第二十六話 そんなことはない
ゴールデンウィークだった。
計四日間の、スペシャルな休み。
しかし、俺はこれといってすることもなかった。ただ毎日洗濯物を干して、ゴミ捨てして、掃除機掛けて、買い物して、風呂掃除してただけである。
マジで何も無い。無だ。無である。
いつも通りの家のタスクをこなして、学校から出されたしょぼいプリント課題を終えたあとの俺は、特にすることもなく。
吉井にも声を掛けたが、あいつはバイトで忙しいらしかった。
うーん、バイトか。俺はやったことないな。まあ、高校生になってまだ一ヶ月だから、あんまし考えてなかったけど。まあ、普通に恵まれてる環境なんだ。ありがたい。
それと、週末にばあちゃん家で掃除しに行ってるので、月五千円頂いてるしな。
そもそも俺、物欲ほとんどないし、娯楽費は一切掛かってないと言っても過言ではない。
ケチなんだ、俺。割とね。
「……」
──ハッ。いつの間にか寝ていた。
ああ、だめだ。人間、やることないとすぐ堕落してしまう。そうそう、勉強とか……それはなんか嫌だな。
つーか、趣味とかも全然ない。ゲームも画面酔いするからほぼしない。テレビゲームをたまに、少々。
友達も少ない。誘う相手も、もういない。斎藤の連絡先は知らん。衛府さん? 言わずもがなだ。
伊巫さん──彼女の連絡先も知らない。住所も。
……長いな。
あれ? 一日ってこんなに長いもんだっけ?
なんか、時間の流れが遅く感じる。伊巫さん。……あ? なんで今あの人の名前を?
「伊巫さん……」
ポツリ、呟いた。独り言だ。
なんでこんな言葉を言ったのか、自分でもわからなかった。ただ、その名前を呼んだだけで、身体中の血が巡るのを体感する。
彼女──先輩。あの人。あいつ。
結局あの日、彼女を見つけることはなかった。たぶん、そのまま帰ったんだろう。……どうやって? 足を痛めているのに?
まあ、あの人は曲がりなりにも『魔法使い』なんだ。いざとなったら何でもできそうな人だ。大丈夫だろう。
それに、やっぱり『あれ』は。
──あの、何回も俺に迫ってきた異常な様子は、やはりコイツの所為なんだろう。
と、俺は手に持った小瓶を眺める。例の紫色の液体が入った小瓶。
媚薬(伊巫さん曰く)だ。
その内容量は、彼女に使った分だけ減って、今は半分ほどの中身となっている。
その半分の一口を、飲んでみた。が、普通に着色してある水みたいな感じで、特に俺には作用しなかった。
「……女性限定かな?」
俺は疑う。
でも、伊巫さんのあの痴態(もはやそう言ってもいい)は、間違いなく本物だった。本物の効果だった。
だから嘘……では、ないんだろうたぶん。
いつか検証してみたいな。俺の仮説が正しいとすると、他の女の子にも効くはずだ。
が、誰にする? そこは慎重に吟味しなければならない事項だ。
……思い当たる件数、0。
はあ。ま、いつかわかるかな。とりあえず取っとこう。
「せんぱい」
俺は再び呟く。今度は名前ではない、代名詞だ。
が、鮮明に思い出される。もちろん──伊巫先輩の姿。
……なんなんだろう、さっきから。
これじゃ俺がまるで、伊巫さんのこと。……
「ハッハッハ。そりゃーない」
ハッハッハ。俺は笑い飛ばす。
いや、あの人に恋愛感情とかそういうのは、絶対にない。断言できる。
あの人は……そう、手が掛かる。
何考えてんのかわかんないし、常に乗馬鞭装備だし、下手したらそれが俺に振るわれるし、めちゃ痛いし、魔法使いとかわけわからんし。
命令するし、割と投げやりだし、ぱんつ見えるし、いきなり脱がされるし、いきなり脱ぐし、また鞭打つし。
すぐにどっかいなくなるし、とか思ってたら捕まってるし、おっパイは柔らかいし、なんか気絶するし、カクーンってなるし、痛いこと(物理的にも精神的にも)ばっかするし。
図々しいし、ご飯いっぱい食べんのギャップ萌えだし、いきなりビンタするし、脈絡ないし、襲ってくるし、可愛いし、心配だし、意地が固いし、子供っぽいし、いつも唐突だし。
見下すし、乗っかってくるし、太腿も柔らかいし、意味わからん、頭おかしいし、綺麗だし、髪がちょっと外ハネで茶髪で可愛いし、目つきがキリッとしててクールだし、鼻筋が通っていて、スタイル良くて、おっパイはちょうどいい大きさで、いい匂いして、腕が華奢で、でも程よく柔らかい、指細くって、俺より全然手が小さくて、鎖骨が流れるようで、肩が滑らか、腿に張りがあって、肌が綺麗で、お腹もびっくりするくらい綺麗、くびれてて、めっちゃえろい、腰が片手で掴めそう、身長がイメージより低くて、でも気迫というか生命の輝きみたいなのがあって、身体軽い、ちょうどいい重さ、おんぶするとすげえフィットする。
「……うん?」
あれ?
……いやいや、違う。あの人は本当に駄目な人だ。わがままで、キツいし、強引だし、ムカつく、一緒にいるとストレスが溜まる。
俺のことをこき使うし、あまり感謝しないし、伊巫さんおんぶしてると背中あったかいし。
おや?
……いっつも無表情だし、ホント何考えてんの? マジ意味不明だし、な、泣いちゃったし、なんか本当申し訳ないし。……
え?
……でもいつも通り接してくれたし、俺の背中で寝ちゃうし、可愛いし、ぎゅってしてきたし、すげえやーらかい。
ぬぬ?
……可愛いし、美人だし、何考えてんのか知りたいし、抜けてるとこあるし、可愛いし、おっパイ柔らかいし、可愛いし。
「……うん」
良かった。
やっぱなんとも思ってないや俺。
うんうん大丈夫☆
ハッピー!
■
ゴールデンウィークが終わった。
俺は今、二年A組付近の廊下に来ている。
結局なんにもしなかった俺は、その長い休みを寝るか散歩するか家事するか寝ただけで、その他有意義なことは何もしなかった。
ちょっと日本語おかしいね、重複したね。
だからなんとなく学校を待ちわびてたふうなのに(学校嫌いな俺が?)、いざ登校となると、なんだか行きたくないような気もしてきた。
ふと、玄関で靴ひもを締めていた時に、伊巫さんのことを思い出したのだ。
静止する。指が、止まる。
ああ。どんな顔して会えばいいのかな?
あの日──媚薬の一件で、なんとなく顔が合わせづらい。
なんかもう二度と会いたくないようで、それでいて、もう一度、毎日会いたいような気もした。なんなんだろう。
で、十分くらい迷った挙げ句、やべえ遅刻するってなって、しょうがなくチャリを飛ばした。
まあ、いつもかなり早めに出てるから、遅刻するっつーのはほぼ無いけどな、確率的に。
正直、学校に来たくなかった。こんなに憂鬱な朝は初めてかもしれない。いつも週初めはゲンナリだけど、今日のはなんか種類が違う。
手が震えるような緊張だ。どうしたんだろう。本当に、なんなんだろう。
今もすごく緊張している。なんで?
喉が渇く。頭が痛い。指が痺れるようだ。
が、来ざるを得なかった。ここ──二年A組へ。
伊巫先輩。『全治一週間ちょい』(自己診断?)だと言っていた。休日で四日経ったものの、あれから──マキビシダイブから、ちょうど一週間だ。
まだ、『ちょい』の部分が残っている。
それに、結構な痛がり方だったし、やはり傷は浅くはないんだろう。心配……なのかな、俺は。
ちょっと違う気がする。なんか放っとけない。まだ彼女は痛いんだと思う。どんな具合か知りたかった。
だから、ここへ来た。──
「……」
来た、は良いものの、まだ一歩も踏み出していない。階段を下って、廊下の見渡せるところに壁に隠れている。A組は西階段のすぐ近くだから、わざわざ東階段から行った。
……何故だろう? そんなに俺は見つかりたくないのかな?
せっかくきたのに? 挨拶すらせずに?
じゃあ、なんの為に。
「あっ」
と。
──伊巫さんだ。
伊巫さんが、見えた。
教室から出てくる。歩いてくる。
……その手で、廊下の壁際を支えつつ、えっちらおっちらと伝いながら。
「……ああ」
伊巫さん。何やってんですか伊巫さん。
やっぱまだ完全に治ってないんじゃないですか。
つーかめっちゃ歩くの遅いっすよ。何なんですか。効率悪すぎませんか。──
「伊巫先輩」
──など、思うまでもなく。
俺は何も考えず、彼女の前に立っていた。
自然と言葉が、出る。
「先輩。おんぶしてください」
「……は?」
俺を見上げる彼女。訝しんでいる。
そりゃあそうだ。挨拶も無しにいきなり現れた瞬間、だもんな。
だが、そんな反応の映像も、すぐ頭の中で消えた。俺は彼女を担ぐ。
「え、ちょっと」
相変わらず伊巫さんの反応は薄い。まあ、こういう人だ。割と感情を表に出さない人らしい。特に、人の前だとなおさらだ。
クラスの人々(二年生)が、俺の方をチラチラと見る。伊巫さんをお姫様抱っこした、廊下の壁際に突っ立ってる俺をだ。
が、そんなのはどうでもいい。まずは、彼女をこの前通り運び出すのが先決だった。
俺は伊巫さんに尋ねる。腕の中の伊巫さん。
温かい、絶妙な重さの、怪我人で、心配で、すっぽりと収まって、可愛い。
そんな、伊巫さんに。
「伊巫さん。次の授業どこですか?」
「……いやホームルームだし」




