第三十四話 大いなる違和感
絶句状態の俺は、犬の背中から出現したその黒い革を見る。
「伊巫先輩……これ、ボンテージですか?」
「まあ、そういう見方もあるわね」
そういう見方しかない。
伊巫さん着用犬の着ぐるみ、その内部から現れいでし謎の黒物体は、まさにボンテージ衣装そのものだった。それが、彼女の背中含め肉体を、覆うようにして纏われている。
「なんか中途半端ね。全部脱がせなさいよ」
「あ、はい……」
伊巫さんに促され、俺は着ぐるみを全部引っ剥がした。中途半端に開かれていたチャックを、全開にして下まで降ろす。
完全着ぐるみ解除伊巫さん。
その姿、もはや異様。何故、普通の高校にこんなご立派な女王様がいるのか。そもそも何故、こんな衣装が学校に保存されていたのか。わからない。用意周到にも程がある。むしろ、誰かが狙ってやっているとしか思えない。大いなる意志を感じる。
「さすがにこのカッコでは出歩けなかったのよ。だから、着ぐるみ着てきた。これは予備というか、くじ引きで余っちゃった分ね。ま、重ね着厳禁なんてルールもないし、終わるまではこの着ぐるみでいさせてもらうわ」
と、伊巫さん解説。どうやら彼女の本当の衣装は、こちら、ボンテージだったらしい。くじ引きの意思により導かれたという。
それがあまりにも際どかったから、残り物の着ぐるみを上に着用した。犬を被った。ボンテージinわんわんお。そういうことだった。
たしかに、あまりにもこれは際どい。伊巫さんが、俺に正面を向く。体育座りで、脱衣した犬の皮を傍に置いている。衣装が俺に見える。
「これ、見せちゃっていいんですか? 俺に……」
「ん? まあ、藤見くんなら……まあ」
曖昧な返事を返す伊巫さん。なぜか目線を逸らしている。
その格好。布(革?)面積は、だいたいビキニと同じだ。が、腕と脚は黒いエナメルに包まれている。グローブとハイヒール。つまり、四肢は基本的に黒い感じだ。肌色面積はない。
注目すべきに、その脚。ガーターベルト。もちろん、スカートはない。黒い、これまたエナメルのビキニパンツの上。その腸骨稜に引っかかる感じで、取り付けられたガーターベルト。無論、これも黒い。
お尻が若干見えている。今は体育座りだが、立ったらものすごい景色だろう。Tバックほどじゃないが、脚の付け根がうかがえる。
胸。ビキニ。というより、ハーフカップブラジャーに近いか。が、みぞおちくらいまで面積が続いている。黒い。えろい。
謎に中央にチャックが付いている。上方から、胸の谷間を通過して、みぞおちのところまで。下ろせば、言わずもがな。えろい。
衣装はどうやら、ワンセットらしい。全体に統一感がある。ガーターベルトもセット品だ。黒光りしている。えろい。
極めつけに、首輪だ。わりと大きめの。ベルト。犬の首輪。さっきは気が付かなかった。着ぐるみに埋もれて、見えなかったらしい。ずっと着用していたのか。ボンテージなのに首輪。もはや、受けなのか攻めなのかわからない。えろい。
えろい。
「……藤見くん?」
「ハッ」
桃源郷に行っていた。現実世界へと帰還する。伊巫さんの声。
「フッ……なんですか伊巫さん?」
「なんでちょっと爽やかなのかはわからないけれど、もうすぐ時間よ。午後の部が始まるわ」
「あれ……いつの間にそんな時間なんですか? というか、先輩ご飯食べましたか?」
「……さっき済ませたわ。それに、この後パン食い競争もあることだしね。あんまし食べ過ぎちゃうと。余分をね、一応」
「はあ。お腹の余分ですか」
なにげにもう、午後の部開始の五分前だった。体育館舞台側の時計が、そう示している。現在、一時二十五分。
ちなみに、開会式が九時半で、閉会式が五時半だ。そう考えると、ものの三時間で午前の部、プログラム三百九十三番まで進行及び敢行したのが、恐ろしい事実であった。
すげえな。まあ、そのほぼ九割がアナウンスだったのだけれど。
「あら。藤見くん行かないの?」
「え……その格好で行くつもりですか」
「あ」
伊巫さんはなんと、着ぐるみを着るのを忘れていた。そのまま、歩を進めようとしていたらしい。
立ち上がった彼女は、自分の格好にやっと気づき、再びしゃがみ込む。
見えた。立って、彼女が出発しようと踵を返し、俺に背を向けた時。その美しいキュッと引き締まったお尻が。黒い漆黒の革衣装に包まれた、光り輝くほどの白いフルーティーなお尻が。見えた。
「……着せて」
「はい」
えろい。うっかりお尻披露伊巫さん。しゃがみ込んで、じっとしちゃってる伊巫さん。えろい。
俺は床に落ちていた着ぐるみを差し出す。受け取る伊巫さん。もそもそと犬の皮を被る。と、俺に無言でチャック閉めを要求。
チャックを上げる。もう完全に犬の背中だ。頭だけが人間の顔。かなりシュール。そして、バキッと犬頭部を装着する彼女。付ける時にも、そのエグい効果音鳴るのか。伊巫さんは、すっかり色気など無くなってしまった。エナメル消失、こんにちは、わんわんお。
はあ。なんか犬を恨みたくなるな。いや、犬自体になんの罪もないけどさ。『わんわんお』ってこういう意味かよ。期待して損した。
でも、お尻……えろかったな。
「じゃ、行くわよ藤見くん」
「……」
「? 行かないの?」
「うんまあ。先行ってていいですよ」
「……? せっかくだし、一緒に行きましょうよ」
「いやほらね? まあまあまあ。お先にどうぞ」
「なんで」
「なんでも」
「……なんで?」
「……なんでもです」
「……」
「……」
察してよぉ。
いや、察せられても困るんだが。
皆にはわかるだろう。男にはたまに、立ち上がれないこともあるということを。
いやまあ、立ち上がっているからこそ、立ち上がれないのだが(やかましい)。
「なんで? 藤見くん」
「うおっ」
こ、ここで攻めてくるか伊巫さん。
彼女は再びしゃがみ込むと、俺の前に四つん這いになって尋問した。見上げ、体育座りから動けない俺を覗いている。それはまさしく、犬のポーズだった。
……が、格好も犬である。着ぐるみの格好。
俺の俺は、だんだんとしょんぼりしてくる。着ぐるみはさすがになぁ。ちょっと、ごめんなさい。シュチュエーションがだだっ広い体育館ってのも、本当にシュール過ぎた。俺はそこまで猛者じゃない。遠慮させてください。
と、俺のもしっかり遠慮した。うんうん、えらいぞ。体育座りの足でなんとなく隠していたのを、解放する。俺は立ち上がった。もちろん、足のほうで(やかましい)。
「うん。それもそうですね。せっかくだし、一緒に行きましょうか」
「……なんなのよ」
俺は爽やかに伊巫さん(犬)を誘った。既に弁当箱は片付けている。それはいつの間にか、中の白飯が無くなっていた。
まあたぶん、自分でも気がつかないうちに食ったんだろう。なんかさっき俺が桃源郷に行っていた時に、話しかけられた際に、伊巫さんが俺の箸と弁当を普通に持っていたようなビジュアルが、今浮かんだ気もするが。
まあ、もうオカズは食べ終わっていたし、米もちょびっとだったから、別によかったんだけどね。
「……うん?」
「どうしたの藤見くん」
「いや、なんかおかしいなと思って」
「気の所為よ」
「……」
俺は無性に違和感を感じて仕方がなかったが、主に伊巫さんが俺の箸と弁当を持っていた気がする部分に、強烈な違和感を感じざるを得なかったが、華麗にスルーする方向に定めた。
うんうん。気の所為だ。
──俺の箸?
──「さっき(飯を)済ませたわ」?
……気の所為だ。
そして体育祭後半戦が始まる。
事件は、そこからだった。




