旅行記
過去の話しになるが
1991年のことだ
それは
ちょうどスペインの
バルセロナ五輪の1年前の9月となる
業界団体の視察旅行であり
ヨーロッパの国々の
視察となる
思い起こせば
起点は名古屋空港からの出発となり
その当時は中部国際空港が無かったから
成田空港まで向かう便だと記憶している
しかし飛行機が
出力を上げて空に
舞い上がることは
気持ちの良いものでは
ないなぁ
エンジンの高周波音が
最大になり
フワリと浮き上がる
感覚は
決して心地良いものじゃないよなぁ
そして
成田空港での
乗り換えとなり
当時はジャンボジェット機の主流であり
ボーイング747型の
旅客機である
飛行機会社は
英国航空だったはずだ
ブリティッシュエアウェイズ
エンジンも4発仕様
だから安定感が
全く違う訳であり
私たちは飛行機の
重量バランスのためか
二階建ての二階部分に着席となるのである
エコノミークラスたから狭い狭い
ジャンボジェット機と
言われのにだ
成田空港を午後1時頃に離陸して
しばらくは
ソビエト連邦の上空を
飛行することになる
なぜだか以外にも
低空飛行である
上空10,000メートルであれば
下界の景色は
かなり小さく見えるはずなんだ
がしかしはっきりと
家屋の形状が分かるのは大して高度は
高くないと言うことになるのである
おそらく防衛識別のためだろうか5,000メートル辺りの巡航であると感じたものだ
しばらくは眠りに
付いていたようだ
目覚めれば時差があるのだから
日本時間の午後5時辺りだろうか
まだ7時間から8時間は乗っていなければと
思うと
そろそろ嫌気が差してくるものである
その後に軽い軽食が
出て来た覚えがある
続く...