第二十話 DIVE!!
舞台上に男、理布。その傍らに眠る少女、レイン。
下、体育館のコートには伊巫さん。彼女の真ん前には敷き詰められたマキビシ。
そして、それらを離れて観る、俺。
(『裁きの時間』? だから、何なんだ裁きって……)
俺は混濁する。理布の言い放った台詞。
伊巫さんの罪──世界の変革?
「罪。汝其の理を書き換えんと欲す。その一虚一盈の画布の誤謬を。再塗装されし姦譎なる史乗を。我等時の忍びの権限に於いて今──疾く糾す」
男は言った。微動だにせず。伊巫さんを見下ろしながら。淡々と、読点のないような低い語調で。
と、ふとその手を差し向ける──伊巫さんの方ではない。
「え……俺?」
突如俺の方に向けられた、その手がぼんやりと光るような気がした。俺は何が起きているのかわからない。
ただ吸い込まれるような無感覚で、空気が地を這うような静寂が響き渡る。
「あ……れ」
何かが。
何かが俺の中で撹拌されていく。
なんだこれ……記憶?
なんの記憶だろう。情景が浮かぶ。それはまるで、幻朧のように。
子どもだ。子どもの身体である。それも、俺がその視点らしい。
俺が子どもになっている?
でも、違う。これは俺の身体じゃない。絶対に俺ではない。
だって、俺の身体は。──
(女の子?)
幼い女の子の身体。ここは何処だろう。水がある。湖だ。
俺の顔が映る。やっぱり、女の子。
あれ? この前の海で会った幼女と似てるような……?
──ああ、そうだ。これはハイキングだ。
たしか俺が小学一年生の時に、家族で行った。……
あ、親父だ。お袋も見える。
バーベキューをしている。美味しい匂いがもうもうと漂ってくる。
あれ? こっちに手を振ってる。
違うよ。俺は『俺』じゃないよ。
あんたたちの子どもは男の子だ。俺は今、女の子なんだ。
だから違う……って、うわっ。
抱き上げてきた。
そのまま肩車する。父親だ。
『■まえ■■お■くな■■■ぁ』
何か言ってる。あんまし聞こえない。ノイズが入ってるみたいに。
笑ってる。豪快に大口を開けて。俺の手が、その髭面に当たる。男の肩は緩やかに揺れる。
ああ。間違いなく父さんだ。
母さんも全く一緒だ。今より十年くらい若いが、やはり俺の母さんだ。微笑み方も、同じ。
俺を肩に乗っけた父さんは、ピーマンと玉ねぎを焼いている母さんのもとへたどり着く。
……ピーマン? 玉ねぎ?
『い、イヤだあ。食べたくなーい』
俺の喉から甘いあどけない音が出る。
と、母さんはていっ、と降ろされた俺の頭を軽くチョップする。
微笑む。口を開く。
『やさ■も■■■と■■るの■?』
言って、俺の名前を呼んだ。
あ。……
そっか。
これは両親だ。
そして俺は……いや。
──わたしは、女の子だ。
■■■
バチバチッ。
気がつく。と、そんな音がした。電流みたいな音だ。何かが拮抗している。
「──伊巫さん!?」
伊巫さんがいた。俺に手を向けている。
まるで、舞台の男と同じように。
俺の眼前で、一瞬の花火が閃く。瞬間、さっき何かに魂を吸い取られそうになったことを思い出す。
と、理布が手を引っ込めた。俺は無事だ。
──彼女が、男から何かを防いだのか?
「伊巫さん……」
見る。彼女も見ていた。
その、虚ろな狼みたいな眼つき。
「ふむ。防ぐか。ここまで来て。フッ」
理布は笑った。するとその背後に回した腕から何かが飛び出す。
それは蛇のように自在にうねり、伊巫さんの腕に絡み付いた。
(な、縄!?)
衛府さんが縛られてたのと同じ縄だ。長い縄はピンと張り、その先に伊巫さんを高手小手で縛り上げている。
「大丈夫で、」
「動くな」
すか、と言い切る前に理布は言った。彼は先程から俺を全く見ていない。
今だって、物理法則を無視した動きで縛り上げた伊巫さんの方にしか、その顔は向けられていない。
「……お前、」
「喋るな」
「…………ッ!?」
口が開かなくなった。正確に言うと、俺が今『お前』と発言した、その『ま』の字の時点で、顎のあたりが時が止まったように動かなくなった。
俺は咄嗟に口を押さえる。なぜだ? 外れない。……
(い、伊巫さん……)
俺は心の中で叫ぶ。逃げろ。そいつはやばい。
身体中の全神経が騒いでいる。伊巫さんが危ない。が、すでに身体も固定されている。動けない。
そして伊巫さんも。
「う……」
痛みに耐えるように顔を顰める。彼女のこんな顔、初めて見た。
縄はキツく女の肉に食い込んでいる。ギシ、と骨が軋むような危険な音がした。
伊巫さんは引っ張られるようにふらふらと二、三歩進む。
危ない。もうそろそろでマキビシに踏み入れてしまう。
「──! ──! ────!」
俺は叫ぶ。が、無音だ。
やばい。冷や汗がする。
どうする? どうしよう?
どうしたら、伊巫さんを助けられる?
「魔女。確認しよう。お前は罪を犯したな」
縄はギシギシと伊巫さんの肉体を強烈に圧迫する。
理布に問われ、彼女は何かを諦めたように、力なく首を振る。肯定の動作。
「そうか。認めたな。いいだろう。精算させてやる」
理布が縄を引っ張る。伊巫さんが歩く。
「!? ──、────!!!」
叫ぶ。
マキビシに、入る。
「あっ……」
叫ぶ。苦痛の表情。が、何とか気を保って耐えている。強い人だ。
が、一歩。
一歩。
理布は無慈悲に歩かせる。
彼女の足元のコートが徐々に赤く染まる。
歩いた跡。血のカーペット。
「そうだ。魔女の血を流せ──やがてお前は消える」
理布は意味のわからないことを言う。
ふざけるな。
これがなんの裁きだと言うんだ。
こんなのはただの、拷問じゃないか。
「…………」
伊巫さんは強かった。全く言葉を発しなかった。悲鳴すら、全然上げない。
男の、地獄の散歩は五歩まで進んだ。彼女の足裏に、点々と皮膚の孔と、それにくっ付いたマキビシが数個刺さっている。
リードは彼女の血液を絞り上げるように、その肉体の軋みを大きくさせる。
マキビシの床はすでに弱々しく、赤いなだらかな模様を描いていた。
「…………」
その時。伊巫さんの瞳。
俺の網膜は、捉える。
彼女がこちらを視て、一瞬目が合ったこと。
その表情が、俺を哀れむような、申し訳ないような、悲しい瞳孔に彩られたこと。
そして──伊巫さんが、がくっとマキビシの海に沈んだこと。
「な……!?」
これは理布の声だ。
感情は俺の声でもあったが、しかし俺は今言葉が出せない。
驚愕。動揺。
そんな顔を見せた。あの、冷酷な男が。
伊巫さんは突如力を抜き、膝から床に落ちていった。気絶したわけじゃない。自らそうしたのだ。
ガッ、と嫌な音が鳴る。脚の肉。脛へと深く突き刺さる。
そのまま上体も倒れようとする。これは誰にも予測不能だった。もちろん、縛られた彼女に受け身など取れない。
頭が落ちる。黒い金属の茨の粒が、その美しい顔に無慈悲に突き刺さる。──
「……オオ!」
ピン、と縄が張った。女の顔が寸前で静止する。眼球が潰される勢いで倒れた伊巫さんの上体は、その縛るリードを理布が持ち上げたことによって、最悪の事態が回避された。
「…………」
が、空中で膠着した彼女の肉体は、依然炭素生命体としての悲鳴を上げ続けている。
しかし、彼女の顔はもう苦渋に満ちてなどいなかった。顔を上げる。凛々しい目だ。まるで、痛覚さえ無いように。
見つめられた理布も、膠着する。全く思いも寄らない行為だったらしい。その仏頂面も、今や惑いの表情だ。と、
「ごめんなさい」
一言、女は言った。身体を宙に静止したまま、その爪先がマキビシに触れたまま。
俺は何もできない。もしこの拘束が解かれていても、何も言えなかっただろう。光景を目撃した。
伊巫さんが、謝っている。──
男の惑いが、迷いに変わる。思考しているらしい。
すると、急速に俺の拘束が解かれた。タタ、と発進の姿勢にブレーキを掛ける。歩き出そうとした体勢だったから、急に動いて狼狽する。
「伊巫さんッ」
すぐに駆け寄る。声が出た。
何もできない、わけが無い。彼女を救出するためにずっとこの時を待っていたんだから。
マキビシの海に飛び込む。もちろん俺はスニーカーを履いていた。伊巫さんみたいに裸足じゃない。
なのに、結構痛い。靴底を貫通したか?
だいぶ履き古したやつだ。でも、だから、伊巫さんはこれよりも。……
「伊巫さん。もう大丈夫、大丈夫ですよ……」
宥めるように言う。でもそれは、自分に言っているのかもしれない。
彼女を持ち上げる。マキビシにダイブしてから、ずっと縄一本で吊り下げられていたんだ。まずは圧力分散させて、身体を休ませないと。
「藤見くん」
と、伊巫さんに呼ばれた。が、まずはマキビシの海を抜けて彼女の拘束を解く方が先決だ。
俺は彼女を担いで運ぶ。もちろん胸には絶対に触れないように(これが体勢的に結構難しい)。で、コートの安全地帯にゆっくりと安置した。
縄は簡単に解けた。俺が指を掛けると、魔法のようにでたらめに緩んだ。ただの巻いたリボンみたいになる。
「藤見くん」
再び聴こえる。しかしまだ終わってはいない。まだ、あの男が。……
「……え。いない」
理布は消えていた。舞台の上から、忽然と。時が巻き戻されたかのように。ついでに、ずっと眠っていたレインも居ない。
いつの間に。いつからだ?
でもたしかについ今伊巫さんを降ろしたときには、居たはずだ。じゃなきゃ彼女の身体が吊られていたなんておかしい。どっかで支える手が必要だったからだ。
「藤見くん」
──そして、その引っ張り役をやっていたのがあの男だった、はずだ。
ハズだハズだばっかで、俺の推理にはなんの根拠もない。本当に頼りがない。
「藤見くん」
じゃあ、いつ? まさか一瞬にして?
まさか。でも、あいつらなら。……
「……………………幾太くん」
「あれ、伊巫さん?」
伊巫さんが俺を呼んでいた。そういえばさっきから呼ばれてたっけ。二回くらい。
「どうしました? 伊巫先輩」
「…………」
伊巫さんはだんまりしている。
そりゃあそうだ。あんなに辛い目に遭ったんだからな。
ああ、足とか膝もすっごく痛そうに。……
これは今すぐ保健室に直行して治さないとな。なんなら救急車とか呼ぶべきか?
呼ぶべきだな。ああ、でもその前にせめて応急処置だけしないと。血が流れっぱなしだ。
えーと、タオルまだあったっけ。レインちゃんので一応、何気に余分を持ってきてた気がする。
「幾太くん」
「はい?」
伊巫さんは俺の名前を呼ぶ。幾太。男の名前だ。
と、その瞳の光が僅かに揺らめく。顔を赤らめて、目が潤んでいる。
その目は俺をじっと見つめている。
「幾太くん……」
「はい…………」
「幾太くん」
「……はい」
「…………」
「……」
パンッ。
頬を叩かれた。
(??????)
「え。伊巫さん……」
「……」
「え。え」
「さっきわたしの胸触った」
ギロリと見つめられる。サッと、パジャマ一枚だけの胸を隠す動作。
俺は思い当たる。さっき? ──
『むぎゅっと♪』
『俺の手は伊巫さんのおっパイに触れていた』
「…………………………………………」
ええええええええええええええええええ!?
今ぁ!?




