第四十八話 TVもレイディオも
「そういえば、私の自己紹介がまだだったわね。幾太くん」
「え? あ、はい」
壁に凭れ掛かっていたお母様。その姿勢を解いて、俺へと向き直った。
その手に、まるでマジカルステッキみたいにステンレスのマドラーを構えながら──ポーズをとる。
「どうもお初にお目にかかります。流堂経子と申します。命ある限りどうぞ末永くよろしくお願いします」
キラーン☆
「……」
ああ。
やっぱ血筋や。
これは伊巫家の伝統なんだ。
かわいそうな伊巫さん。こういう家庭で育ってしまったのね。もしかしたら、このお母様も被害者なのかもしれない。先祖代々、連綿と受け継がれている忌まわしき習性なのかも。
お母様は例によって魔法少女よろしくキュートプリティチャーミングなポーズ。それこそ、伊巫さんが第一話でした時みたいに。
というか、まんまその格好だ。全く同じ決めポーズ。唯一マジカルステッキだけが異なっていて。
伊巫さんは乗馬鞭。
このお方は、どうやらマドラーらしい。
20cm長くらいの、ステンレスのシンプルなデザイン。先端が小さなスプーン形態になっている。を、まるで指揮者にように操るお母様。
まあ、楽しそうでなによりです。本人が気に入ってらっしゃるみたいですしおすし。伊巫さんもノリノリでやってたし、なんか魔法使いの感性が底知れなくなってきた。
あとなんかこれ、前にも見た気がするな。もう一人誰だったか、同じふうに『キラーン☆』しいてた子がいた気が。デジャヴ。
「ん? 『流堂』……さん?」
と、俺は違和感を覚えた。
流堂経子さん。
──『伊巫』じゃないの?
伊巫さんと苗字が違う……ということは、『伊巫』は父親の姓なのか?
というかそもそも、お父様はいるのか?
「おと──」
『お父様は仕事中ですか?』と口走りかけた。
が、さすがにこの家の6畳1Rの狭さで、もう一人登場とは少し考えにくい。もしかしたら別居中とか、一人親家庭なのかもしれない。
だとしたら、それはセンシティブな問題だろう。と、一瞬にして思考した俺は、言いかけていた言葉をグッと留め、こう尋ねてみる。
「──二人暮らしなんですか?」
「そうね。私と杏子だけよ。ちなみに父親はいないわ」
「……そうですか」
割とズバッと言う人だ。さっぱりした性格らしい。伊巫さんの面影をものすごく感じる。
ああ、やっぱり親子なんだな。苗字はなぜか違うけど。
まあ、そこら辺は家庭の事情がなんやかんやあるのだろう。部外者である──否、それにしかなれない一男子高校生が、とやかく言える筋など無い。
口を挟める余地など、無い。
でも──
「あの、急に訪問してしまってすみません。お母様が在宅とは、知らされていなかったもんで。菓子詰めでも持ってこれればよかったんですが……」
「別にそんなかしこまらないでいいわよ。どうせ杏子が忘れてたんでしょ? 私が今日振休だってこと。それに、」
「ん」と、お母様──流堂さんが指し示す。
なにげにずっと魔法使いポーズだった彼女。そんなに気に入ってるのか?
おんなじ格好を続けるってのもダサいな……もう解かれたけど。
その細い人差し指の先。お菓子があった。体育祭で伊巫さんがクラスメイトからもらった大量のが、こんもりと部屋の端っこに山になって。
それを見た俺。ふっ、と笑ってしまった。
──でも、俺がいつだって伊巫さんの味方であることには、変わりはない。
苗字がどうとかは全く関係ない。伊巫さんは伊巫さん。それでいい。
流堂さんと伊巫さんが親子であることは、間違いないだろう。二人の苗字が違っていても、仕草や声のトーンでわかる。彼女たちの関係性も。
流堂さんは優しい人で。
伊巫さんのお母さんなのだと。
そして、もう一つ腑に落ちる。伊巫さんが、異様に性知識に疎いこと。俺のエクストリームを携帯と称したこと。
男親がいないから、ということか。ひょっとして、男の裸とかも見たことがないんじゃないか?
ということは、やはり伊巫さんは……。
「処……」
「あの子、馬鹿阿呆ドジ間抜けなのよ」
「えっ」
「大方、二人っきりになろうとでもしたんでしょ? でも残念、私今日休みだし。つうかこの前そう伝えたのにね。聞いてないのよあの子」
「はあ」
言いかけた俺に、畳み掛ける流堂さん。急にどうしたのかと思った。なんか愚痴が始まったみたい。娘さんの愚痴。
「しかも本人約束忘れて、普通に休日気分で昼まで寝ちゃってたし。いつもそうなのよ。私が色々言ってもすぐ忘れちゃう。でもまさか、自分のことまで忘れちゃうなんてね。人との約束くらい守れっての。昔っからそうなのよ。タカビーのくせに、身内には緩いの。おかげで私が迷惑被るんだわこれが、いつもいつも。家のことなんて全然やらないし、自分勝手で協調性ないし、ちっちゃい頃なんて目ェ離したらすぐなんでも飛びついちゃう子だったから。あんまし周り見えてないのよ、不注意よ不注意。不注意過ぎ。もはや不注意の申し子だわ。いやだ誰に似たのかしら? 絶対車とか運転しちゃいけないタイプね。私杏子の運転する車なら、例えメル○デス・○ンツでも乗りたくないわ。なんか昔っからそうだったのよ、ガキンチョの頃からね。坂道勝手に走って転ぶし、スーパー行ったら必ず失踪するし、目移りしやすいのかしら? じっとしてられない感じ? とか思ったらすごく集中して絵とか描いてる時もあるし、マジわけわからん。物とかもごちゃごちゃ散らかすし、なのに自分では片付けられないの。片付けろって言ったら泣いて喚くの。自分でやったことでしょうが、ってすごく思ったわ。まあ子どもだから仕方ないとも思ったけどさ。いつも私が全部片付けたわ。家でも公園でも全部全部。あとなんか通りがかりの人に突っかかった時もあったわ、マジで何考えてんの? 普通に怖いんですけど。本当困る毎日の連続だった。ちょっと精神的に限界でなんど叩きそうになったことか。一度揚げ物やってた時も突っかかってきたことあったわね。あれは本当最悪だった。たしか、唐揚げ? 天ぷら? かなんか揚げてた時だと思うけど。それを口にヒョイパクよ。ふざけんな。もうただでさえ日々の生活で一杯一杯なのに、またやらかすのか。とまあ、その時はそんなこと思えなかったけどね。おっかなかったわよ。全身の血が凍ったわ。幸い、痕に残るとかはなかったけど。なんておっかない子なの? これがあたしの子? もう膝から崩れ落ちたわよ。一日たりとも気が休まらない。少しでも目を離したらすぐてってけどっか行っちゃう。あとあいつ虫とかしょっちゅう喰おうとしてたやばいやばい。保育園にも預けたわ。もう気が狂いそうだったからね、あと仕事もあったし。でもやっぱり適応できないみたいで、列の順番も守れない、じっとしてられない、お昼寝の時間もずっとうるさいって先生から言われたわ。それと、他の子とも全然仲良くできないの、自分勝手だから。おもちゃ奪うし、すぐそれ失くすし、皆静かにしてる時間もあの子だけ騒ぐのよね。嫌われてたみたいよ、他の子から。もちろん親である私もね。一人だけよくしてくれたママさんがいたけど、公園で出会ったんだけど、あんまり交友関係続かなかったな、その子どもとも仲良くできなかったし。基本一人よ、私もあの子も。でもコミュニケーションすら長い間取れなかったわ、あの子と。割と五、六歳くらいまでまともに人間語喋れなかったの。なんかいつもウニャウニャわけわからんこと言ってて、それが相手に伝わらないとわかると癇癪起こす感じ? こいつ大丈夫かなって思った。赤ん坊の時も全然目ェ合わせてくんなかったし。本当にあたしは母親なのか? こいつの母親? こいつはあたしの子ども? まあ一応、自分で産んだはずなのにね。ちょっと理不尽だったけど。本当疲れてた、家にいつもやばいやつがいるんだから。もう介護よ介護。メシも着替えも歯磨きもトイレも、ずっと私がやってたわ。一人でできるようになったのが、かなり遅かった。他の子もそうなのかなって思ったけど、一番目だし情報ゼロだったけど、でも見てみたらそんなふうでもないのよね、周りは。杏子だけ変だった。すごく変でやばかった、あと小学生の時もやばかった。授業受けられない当たり前、宿題やらない当たり前、集金袋持ってこない当たり前、昼学校途中で家帰ってくる当たり前。もう本当うんざり、どころかなんか当時私もおかしくなってたみたいで、笑ってたのよね。アッハッハって、よくわかんない身体が勝手に。今思うとあれかなり極限状態だったよね、あたし。よく生きているなと思う。しかも、あいつ同級生に暴力振るったのよ。小一だったかな? 事件になった、PTAの間でも。なんかもう記憶が封印したがってるからぼんやりしてるけど。普通に女の子の顔面殴ったらしい。もうシッチャカメッチャカ。あと教室でしょんべん漏らした、三年生。墨汁撒き散らした、五年生。給食溢した、三日に一回。遅刻忘れ物常習犯、ランドセルはぐっちゃぐちゃ、いつのだかわからないプリントで地層ができあがっている。基本筆箱空っぽ、ちゃんと補充しても一週間経てば空。「失くしたの?」って聞いても、「失くしてない」って言う。嘘つけこのやろう。鉛筆消しゴムならまだいい、体育着はやめてくれ。あとランドセルな。もう買わなかったよ、別にランドセルは小学生の義務じゃないからね。でもそうするとまたギャンギャン喚く。もう勘弁してくれよやべえだろこいつ社会出て大丈夫? お前一人で生きていけんの? はい絶対無理ですねアハハハハ。人として大切ななにかが欠けてる気がするわ。だから友達いないのね。しょっちゅう男の子とかとも喧嘩喧嘩。どうせ負けるくせにつうか一対大勢でなんかボコられてたしでも誰も助けないだってふっかけたの杏子だし。なにがしたいのなに考えてんの頭お菓子なんじゃないの? あんなクレイジーなのが自分の股から出てきたってだけで人生ウルトラハッピー草畑になりそう。もう焼いて燃やしてくれ私ごと。
でもいつだったかな。なんか小学五年生くらいのある日急に落ち着いたのよね。ちょっと人が変わったというかようわからんけどまあ静かになったんならそれでいいや。他人だろうが人格変わろうが宇宙人に乗っ取られようがどうだっていい。それでおとなしくなってくれんならもうなんだって上々。ああそういやあの日から魔法使えるようになったんだっけ? よう覚えとらんけど。あとなんかの記念日だった気もするけどまあどうでもいいや。もうじっとして問題起こさなくなってくれたってだけで死んでもいいくらいだった。やっとこの永遠の呪いに出口が見えてきたんだわって思った。つうか魔法使えるようになるのもめちゃくちゃ遅いのね。激遅だわ。私だって未就学児から使えてたのに普通そうなのにあいつ全然魔法使えなかった。クソ遅い。でもまあ使えてたところであいつならろくなことにならないというか全部ぶっ壊されそうだったから使えなくてむしろ良かったんだけどね。余計な力は与えなくていいあいつの無駄に多い体力もそう。めっちゃ食ってめっちゃ動く。もう食わせなければ動かねえんじゃないかってなんども思ったもちろんやらないけどさ。ああでも魔法使いになったら大人しくなったってことは、もっと早く魔法使えてればもっと早く落ち着いてたってことかな? つかそんな事例もないけど。とにかくほんとに何もかも遅くてそのくせ足とか学習スピードとかは速いしマジわけわかんねえバケモノ? ああ学習スピードって言ってもトイレとかお箸とかお行儀とかそういうんじゃなくて純粋な勉学のことね。じゃなきゃ特待取れないわ特待取らないなら学校行くな働け金稼げ。いや働けねえかあいつ馬鹿だから。最近マシになったみたいだけど人間になってきたみたいだけど基本ケモノと一緒だからね。協調性う○このクソヒキニート。あいつまじうぜえよなあいつ家事やんないし寝てばっかだし人の話聞かんしおつかいすら行かんし自分勝手だし何考えてんのかわかんねえしコミュ障だし人のこと見下すし都合悪くなったら黙るし精神年齢ガキだし風呂洗わねえし洗濯手伝わねえし感謝のカの字も聞いたことねえし飯食うしエンゲル係数狂ってやがるし手ェ掛かるし投げやりだしすぐにどっかいなくなるし図々しいし脈絡ないしわがままだしムカつくし一緒にいるとストレス溜まるし不注意だし不注意だし不注意だしマジ親の顔見てえよこのやろう私か。
本当、杏子馬鹿なの。馬鹿馬鹿馬鹿」
「………………………………………………………………」
「幾太くんも災難ね。せっかく女の子との約束ルンルンスキップで来たのに。こんな母親同伴なんてね」
「いえ……素敵なお母様にあらせられます」
「あらありがと、うふふ♪」
「……」
前言撤回。ちょっと変なお母様かもしれない。変というかなんかもう、そんな感じのそんな感じで。過去一の台詞量。
もちろん長文台詞は〇文字換算でいいですよ。オマケですから。一日三千字書きますとも。ええ頑張りますとも。
と、その麗しきお母様、流堂経子さんは移動を開始。
先ほどまで伊巫さんが寝ていたせんべい布団のほうへと歩み寄り、それを畳みつつ会話を続行。
「黄金律って知ってる? 白銀律の対照の」
「え? 1:1+√5/2?」
「理系なのね、幾太くん。かっこいいわ。でも比じゃない方よ。例のえらい人が言ったみたいな方」
「ああ……なんか、倫理で習いましたね」
にわかに切り出し会話しつつ、伊巫さん寝具の片付けをする流堂さん。いつものことみたいな動作。
放っといても伊巫さん本人が、自分で片付けるんじゃないの?
と俺個人は思ったが、しかし流堂さんは諦めの様相。全てを悟った目で運命に抗う気力もないみたいに、着々と家仕事遂行。
その背後から、母親の色々な疲れた感じのオーラがつらりつらりと……。
「あの子はそれが下ッ手くそなのよ。ま、堪忍してやってよね。あの子も男性恐怖症みたいな節があるから」
「? はあ」
きれいに丁寧に畳んだ敷布団を、隅っこの方へと運ぶ流堂さん。部屋の脇に、布団はスッキリ安置された。
そういえば、部屋の風景をちゃんと描写していなかったな。説明しよう。
伊巫さんの自宅は、旧いアパートの二階だった。階段の手摺りとか錆びている。そこにお呼ばれした俺。約束ルンルンでノックした。どうやら、ピンポンすらないらしい。
伊巫財閥うんぬんとかご令嬢かんぬんとか、そういう噂? も学校であったけど、たぶんそんなことはなかった。普通に質素な暮らしを営んでいる。お母様と二人暮らしで。
部屋は六畳ワンルーム。玄関入ったらすぐにキッチンと居間が目に入る。風呂トイレは別。機能性はバッチシなご住宅。
しかし、6畳1Rなんて普通は単身用の物件だろう。これは後で流堂さんから聞いた話だが、大家さんから特別に許可は得ているそうな。
なにせ、生活音が驚くほど少ないそうで。むしろマナーの良い入居者だと、信頼を得ているらしい。これも後ほど、そのカラクリが判明します。
で、内装。これもびっくりするほど物がない。ミニマリストとか流行っているらしいけれど、これほどまで何も無いのも極端に珍しいのではないか?
テレビもねえ。ラジオもねえ。
箪笥も、机も、椅子も、ソファなんて言わずもがな。
ギターも、辞書も、サッカーボールも。
座椅子も、スツールも、ローテーブルも、ダイニングテーブルも、ちゃぶ台も、戸棚も、ベッドも、キャビネットも、シューズラックも、スタンドライトも、ドレッサーも、ロッカーも、食器棚も、ハンガーラックも、カーペットも、クローゼットも。
挙げ句の果て、本棚すらない始末。
まるで、『これから入居しますね!』ってなくらいの空っぽさだった。
空っぽ。本当に空っぽ。部屋に一切のモノがない。バルコニーへと続く、窓の灰色のカーテンがあるのみ。それ以外の色が全くない。壁の白、床の木の色さえ、無色に見えるほどに。
家具がなさすぎて、6畳1Rなのにすごく広く感じる。今居間にあるのは、俺と流堂さんと畳んだ布団のみ。ゴミ箱、ティッシュ箱すらない。
それと──壁に掛かった伊巫さんの制服。
フックにハンガーで引っ掛かる、JKのブレザーとネクタイとスカート。
それだけだ。それだけに、異様な部屋だった。一切の人間性を感じられない。
人が暮らしているという事実は、かろうじて壁紙の薄い汚れや網戸のささやかな埃などでわかるくらい。物質的な日常風景が、怖いくらいに存在しない……。
と、長めに黙った俺を不審に思ったか、少し眉をひそめる流堂さん。
俺は流堂さんの言わんとすることがよく掴めなかったというのもあった。そしてこれから彼女が言う台詞も、だから、すぐにはインプット出来なくて。
「あと基本杏子ほら同性愛者だから」
「へえーそうなんですね」
……?
あれ今すごく重要なことをさらっと聞き流した気がする。
俺が呆然としていると、彼女の目はチラリとこちらへ流れた。
「約束ルンルンするのはいいけど、その矛はそろそろ納めたほうがいいんじゃないかしら? たぶん杏子そろそろ戻って来るし」
「ふぇ?」
流堂さんは俺の下腹部を見ている。
まだ『バッキバキ♡』だった俺のエクストリームを。
「若いわねー。ご立派さんだわ」




