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いふ☆いふ 〜先輩は魔法使い〜  作者: 岩流佐令
5月 体育祭&家庭訪問
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第五十五話 まさに鬼畜

「……」


 伊巫さんは黙っている。静かに、今はもう震えてさえいない全身で、その裸身で、俺を抱擁しつつ。


 着衣の俺は、ようやく気付いた。ずっと熱い抱擁を受けて、その感触と高揚に思考をかまけてしまって。


 『脚、見た……?』──


 その言葉の真意にすら、辿り着かずに。


 彼女は決して俺の股に、無作為に脚を突っ込ませたのではないと。


 その脚を──怪我をして、()()()()()()()はずの脚を、隠す行為だったのだと。


 最近、伊巫さんの生脚を見ていなかった。その想起により、やっと察することができた俺。彼女はいつもサイハイを履いていたから。黒いサイハイを。


 今日だって、一日中パジャマだったじゃないか。なぜそれで気がつかなかったんだ、俺は。とっくにヒントは出ていたのに。


 長ズボンに、靴下。

 伊巫さんの絶対装備。

 主にその膝下や脛部分を隠す為の。


 だから気が付かなかった。それがあまりにも自然な着衣だったから。


 一度気づいていたはずなのに。洗濯物を畳んでいる時、流堂さんにも軽く指摘されたことなのに。


「すみません、伊巫さん……」


「……」


「風呂電気点いていないし、音も一切しなかったので。伊巫さんいなかったし、俺すごく不安になってしまって……」


「……」


「いえ、これは言い訳ですよね。本当にすみませんでした……軽率でした」


 俺はとにかく謝ろうと思った。けれど、そんなチープな言葉しか出てこない。こういう時、自分のボキャブラリー所有率の低さに嫌気が差す。


 しかし、その俺よりも嫌な、不快な思いを、伊巫さんはしているのだろうから。


 好きでもない男に抱きついてまで、自分の傷痕を見られてしまうことを、避けたのだから。


 脚を──死守したのだから。


「……伊巫さん?」


「……」


「伊巫さん、大丈夫ですか? ちょっと反応ないのは心配なんですけど……」


「……」


「すみません伊巫さん、一旦離れますね」


「だめ」


「え」


 伊巫さんはさらに深く濃密に抱きついてきた。


 その意図は読めない。俺の体機能に読心術は完備されていない、伊巫さんと違って。


 魔法使いの、彼女と違って。


 夜が静かに騒いでいる。俺と伊巫さん以外空白みたいな、居間と同じく簡素で虚無な浴室。二人きりの、薄暗い空間。


 電気は点いておらず、照明としてあるのは居間から続く光明のみ。その延長線上に、しかしドアの角度的に入らない伊巫さんの裸身。


 その乳白色が、ほんのりと赤く紅潮して見えるのは、俺の錯覚か?


 それすら、分からないくらいの暗がり。一切の身動ぎも叶わない俺は、もうどうしようもなく。彼女の身体に触れまいと宙を彷徨っていた腕も、硬直して筋肉痛みたいに痺れ始めた。


「伊巫さん……?」


「瞑って」


「……え?」


「目。閉じて……お願い」


「……」


「はやく」


「……あ」


 ようやく目が合った。


 伊巫さんの目。暗闇に紛れてよく見えないが、その真紅の瞳は、確実にこちらを向いていると認識できるほどに。


 ずっと、目が合わなかった。俺の鎖骨辺りに埋もれた茶髪が、こちらを見上げることを拒んでいたから。


 でも今、瞬間に合った。見抜くような眼差しが、俺の心臓を何故か痛くしている。


 鼓動──


 胸の鼓動は、何かに近づくようにその警鐘だか早計だかわからない音楽を鳴り響かせる。そんなもんだから、俺は段々とわけがわからなくなって。


 調子が悪い。いつもそうだ。

 彼女といると、いつも俺の調子が乱されていく。


 天真爛漫でもない破天荒、自由闊達な気がして明鏡止水、何を考えているのかわからない、わかろうとも思わない、でもわかりかけるようなもどかしさが、俺は……。


「伊巫さん」


「……幾太くん」


「……」


「……」


「…………」


「……」


 目を瞑る。

 彼女が近づく気配。

 触れる茶髪が俺から離れた。

 上方へと移動するような仕草と一致。

 目蓋の裏に背伸びする彼女の姿が描かれ。

 期待色の心臓と血流がにわかに逸る。

 二人の間に刹那流れた空気。

 やがて閉鎖された。


 頬を叩かれた。

 パンッ。


「先出るね。藤見くんもお風呂入れば?」


「……」


 目を瞑ったままの俺は、ぶたれた頬を労るように軽くさすって。


 淡く潰えし夢の甘露を追葬した罪業に、目蓋の裏で幽遠に慟哭した。



 ■



「……なによその顔」


「……」


「風呂入ったんでしょ? よかったじゃない気持ちよくなったんでしょ?」


「アハハハハハハハハハハハハハハハハ」


「近所迷惑だから黙れ犬」


「結界張ってんだろ騙されねえぞクソ女が」


「は? なんなの?」


「こっちの台詞だクソ女。散々期待させやがって」


「? キタイ?」


「……ッ」


 首を傾げた伊巫さんは本当に何も知らないような表情で怒り心頭の俺を見上げていた。


 その彼女本人の説明によると。


・この部屋には魔法結界が張られている。

・あらゆる音声を遮断することが可能。

・危険人物を自動反射。防犯も兼ねている。


 以上が、先ほど話されたことだ。俺がお風呂をお借りして入浴した後で聞かされた。


 流堂さんにも教えられたことに、この部屋は大家さんからも「生活音が全くない」との信頼(不審?)を受けている。だから、二人入居もOKされたわけで。


 今の俺の高笑いも、もちろんご近所さんには一デシベルも聞こえない。外部への音声が一切届けられないのだから。


 その仕組みを解説すれば、これまた伊巫さんのマジカルパワーによるものだったのだ。


 で、伊巫さん入浴に関する音が一切しなかったのも、風呂とトイレには個別に小域結界を展開しているから、という理由。


 言われてみれば、朝から誰かがトイレを使った時も、水を流す音すら聞こえなかったもんね。


 とんでもない魔法だ。遮音管理100%。

 そりゃ、笑いたくもなるさ。


「じゃあなんでお風呂電気点いてなかったんですか。そっちの疑問はどう証明するおつもりですか」


「私点けない派なの」


「……でも紛らわしいっすよ」


「ノックすればよかったじゃない」


「あ」


 反論の余地もなかった。


 現在、俺は正座して伊巫さんに対面している。その彼女の方はといえば、普通に布団に寝転んで睡眠の準備バッチシ風景だ。ちゃんとブランケットも掛けている。


 敷布団は、俺が畳んだやつを再び敷いた形だ。そこにゴロンチョしている伊巫さん。仰向けである。


 ちなみに、部屋の電気はもう常夜灯に設定済み。それでも少し眩しいみたいで、仰向けの伊巫さんはパジャマの右腕で、軽く視界を遮りつつ俺と会話している感じだ。


 それでも、そのオレンジ色が微かに灯るだけの視界でも、伊巫さんアイにはどうしてか俺の表情がくっきり視えるらしく。


 先にも指摘された通り、今の俺はとても不愉快極まりない眉をひそめていることだろう。理由はもう、言わずもがな。


 『ノックすればよかったじゃない』。

 至極誠にその通りでございました。

 なんだろう……発想がなかったのかな?

 ほら俺、一人っ子だし。ノックとかいう文化ほぼないし。


「とにかくあたしもう寝るから」


「え」


 ゴロンチョした伊巫さんは、ついに俺の反対側へとゴロン。寝返りをうった茶髪は窓の方を向いて、二度とこちらに向けられることはなかった。


 水色のパジャマを着た伊巫さん。先ほど昼間のピンクのお花のやつとは違って、なにげに先月の体育館で着ていた一品でもある。理布に絡まれた件の。


 そして俺は泡まみれの彼女に抱きつかれたことにより、元のTシャツはヌルヌルべとべと。流堂さんの買い出し命令を受けて夕方買ってきた男モノのシンプルな白Tとズボンを着ていた。


 なんで男モノなんか要求するのだろう? とその買い物メモ代わりのレシート裏をしげしげと眺めていた俺だったが、宿泊という粛々と用意されていたお母様の策略、その果敢なる実行によって理解。


 遺憾なく発揮されたお母様の才覚と采配は、無事その真髄を遂行されたとは、しかし言い難く。


 なんとも不甲斐ないことに、一男子高校生たる俺は、その高尚なる神聖なる任務をあえなく失敗に終わらせてしまった。


 得てして、望みとは儚いものであり。


 かくして俺は伊巫さんとの夜のチャンスを失った。


「……」


「……」


 伊巫さんの脚。ブランケットに包まれている。


 俺に裸で抱きついてでも、死守したかった一つの秘密。


 過去。魔女の原罪。

 裁判、審判、凄惨な清算。


 俺は無意識に溜息が出た。もうほとんど一ヶ月が過ぎようとしている、例の事件から。体育館の、あの事件から。


 なのに、伊巫さんの傷は治らない。これから一生。


 縄の赤い痕の方は消えた。が、脚のマキビシの食い込み刺さった方は、本当に消えてくれないらしい。たぶんこれから永遠に、伊巫さんの生脚は拝めることはないだろう。


 ……本人が隠そうとする限り。


 これを「仕方ない」で割り切ってしまえる問題なのかどうかは、俺が定義できる範疇を超えてしまっている。


 少なくとも、一介の男子高校生に解ける問題ではないと思う。それこそ、四日後の水曜日に訪れる一学期中間試験よりも難しいだろう。


「伊巫さん……俺、」


 正座のまま、彼女へとうなだれるような姿勢。木の床に直接座っているから、足の甲が結構痛い。それすらも、俺の彼女への償いに、少しでも加算されればいいなと。


 あと、さっきも四十分ほど敷布団なしで寝ていたので割と現在、身体の節々が痛い俺である。


「あなたが見せたくないなら、それでいいです。というか、俺にそもそも、あなたを見る権限なんて無いですよね……ハハ」


「……」


 伊巫さんは向こうを向いている。俺ではない向こうを。窓際の、灰色のカーテンが揺らぐ。


 彼女の右に俺。俺の左に伊巫さん──今は、正面か。正座で向き合っているからな。


「でも俺、嬉しかったんですよ。あなたが今日家に誘ってくれたこととか、この前怪我してた時おんぶ大使に任命されたこととか、なんなら、二人三脚の練習とかも、割と……」


「……」


「だから、あんまし気にせんといてください。脚の傷とか、女の子だからとか、色々と。俺もそこら辺はあんま気にしません。脚フェチじゃないし」


「……」


 言いたいことは上手く紡げないし、最後の台詞も蛇足どころか壮大なやぶ蛇だったと言葉を放った瞬間に後悔が迸ったが、しかし伝わってはいると思う。俺の真剣な想いが。


 どうしても、ユーモラスを交えたいというか、そうじゃないとシリアスな雰囲気に耐えきれない俺もいるけれど。


 でも、そうじゃない。

 そんな茶化すような真似は、したくない。


「伊巫さん。やっぱりこれからでも、仕切り直しできませんかね? 俺と、今夜……」


「……」


「伊巫さん?」


「……」


「……貧乳」


「……」


「お酢チーズヨーグルトトベラ」


「……」


「え!? 伊巫さんまさか寝ちゃってる!? どひゃー」


 どひゃーしてすっ転ぶ俺。背中からしたたかにフローリングへとダイブ。そのまま勢いよく後頭部をゴツン……悶絶。


 ま、まじかよ……。

 寝るの爆速ッ。


「えー、俺どうすればいいんすか……? この中途半端にと切られた滾られた欲望の源泉は質量保存の法則に叛逆の旗を翻して現し世の次元を臨界突破し空中分解される感じですか?」


 あまりの衝撃に俺のただでさえ貧困なボキャブラリーが崩落した。


 伊巫さんは現在進行形でせんべい布団にて盛大に就寝の様相を呈している。グースカをぶっこいている。


 涙が止まらないよお母さん……。

 僕のチ婿からも涙が止まらないのに……。

 拭いてくれる人は、誰もいないんだね……?

 吹いてくれる人も……。


 誰か僕のディジュリドゥ吹いて……。

 寂しいよう……。

 伊巫さあん……。

 あなた鬼畜過ぎるよお……。

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