私にヒロインは無理です
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◇
──これは夢か?
夢だろう。これは──こんなのありえなさすぎる。
目に映るのは重厚な装飾が施された空間。シャンデリアの灯りと、楽器の奏でる音が優雅に流れる煌びやかな舞踏会。
そして目に留まったのはあり得ない髪の色と、古めかしくも精巧なレースやフリルの多い、ひだをたっぷりとった裾の長い、見るからに高価だろうドレスの貴婦人達や豪奢な夜会服を纏う貴公子達。
髪も金銀赤とかなら外国の方かな? なかんじだろうけど、でもね、水色とか紫とか緑とかないよね?
何にせよ、美形美形美形。どこを向いても男女ともども衣装もドレスアップされている美形だらけだ。
でもなんだろう? なんだか見たことがある気がする? そんな光景──
私は苦しさに、ふぅとひとつ息をついた。
──きついなこれ。
腰とか胸とかかな? 締め付けが苦しい。ぎゅうぎゅう体を締められているかんじがする。
着ている服がまた重い。なんだ、この重さは。
存在感のある首飾りかな? が首元に鎮座している感触がする。それがまたずっしり重い。重さで首がもげそう。
少し俯くと髪にも耳にも飾りがついているのか爽やかな金属音が聞こえた。全体的に重い。
そのまま着ている服を見ると、光沢のある淡い青の綺麗で素晴らしい布地。シルクとかかな? 周りの皆と同じで裾は床につくくらい長く、ひだも多くてそれは重くもなるよねという気がするそんなドレスを着ていた。
まずありえない。
こんなの着たことなんてない、怖い。汚しそう。
でも何故か見たことのある気がする衣装。
これ、いいのかな? 引きずっている?
女性見ている限り私だけじゃないし、歩くとこれだと綺麗な飴色の板張りの床を、掃除している気がする。
こんな衣装着ている段階で、やっぱり夢だよね? と思うのだけど……本当すごい締め付け。あまり知識ないのだけれど、これがコルセットによるものなのかな? どうなっているかわからないし、よく知らないのだけれど。
苦しい。重い。真面目に苦しい。それにしてもリアルな夢だ。
こんな苦しいリアルさいらないかな。夢にあれこれ求めるのもかもだけれど。
「疲れたのかい、ラーリア」
どこからか低く甘やかな美声。何故か聞き覚えのある男性の声がラーリアと呼ぶ声が聞こえる。
その名前にも記憶があった。
しばらく前にやっていた乙女ゲームのヒロインの名前。
そうだ。
今いるその場所がゲームのスチルで見た光景そっくりなのだ。
内心笑いがこみあげた。
夢だろう──これは。普通に夢なのだろう。
こんなくっきりはっきりした夢、見たことない気がするけれどね。まぁ覚えていないだけかもしれないだけかな。
◇
昏き星に導かれし小夜曲というマイナーなのか、私は聞いたことがなかった乙女ゲームをしばらく前にはじめてみていた。
ついポピュラーなものではなく、少しはずしたところで、ちょっとはずれた時期に何気なくはまるのはよくある自分だ。
今回は店頭で通り過ぎようとして、それでも視線は棚に向いて、ついタイトルを追いながら歩いていた時、ふと目に止まった。
──乙女ゲームか。
迷ったけれど、気になったしで購入してやり始めた。
昔、気まぐれに一回した後、乙女ゲームというジャンルのものはずっとしていなかった。出来る気がしなかったからもある。
ものはためしと、何も考えずに初めて乙女ゲームをした時、攻略対象達から告白さえ受けず、ゲームが終了してしまったのは苦い思い出だ。
誰を攻略しようとか思ってなかったのも悪かったのかもしれない。
恋愛からかけ離れたことを何故かしているみたいなのよね。
最早ゲームですら恋愛に向かないくらいの恋愛音痴だ。
もちろん現実に恋人なんて夢また夢。さっぱりだった。関わり方もわからないし、取り扱い謎だし、男性苦手なのかもだし、もういいかな無理な気がするしと、思いすらしていた。
ゲームですらフラグとかへし折っているのかもしれないのだから、現実でなんてそりゃどうしようもないよね。
折るつもりがなくても折っているみたいだしね、フラグ。
そんなフラグクラッシャーでも、初めてのエンドから、ちゃんと攻略対象と恋仲というものにこのゲームはしてくれた。
凄いな。思うままで恋愛エンドになるよ、この私が。
ある意味感動した。多分感動の仕方が違うのだろう。
初めて乙女ゲームで恋愛エンドに。
だけどこれ考えるまでもなく閉じ込められているし、監禁エンドな気がする。バッドエンドじゃないかな?
いや、ちゃんとヒロインとくっついているし、ハッピーエンドなのかな? まぁ当人達がいいならいいのだろうけど──私はやっぱりちょっとせめて初めはノーマルなスカッとハッピーな雰囲気が良かったかな?
初めてから監禁エンド。重いね。ゲームだけど。
ノーマルなスカッとハッピーってそれも人それぞれだろうけど。好みは好き好きだしね。監禁もありなのかな? よくわからないけれど。
まぁむしろ一人でも攻略出来ているしな。この私が。上出来かもしれないけどね。
でも気をつけて色々変えているつもりだけど、なんで同じルートに乗っているのかな?
まぁハッピーエンドのその先がハッピーかはわからないし、監禁エンドのその先にハッピー……あるのかな?
監禁ハッピーラッキーって思う洗脳が先に待つとか? そんなことを考えていると、声がもっと近づいてくる。
見上げると攻略対象達が目の前。私を見ている。
「ラーリア」
と、口々に呼びかけ、笑顔で私だけを見つめる美貌の主達。
──なんてことなの?
夢だとしても、ヒロインが私とかないわ。
◇
長い水色の髪をふわりと靡かせた、薄紫の瞳の伯爵令息の義兄エルセルト──お兄様は、優雅な足取りで当たり前のように近づき、私をそばに引き寄せた。
思わずびくりとふるえる私に、
「ラーリア? どうしたの?」
私に視線をあわせるように顔を傾ける。動きにあわせて水色の髪がさらりと流れ落ちて、そして優しく私を見つめ細められる美しい瞳。
私は俯いて赤面した。
攻略対象基本的に、声もいい、顔もいい。頭もいい。背も高い、スタイルもいい。
ゲーム攻略対象怖いくらいに盛り盛りにないわってくらい盛られている。
凄い、くらくらする。
こんなふうに男性に近づかれて、この私が挙動不審にならないはずがない。
衣擦れの音と足音がして、他の攻略対象達も近づいてくる。
「ラーリア嬢、体の具合が悪いならば私が休憩室へ連れていくが?」
紫の髪金の眼のランドルム・アルテシアス殿下。正統派きらきら王子様。
そりゃまぁそれなりに黒くもなきゃいれなさそうな世界だろうから黒くないはずはないけれど、普段微塵もそう人にみせない。
そして殿下自らは目立ちすぎます。
「いや、ランドルム殿下ここは私が」
緑の髪青い眼の公爵令息、セラルド・ラマーニ様は冷静沈着。王子様の側近候補。まぁそれなりにやはり黒めだろう。
「ラーリア、無理しちゃダメだよ。一緒に行く?」
表情がわかりやすく心配そうな赤い髪、褐色の眼の侯爵令息、カーシアス・フラマンサ様。ワンコ系。側近候補。
周りに黒い人多いだろうけれど、どうか染まらずにほんわかと笑って生きていて欲しいと思わずにはいられない雰囲気を醸し出している。無理だろうなだけど。
ご都合かもしれないが、彼らに婚約者は存在していない。
言い寄られたりはしているみたいだけれど、決まった令嬢はいない設定。
だからこれをしてみる気になった訳だけど。
私は嫌なのよね、婚約者がいる方の攻略とか。略奪とか無理よね。嫌じゃない? 想像したら。
浮気よね? しかも自分が浮気相手。無理かな。想像としても無理。
とはいえまぁ例外はないわけじゃないかもだけれど。
これはゲームだから。
何か被害をうけていたりとか何か問題があるなら手を差し伸べるはあるかもな。
ゲームだけど、幸せでありますようにと何か出来たらと思うのよね。だからあれこれ考えず好きに動いてもいいのかもね。
架空だし、現実じゃない分何かしやすいかもだし。間違えてもゲームだし。
キャラクター、攻略対象の幸せか。
まぁ何が幸せかは主観かもだけど。
これがもしゲームじゃなくて現実の世界だとして、恋人がいる相手に粉をかけにいく──無理。
恋人がいる男性から声をかけられる──恋人と仲良くしてください。そうなる。
もしその人に好感があれば、尚更ぶち壊したいと思わないよね。
好きなら盲目というみたいだけれど、知らなければとにかく、知っていたら私は線引くかな。
私はそうだであって人は好き好きかもしれないか。
まぁ思ったところで現実に私が声をかけにいくこともないし、声をかけてくるマニアもいないけどね。だから思う絵空事かもしれないけれど。
お兄様の麗しい声が間近に響く。
「ラーリアへのお心遣いありがとうございます。私が屋敷に連れて帰りますのでご心配なく。それでは失礼致します」
殿下達へ優雅に一礼し、お兄様は私を連れて踵を返した。
そのまま連れていかれそうになったけれど、気にしていただいたのだしと、立ち止まると振り返り声をあげた。
「ご心配おかけして申し訳ございません。お気持ちありがとうございます」
王族、貴族にどう話しかけるのが正しいかわからない。まぁゲームの世界。多分なんとかなるよね? 不敬罪にはならないかな?
夢だろうと思っていてもね。気にしてくださったことに対してはありがとうくらいは伝えたいよね。
お兄様は仕方ないなって顔で苦笑している。でも言われた側は嬉しそうに見えるから、よかったのかな。
「ラーリア」
そんなお兄様はそのまましゃがみ込み、私に笑いかけると体に腕を回した。
そのままひょいと抱き上げられる。
「え?」
私の体は宙に浮いた。
何? お姫さま抱っことか初めてすぎる。
なんだこの夢? 私の願望? 願望なの? 滅茶苦茶恥ずかしいし、重くないの? 私の体重プラスドレスとかの重量。絶対重いよ。
「お兄様待って、おろして下さい」
周りの目が痛い。お兄様美麗だし、狙っている方多いよね。
攻略対象達も見ている。なんだか恥ずかしい。
「駄目だよ。疲れてしまっているみたいだし倒れてしまったらどうするの?」
間近の微笑み攻撃、眩すぎて顔が真っ赤になった。隠せない。どうしていいかわからない。
「重いですよね? お兄様っ」
「お前くらい軽いものだよ。ちゃんと私につかまっておきなさい」
「お兄様っ」
軽々と抱き抱え歩いていく足取りは確かだが、私の心がもたない。
どきどきする。顔が赤らむ。
「外まで出たら、転移するからすぐに屋敷だ。すぐそこだから、じっとしていなさい」
お兄様の声が近い。
夢でも恥ずかしい。滅茶苦茶恥ずかしい。
そしていい香りがする。あたたかい。
抱き上げられたらこんなかんじなのかな?
しかし、感触や臭覚までとは、どこまでリアルな夢なのだろう。
でも夢なら少しくらいいや、大胆に甘えてみてもいいかな?
いいかなとそっと頭をお兄様の方に寄せる。近づく距離。ぽんぽんと体を軽く優しく撫でるようにたたかれて、ばれているのだろうなと目をあげると、薄紫の瞳が甘やかに色を深めて、私を見つめていて……。
より赤くなった顔を隠すために、両手で顔を覆うと、より触れ合う感触とかが気になって。
これは夢なのに──あまりの現実感にどうしていいかわからなくなっていった。
◇
ゲームの中の義兄エルセルトは滅茶苦茶ヒロインを可愛がってくれる。
最早思考読んでないかな? くらい先回りして望むことを叶えてくれる存在。
まぁゲームだし、この選択肢にしたらこうってフローはあるのだろうけれど。
三歳上なだけでこのスペックはないのじゃないかな? こんな兄どこの世界にいるんだ? ここか、ここにいるのか。ゲームだものなって思いながら、ゲームしていた。
ただ他の攻略対象と話そうとしたらさりげなく割って入られたり、気がつくと別のところにさらっと連れていかれてあれ? ってなることとかも多かった。
だからあまり他の攻略対象と親しくならない。兄にはい、終了ってかんじに回収されるから。
違う人のところをわざわざそっと選択肢選んでお話をしようとしても、気がつけば回り込まれている。
それから何回かエンドしていたけれど、お兄様エンドしか私は見ていない。お兄様の他の攻略対象に対する妨害半端ないのよね。
お兄様を回避して他の攻略対象者とお話をしてみようというゲームかな? 難易度高の。
そういうゲームになるよ。
お兄様以外と会おうとするとゲームの種類が変わってしまっているかなくらいになる。
立ち塞がるお兄様。軽々と退けられる攻略対象。
お兄様、どんな魔力を持っているの? まぁ鍛錬はかかしてないみたいだったけれど。
最早ストーカー? 疑惑すらある。疑惑ではなく確信かも。監視されている? 位置情報知るような何かそういう魔法でもあるのかな? ただのゲームのご都合かもだけどとか思っていた。
転移魔法、あれチートだよね。というか、兄めちゃくちゃチートなんだよね。魔法。
さらっとスマートで、なんでも知っててなんでも出来るわりに傲る訳でもなくひたむきにヒロインを大事にしてくれる近い存在。
さすが乙女ゲーム。乙女の夢だよねがてんこ盛りにされているのかな。
そして姿も美麗。なんだろう、綺麗なのよね。所作も綺麗だし。
兄という存在はちょっと憧れていた。粗暴だったり理不尽な兄とかは勘弁して欲しいけれど、優しくて格好いい兄なんて理想的でいいよねと思った。
まぁこれも好みの問題だけれど、私は男性男性した人だとなんかそれが悪いわけでもないし、それはそれで凄いなって思うけど、どこか苦手というか怖い気がしてしまうのね。つい内心身構えてしまう。
お兄様優しいし、穏やかだし、怖くないし大事にしてくれていいな、ちょっと他とは話すらまともにさせてくれないシスコンだけど──そう思いながら、懐いていたら外堀は埋められていて、さくっと監禁された。軟禁かな?
そうだった、実の兄じゃなくて義理の兄、攻略対象だものね。なまじ近い存在で一緒にいて安心するからっていっても、恋愛のゲームでした。攻略しているというよりされている感満載なのは気の迷いかな?
おかげでお兄様が恋愛エンド第一号、並びに監禁第一号になりましたよ。びっくりしたけれどね。
◇
そんなゲームのお兄様だけれど、今夢だろう中、軽々と私をお姫様抱っこをしている。
軽快な足音。私を抱えていることなど大したことでもないような足取りで、ホールを出る。
舞踏会の喧騒から遠のいた月明かりに青白く濡れた夜の庭園。吹き抜ける風が静かに木々を揺らし、さざめく音が響く。
お兄様の声が歌うように響き、目の前に煌めくような魔法陣が現れる。
──綺麗。
複雑な文様のような文字のような不思議な光を放つものを興味深く見つめていると耳元で声が聞こえた。
「ラーリアは目を閉じてしっかり私につかまっておいた方がいいね」
お兄様の言葉を聞き、ちょっと迷ったけれど、夢だろうし、素直に目を閉じてお兄様の体にしがみついた。ふっと笑ったような声。よりぎゅっと強くそれでいて優しく抱きしめるお兄様の腕の感触。
触れる面が多くなりよりドキドキする。
何故か気のせいか妙に視線を感じてよりドキドキする。
「……ラーリア、今から転移するよ」
「はい、お兄様」
そのままぎゅっと抱きついていると、間近に聞こえるお兄様の声。
なんて響きだろう。
お兄様の唱える呪文が心地よく耳に響いて──
そして不思議な感触。ちょっと気持ち悪いけど、どうやら転移したみたい。
もちろん仕組みはさっぱりわからない。
あっという間に、屋敷のヒロインの自室まで到着したようだ。便利な魔法だ。
「ラーリア、気分は悪くないかい?」
「少しだけ、でも大丈夫です」
お兄様は私を抱えたまま部屋に入っていこうとする。
「もう大丈夫です。おろして下さい」
「寝台まで運ぶよ。ラーリア」
お兄様はゲーム内でも心配性だったが、夢の中でも心配性だ。
──しかし、覚めないな、夢。
ちょっと怖い。夢だよね?
夢の覚め方ってどうしたらよかっただろう?
◇
お兄様が侍女を呼んでくれて、着替えて身支度をして眠ることになった。
侍女を呼んでとかってとか思ったけれど、してもらわなければこのドレスの脱ぎ方もわからないということに気がついた。
こんな高そうなドレス、何かあったら大変だ。
コルセットとかもどうしていいかわからない。多分こうかな? が間違っていて壊したり破れたりしたらと思うとめちゃくちゃ怖い。
しばらくすると、お兄様と入れ替わりに黒と白のお仕着せを着た女性達が、やってきて、さくさく脱がせて部屋着を着せてくれる。
解放感。とても解放感。
体が解放感を感じている。そんな気がする。
私が解放感に包まれてぼんやりしている間に、侍女達が首や耳や髪から飾りをとって、編み上げられた髪を丁寧に解いて櫛をいれてくれていたようだった。
ふと鏡を見ると自分の姿が映し出されていた。
長くゆるやかな青銀色の巻き髪。澄んだ水色の瞳のほっそりした美少女が所在なさげに映っている。
やはりヒロイン、ラーリア・シナリスの姿だ。
「湯浴みのご準備が出来ましたのでどうかこちらへ」
誰が誰だかわからないけれど、とりあえず誘われるままに、湯浴みをすませる。人に洗ってもらうなんてもういつぶりだろう? 小さい子供の時ぶりだろうか? 髪は美容室とかで洗髪してもらったりはあるけれどね。
当たり前のように一緒に入ってきているし、ひとりで大丈夫ですとか言える雰囲気ではない。郷に入れば郷に従うしかないかな。恥ずかしいけど、拒否出来るかんじがしない。
──夢だろうし、諦めよう。
礼を言えばいいのかな?
わからない、わからないけれど──
「……ありがとう」
「とんでもございません。あ、ラーリア様、体をこわばらせないで、身を任せて、ゆっくりゆったりとご寛ぎ下さいませ」
そんなつもりはないけれど、慣れないせいかこわばっているみたい。
人に優しく洗ってもらっているのが、気恥ずかしくもある。
それでも疲れからか、頭がぼうっとする。
夢の中の出来事でもこんなふうに疲れたりするのかな。
あまりにぼんやりしすぎているのか、気を使われ身支度を整えられると寝台へと誘われる。
ぽすっと寝台に身を沈めると、上掛けをかけてくれた。淡い茶色の髪が揺れる侍女に礼を小さく言うと彼女は微笑み、
「おやすみなさいませ。失礼致します」
と退室していった。
──夢の中で眠るのか。
なくはないか。
起きたら夢だったで笑えたらいいのだけれどな。
◇
扉をたたく音が聞こえた。
私は慌てて目を開いて身を起こすと、扉が開いた。
その向こうには、昨日上掛けをかけてくれた淡い茶色の髪の侍女が一礼している。
「おはようございます。お体のご加減はいかがでしょうか? ラーリア様」
「おはよう。だいぶいいみたい」
どう答えるのが正解かわからないけれど、答えをかえしてみる。
「それはなによりです」
彼女は部屋の中に進んで行き、カーテンを開く。眩い朝の光が窓硝子を通して、差し込んできた。
私はその眩しさに目を眇める。
ゲームのスチルで見たことのある部屋。
──まだ夢の中みたい。眠って起きる夢、そしてまだ続くのね……
「朝食のご用意が整いましたので、どうぞこちらへ」
寝間着から、よくゲームで見ていた淡い水色の服を手際よく着替えさせてくれた。
「エルセルト様がお待ちです」
いつまで夢の中なんだろう?
目が覚めないかな? って思って、そっと自分の頬をつねってみるが、それくらいでは目が覚めないようだ。
ただ長く見ている夢なのかな? 夢ってこんな感じだったっけな?
◇
「ラーリア、おはよう」
「おはようございます」
お兄様は朝から麗しかった。私と目が合うと頬を緩める。薄紫の瞳がまっすぐに私を見つめていた。
本当綺麗だなって思う。長い水色の髪が朝の光を受けて輝いていて、ゲームの中でよく着ていた白い服を身に纏っている。
眩い。眩すぎる。
天の御使ですか? くらいのレベル。
食事している様子も優雅だ。
朝食簡単なものでよかった。普通くらいのマナーでいいのよね? ここでのマナーよくわからない。貴族だしな。何か特殊なことあるのかな。
ふっとお兄様を見つめてしまう。
スプーンを持つ手付きも優雅か。怖いわ攻略対象。夢の中でも戦闘能力高い。一挙一挙をスチルにしてもむしろオールオッケーすぎて怖い。
そりゃこれこんなの万人に刺さるよって思っても、興味好みは様々。
刺さる人と刺さらない人がいるだろう。それは重々承知している。
けれど、私にはざくざく刺さるよ。満身創痍レベルで。オーバーキルぎみです。
「ラーリア、朝食は食べれそうかい?」
「大丈夫そうです。ありがとうございます」
つい素で答えると、エルセルトお兄様は首を傾げて訝しげに私を見ている。
「ラーリア? 何というのか、やはり、何かいつもとは違うような?」
ちょっと不審そうな眼差し。私は内心慌てた。
「違和感というのか、何かどこかが引っかかる。昨日は気の迷いだろうと思ったが、やはり改めて見るとラーリアだが、ラーリアでないような?」
──ずばりすぎて困ります。勘も鋭いとかやめてください。そもそもがどうふるまっていいかわからないというのに……。
ラーリアってどうだっけ? どう話していたっけ? どう振る舞っていたんだろう?
選択肢選んでいたけど、どうだっけな?
「えっと、その、あの……」
わからない、わからないよ。会話、そうね会話。普通のゲームになかった場面の会話なんてわかるはずない。振る舞いなんてもっとわからない。それが必要かすらわからない。
夢なのだったらもっと私のご都合でもいいのじゃあって思うのに。
「疲れているだけかと思っていた。だがやはり違和感を感じる。そして私が言うことに対する君の反応もおかしい。ラーリア? 君は私のラーリアじゃないのか?」
美麗な顔が正面から間近に寄せられる。
「やはりラーリアには違いないはずだが」
ドキドキします。違う意味で。
覚めてもう夢から目覚めさせて──
近すぎるのが怖い。追求も怖い。声にはらんだ不信感が怖い。自然と視線をそらしても涙ぐんでしまうのが止められない。
「こちらを見なさい」
その声に私は目を閉じて首を横に振った。涙が止まらない。
静かに泣き出してしまった私。
ひとつ溜息が聞こえた。
頭の上に軽くぽんと手が置かれた。
私を軽く抱きしめる腕が優しくて。そのまま身を委ねた。あたたかい。
「落ち着いて、私に全部何も考えず隠さず話してみなさい。ゆっくりでいい。大丈夫、大丈夫だから」
お兄様の声が優しくなった。より涙がこぼれ滲んだ。
◇
結果、負けました。全敗です。戦いにすらなりませんでした。
洗いざらいはかされました。ごめんなさい。私には無理です。飴と鞭もお手の物。誘導尋問もばっちりですね。お兄様。
ここは私の夢だと思うことと、乙女ゲームの世界でって話をしました。
初め、訳がわからないって顔はしていたけれど、それでもある程度質問しながら、誘導しながら私に話をさせて、ざらっとひきだしていってました。
優しく話しかけられ、甘く見つめられ、そっと涙をぬぐわれ、ぎゅっと腕に抱きしめられたまま。この鼓動の速さもきっとばれているに違いない。
夢だと思うけれど。私が覚めてしまえば元通りだろうと思うし。
そのはずだと思うし。でも──
「私のラーリアであって、ラーリアではない。だがラーリアなのか」
お兄様はひとりごちている。
聞いている私の方が頭が混乱してきた。私だってわからない今の現象。
「夢から覚めれば、私という存在? 意識? なんだろう? 私自身はいなくなると思うのです」
私が存在しているが故のこの不思議な現象だろうか?
この世界は私の夢であるなら、私がいなくなればなくなる泡沫のようなものだろうか?
このお兄様達も消えてしまうのだろうか。それとも世界は連綿と続き私が消えるだけなのか──
答えのわからない問答が脳裏を駆け抜けていく。考えてもわかるわけもない。
一方でお兄様は、私の髪を撫でながら、語りはじめた。
「私はゲームというものの中での存在なのか。俄かに信じがたいが。君はゲームのプレイヤーというもののヒロインラーリア。私は攻略対象者というもので攻略対象とヒロインラーリアは結ばれる。ということは、ラーリアはこの私のものだという話だな?」
いや、他にも対象がいて他の方ルートもあるはずですよ? と語ると、不服そうで。
でも私にはお兄様ルートしかいけませんでしたとばらすと大輪の花が開くように顔を綻ばせた。
「そうか。何度そのゲームとやらをしても、私とだけ結ばれるのか。ラーリアは私だけを選べばいい。この私だけだ」
嬉しそうなんだけど。私は赤面を隠せない。
「他の男のルートとやらもあるなら、なおさらラーリアをもう誰にも見せない、もちろん誰にも渡しはしない」
ぎゅっと抱きしめる腕に力を込め、そしてゆるめて顔をゆっくりと近づけた。
「お前は私だけのものだよ」
甘やかにどこか昏く微笑むお兄様はやはりお兄様だった。
──私相手だとやっぱり監禁ルートなのかな?
これ、夢から覚めなければ、監禁ルートまっしぐらかな? お兄様が嫌な訳もないのだけれど……。
覚めるのだよね? この夢──
end