毒蛇と図書館
兄はブームで弟はスラング、二人揃って毒蛇兄弟のSnaKid。彼らはこの俺にとって恩人であった二人だ。時は数十分前、俺はいつも通り近所の人たちの手伝いでもしようと外をぶらついていたら突然ガタイの良い男四人に囲まれたのだ。かと思えば人目の付かなそうな細道に連れ込まれた。いやはや、良くて慰み者で最悪彼らの金稼ぎの道具の一つになる、だろう。俺は一応助けを求めて大きめの声で叫んでみた。助けてください、人攫いです。結局言い切る前に腹を殴られたのだが。
とはいえ助けは実際来たのだ。あの軽快な軽口と共に。
「おいおォい!こいつら良くねェ事してんな兄貴ィ!」
「ったく……ボランティアをしに来たンじゃ無ぇってのに。」
そこからはほんの一瞬だ。スラングが軽々と一人の顎を殴り飛ばし、同時にブームが一人の股間を蹴り上げる。同じように残りの二人も一撃で沈められた。これは、早業と表現するよりかは作業に慣れた仕事人とするべきだろうな。こんな雑魚の相手なんてさせやがって、とでも言いたげな目と俺の目があった時、急にスラングが叫んだのだ。
「コイツだぁぁぁぁぁッ!」
困惑と驚きが胸に渦巻く中、俺はまた拘束されていた。ビンゴ!ビンゴだ!と聞こえるのだが俺はこんな奴らに狙われる筋合いが無い。そうして、現在に至る。
今床に響くのは血の滴る音と、杖の石突が鳴る硬質な音だけだった。右腕がスッパリと綺麗に切断された男の断末魔は実に痛々しい。
「フォヴィレ……」
今度ははっきりとその依頼主の囁く呪文が聞こえた。同時に彼女が杖で床を叩くとスラングはすっかり口が縫い付けられたかのように閉口してしまった。しかし喉から出る空気は鼻から抜け、悲痛で生々しい無声音が聞こえてくる。
「ッ゛!!!!!」
叫びながら彼は膝を床につき、左腕ともう無い右腕を頭より上に持ち上げた。
あぁ、これは降参しているのかと俺はようやく理解できた。
俺を攫おうとした男たちを追い払った後に俺を拉致した、その男が今負けたのだ。一瞬も一瞬、十秒としないうちに彼は片腕を失い、膝をついてしまった。
あァ〜あ、とでも言いたげな顔の兄貴も何故か両手を挙げている。俺はただじっと依頼主の横顔と、吹き飛んだ右腕を見ていることしか出来なかった。自分の出血などもう気にならないほど、スラングの血液が辺りに飛び散っている。
「ブーム、私は少年を丁重に扱えと言ったよね。それと私が破壊の神に呪われた女ってことも。」
「その通りですぜ姉御……」
ブームは弟を憐れむような目でこの古城の床の血を眺めている。まだ決闘の気分が抜けきっていないであろう依頼主の女性は床に伏したままの俺を一瞥し、深呼吸を一つしたのであった。
俺は小汚い古城の広間に伏し、鮮血を見た。しかしどうやら、あの女性の様子の変化が感じ取れた。何というか空気感?表情というか、さっきまで殺し屋の目をしていた"姉御"と呼ばれた人が、今はすっかり朗らかで優しい「お姉さん」の顔をしている。
「あぁぁ……!ごめんねスラング、ちょっといきなりすぎたよね……!」
「ほんとですよ姉御ォ!いくらなんでも利き腕切り落とすなんてェ!いくら破壊衝動が高まってたとしてもよォ!」
先程腕を肩から切断されたばかりの男のスラングは何故だかピンピンしている。どうしてこの男は腕を吹っ飛ばされても冗談めかした言い方ができるのかと呆気に取られていると例の依頼主の姉御とやらに話しかけられた。
「ん〜……どこから説明したらいいのか分からないのだけれど……」
やはり先程までの殺意に満ちた顔が別人に思えるくらい、今の彼女の表情は緩い。
「まず、私の名前はグレイヴ。旅をしながらいろんな人を助けているんだ。私は癒演って神様を信仰していて、私みたいな癒演様の信者は”演者”って呼ばれてるんだ。これは覚えなくていいけど、アイツらはSnaKidっていう何でも屋さんね。」
"覚えなくていい"か……という顔のスラング。一方で、覚えてくれヨ?とブームはこちらに目配せをした。
「んっまぁ、あなた方の事は、はい、分かりました。」
流石に情報量が多すぎるので俺は休み休み言葉を続ける。
「で、なんでいきなり決闘してたんすか?」
「それはね、私の呪いのせいだね。言ってもよく分からないだろうから伏せとくけど、とりあえず私は時折何かをぶっ壊したくなる破壊衝動ってのが抑えられなくなるの。一人の時はいつも自分の腕とか切断するんだけどね。」
ほら、と彼女は生々しい腕の傷を見せた。正直納得とは程遠い気持ちではあるが、なんとか理解できたフリをした。
「で、なんであの人腕を切られてピンピンしているので……?」
「慣れだ慣れッ!この女ずっとこんなんだからヨ!」
果たしてそんな根性論で片腕を無くした痛みを克服できるのか?とは思うのだが。疑問を頭に浮かべていると横から女性が訂正してくれた。
「さっき言ったけど私って癒演を敬愛してるのさ。だからその力のおこぼれを頂けるんだ。細かい説明は難しいんだけども、私はその神に認められてるの。だから人を癒す魔法が得意なのさ。こうやって杖を一振りして正しい呪文を述べると色々治せるんだよ。」
そうして彼女は杖を持ち、「ヘルブラディリッサ」と呟いた。優しく白っぽい霧が湧き出て俺の足にまとわりつくと、不思議なことにみるみる僕の足の怪我が治っていく。攫われそうになった時付けられた傷が何もなかったかのように綺麗に消え去っていく。足の痛みも同時に引いていったのだ。
「これを降参した瞬間に使ったからアイツは止血できてるし、痛みもない。あの吹っ飛んだ腕だってやろうと思えばすぐくっつけられるよ。面白いから放っているけどさ。」
どこが面白い?という思いは心の奥にしまっておくべきか。スラングはもうこういうのに慣れているのか、そういうもんだぜェと死んだような目で俺に叫ぶ。
「で、少年。この日誌を書いたのは君だね?」
グレイヴさんはどこからか、ページのかけているボロボロの本を取り出して俺に見せた。
「何だい、不思議そうな顔して。君がこれを書いたんだろう?ほら、"彼の言ったことはまさに厨二病らしいポエム。だがなにか、彼の言葉には深い意味があるやも知れぬと言葉を咀嚼し、反芻し、その上で僕は眉をひそめる。"ぅ〜?」
「多分それ勘違いっすよ。だって俺日誌なんて書きませんし、てか一人称から違いません?」
「いやいや、この国にいて、魔法が使えなくて、イケメンの若者。そんなの君以外にいると思う?」
確かに、俺はこの国に生まれたイケメンだ。しかし、なんで俺が魔法を使えないのを知っているんだろう。そう、彼女の言った通り俺は魔法を使うことができない。この世界で魔法を使えない人間なんていないというのに、俺は違う。小さい頃に自分と他人との比較が出来るようになって以来の、俺のコンプレックスだ。考え込んでいるとブームが口を開いた。
「何故その事を、って顔だよなァ。種明かししてやんゼ。簡単な事だけどよ、普通の奴らと身体の出来が違ぇんだお前。魔法を使ったこと無ぇって匂いがプンプンしてんぜ。」
「え?この魔法使えない体質って匂うんですか。」
「比喩だ比喩。こればっかりは感覚だからマジに説明出来ないな、悪い。」
「う〜む……とりあえず、分かりました。でも俺はそんな日誌書いてもないし迷子でもないです!本当の本当に人違いでしょうから帰りますね。」
「いや、ダメだよ。私たちはまだ君の言葉を信じられない。とりあえずサナシさんのとこへ確認取りに行くよ!」
いやソイツ誰だよと言ったつもりだったが、俺はまた拘束されていた。外の世界の大人たちは皆こうなのか、どうなっているんだと不条理を嘆いた。
そうして俺は見知らぬ宿まで連行されていた。それほど古城から距離が離れていないのか、グレイヴさんの足が早すぎるのかわからないが、とにかくものの数分でそのサナシと呼ばれた人の元へ到着した。ちなみに例の兄弟は道中で別れた。どうやら彼らはアレでも忙しいらしく次の仕事に向かったようだ。もう会いたくないな。
サナシさんは見たこともないほどフサフサの髭と彫刻のような皺が目立つご老人だった。部屋に入るなりその老人の名前を叫んだグレイヴさんを尻目に、俺はその老人と目が合った。
「ふむ……そっちか。」
誰がそっちやねん。俺を抱えたグレイヴさんはかなり腑抜けた顔をしている。そんな表情もあるんだ。
「え゛。もしかして本当にこの子じゃないんですか?」
「じゃな。日誌を書いたやつはその男ではない……が、全くの無関係とは言えんぞ。」
その老人は、まるで俺の古くからの知り合いかのように振る舞った。いや、本当に知り合いなのではないのかと自分自身を疑うほど自然に、だ。そして彼はついに俺に話しかけた。
「お前さん、名前を言うてみい。」
「……?僕の名前は」
『キヴェルナ・アステリア』
「じゃろうな。」
彼は俺が名乗るのと同時に俺の名前を言って見せた。俺の彼に対する目線が警戒のそれに変わる。
「ま、変に隠し続けるのも違うじゃろうし言うたるわ。この女が受けてる依頼は確かに人探しじゃ。少し前にワシと殴り合い、この日誌を書いた者じゃ。お前さんは知らんじゃろうが、ソイツとお前さんは特別な関係にある。生き別れの兄弟や片割れのような存在なのじゃ。」
「……は?」
年上の人間に使うべき言葉ではないだろうがきっと彼は耄碌している。そうだ。そうとしか思えないことを、彼は言った。現にグレイヴさんも目を見開いて驚いている。
「色々受け入れられん気持ちはよく分かるが、旅匡神に誓って本当じゃ。」
「全く、神に誓われたら疑う余地も無いじゃないか!爺さん。」
「その通りですよ!俺はどうしたら良いんですか!?こんなの無視できないですし。」
それに……面白そうだ。これは口に出さないで良いだろう。
「フン。グレイヴ、前にあった時、お前さんの人探しを手伝うのはこれきりと決めたが取り消すわい。よく聞けい……」
そうしてあの老人は俺たちにこれから進むべき道を示した。個人的には片割れだの兄弟だのといった言葉がまだ現実味を帯びていないのに、グレイヴさんはこの一件に俺を付き合わせる気らしい。彼女からすれば俺が鍵になるのはよく理解できるが、いささか無理やりすぎると思う。とはいえ俺もこれから起こるかもしれない冒険に期待している節が少しある。その上若干グレイヴさんに惹かれているのもあり、もはや腹立たしいくらいだ。でも魔法の使えない男からすれば、あんなカッコイイ魔法で敵を攻撃できる人は憧れるだろう。今思い出しても厨二心を刺激される。
そうして数時間一人で悩んだ挙句、俺は彼女について行くことを決めた。叶わぬ願いかもしれないが、彼女のような人と一緒にいれば何かの間違いで俺も魔法使いになれるかも知れないしな?
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「え……?ここどこです……?」
「フッフ〜ン……ここはねぇ……」
俺がグレイヴさんについていくと決めた日の翌日、俺達は古城や宿のあった場所から離れた場所に来ていた。ここは昨日までいたところより随分賑やかな地区で、都会って感じだ。貧民街育ちの意地か何かで、都会はそれほどいい場所だと思っていなかったが、初めての都会は思ったよりも晴々としていた。冷たい目をした人はいなかった。
ではこんなところに何をしに来たのか。"図書館"という施設に行くらしい。きっと俺の想像する図書館とは違うのだろう、グレイヴさんはとても本を借りに来た人とは思えない。サナシさんは、この一件の裏にはとある秘密結社が関わっていると話してくれた。その結社の情報を手に入れられのがここなのだろう。
さて、この図書館という施設はあの古城の半分ほどの大きさだ。見たかぎり地上5階ほど、随分大きく見える。遠くからもはっきり見えていたが、近くで見てみるとこの入り口の扉でさえ大迫力だ。これほど大きな施設は都会にも中々無い。建築の様式だって他の物と似ていないのでグレイヴさんに聞いてみることにした。
「ここはね、世界各地に建ててある施設なんだよ。ここに建ったのはかなり最近のはずだけど。」
「なるほどー。通りでこの国の建築らしく無いなぁと思いました。」
「そう、これはとある団体がある目的のために建てたんだよ。」
「そんな人たちがいるんですか?ちなみに今日はどんな本を借りに来たんです?」
「本?この図書館はそういうのじゃないよ。」
彼女は不思議そうな顔で振り向いた。そのままノックを数回し、入口の扉に手をかけた。俺はグレイヴさんに続き、やたらと大きな扉をくぐった。
「ようこそミズ・グレイヴ。お待ちしておりました。」
いきなり入り口で老紳士が迎えてくれた。見事に手入れされたその白髪と髭が彫りの深い渋い顔によく似合っていた。言葉使いも相まって執事のような、丁寧な印象を受ける。
「どうも、差し上げた手紙の通りだけど、今回私の提供する知見はこの少年そのもの。代わりに近頃話題の秘密結社とやらについての情報を頂くよ。」
「かしこまりました。そちらのお方は私めに着いて来て頂きます。知見の確認が出来次第グレイヴ様は別室にて対価をお受け取り下さい。」
「だってさ。彼に着いてってね。」
よく分かっていない俺を尻目に彼女は呑気に鼻歌を歌っている。老紳士に連れられながら俺はまた不安になった。
俺は老紳士と共に荘厳な木のドアをくぐり、大きな部屋に入った。それから彼はメジャーやペンなどを用意して、まるで精密な採寸でもされそうな雰囲気だった。実際、詳しく身長や身体の検査をさせられたのだが。それだけでなく名前や年齢、これまでの人生経験まで聞かれたし、好みの女性のタイプといったことも聞かれた。多分要らないだろこのデータ。
「して、アステリア殿。何も知らないようですのでご説明いたします。当館はありとあらゆる知識やデータを集めるための施設でございます。偉大なる知識の神の意志を全うするために、ですね。」
「へぇ!知識の神って言ったら……知俗でしたっけ?じゃあ俺はその"ありとあらゆる知識やデータ"の一つとして今調べられてるってことですか?」
「ええ、まさに。魔法を使えない人のデータは流石に無視できませんしね。そしてこの施設のもう一つの特徴として、情報の交換というものがあります。情報提供してくださればこちらも、こちらの持つ情報をそれなりに提供するというものです。」
ん、てことはもしかしてグレイヴさんって俺を売った?悪い言い方だけど。とはいえこれも結社を探るためには仕方ないか。
「さて、これからもう一つデータを撮らせてもらいますよ。」
老紳士は息を巻きながらジャケットを脱ぎ、シャツの袖を捲った。彼の腕はスーツから解き放たれ太くなったように見える。筋肉の動きがなんとも見えやすい。それに彼の表情はなんだか見覚えがある。グレイヴさんや、あの兄弟みたいだ。あぁこれ嫌な予感。
「素手は久々ですが、お手合わせ願います。」
老紳士は拳を握り込んだ。




