に魔法を放った。今度は、ハサミや鎌のような斬撃でも、釘のような刺突でもなく、ハンマーのような衝撃だった。大きな槌で地面ごとぶっ叩いたらきっとこうなるという、強い振動。それが5人のサラと…俺を同時に、土煙と共に襲った。
俺は立ち上がろうとしていたが衝撃が強すぎて若干よろめいた。そしてサラたちはというと相変わらず嫌悪か軽蔑のような表情をしている一人を残して、全員が砂に変わってしまった。
土煙を切り裂くようにしてグレイヴさんが飛び出る。
手を前に突き出し、その速度のままサラの頭を思い切り捕らえ、砂山を飛び越えてサラを地面に叩きつけた。軽く脳震盪が起きても仕方ないくらい勢いよく頭を打ちつけた。
俺は飛び散る庭の砂や土や雑草を払い、立ち上がった。正直、この二人の戦いからはさっさと逃れないと確実に命が危ない。
俺はふと逃げ際に、サラとグレイヴさんの様子が目に映った。打ち付けられたサラの表情はよく見えないが、グレイヴさんが確実にノっているのはわかる。
サラの事はよく知らないが、疑問がある。彼女の使っている魔法について。
俺が気付く事にグレイヴさんが気付かないとは思えない。だが、分身を四体作れてもう一体作れない事はあるか?そもそも今グレイヴさんが抑えつけているのは本体なのか?
そうして一瞬思考してしまった。ちょっとした疑問をふと消化しようと、一瞬動きを止めてしまった俺の首には冷たい刃物の感触があった。
いつの間にか四人分の分身の砂山は消えている。なるほど…俺が彼女の魔法を理解した直後に、サラ…本人はダガーを構えていたようだ。
「裏の裏さね…杖から手を離すんだよ!」
彼女は俺を殺すことが目的ではないらしく、俺は人質に取られた。背中から脅され、俺は両手をあげておくことしかできなかった。グレイヴさんは真顔で杖を落とす。
「演者も落ちたものさねェ。アタイの騙し討ちでどうにかなっちまうとは。」
半笑いで彼女はそう続ける。
確かに純粋な戦闘力だけなら、今しがた杖を手放したそこの美人が上だろう。しかし、こっちの銀髪が勝ったのは”俺がいたから”…それは明らかだ。俺という足枷がグレイヴさんを邪魔してしまった。それに彼女のブラフや魔法も上手かった。
グレイヴさんは何を考えているのか分からない顔で僕をじっと見つめている。しばらく俺を見つめた後、別のところに視線を送った。俺は彼女の視線の先に何があるか理解した瞬間、冷や汗が止まらなかった。
そんなことをして、しくじったなら、俺の首が飛んでしまっても仕方ないのだ。
「サラ…私が”騙し討ちでどうにかなっちまう”んだっけ。』
不思議そうな声でサラはそれに応じた。グレイヴさんは、言葉と同時に視線を俺に送る。俺にはもう道がないのだと覚悟した、というか、諦めた。ジリジリと、冷や汗のせいで体全部が、暑いんだか寒いんだか震えている。
それでもやるしかない。俺は全身に魔法の気配というか、とにかくそんなものを巡らせ、あげた両手を思い切り伸ばしてサラの頭を無理くり掴み、こう叫んだ。
「ファリスク・リック!!!」
魔法の初心者でも使える、基礎中の基礎。故に誰もがそれがどんな魔法か知っている。だから彼女はうっかり俺の拘束を緩めて、ガードに集中してしまったのだろう。シンプルな質量攻撃を頭にぶち当てられたいという人はあまりいないはずだ。
「…?」
俺の掌からは僅かに空気のようなものが漏れ出し、少しサラの髪を浮かせたくらいだった。サラも、俺自身すらも驚いている。攻撃にしては…弱すぎる!
やらかした、と思ったが、すでにグレイヴさんは動いていた。初心者でもできる、なんならちょっと前まで俺が使っていた基礎の魔法が、ここにきてスカる事を分かっていたかのように、誰より素早く動き出した。認識した時にはもう杖を拾って、構えていた。杖は俺に向いているが、彼女の目線のおかげで俺もすぐに理解できた。
俺はさっきと同じように思い切り前にしゃがみ込んだ。
何か大きな音がしたかと思い、サラの方を振り返ると、すでに彼女の腹には大きな風穴があった。
閉口の魔法をかけられたのか、彼女は口を縫い付けられたように黙っている。
「お父さんに”油断大敵”って習わなかったか〜〜〜い!?!!??!?」
この人はまた破壊衝動とやらにとりつかれたのか、あるいは地がこうなのか。
俺には判断もできない。
「”裏の裏”、の裏だよ。」
どさりとサラは倒れ込んだ。今度こそ砂ではなく、体が地面に倒れた。
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なんだかツヤツヤした顔のグレイヴさんは、サラを何度か殴って気絶させたあと、杖を相手に振った。トドメを刺すのかと思ったが、予想とは反対でサラの体は元通りに戻った。腹に開けられた穴は綺麗に塞がって、こんな風だと、彼女はただ眠りこけているだけのお嬢様に見える。
グレイヴさんがサラを背負って古城の広間の椅子へ縛りつけると、グレイヴさんは深く息を吐いた。
「ふぅぃぃぃ〜〜〜…」
わざとらしい深呼吸と共に、背を伸ばしてリラックスしているようだ。
「キミもよくやってくれたねぇ。」
急に話しかけられたので少しびっくりする。
「いやぁ、俺がいなければもっと楽に戦えたでしょう。」
「それはそうかも。」
「あんまりはっきり言われると、こう、何か来るものがありますね…」
「だって、あの場面で基礎的な魔法を空振るなんてさぁ〜」
「やっぱ杖がないとあんなもんですかね…」
「まぁ、おかげでいい騙し討ちになったかなぁ。」
そうして彼女と談笑していると、椅子に座ったサラは意識を取り戻したようで、薄目で周りを見渡している。
「…クソ、こうなったら早く殺して欲しいンだけど。」
「起きたかい。ま、そ〜んなことしないよ、ペリアーテ嬢。」
深い因縁があるのか、心底不快そうな目でグレイヴさんを睨みつける。
次にグレイヴさんが何を言うのかも知らずに。
「サラ、私の仲間になってくれない?」
俺も絶句した。