第四十話 彼女のカラダは止まらない
『プログラム第五百十二番。最終種目パン食い競走です。選手の方々は入場をお願いします──って、うええ!? ちょっと!?』
アナウンスちゃんが珍しく狼狽している。無理もない。俺は泣きそうになっている。
「な、なんだあの格好は!?」
「やべえだろR15タグ付けた?」
「付けてない。誰か付けて来いッ」
「すげ……かっけえ」
「you're a bit crazy………」
全校生徒が激しくざわめいている。無理もない。俺はマジで泣きそうだ。
「……」
グラウンド中央、200mトラックの一レーンに無言で並んでいる。他の馬みたいに陳列した競技者とは、明らかに様相、というか趣旨の異なる人物。今現在この体育祭、その雰囲気を乱しに乱しまくっている、ボンテージ衣装の女子生徒。
──伊巫さん。彼女の姿だった。
なんで出ちゃうんだよ。なんでそのまま出場しちゃうんだよ。意味がわからないわけがわからない。頭がおかしいとしか思えない。
俺は混乱していた。先ほど体育倉庫から退出した格好そのまんま、つまり例の露出激エロボンテージを存分に校内へと晒している伊巫さん。あんなに、蓑路と吉井に見られた時、この世の終わりみたいな表情をしていたのに。
今なぜか学校中に晒している。why?
嫌なんじゃないのかよ。俺がおっパイ触った時とかも泣いちゃってたくせに。なんだろう、見られるのはいいのか。でも、さっきの蓑路組もそうだが、二人三脚の時も「下 (ボンテージ)を見られるのは嫌」的なことを言っていた気がするのだが。
もしかしたら、彼女もこの体育祭の狂気に当てられてしまったのかもしれない。俺とその他男二人に自分の格好を見られて、その視線に割と慣れてしまったのかもしれない。
そう俺が思考してしまうくらい、伊巫さんはとても堂々としていた。凛とした佇まいで、まるでそれが普通の服であるかのように、顔を赤らめもせず。いつものクールビューティな表情で、第一レースのコーナーをスタンバイ。
なんか堂々としすぎて、むしろカッコいい。伊巫さん特注の戦闘服みたいな感じ。男どもの目つきも、『うひょー』が一割くらいの猛者で、あとの九割は『ふつくしい……』みたいな傾向だった。女子生徒たちもその黒光りした、そんじょそこらの男よりもキリッとしている伊巫さんの風貌と迫力に見惚れている。
「藤見はん。あれは何や……ワイらは何を見ている?」
さっきまでどっかに行っていたのを、今応援席に戻って来て俺の隣にいる蓑路。彼もその謎の神々しい光景に感化されて、ついにその手に握ったインスタントカメラをゴトリと落とした。
それで俺はハッとして、自分の──さっき蓑路にもらった、俺専用のチェキを構えた。咄嗟に、それもほとんど無意識的に、シャッターを押す。カチリと小さく、しょぼい音が鳴った。
『そ、それではon your marks……』
気を取り直してアナウンスちゃんが号令をかける。クラウチングスタート伊巫さん。お尻がほぼ丸見えになる。胸の谷間が強調される。前からも後ろからも、極めて際どい光景だった。
『Set……』
間が長い。アナウンスちゃんもかなり混乱しているようだ。というか、放送委員も体育祭実行委員の一味なら、仮想競走であんな衣装が入っていたことも知っていてほしいけれど。
誰だよボンテージなんて入れたやつ。まあ伊巫さんは割と一般的な体格だから、サイズは一般女子体型のを用意していればそれでよかったのだろうが。いや、むしろ悪かったと言うべきだろうか。彼女が着られてしまったことを。
で、その伊巫さんはと言うと。合図でそのガーターベルトを付けた腰を、高く上げて静止していた。とても洗練されたパフォーマンス。クラウチングスタートだけでも絵になる、芸術点満点だ。それはもはや、後ろの競技者が──
ッタアアアアアアアンンンンンンン!
──合図が鳴り響いても、誰もスタート出来なかったくらいに。
伊巫さんが一人駆け抜ける。すぐに達したトップスピードを維持しつつ。フライングではない。他の競技者が皆、出遅れたのだ。
他競技者はハッと我に返って、走り出す。が、もう遅い。伊巫さんの超人的な速さ、それから一秒ほどで二十メートルくらいまで引き離された距離には、追いつけない。
全校生徒が見る。その視線は、今やたった一人のむちゃくちゃかっこいい女子生徒に向けられて。風になった伊巫杏子。たぶん週明けの登校日からは、『漆黒の女豹』とかいうあだ名が付けられているに違いない。
伊巫さんがパンにたどり着く。これも、一瞬でかぶりついて取得する。
そのまま着地し、ゴールまで駆け抜けた。
──と、思いきや。
■
伊巫さんの身体が宙に浮遊している。
「……!」
俺は瞬時に察知した。彼女の地面から三ミリ浮いている設定。それが、パンにかぶりついたことによって、高く激しく跳躍したことによって、魔力暴走を起こしたのである。
もうこの辺は、容易に推測できた。ただ、いきなりのことで俺の身体も、ただ立ち上げることしかできなかったが。
魔法使いの伊巫さん。不注意の伊巫さん。パンを口でキャッチしたその勢いのまま、空中を水平飛行してレーンの上を通過。なんなら、ゴールテープも破らずにその上を飛行して通過。その口に、パンを袋ごとくわえたまま。
異様な光景だった。少なくとも、人間業ではない。確実に、彼女が人間じゃないことが全校生徒にバレただろう。
伊巫さん。彼女は魔法使いである。
と、そこまで推察できる者もいないだろうが。でも、それに準ずる超能力的何かを保有する人間であることは、まず間違いなく披露された。
飛行する伊巫さん。彼女自身も制御できないらしく、受け身すら取れないまま、ひっくり返った奇妙なポーズで空を慣性の法則で移動。人間がそのまま野球ボールみたいにストライクで投げられ、飛んでいる風景だ。
そして、彼女の身体は止まらない。ゴールを過ぎても、トラックから出ても。投げ出された軌道は弧すら描くことなく、一直線にグラウンド最果て、コンクリートの的当てへ。学校の校庭に常時生えているやつだ。へと、激突する零コンマ一秒前。
俺は駆け出そうとした。が、絶対に間に合わない。伊巫さんはコンクリートの壁に激突するだろう。そのまま、常用自動車よりも遥かに速い勢いで。衝突して、クラッシュして、ミンチになるだろう。高校二年生女子の身体は、ボンテージ衣装と混じったミートソースとなるだろう。
目を逸らす暇もなく。耳を塞ぐ隙もなく。
今度こそ確実に死んだ伊巫さん。自身の魔法が暴走して、パンをくわえたままボンテージ衣服で宙を飛行しコンクリートに激突、あえなく沈没。
■
世界。時が止まる。
校庭に──否、学校全体に。
校舎を、グラウンドを、離れ校舎も中庭も、包み込むように。
もっとかもしれない。もっと広く、大規模なものかもしれない。
とにかく俺の、伊巫さんの、いや人類の足元には。その地面には。
巨大な魔法陣。が、描かれていた。
その魔法陣が青く光り出して。俺の鼓動が静止する。世界の鼓動が、静止する。
時が完全に停止した。すべての音、動き、流れ、五感も生命も消滅する。
そして──繰り返す。
■
「ハッ」
鎮座。
ちんざ。
チンざ。
──チン、座。
伊巫さんは俺のエクストリーム棒にRide onしていた。
その美しい顔に、白い粘度のある半透明の液体を、べっとりとぶっかけたまま。




