第二十四話 馬鹿と調教師
「うオおおおおおおおおおおおッ!?」
俺はグバッと手を引っこ抜いた。伊巫さんから離れ、めちゃめちゃ震えている己が右手を眺める。その狂ったような震動具合に、なんか一瞬人体の不思議とか生命の波動みたいな高尚なことを考えてしまう。
うわすげえこの震え方。バトル漫画みたい。ククク遂に俺の真の力が覚醒したかー、とか思うくらいに俺は頭の中が混乱していた。
「……」
伊巫さんが、舐めた。
その当人はまだ無言電話みたいな悪質さで黙り込んだまま、こちらに視線を送り続けている。
ブルブルと肘先からバイブレーションする俺の手。ちょっと恐いくらいに。……これ大丈夫かなあ。なんか血管の一本でもやってんじゃねえの?
「いいぢyいyきいいtjtjkxkkじきいいいいいちちい伊巫っっさあんk」
「……」
「hdhしぃ伊巫さん、l−dkjcbdんkな、なんでkdbfj……」
やばい。手が震え過ぎて、まともに台詞がタイピングできない。これじゃあ無駄に文字数が稼がれてしまう!(やったね)
「……は、」
と、伊巫さんは吐息を出す。やっと出したまともな台詞がそれか。その色さえ付いていそうな熱い呼吸が、再び離れた俺のもとへと迫る。
俺は避けたとき伊巫さんの横を抜けたから、今は窓際にいる。そこへ彼女の身体が迫りつつあるので、結果的に二度目の壁ドン──今度は俺が窓に背を付くような形になる。
……窓ドン?
「ちょ、伊巫さんどうしたんですか? やっぱ具合悪いですよね。なんか顔がものすごく赤いし息も絶え絶えでフラついて俺に凭れ掛かっちゃうくらいですもんねぇアハハハハ!」
俺はなんとか視線を逸らす。グイイと首を180°回転させると、窓の景色が見えた。グラウンドだ。テニス部が練習試合をしている。お、あれ衛府さんじゃね? すげえ。めっちゃアタックしてる。おーい衛府さんやっほー。
──なんて、言える体勢ではなかった。
そもそも今この光景を誰かに見られたらやばい。俺に迫りくる伊巫さん。窓から見えたらどうしよう。とっととこっから離れた方が、
「……」
むぎゅっと♪
俺の胸板に伊巫さんの〜同〜が、押し付けられた。
「ぎゃあああああああああああッ」
正面からの攻撃。背面はさっきおんぶで慣れていたが、これは想定していなかった。不意打ちである。
「ちょチョチョイ・ちょチョチョイ・伊巫先輩!(語呂良し、七五) 何やっとるんですか!? こんなとこ誰かに見られたら──」
と、またもや女の顔が迫る。ああもうやめてくれ。無限ループじゃねえか。どうしたんだこの人。頭がおかしい。やべえ。──と、
ガツッ。
伊巫さんの膝が当たった。何に? ──壁に。
瞬間、電撃は奔る。彼女の顔が徐々に真っ青になっていき、俺以上にガクガクブルブルする。
伊巫さんの膝──怪我、マキビシダイブの後遺症。思っきし棘が食い込んだ部分。痛い痛い痛い痛い。伊巫さんはちょっと冗談じゃないような痛がり方をしている。もっとも、表情には決して出さないように踏ん張ってるらしいが。
が、そんな虚勢もやがてもろとも崩落する。その儚げに墜ちゆく肉体とともに。
「ちょ待ーーーーーーーーッ」
俺は叫んだ。そのまま地面へ尻からふうらりと脱力、追突せんばかりの伊巫さんを抱き抱えながら。
伊巫さんは自滅した。俺に迫って窓ドンし、前進したその勢いで、膝を壁にぶつけたのだ。そして痛みのあまり半失神、後ろへ倒れかけたところを、俺のすかさずのキャッチ&引き寄せ。
ちょっと体勢がツライのでそのまま地面に下ろす。伊巫さんは床にぺたんと座る形だ。俺はそんな彼女を見下ろし、嘆息した。
……ああ、馬鹿だ。この人は馬鹿なんだ。こうやって無闇に動いて怪我してぶっ倒れて、全部自己責任なのに。俺がいなかったらすぐ不注意で事故にでも遭って死んでしまう。こういうやつは車とか運転しちゃ駄目だ。絶対に事故る。俺だったら伊巫さんの運転する車は、例え○ンボル○ーニでも乗りたくないね。
「伊巫さん馬鹿ですね本当にアホですよあんたは。ふざけんな。おら痛いんだろ。もう動くなっておらおら」
「……!」
俺は伊巫さんの脛をペシペシと叩いた。すげえ痛がってる。包帯に巻かれた脚がビクビクと痙攣している。鬼畜の所業だ、傍から見ると。
でもこれはしょうがないだろ? 今俺めっちゃ怒ってるもん。本当に馬鹿だよこいつは。あれか? すぐにぶっ倒れる癖でもあんのか? カクーン癖か? 俺が受け止めてなかったら床へ臀部から衝突、あの勢いだと下手したら尾てい骨折れてたぞ。本当に意味がわからない。また怪我したいのかおのれは?
「おいお前。もう帰るぞ。住所教えろ」
伊巫さんを担いで、言った。お姫様だっこだ。腕を肩から強制的に引っ張り立たせ、その膝に俺の腕を回す。これ結構面倒いんだよな。起き上がる時とかまあまあ腰に負担がかかるし。個人的にはおんぶの方が圧力分散するし、やりやすい。
部室内を歩く。もうこの格好でも絶対に校舎を出る。なんなら学校の外でタクシー捕まるまでこのまんまでもいい。捕まんなくても絶対帰る。外の人の目はウ○コだと思えばいい。お姫様抱っこ帰宅。その俺はたぶん鬼のような形相をしているのだろうが。
「……う」
と、伊巫さんが突然暴れ出した。俺の腕の中でもがく、まるで体育館の時のレインちゃんみたいに。あの時はおんぶだったけど(その猿のようなフィジカルで振り回され、半分肩車状態にもなっていた)。
しかし伊巫さんは違った。こいつは彼女みたいに圧倒的やじろべえ的舵をとらないから、バランスを取るのがクッソムズい。腕の中で唐突に動き出したこいつを、俺が落とさないように重心を左右させなければならなかった。
「何なんだよまた落下したいのか? 馬鹿やろう。お前怪我人なんだぞ、じっとしてやがれ」
俺の口調は、もう遠慮も配慮も無かった。本当に疲れていた。いちいち気ィ遣って、朝から授業が終わった後すぐこいつの所行って「次の授業は何ですか? 何処まで運びます?」とか言っておんぶして、自分でも関わった責任というか体育館のことを見ちゃったものはしょうがないから放っとくのは後味が悪いからこうして運んでやったのに、それなのにこいつは全然ありがたがってる風でもない。なんだよ「くるしゅうない」って。ふざけんな俺はマゾじゃねえんだ。完全なる慈善なら絶対にやってないね、こんなこと。ああもう本当にイライラしてきたホントむかつくなこいつ、大人しく入院でもしてりゃあいいんだ馬鹿。つーか全治一週間なんて病院行ってもねえのになんでわかるんだよ。自己診断で勝手言ってんじゃねえぞ、一生残るやつとか長い間生活に支障来すやつとかだったらどうするんだ。あとその痛がり方とか反応、やっぱ骨もいってんじゃねえのか? おいどうなんだよ。つーか喋れよ会話しろよ。さっきからずっと、今だって全然人間の言葉を喋りすらしないで無言を貫き通しやがって、ガキみてえにジタバタしてやがる。こいつ俺の年上だろ? マジで頭おかしい。おいてめえ動くな、絶対降ろさねえ逃さねえ。だからほら痛えンだろ、俺も手に力入っちまうんだよお前が動くと。本当何がしたいんだてめえだから動くなって、危ねえだろ動くな動くな服を脱ぐな──
──服??
なんと伊巫さんは上半身を脱衣した。俺の腕の中で。もがきつつ。
「は!?」
思わず手を緩めてしまった。その隙に彼女は地面に降りる。否、降りるというよりは上体をひねり、着地に失敗した猫みたいにどちゃっと落ちた形だ。──結局落としてしまった。
いやでも彼女自ら落ちたというか、俺は落とすつもりは毛頭なかったし、それに伊巫さんは降りる(落ちる?)瞬間、俺の顔面に華麗なるパンチを喰らわせて身体を離脱させた。故意だ。自業自得だ。
「……ッ」
地べたに落ちた伊巫さんは、そのしたたかに打ち付けた左脇を庇いつつ這うように部室内部へと戻る。脚も打ったのか元々痛いのか、まともに歩けないらしい。
俺は彼女を抱っこしながら移動し、ドアに頑張って手を掛けようとしていたところだった。そこで伊巫さんは何故かどうしても部室に留まりたいかのように、再び室内中央の会議テーブルのとこまで這って移動する。
そしてその上体は、これまた何故か(俺を動揺させ、隙を作るため?)脱いでいて、下着一枚の姿になっていた。
スポブラ。黒い、ヨガ用みたいなすっぽりと着れるやつ。あまり色気はない。見てる分には健全なやつだ。
が、健全じゃない光景が一つばかりあった。
「……伊巫さん」
俺は息を呑む。怒りすら激情すら消えてしまうほどの、強烈なる光景。
しかし当然といえば当然だった。俺が見たことないから発想に無かっただけで、それこそまさに人体の仕組みというか、単純な物理法則であった。
「……」
伊巫さんはテーブルの下で上体の起こしつつ、振り返り俺の目を見る。女は、野生動物みたいな目付きだ。
その上半身──胸部、腕部、手首に掛けて、痛々しい縄痕が蛇のように彼女に巻き付き、刻み込まれていた。




