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いふ☆いふ 〜先輩は魔法使い〜  作者: 岩流佐令
5月 体育祭&家庭訪問
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第四十二話 BPM84の鼓動

「蓑路先輩。そういえば、伊巫先輩もイヌの着ぐるみでしたね」


 発言する吉井。蓑路の足が振り向く。


「おほー、そういやあな。さっきの二人三脚やろ? あれ何やったんやろなあ。一緒に走ってたのって、もしかして王子?」


「もしかしなくとも、藤見くんでしたよ」


「ん? ほな、この着ぐるみ……まさか、二人もここに来たんちゃうか!?」


 再び着ぐるみへと向かう蓑路。その手で、その床に落ちているイヌ物体を掴み取ろうとする。俺は祈るばかりだ。身体中の筋肉がこわばる。四肢に力が入る。


 屈むな。()()を取るな。取って、屈んだら、その角度から俺たちが見えてしまう。マットに隠れた俺と伊巫さんが。縺れ、密着した暗闇の男女の姿が。


 やめろ。取るな。屈むな。


 なんでとっとと出なかったんだろう、体育倉庫から。すぐに事態を把握して、脱出しとけばよかったのに。

 せっかく時間が巻き戻ったシチュエーションを、そのチャンスを、ことごとく無駄にしてしまった。


 否。それにしても、これは時間が巻き戻ったのか? しかし、この状況を鑑みるに、そうとしか考えられない。


 さっきまで俺と伊巫さんは、グラウンドでパン食い競走の場面にいた。それが、今は三時間前の、体育倉庫の現場にいる。


 そして、この巻き戻った時間軸に転移したのは、おそらく俺と彼女の二人。それだけだ。


 競走の観戦に興じていた蓑路と吉井、推察するに、その他の生徒も。彼らはこの時間軸の原住民だろう。元々存在していたやつらだ。


 つまりこいつら二人は、今から三時間後に伊巫さんが走った光景を、まだ知らない。伊巫さんが全校生徒の前でボンテージ衣装を晒したのも、またその姿も見ていない。


 だから、危険だ。ここで俺たちが見られると、先ほどの──俺たちで言う三時間前の、二の舞になってしまう。

 それは避けたい、どうしても。伊巫さん。彼女の身体は、やっぱり他の男には見られてほしくなかった。見せたくない。


 俺だけが見たことにしてほしい。俺しか、あのものすごくエロかった伊巫さんの格好を、その姿態を見ていなかったことに。俺の、俺だけの。俺だけの伊巫さんでいてほしい。


 男蓑路は止まらない。身体を屈伸させる。指が。掴もうと。その視線が。その視線を。


 嫌だ。俺の伊巫さんが見られる。どうしよう。

 誤魔化す? どうやって? 伊巫さんを庇う? 俺の身体で? 収まるか? 覆えるか? 女一人の大きさを? 肉体を? 完全に?

 そんなのは無理だ。何か布でもあれば。そんなものはない。今ここには伊巫さんの身体しかない。


 温かい身体。心臓の音。BPM84の鼓動。


 伊巫さん。



 ■



「だとしたら、今伊巫先輩は着ぐるみを脱いでるってことですよね?」


「──ん? そうやな、吉井」


「じゃあむしろ、好都合なんじゃないですか? あんなイヌ胴体で走られても困りますし。カンパした会員のやつらも黙ってないですよ」


「まあー、そやけどな。でも、この場所に誰かが来た時点で、もう状況はまずいやろ。下手したら計画がおしゃかになってまう」


「そこら辺はご心配なくでオッケーですよ、蓑路先輩。だってたった今、資材の確認はしたじゃないですか。全て抜かりはありません。

 まず、例え誰かがここへ来たところで、体育倉庫にシュークリームって、意味わかんないでしょ? 手なんて付けませんよ」


「ふーむ、せやな。確認したところ、指一本たりとも触れられてないようやし。仮に来うたとしても、別に計画に支障があるわけでもないしな。ワイらの策略、その実行者等情報含め、バレる要素はどこにもあらへん」


「そうそう。オールグリーンですよ、いや何の振りでもなく。今現在我々が可及的速やかにすべきことは、六雲先輩への報告と、斎藤くんとの最終候補人物チェックです。それによって、レースへの関与が変わってきますからね」


「おう、せやせや。本当はそこで王子を登用しようと思ったんやっけ、用具係の。まあ前回の会議であんさんの太鼓判押されたから、却下した案やけどな」


「あっはっは、藤見くんは情報リークの危険性がめちゃくちゃある男だよー。ま、それは置いといて。行きましょっか先輩」


「ん、せやな。はよう行くか吉井。行って、六雲に報告せなな」


「ほら蓑路先輩、ダッシュダッシュー」


「ちょ、待ちなはれやー。後輩のくせにー」


「あっはっは。僕たち裏ガイドブック同盟に、年功序列制度はありませんよー」



 ■



「……ぶはあッ」


 俺はマットの陰からようやく脱出することができた。崩れるように横へと倒れこむ俺の体身。

 正直、必死であった。全身の攣りとその痛み、無理な体勢への忍耐。また、薄暗く湿った狭い空間での膠着状態。もはや監禁と言っても過言ではなかった。


 体温が高いのを感じる。ものすごく暑かった。今も暑い。全身、汗やら何やらでヌルヌルのビチョビチョだ。腹なんて、体育着にホイップクリームがべっとりと染み付いている。


 ──ん? ホイップクーム? お腹?


「い、伊巫さん!?」


「……」


 完全に失念していた。俺は彼女を手足で拘束していたのだった。さらに、その口を右手で塞いでいた。咄嗟に外す俺。伊巫さんの気道を確保する。


「伊巫さん、大丈夫ですか? 息できますか!?」


「……」


 俺は彼女の上体を懸命に揺さぶる。ぐったりとした女の身体は、俺の上から動かない。やばい、軽く窒息しているかもしれない。急いでマットの上にその肉体を乗せ、仰向けに安置させた。


 かくれんぼで死にかける。これは本当に危険だ。俺が男二人から見つからないことと、自分の攣った部位の痛みに気を取られていた為、彼女の健康状態に気を遣う余裕がなかったのだ。

 さらに追い打ちのように、四肢に力が入ってしまった所為で、抱き締めていたその彼女をより苦しめていたのもある。


 とにかく、俺はぞっとした。真っ青な俺、そして伊巫さんも。反応が全然ない。頬をペシペシ叩いても、肩をガクガク揺さぶっても、伊巫さんは目を瞑って気を失ったまま、全然反応がなかった。

 死んではない。死んではないはずである。心臓は動いている。が、呼吸をしているのかしていないのかわからないくらい、弱々しい鼓動だった。


 どうする? 人工呼吸? AED? 心臓マッサージ?


 とりあえず保健室にでも担ぎ込むか? ──


 バチバチィッ。


「ゥビクウ!?」


 突如、伊巫さんの身体が青く光った。と、彼女は覚醒した。


「……藤見くん」


「伊巫先輩! 起きたんですか!?」


 伊巫さんが目覚めた。呼吸はまだまばらなものの、無事に意識を取り戻したようだ。魔法で自力AEDでも掛けたのか?


 とにかく、俺はめちゃくちゃ安心した。誤って彼女を天界に送り出すところだった。


 いや、そんな聞こえのいい言葉を使ってはいけない。俺は本当に、彼女を殺してしまったかもしれなかったのだ。普通に事件であり、罪である。自分たちの身を潜めることを優先させて、一番大事なことを見落としてしまっていたのだから。


 本当に申し訳ない。どころじゃ、済まない事態だった。今ここで必要なのは、謝罪じゃなくて刑法である。それほどまでのことをやってしまった。


 先月の胸を触ってしまった時もそうだったが、俺は本当に伊巫さんに犯罪を働きすぎている。不同意わいせつ罪、過失傷害罪。危うく、その命まで奪ってしまうところだったのに。


 俺はのうのうと生きている。本人のすぐ傍で、しれっと生活している。もう一生頭が上がらない。


「あなた……力、強すぎ……」


「──ハッ」


 俺は気付いた。伊巫さんを苦しめた力。それは、まごうことなく俺だ。俺がかなり全力で、彼女の身体を拘束して、圧迫してしまったのだ。伊巫さんは女の子なのに。


 本当に華奢で、腕とかどこも折れなかったのが、むしろ奇跡なくらいだ。ところどころ痕がついてしまっている。俺が掴んだ痕。握った痕、抑えた痕、捕らえた痕、抱き締めた痕。


 その頬には、右手で塞いだ俺の手の形が赤くくっきりと。お腹には、同じく左手で締めた腕の形に。


 それが横たわっている。顔に白濁液を無秩序に無造作にかけられたまま、息もかすかに荒くうっすらと涙目でぼんやりしていて、満身熱い蒸気と芳醇な女性の香を放つ、弱々しく四肢をマットへと投げ出しているボンテージ姿の伊巫さん。


 俺は、今彼女がマットに息切れてこれまでの俺が与えた苦しみに顔を紅潮させながら寝転んだ姿がクソエロティックとか、そういうことすら考えられない。考えられない。


「すごく痛いし、苦しかった……」


「……すみません伊巫先輩」


 俺は謝る。地面に膝をついて正座して。こんなんで許されるとは、無論一ミリたりとも思っていない。今はただ自首する前に、被害者に平身低頭で誠実に謝罪するだけだ。それしか、今の俺にはできそうもない。


 伊巫さんはそんな俺の上から、マットに横たわりながら覗いている。彼女が上で、俺が下。位置的にも精神的にも、そういう構図が出来上がっていた。

 その彼女は今膝を立て、顔を右腕で乗っけるように覆って、まだ仰向けだ。俺と視線を合わせるつもりはないらしい。


「……」


「…………」


 静寂。彼女は何も言わない、俺は何も言えない。言うべきなのだろう。もっとちゃんと謝るべき。


 しかし俺の頭は、彼女が静かにしてほしいと思っているのか、とか、俺がさらに何度も謝ったところで、そんな無様な醜い男の姿を彼女も見たくはないんじゃないか。

 もっと不快にさせるだけじゃないか、とか、そんなことを思考している。


 から、まともに声が出ない。次の言葉が、出てこない。


「藤見くん」


「はい」


 開口したのは、伊巫さんだった。その声を聞いて、やはり静寂、俺の沈黙はまずかったんじゃないか、とか、先にこちらが切り出すべきだったんじゃないか、とか。

 もうぐるぐると脳味噌が回転する。


 けど、それも全部無駄なのに。俺が考えつくことなんて、八割が保身だろう。

 本当に伊巫さんを思う行動、その正解が全くわからないのだから。


「これじゃあ、この後の競技が出れないわ……」


 吐息混じりに、白濁液まみれ衰弱横たわりボンテージ伊巫さんが言った。


「あなたが代わりに、あたしの種目出なさい」


「はいわかりました」


 俺に今言える言葉。それはyesしかなかった。

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