第十九話 レスポンス/ナミダ
「…………」
伊巫さんは目を覚ました。
と、自身の置かれている状況に気づいたらしく、彼女を抱える俺の顔を見上げる。
ふい、と緩やかな動作で。
お姫様抱っこする俺の上腕に、女の髪の微かな揺らめきが感触となって伝播される。
目が合う。軽く唇が開かれる。瞳孔が〇・一ミリほど拡大する。
一度躊躇うようにふ、と吐息を払った後、再び唇を開いた。
「──どうして幾太くんが私の胸を触っているの」
「へ?」
むぎゅっと♪
俺の手は伊巫さんのおっパイに触れていた。
──依然として、である。
「あ、ごめん」
俺は咄嗟に言葉が出た。パッと手を除ける。割と冷静だった。
三回目というのもあるが、伊巫さんが急に目覚めたので自分も頭が真っ白になっていたのもある。
極度な混乱に陥ると逆に落ち着いてしまう俺なのだった。
「……ん」
伊巫さんは深く瞬きをする。彼女も冷静なのだろうか。
否、おそらく起きたばかりだから、その頭の働かなさなんだろう。寝起きトリビアだ。
「おろして」
「ああ、はい」
降ろした。的確な指示と、迅速な対応であった。
彼女を地面に立たせる。しっかりと着地するのを確認しつつ。その足音が体育館に響く──かと思いきや、裸足だ。
まあ当たり前か。パジャマだしな。寝てる間に拉致されたらしいし。
と、突然その身体ががくっと脱力した。
「え!? だ、大丈夫ですか先輩!?」
支える間もなく崩れ落ちる。一応右肩をぎゅっと掴んでいたから、膝から落ちて割れるといったことは避けられたが。
項垂れている。立ち上がる気力は無さそうだ。仕方なく、そのまま肩をゆっくり降ろして座らせる。
「…………」
彼女はぺたんと座り込んだ。俯いたまま、動かない。喋りもしない。
と、にわかに自身の肩を抱いた。俺が掴んだ右肩だけでなく、左肩もだ。
その白く細い指が力無く曲げられて──震えている。
「!?!?」
俺は戦慄した。やばい。
そりゃそうだ。女の子だ。胸に触られたら嫌に決まっている。
ましてや俺みたいなクズ野郎に。
「ホントすみませんすみません俺はクズですマジで大変誠に申し訳ありませんでした!!」
死ぬ気で猛烈に謝った。ハイスピードでお辞儀をし、マッハで頭を下げる。
しかし、こちらに背を向けている姿勢の伊巫さんには見えなかったらしい。
彼女は何も言わずに俯いたままだ。
「い、伊巫先輩……?」
俺は回り込む。様子を伺う。
──と、彼女は顔を背けた。
が、身体ごと反転させる体力が無いかのように、座ったままその上体をさらに屈める。
下を向いている。──すごく心配だ。
……本当に深刻な問題じゃないか?
俺は真っ青になりつつその下方、床を見つめるような伊巫さんの正面から、恐る恐る窺う。と、
ぽた──ぽた。
彼女の顔の下の床に、小さな水が落とされた。
「──!?!?!?!?!?!?」
やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!
泣いた! 泣いちゃった!
──ああああああああああああああ!
「…………」
伊巫さんは座っている。肩をきゅうっと抱いている。震えている。泣いている。
顔は見えない。
言葉は、無い。
「あ……があ、あがgがッあ、が……」
俺は言葉を喪う。無様に彼女の正面に中腰の体勢で。
視界が真っ暗になる。どうすればいいか解らない。
女の子を泣かせた。その事実だけが、象の脚のように俺の現実としてのしかかって来る。
ああ。
本当にどうしよう。
心の底から申し訳ない。が、その伝え方がわからない。
だめだ。頭が真っ白になる。それだけは駄目だ。ちゃんと考えなきゃ。誠実じゃない。
そもそもなにが誠実か? 女の子の胸を勝手に触っといて? しかも何回も?
調子に乗り過ぎじゃねえのか俺。ふざけんな。何が『むぎゅっと♪』だ。何が『あ、ごめん』だ。ふざけんな。
何なんだ俺は? クソだ。ゴミだ。カスだ。俺は何をやってんだ。何をやってたんだ。許されるとでも思ってたのか? 夢だと、フィクションだとでも思ってたのか?
本当にクズだ。クズ以外の何物でもない。こんな人間は死んだほうがいい。いや、むしろ死んで火葬するだけCO2の排出、地球のムダだ。
じゃあ埋まろう。国立の樹海で埋まったまま死のう。ああそれも駄目だ。俺みたいな添加物だらけの現代人はそれすらも環境に良くない。
ああじゃあどうしよう。どうやって死のう。ああ、伊巫さんに考えてもらえばいいかな。なんなら殺されたって構わない。それで俺の罪が清算されるなら──
(いや、ちがう)
違う──違う違う違う。
そうじゃない。そんなんで償われるなんてわけはない。
それはただ言い逃れてるだけだ。責任がない。俺がすっきりするだけだ。目を逸らし逃げてるだけだ。
俺が、俺を殺したいだけだ。
そんなんじゃない。今俺に出来ることは──今俺が、するべきことは、そんなんじゃない。
ああ──本当に俺はクズだ。
誠心誠意、ちゃんと。
現実に、向き合って──
「伊巫先輩。ごめんなさい。本当に俺は最低の事をしました。必ず償います。大変、申し訳ございませんでした……」
土下座をした。
謝罪。
彼女の正面に平れ伏す。
「…………」
沈黙。完全なる、沈黙。
ああ。そうだよな。
赦して貰える訳無いよな。
本当に、本当に…………
「──茶番は終わったか」
「!」
と、理布が口を開いた。舞台に立っている。仁王立ちだ。
「茶番は終わったかと訊いている」
「な……」
俺はまた言葉が出なかった。混乱する。
伊巫さんに対する申し訳ないという気持ちから、即座に新しい警戒心、彼女を守らなきゃという思考、判断も混ざって、ぐちゃぐちゃになる。絡まっている。
体温が下がらない。対応が追いつかない。
「魔女」
ハッと、伊巫さんの肩が痙攣した。俯いたまま、パジャマの袖で顔を拭っているようである。
と、ぐいと俺の顔面を押した。目も合わせず、腕だけぐいぐいと俺の頬、頭を押しのけるようである。
「む、むぐ……?」
どいて欲しいのか? ……いや、顔を見てほしくないのか……?
その弱いぐいぐいは止まず、俺は自ら立って退く。距離を取る。彼女から離れる。
「……魔女」
繰り返し、男が言う。見下ろす。
と、伊巫さんがゆらりと立ち上がった。少しふらつきながらも、しっかりと着地する。
俯いていた顔を──上げる。
その面持ちは、しかし真剣な表情だった。
視線で、男を睨む。
理布はそれに応えるように口角を上げ、彼女を見下す。
俺は深呼吸をした。と、理布がこちらへ何かを投げた。小さい、金属のような音が響く。それも鋭く複数。
(──マキビシ?)
見ると、それらはマキビシのような形をしていた。舞台上からそれらは放られ、キン、と伊巫さんの下へと幕を張るように敷き詰められる。
男が言った。ひどく冷静な声が沈む。
「──裁きの時間だ」




