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いふ☆いふ 〜先輩は魔法使い〜  作者: 岩流佐令
5月 体育祭&家庭訪問
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第三十六話 体育倉庫と静寂と

 俺は周囲を見渡した。とてつもない静寂。校舎が、グラウンドが、廊下が、図書室が、観客席が、ありとあらゆる物見台が、俺たちを見下ろしていた。


 俺たち。もう明日はない。わんわんお状態の伊巫さんにはあるかもしれない。が、俺には確実にない。こちらは完全に身バレしている。顔が全開、体育着全開だった。こういう時、身を隠せる着ぐるみの彼女が羨ましい。いや、元凶はまさにその着ぐるみなんだが。もはや気狂み(キグルミ)といっても過言ではなかった。


「先輩……俺、終わりました」


 ここで「伊巫さん」と呼ばなかった俺は結構優しいと思う。彼女の名前を出さないようにしたのだ。仲間は売らない。俺はそういうタイプである。


「なにが終わったの藤見くん」


 静寂を切り拓く声。あなたは俺の名前普通に呼ぶんですね。ちょっとは協力してもいいじゃない。「佐藤くん」みたいに違う名前で呼ぶとかさ。


「なにが終わったの佐藤くん」


 今さら遅い。読心術も意味がない。この設定が役に立ったことがあったか? いや、無い(即答)。たぶんこれからもないだろう。嘆きつつ、俺は空へと視線を投げる。


 ああ。空が青い。今日はとてもいい天気だ。雲一つない快晴の天空。空気が美味しい。これが最後の呼吸か。次の瞬間、俺は終わっているのだろうから。


 でも、あまり後悔はしていない。伊巫さんと走れて、楽しかった。練習の成果が報われた感じだ。少し不本意な勝ち方ではあるが。優勝は優勝である。とても心地がよい。これだけで、頑張った甲斐があったと言える。嬉しい。生命の躍動だ。


 そして俺は終わる。イヌと融合した果敢な男の物語は。全校生徒の前、ムードぶっ壊し恥さらし高校生の生涯は。この謎の忌まわしい気狂み(キグルミ)とともに、ゴールテープ向こう側の勝利のEDENへと飛び立つ。……


「「うおおおおおおおおおおおおお!!」」


「……?」


 謎に歓声が聴こえる。気の所為か?

 俺の浮遊したゴーストがその囁きを聴いてしまったか?


「すげえ! めっちゃ速くなかった!?」


「マジかよ、あの格好で!」


「追い抜いた! お犬が追い抜いた!」


「誰だよ上手いこと言ったの」


「オリンピック! むしろオリンピック!」


「ඔයාට ඇත්තටම පිස්සු!」


 ゴーストの声は、何故か称賛の嵐だった。俺は驚く。めちゃくちゃびっくりする。予想だにしない展開だったからだ。反射的に、横を見遣る。伊巫さんわんわんお。彼女も、こちらを見ていた。


 気狂み(キグルミ)──いや、着ぐるみの中で、たしかに頷いているのがわかった。やり遂げた。そんな表情をしていた、しかしイヌの顔で。


「世の中そんなに卑屈になることないわよ。認めてくれる人だっている。අපි තරණය කරන ලෝකයේ යක්ෂයෝ නැහැ。そういうことよ」


「……」


 どういうことかよくわからなかったが、しかしなんとなく伝わった。空を見上げる。それを取り囲むような校舎。広々としたコンクリートの箱庭。そこには、生徒たちが、仲間たちが生きていた。応援してくれていた。勝者に、俺たちに、清々しいまでのシュプレヒコールを歌って。


「「いーぬっ」」


『あそれ』


「「いーぬっ」」


『あどした』


 なんか、犬コールが巻き起こっていた。なんだよ「いーぬっ」って。めちゃくちゃ語呂悪いじゃねえか。それと、アナウンスちゃんがなにげにノリノリなのが解せぬ。体調優れないんじゃなかったのかよ。


 というか、斎藤優秀過ぎるだろ。保健係斎藤氏。あいつがすごく傍に寄り添って丁寧に介抱したおかげで、彼女さっきより元気ハツラツじゃねえか。


「先輩どうしますか? なんか犬コール出てますけど。トンズラします? でも、この状態でまた走るのも、その経路すらも見当たりませんけど」


「うーん。どうしましょっか」


「たぶんまた結構手間掛かりますよ、足の縄解くの。かなり食い込んでますからね。これちょっと落ち着いて座りながらじゃないと、作業しづらそうですが」


「うーん。じゃあちょっとこの場を収めましょう」


「ふぇ?」


「ほいっと」


 バキッ。


 犬の首が外れた。例の独特な脱着音だ。


 伊巫さんが、着ぐるみの頭部を解除した。わんわんお伊巫さん〜完全体〜から、人面犬伊巫さんへとジョブチェンジ。にわかに静まる学校全体。その正体(顔)を現す伊巫さん。ざわざわと、歓声とはまた違った声が聞こえてくる。


「ま……まさか」


「伊巫さん?」


「二年A組の?」


「え、あの鋼鉄の?」


「あの歩く絶対王政の?」


「伊巫財閥のご令嬢の?」


「家が貧乏で努力家の?」


「全自動トラウマメーカーの?」


「【魔法陣(マージナル・)結界:(フィールド:)最果ての(ファーゼスト・)一暴十寒(バニシング)】の?」


「で、でもあのクールビューティーでらべっぴんは、絶対に伊巫さん以外ありえない……」


「මම ඔයාට ආදරෙයි……」


 ものすごい憶測が飛び交っていたが、伊巫さんであるという共通認識は得られたそうだ。あとさっきから異文化交流が激しいやつがいる。


 シュプレヒコールはピタリと止み、辺りは今度こそ本物の静寂が広がっていた。水を打ったような静けさだ。ざわめきも収まっている。


 伊巫さん……本当に、どんなキャラなんだ?


 全く正体が知れない。むしろ、わんわんおを取ったことにより、俺の謎の方が深まってしまった。疑問は絶えない。が、伊巫さんは歩み出す。周りのことなど、まるで意に介さないかのように。胴体イヌのままの動態だ。俺の足は、ほとんど自動的に付いていく。


 どうやら訓練によって強化されたのは、俺の方もらしかった。計五回に渡るハードな二人三脚練習。何回も転ぶ伊巫さんを、半強制的にサポートしなければならない状況。


 俺の足はいつの間にか、伊巫さんが歩き出す方向を見極める能力を体得していた。それで、いきなり歩き始めた伊巫さんにも付いてこれた。


 歩を進める伊巫さん。半分イヌ状態だから、『伊巫わん』でどうだろう。へと、引っ付く俺。彼女が転ばないような慎重な足取りで。


「伊巫さん……いいんですか」


「まあ別にいいわよ。下を見られた訳じゃないしね」


「下……」


 下とは、例のエナメルボンテージのことだろう。顔は見られてもいいのか。なんとも潔い。


 と、その顔をご拝見した全校生徒たちの奇異の目、その凝然とした冷淡さ。の、視線の波を、しかし全然気にせずウィンドウショッピングすらせず掻い潜り、校舎裏へと進んだ伊巫わん。


 彼女は体育倉庫までたどり着いた。人はいない。そもそも、実質的な競技自体少ないからだ。(ほぼアナウンス、三十二話参照)


 用具係の俺は知っている。しばらくここ、グラウンド側の体育倉庫は使用しない。これからの競技で必要となる道具は、主に地下アリーナの倉庫の方にあるからだ。だから、向こう一時間はここへ誰も来ないだろう。


「ここなら誰も来ないわよ。さ、縄を外して藤見くん」


「あ、はい」


 伊巫わんの言う通り、人が絶対に来ない場所である。薄暗いし、空気が湿っているし、割と埃くさい。本当にこの間掃除したのか?


 そりゃあ、こんなところ来ねえよな。来たくねえ。いくら観戦席がフリーダムだと言っても。たぶん今日使用したのも、用具係の俺くらいだ。


「うん……?」


 あれ。今日ここ使ったのは、俺だけだと思ったけど。でもなんか、人が入った形跡。


 なんだろう、あれ。惣菜パン?


 ──みたいなのが、スーパーの買い物カゴの中に詰め込まれ、同じくカゴに入ったサッカーボール群生地帯の上に、積み上げられている。


 ちゃんと個包装のやつだ。全部種類が一緒らしい。でも、フィルムには何も書いていない。商品名すら銘記されていない、普通に透明な燃えないごみのフィル厶だった。


 が、衛生管理はちゃんとしている。フィルムはしっかりしているし、窒素充填しているし、何より、場所もちょうど良かった。人には適さない暗所だが、パン、それも大量には適しているだろう。


 何パンだろう。アンパン食パンカレーパンの類ではないな。メロンパンでもないし、ロールパンでもクリームパンでもない。というか、パンと言うよりも。


 ……あれはそう、()()()()()()()


「なにボーっとしてんの藤見くん。早く縄解いてよ。ちょっと座らせて」


「ああ、すみません」


 ボーっとしていた。完全にそのパン光景がシュールだったからである。


 伊巫わんに指摘された俺は、二人の足を括って離さない縄を解き始める。これがなかなか上手く行かない。


 と、伊巫わんがマットに座った。陸上用の着地マット。走り高跳びとかによく使うやつ。彼女の脚が一本、俺の方へと投げ出されている。その先に繋がる、俺。


 座る伊巫わん。

 見下ろされ、懸命に足の縄を解く俺。

 体育倉庫には、誰もいない。……


 静寂。


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