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5 放課後


「轟さん、今の台詞だとマイクに乗らない。演技に集中してもマイクラインだけは外さないようにしないと。」

「…!分かった。」

廊下も各教室も電気が消えて真っ暗になる中、私達のいるこの教室だけが昼間と変わらない熱気に満たされていた。私たちと言っても、私と金井さんだけで他の皆は先に帰っている。いくらクラスメイトといえど、公開前の台本の練習に付き合わせることは出来ない。

守秘義務という業界の絶対のルール。関係者以外に台本の内容を見せたり教えたりすることは最大の禁忌とされている。台本を無くしたりすることも御法度で、現場によるが声優の台本にはそれぞれ番号が割り振られていて、もし万が一無くした台本が外部で発見されたとしても誰の無くした台本なのか一瞬で判別されてしまう。

だから台本の練習は皆との自主練が終わってから二人だけで行っていた。

「…轟さん、ちょっと休憩にしよっか。」

「…まだ出来る。もう一周だけやってから………」

「だめ。気づいてないかもだけど、もう三時間ぶっ通しでやってる。少し休憩入れないと練習効率も悪いよ。」

彼女の言葉で時計を見ると時計の針は午後八時を記していた。

「………はぁ。」

集中するといつも時間の感覚がおかしくなる。今だって体感三十分くらいしか経っていないと思っていたのに。

私はスポーツドリンクを鞄から取り出して壁により掛かりながら一気に飲み干す。

「どう?この台本はやりやすい?」

イチゴミルクを飲みながら横で体育座りをしている金井さんに尋ねられた。

「…役との年が近いからってのもあるから感情としては理解しやすい。でもやっぱり………」

時間の感覚がいつものように狂うほどだ。決して集中できていないわけじゃ無い。でもどういうわけか、あのとき卒業生とやったときのような手応えが感じられない。

あの日から体作りもサボっていなければ出来ることも増えているはずなのに。

「ピタってハマる感覚じゃ無いんでしょ?何か今の轟さん、探りながら演技してるように見える。」

「探りながら、か…」

痛いところを突かれる。

実際の所本当に探っているから。

どうして自分の体なのにイメージと表に出たことのつじつまが合わないのか。技術不足ならそもそもイメージすら出来ないはずなのに。

「一回限りの役で貰った初日の台本…探るのは当然なんだけど、轟さんのはそういう探りじゃ無い。なんというか…灯台を探してる。」

「灯台…?」

「私ね、轟さんはこの学校の中でも群を抜いて声優としてのポテンシャルがあると思うの。」

イチゴミルクのペットボトルを床に転がす金井さん。中身の液体をゆらしながらある程度まで転がったそれはゆっくりと減速していく。

「あの日卒業生達とアフレコをしているときはもちろん、先生や私と掛け合いをしている時も時折感じたその感覚は、紛れもないプロ同士の掛け合いだった。」

床に置いてある流行のブランドのリュックから彼女はもう一本未開封のイチゴミルクのペットボトルを取り出し同じ方向に転がす。絶妙な力加減で床に放たれたそれは、先ほど転がした飲みかけのペットボトルよりも少し離れたところで止まった。

「回りの演技の影響を受けてそれと同等のレベルまで自身の演技を持って行く。それが今のあなたの演技。」

今度は空のイチゴミルクのペットボトルを取り出して転がす。最初こそ今までのどれよりも軽やかに転がっていたそれは、先の二つよりも手前で止まった。

「でも、それだけの自力があるのに今の轟さんは自分ではそれが引き出せない。」

「…それは、私がまだ未熟だから。」

「そうだね。でもあなたの未熟さは、あなたの考えるような実力不足の未熟さじゃない。」

彼女は携帯ゲーム機を取り出した。そこには超有名ゲームのプレイ途中の画面が映されている。

「このゲーム知ってる?」

「私ゲームはあんまりだけど、それはさすがに知ってるよ。」

私が子供の時からずっと続いているシリーズで、その頃からアニメもやっていて子供なら誰もが一度はおもちゃや何かしらで遊んだことはあるだろう。

「このゲームってさ、手持ちモンスターのレベルが自分の実力に見合ってないと言うこと聞いてくれなくて勝手な動きしちゃうんだ。」

「そういえば、あったね。そんなシステム。」

昔お兄ちゃんからモンスターを交換でもらった時に、モンスターのレベルが高すぎて結局物語終盤まで言うことを聞いてくれなかった記憶がぼんやりとある。

「今の轟さんってさ、持ってるモンスターは強いけどプレイヤーのレベルがモンスターを制御できるレベルじゃ無いって状態と同じなんだと思うんだ。でもモンスターの強さが変わるわけじゃ無いから時たま自分の実力以上の力を発揮できる。」

「…それってダメなんじゃ無い?結局実力不足って事じゃん。」

「轟さんの場合はその実力不足が限定的に解消できる瞬間がある。それが卒業生や先生、私とかの自分よりも格上の人とお芝居をしているとき。」

しれっと自分の事を格上とか言っているが決して嫌味で言っているわけじゃ無いし、事実彼女の経歴で見れば圧倒的先輩だから仕方ない。

「周りのお芝居の影響を受けやすいあなたは、周りの実力に簡単に合わせることが出来る。そして周りの技術を吸収して………」

彼女はその場で内履きを脱いで投げた。放られた運動靴はほんの一秒ほど宙を舞い、空っぽのペットボトルに命中する。飲み口の部分に衝撃が生じたことでその反動でペットボトルは跳ね上がる。

「時にその場で最強の役者になる。」

ペットボトルは飲みかけと未開封の二つのペットボトルを飛び越して私たちと反対の壁に当たって動きを止める。

「ハマる感覚が無いのは、頭じゃ自分の最大値を分かっているのにそこへの到達の仕方を体が理解してないからなんだよ。」

「…じゃあ今私がやるべき事は、頭で想像したことを寸分違わずに表現できるような基盤を作ること?それとも本番で失敗しないようにこの台本を100パーセント仕上げること?」

「うーん、前者を実行するには時間が足りないし、後者は典型的な現場経験が少ない役者のやることだね。」

彼女は片足で跳ねるように軽やかに転がっている片方の靴の元へ行くと散らばっているペットボトルを拾い始めた。

「まず基盤作り。これはもうシンプル時間が足りない。頭の中身をそのまんま表に出すのって、それこそ安﨑先生とかその辺のレベルの人たちでも苦戦するくらいだから。今から一ヶ月弱でそこまでとか私でも無理。」

曲芸のように重さの違うペットボトルをジャグリングして見せる彼女。何というかその技術だけでも一発当てることくらいなら出来そうだ。本当に多才な子なんだな。

「じゃあどうするってなって、並の新人声優が一番陥りやすいのが後者『自分の中で完璧に仕上げた物を当日に持って行く』」

「…私的にはそれのどこがダメなのって感じなんだけど。」

「全然ダメではないよ。もしそれが制作側の思い描く理想の演技だったらこれ以上無いクオリティで収録に望めるだろうし。」

宙を舞っていたペットボトル達は彼女の手に帰ってくると彼女はそれをキレイに並べ始めた。

「でもほとんどの場合、と言うかほぼ確実にそんなことは起こらない。私でも、私よりもっと歴の長い声優さんでも必ずディレクションが入る。」

ディレクションとは音響監督や総監督から演技やキャラクターの方向性やシーンに合わせた芝居の指示が出されることだ。

「新人の時ってさ、どうにかして爪痕を残さなきゃとか考えて『練習の段階で自分の最大値に持って行こうとする』んだよ。するとどうなるか…」

金井さんは三つのペットボトルの内、空の物を拾い上げる。

「満タンのイチゴミルクに新しくトッピングやアレンジを加えようとすると溢れる…自分が一番理解できる自分の演技で脳ミソをいっぱいにすると、外からの意見や指示が全くと言って良いほど入ってこない。そういう新人がその後どうなるか知ってる?」

「…現場でリテイク?」

「うん、それも正解。他の演者が帰った後も終わりの見えない無限リテイクになる。それが主演や時間がタイトな役者との掛け合いだったら辛いったらないね。でも本当に辛いのはね…」

空のペットボトルが地面に置かれて今度は残りの二つが彼女に拾い上げられる。置かれたペットボトルを彼女はサッカーのように軽く蹴り上げた。そのペットボトルは真っ直ぐ彼女の鞄目掛けて飛んでいき、見事、チャックの開いた彼女のリュックサックの中へと収納された。

「その監督の現場に二度と呼んで貰えなくなる。」

「…たった一回のミスでそんなこと、本当にあるの?」

「普通にある話だよ。私たち役者の仕事は監督や制作陣が思い描くとおりの演技をすることで、自己主張をするためにスタジオに演技しに行ってるわけじゃ無いから。」

残った飲みかけのイチゴミルクを飲み干して、その空のペットボトルも一発でリュックに放り込む。

「やりたいこととやらなきゃいけないことの区別がつかない人はプロとは呼べない。そんな人が二度目のチャンスを貰えるほど、この業界は甘くないから。」

彼女の言うことは、正しい。

彼女の芸歴は並の新人声優を遙かに凌駕している。きっといろいろな現場を見てきたのだろう。

今の私に遠回りをしている時間的余裕は無い。だったらやることは一つ。

「………教えて、金井さん。今の私がするべき事を。先輩として、プロの現場を知るものとして。」

真っ直ぐ彼女に向きその目をじっと見る。

彼女は数秒待ってからその美貌でふんわり笑うと軽く飛ぶようにリュックの中を漁り始めた。

「時間が無いときに最も手っ取り早く自分の力量を上げられるのは、得意を延ばすことだよ!」

「私の得意…さっき金井さんが言ってくれた、周りの技術を吸収すること…」

「そ!だから轟さんが今からやるべき事は、器を大きくすること。」

そう言うと彼女が取り出したのは1ℓの水筒。

彼女はその蓋を開けるとそこに未開封のイチゴミルクを注ぎ始めた。

当然、500㎖のイチゴミルクは全てを注ぎきっても水筒には半分ほどの余裕があった。

「今の轟さんがこの水筒だとしたら、轟さんが自力で出せる出力はこの注がれたイチゴミルク。そしてこの余った空間だけ、轟さんは周りの実力を吸収することが出来る。」

「だったら、器を大きくって事はその水筒をバケツにでもしろってこと?」

「バケツじゃ無くて、どうせならプールを目指そう!プールいっぱいのイチゴミルクにしよ!」

それは絶対に糖尿になる。というかどんだけイチゴミルク好きなんだ。

「器が広がれば扱える技術も増える。そして扱ったことのある技術は必ず体が覚えてる。あとはその記憶を頼りに基板を作っていけば良い。」

金井さんは一息で水筒に入ったイチゴミルクを飲み干した。

「私があなたの得意をもっと伸ばしてあげる。現場での経験値は学校の比じゃ無い。そこで最大限の技術をあなたが吸収できるように!」

「…どうしてそこまでしてくれるの?」

「言ったでしょ?あなたの演技が素晴らしかったって。あなたとの現場は楽しいに決まってる、だから私はあなたになんとしてでも声優業界に来て欲しい。」

「それって金井さんに何のメリットがあるの?私が声優を目指すのは………」

復讐のため。私が業界を目指すのは楽しむためなんかじゃ…

「深くは聞かないけど、何か事情があって声優業界目指してるんでしょ?」

「…誰かから聞いたの?」

「全然。私の推測。だって轟さん、本気でお芝居してるときと皆と一緒に話してるときがまるで別人だし、演技してるときは何かに取り憑かれたかのように集中してるから。」

「あれは………」

「私は普段の轟さんも好きだけど、演技をやってるときの轟さんはもっと好き。」

「…変わってる。」

「よく言われる。」

私は台本をもう一度最初のページに戻して教室に置かれた仮のマイク前に立つ。

何も言わなくてもほんの数秒待てば、金井さんも同じページを開いて準備をしていた。

「私才能無いから、出来るまで無限に付き合って貰うから。」

「最高。夜通しでも臨むところ。」

もう何度目かも覚えていない台本練習。それは一時間後、当直の職員に割と強めに説教されるまで続いた

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