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いふ☆いふ 〜先輩は魔法使い〜  作者: 岩流佐令
5月 体育祭&家庭訪問
26/59

第二十五話 if

 縄痕。体育館、一昨日、マキビシダイブの時の。

 男・理布に縛られ、連れられ、吊り下げられた行為、魔女の裁判、変革の罪、清算、その代償。

 その痕跡が──今、伊巫さんの胸に。

 みぞおちに。

 鎖骨に。

 肩に。

 首に。

 二の腕に。

 前腕に。

 手首に。


「伊巫……さん、」


 ──付いていた。まざまざと。

 ──刻み、込まれていた。


「……」


 女はまだ黙っている。その目つきは野獣の眼だ。

 今、彼女の姿は半裸と言ってもいい。下は制服スカート装備。下半身は問題ない。が、上半身はたった今俺の腕でもがいて、ブレザーと、白い長袖Yシャツを脱いだばかりだ。その内側の黒いスポブラが正々堂々、露わになる。

 伊巫さん。彼女の身体だった。

 縄痕は赤々と、その白い肌に纏わりついていた。絡む注連縄の如く丈夫で堅殻な螺旋、這い上がるうねり、伝い昇るような、禍々しい蛇の道。

 赤い。限りなく赤い。肌の白さがよりその色味を強調させる。人間・縄文土器。ただし、その表面は今まさに動いていて、生きている。……

 そして、その顔も未だ赤く染まったままだった。


「……伊巫先輩。帰りましょうよ、ほら……」


 何言ってんだ、俺。もっと言うべきことがあるじゃないか。大丈夫ですか、とか、痕残っちゃってますね可哀想に、とか。ちょっと適切なのがあまり思いつかないけど、でももっとマシな台詞があったハズだ。『帰りましょう』なんて、ただ自分が帰りたいだけじゃないか。自分が、俺が、現実から目を逸らしたいだけじゃないか。

 ああ、どうすればいい? あまりの光景に思考が追っつかない、停止している。

 ただ、哀れだった。その女の子が──目の前のたった高校二年生の女子が、その胸に残した傷痕。あまりにも理不尽な惨状。脚の包帯だけでも痛々しいのに、さらに視覚的に強烈なインパクトが、伊巫さんの上体には漂っていた。

 痛い。見てるこっちが痛い、生々しい皮膚のスタンプ。消えない朱肉で押されたような。それがあたら若い肉肌に、巻き付くように。


「……」


 が、彼女は揺るがなかった。依然としてテーブルにしがみつき、意地でも動かない様相である。何をそんなに主張したいのか? 何が彼女をそこまで執着させるのか? わからない。……


「伊巫さん……ほら。け、怪我だってまだ残ってるじゃないですか。今日はもう帰りましょう。ほら、明日からはゴールデンウィークだから、ゆっくりできます、してください。だからもう、一緒に帰りましょうよ……ね……」


 俺はふらふらと彼女へと歩み寄る。正直、怖い。傷痕もそうだし、何よりそれに彩られる女の気魄、猛獣の様な拒絶メッセージに恐れ慄いていた。

 でも、だからこそ、彼女をここに残してはいけない気がした。このまま放っておくと、この人はどうなるかわからない。顔が赤くて、呼吸が荒くて、パニックになっているようだ。だからそれを落ち着かせないことには、何も始まりそうもなかった。

 まずは、落ち着かせよう。伊巫さんも混乱してるんだ。一旦冷静にさせよう。


「伊巫先輩。ちょっと深呼吸してください。必要なら保健室行きましょう、大丈夫です。俺も付いていきますから、」


 パンッ。

 ──頬を叩かれた。


「……」


 近づいた俺に、伊巫さんが左手で叩いた。俺は右頬を庇う。さっきも理科室で、叩かれた部位。

 伊巫さんの顔を見る。あ……こんなハズじゃなかった。そんなような表情をしている。

 ──が、俺の理性の箍が外れるのが先だった。


 ガッ、と、彼女の振るった手を掴む。左手首。折れそうなほど細い。枝みたいだ。

 そのまま、手に力が入る。と、女の苦痛の表情。反対の手から、すぐに反撃が出る。──鞭だ。

 しかし、俺は見切っていた。たった今も左手で叩かれたからだ。素早く、掴む。今度は右手首。鞭が地面に飛ぶように落ちた。そのまま、勢いで彼女は後ろへ倒れる。また、それを掴んでいる、俺も。……


「……あ」


 これは俺の声だったのか、伊巫さんの声だったのか。俺は伊巫さんを押し倒していた。下に、彼女。

 その表情は真っ白だった。驚愕と混乱と恐怖が急激にない混ぜになって、何もかも失せてしまったかに見える。ただ、頬だけが赤く紅潮している。その潤んだ瞳が、俺の目と合う。俺の眼だけを虚ろに見つめている。

 俺は混乱する。自分でも一瞬、何が起こったのかわからなかった。

 縄痕。こんなに近くで見ても、いや近くだからこそ、やっぱり、なおのこと、赤い。彼女の肌は全て熱い体温によってこれも赤くなっていたが、それよりもこちらの模様のほうが、際立って赤く映った。その残酷な太い縞々は、黒いスポブラの下まで線路のように絶え間なく続いている。ああ、綺麗な鎖骨だ。流れるように、窪んで。……


「──あっ」


 今度は確実に俺の声だ。咄嗟に彼女から離れる。何もかも忘れている。

 ……あれ? 俺何してたんだっけ? え、伊巫さん? なんで彼女が俺の下に? ああ、俺が押し倒した……?


 途端、全身に鳥肌が立った。

 やばい──()()()()()()()

 体育館。思い出す。土下座、俺の謝罪。

 ──伊巫さんの、『涙』。


「すみません……本当に……!」


 俺は再び土下座した。ああ、なんてことをしてしまったんだ。ちくしょう、もうやらないって誓ったばっかじゃねえか。何でまた悲しませるようなことするんだ、俺は。

 ……もう離れよう。伊巫さんと一緒にいたら、彼女が不幸になる。思い上がりだったんだ、自分が役に立てるって。……あれ? おかしいな、俺は伊巫さんのタクシーをやりたくなかったんじゃないのか? 慈善なら絶対に嫌なんじゃなかったのか? あれ、あれ……? な、何なんだろう。え、なんで俺怖いんだろう。俺は伊巫さんの役に立ちたい? そうじゃない? 関わりたくない? 二度と、会いたくない……?

 あ……俺、震えてる。な、何でだろう。……


「……幾太くん」


 ハッとする。伊巫さんが呼んだ。振り向く。

 伊巫さんは上体を起こしていた。じっと俺を見つめている。表情が読めない。が、狙うような、鋭い目付き。

 と、突然俺の上体を起こさせた。土下座が解除される。すると、彼女は少し膝立ちになって(その顔が、一瞬痛覚に歪まされながら)俺の、土下座で正座した腿の上に着席した。


「え」


 な、何だ?

 ちょっと何が起こっているのかよくわからない。

 え? 何で先輩、俺の上に乗っかってるんですか?

 え、え、顔近くないっすか?

 なんか、徐々に、徐々に。……


「うオおおおおおおおおおおおッ!?」


 バッと咄嗟に手を繰り出す。俺は伊巫さんの顔を止めた。その頬と口に被せ、マスクでもさせるかのように。


「ま、また!?」


 なんと伊巫さんは再び猛攻を仕掛けてきた。すごく混乱する。俺に? デジャブ?

 さっきと全く同じ光景だった。唯一違うのはシチュエーションのみ。さっきは壁沿いに立ちながら、今は座りながら(それも伊巫さんon俺の腿)。

 わ、わけがわからない。……頭がおかしいのかこの人?


 そんなに、意地でも帰りたくないのかよ!

 そこまでするか、普通!?


「伊巫さん! あんた本当に馬鹿ですね!」


「……むっ」


 お、なんか怒ってる。やっとまともな反応が返ってきた。二話分くらい、まともな台詞が無かったからなあ。今もだけど。

 とか思っている間にも、伊巫さんはどんどん侵略してくる。今度は俺が押し倒されそうだ。ダメダメダメ、なんの為に俺は土下座したんだよ。しかも二回も。人生において土下座なんて、ここぞという時ですらほぼ使っちゃいけないんだぞ? それが二回もだ。

 もう本当にどうしようもない人だ、この人。何も反省していない。今俺に押し倒されて、怖かったんじゃないの? なのに今なんでそっちが押し倒してんの? ちょっといやかなり異常だよね。理解できませんよその行動原理。

 ああもう、そう思っている間にも全然止まってくれない、つかめっちゃ押してくる、徐々に徐々に!

 俺は叫ぶ。様々な祈りを込めつつ、校舎の外にまで聴こえるような大音声で。


「だから、駄目ですって先輩! 何考えてんすか。こういうのはちゃんと大切な人と、結婚してからしてください!」


 俺はバッと彼女を引っ剥がした。部室内に、シン……と余熱が響き渡る。

 ちょっとベタな説得だったかもしれない。が、意外と彼女はすんなりと受け入れたのか、微動だにしなくなった。

 ……本当に、微動だにしない。


「……伊巫さん?」


 顔を覗き込む。俺の上に彼女の顔がある。乗っかってる高低差だ。そしてその顔は、硬直していた。無表情。少し、ほんの少しだけ、目を見開いた。

 瞳に、色が映った。何か、寂しいような、悲しいような。全てを諦めたような、色。──と、


「けっ……こん?」


 伊巫さんが繰り返した。首を僅かに傾かせる。肩にまで届くか届かないかといった茶髪が、ゆらり、その動作に合わせて揺れ動く。流れる、微妙な静寂。


「えっと。どうかしましたか?」


 俺は伊巫さんに尋ねる。何がそんなに不思議だったのか。もしかして『結婚』の意味がわかんなかったのだろうか。それはさすがに無いだろう。高校二年生だぞ? そんな無知でもなかろうに。

 と、伊巫さんはおもむろにに立ち上がった。するとスタスタと歩き、そばに散らかっている白シャツとブレザーをひょいと取る。そのまま着る。そのまま帰る。


「って、ちょっと! 伊巫さん!?」


 呆気に取られていた俺は、部室を自然な流れで出ていき、ドアをぱたんと閉めた伊巫さんを追っかけた。そのドアをバン! と勢いよく開ける。

 が、廊下のどこを見回しても、出てきたばかりの伊巫さんは、しかし既に見えなかった。


 誰もいない廊下。ふと、部室を振り向く。

 一切の音がしなくなった下校時刻の離れ校舎に、春の柔らかな風が一つ吹く。

 それが、空間から切り離されたような部室へ、カーテンをふうわりと優しく揺り動かした。


 ……



 ■



 そして。

 彼女が、俺を襲うことは。

 押し倒すことは。

 もう二度と。


 ──無かった。

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