4 六人
卒業生達との特別授業から一週間が過ぎた。新人とは言え私からしたら格上も格上。色々学ぶことが多くて有意義な時間だった。
七月を回って猛暑日と呼ばれる日が増えてきて教室の空調のありがたみを痛感する毎日だ。
午前八時。一時間後の授業開始前に教室が開放される最速の時間。いつも私は一番最初に来て掃除をしてからウォーミングアップをしている。
一年生には特別クラスのような実力者が集められるクラスが無い。それでも私からしてみれば全員がそれぞれ違った武器を持っていて、各々の個性を生かして戦っている。
少しでも遅れれば凡人の私はすぐに置いていかれる。
せめて特別授業で得た技術と経験を呼吸レベルで再現できるようにならなきゃ。
軽く体を動かしていると教室のドアが開く。
「お、今日も早いな。」
短く揃えた単発をしっかりとセットした中肉中背の男がひらひらと手を振りながら入ってきた。
「蛍火君。おはよっ。」
私は一瞬で外面を切り替える。
彼は蛍火匠馬。このクラスの実力者の一人。小さいときから劇団に所属していて、大学受験を機に退団、その後就職前に好きなことを目一杯やりたかったらしく、大学卒業後に水アニに入学したらしい。
「俺も毎日割と早く来てるつもりなんだけどなぁ。うまさの秘訣は早起きですかい?」
「そんな、私なんて全然上手くないよ!」
言い方も口調も表情も何もかも偽っているけどこの言葉だけは本音。
彼の畑である舞台演劇の授業では私は彼について行くのがやっとだ。教室の端から端、舞台の最後列までどこまでも無限に届くのでは無いかと思うほどの腹圧の強い発声。そしてそれを決して雑に扱わず、繊細な芝居に落とし込んでコントロールする技術。彼の真骨頂はその体育会系な見た目からは想像もつかない、優しくこちらに語りかけてくる演技なのだ。
「そう言えば、夏休みの課外授業出るのか?」
彼が鞄から今日の教科書を取り出しながら話す。
「もちろん。早く皆に追いつくために私まだまだいっぱい勉強したいから。」
「勤勉だねぇ。そんな君には、ほれっ。」
私に向かって投げられたチョコレート菓子。慌てて取ろうと構えるとそれは私の元に届く前に別の手に収まる。
「女の子に向かって物投げるんじゃない!」
「何だよ華南ちゃん、欲しかったんならそう言えばいいのによ。」
「そういう話じゃ…って蛍火アンタいくつお菓子持ってきてんのよ!?」
大量の菓子をばらまける蛍火を注意するこの少女は私と同い年の月城華南。彼女は演技未経験での入学だが、持ち前の真面目さもあって着々と実力をつけている。物事の本質を理解する速度が早く、現場に出ることが出来れば彼女のようなタイプが一番早く成長するのだろう。
「それにしてもいつもより早いな。何かあったの?」
「課外参加の紙を提出しに来たのよ。どうせ二人も受けるんでしょ?」
「二人だけじゃ無いよー!」
開けっぱなしの教室の扉の向こうで学生証代わりのネックストラップを首にかけた女子生徒が続けざまに会話に参加してきた。
「恋も受けるんだ。」
「そ!ダンスレッスンも歌唱レッスンもあるんなら外す理由無いでしょ?」
彼女は木森恋。アイドル声優志望の二十歳の女の子だ。可愛いという観点と世間受けに置いてこのクラスで彼女の右に出るものはいない。服装のセンスも最先端、歌唱力も抜群。まさしくアイドルになるために生まれてきたような女の子。
「あとキューちゃんのも一緒に提出してきたっ!」
「わっ、私は…本当は、参加する気は無くて………」
彼女に腕を捕まれているのは清水可憐。最初名簿を見たときは可憐かと思ったがどうやらキラキラネームというヤツらしい。本人も結構気にしているらしく、このおどおどとした性格は名前でからかわれることが多かったからだそうだ。そんな自分を変えたいとこの学校にやって来たみたいだが、彼女の読解力の高さは他より頭一つ抜けている。最初の方の授業で講師の先生も気づけなかったような物語の根幹に関わるキャラクターの心情を言い当てたこともあった。
「清水さん、出たくないなら出なくても良いのよ?これは強制じゃないし、査定にも特に影響は無いって先生言ってたじゃ無い。」
「えー!私はキューちゃんも一緒が良い!」
「課外授業はクラス単位じゃ無くて単元選択でしょ。」
「さ、作品考察の授業もあったから…と、とりあえずギリギリでそれにしてきました…」
「同じクラスの人間は同じの選んでたら極力一緒にされるみたいだけどな。」
ストレッチをしていた私の背中を押しながら蛍火が会話に合流する。
「だったら、皆とも一緒になる機会ありそうだね。私結構日によって違う授業選んでるから心配だったけど、クラスの皆が一緒だったら安心!」
まあこれも本音に近い。三ヶ月弱とはいえ平日毎日授業を一緒にこなしていれば、大体皆がどんな人なのか分かる。
「…まあ皆って言っても。」
「Aクラスは六人しかいない過疎クラスだからねえ…」
…そうだった。
卒業生との授業までは確かに十五人くらいいた。それでも他のクラスと比べて少なかったけど、特別授業から数日が経って今やこのクラスは六人しかいない。
講師曰く前例がなさ過ぎるらしい。私としては自分に回ってくる時間と密度が増えて練習時間がたくさんとれるのはありがたいが、こういう課外授業とかになってくると少し不便かも知れない。
今このクラスは私を含めた六人。
蛍火匠馬、月城華南、木森恋、清水可憐、そして…
「おはよう。」
宝石のような声、その例えが最も適切だろう。彼女はその場にいる全員の意識を一瞬にして持って行った。
「お、おはようございます、金井さん………」
「おはよう清水さん。昨日おすすめしてくれた小説、面白かった。」
「え…!?もう読んだんですか…あれ私でも二日かかりましたよ…?」
「清水さんから展開をある程度聞いていたからすっと頭に入ったのかもね。」
「あう…ネタバレ…本好きとしてあるまじき失態………!」
彼女の読解能力は可憐を凌駕し…
「しーちゃんおっはー!」
「おはよう恋。リップ変えた?」
「うっそ!?分かるの!?これ前のヤツとほとんど色変わんないよ!?」
「先週出た渋谷限定の新色でしょ?恋の持ってるヤツと似てるけど、保湿能力があんまりって聞いた。」
「うひゃあ…さっすがだぁ…」
流行に対する理解速度は恋よりも早く…
「金井さん、昨日は夜中まで稽古の復習に付き合ってくれてありがとう。」
「大丈夫だよ月城さん。むしろごめんね、電話でしか相談に乗ってあげられなくて。」
「いいえ、金井さん忙しいのに無理言っちゃったのは私の方よ。」
「お詫びと言っては何だけど、今日は授業終わりに三時間ほど時間があるから自主練やってかない?」
「…!ええ!是非!」
月城よりも遙かに勤勉で…
「その自主練俺も参加して良いかな、お姫様方?」
「それはいいけど、匠馬今日バイトは平気?」
「おう!明日も休みだから遅くなっても問題ねえぜ!」
「そっか、じゃあお願い。匠馬がいると掛け合いの練習がはかどるから。」
「仰せのままに。」
その発声は素で蛍火よりも魅力を放つ…
「―――轟さん。」
「…!」
このクラス全員、それぞれが武器を持っている。自己研鑽、経歴、趣味…手に入れた経緯は違えど唯一無二のはずの武器。
その全ての上位互換が彼女、金井志穂。
演技未経験の生徒がほとんどで、経験者も高校演劇や地方の放送コンテスト程度のこの学校で、唯一子役時代から声優業界に身を置いている。
実力は当然、ルックス、世渡り能力も最前線レベル。
その完璧すぎる彼女に一部界隈ではこう呼ばれている。
『村雨アクトの再来』
「時間があれば、あなたにも是非参加して欲しい。特別授業でのあなたの演技、素晴らしかった。あなたがブースで演技を始めてからの緊張感は現場そのものだった。」
「…こっちからお願いしたいよ。今日も私に色んな事教えて?」
「ふふ…毎回言ってるじゃ無い。私があなたから吸収するの。」
私が業界を目指す上で必ず越えなければいけない身近な壁として彼女は君臨している。だがありがたいことにクラスメイトなので技術を盗めるチャンスは多そうだった。
「轟いるかぁ?」
会話に夢中になっていると教室の外から高畠先生が呼ぶ声が聞こえた。
「お、今日も自主練やってんね。」
「おはようございます、高畠先生。」
「「「「「おはようございます!」」」」」
私の挨拶にワンテンポ遅れてクラスの皆が挨拶する。
この業界に限らずだが挨拶はコミュニケーションの基本。この学校だけで無く芸能事務所の養成所や芸事の世界では何よりも重視され、挨拶が出来ない人間はいくら優秀であろうと現場に呼ばれることなど無い。
「おお、なんだ金井もいるじゃん!丁度良かった、用があるのが君ら二人なんだ。」
来い来いとジェスチャーされて、招かれるまま私と金井さんは廊下に出る。
出るやいなや、高畠さんは私たちに封筒を渡してきた。
「案件部から君達に、夏休み期間中に案件の相談だ。」
「ありがとうございます。」
「案件…!?私にですか!?」
「心配なら中の書類と台本確認してみな。もちろん両方とも守秘義務ありだから漏洩厳禁な。」
いわれてすぐに封筒を開封すると、中には香盤表と一冊の台本が入っていた。
「『男子校生徒会執行部』って漫画のドラマCD。僕と安﨑さんがメインキャストなんだけど、監督のご厚意で是非俺たちの生徒を一人ずつ呼んでくれって事になってさ。安﨑さんが轟さんを推薦したから、それなら現場経験の無い轟さんに少しでもリラックスして貰おうって思って、俺からは同じクラスの金井さんを推薦させて貰った。」
なるほど、確かにキャスト欄は私たちの他には二人、しかもその人たちもどうやらそれほど実績があるわけでは無さそうだった。むしろ実績だけで見れば先生二人に次いで金井さんが三番目だ。
それでも先日の卒業生達と変わらない実力なら、加えて現場なら私にとって学習の機会に他ならない。
ドラマCD。
今や配信による音声コンテンツの供給が主流になってはいるが、それでもまだビジネスになるほどの高い需要のコンテンツ。
映像のない分、時間の余裕は大きいが聴覚情報だけで情景描写や心理描写を伝えなければならない。
「…収録場所、新宿ラグーンビルって書いてますけど、あそこ確か四階から六階がスタジオですよね。スタジオ番号も書かれてないですけど。」
「ありゃ!?…うーわマジじゃん。こりゃ先方に言わないとあと二人が迷っちゃうな。」
「いえ、二人とも一度現場でお見かけしたことある名前なので、ドラマCDの収録なら四階のスタジオって分かると思いますけど一応…」
「いや、それでも助かったよ。じゃあ俺は先方に連絡してくるから、今日も授業頑張って!」
やや急ぎ足でエレベーターに乗り込む高畠先生を見送って一礼してから、私はもう一度封筒に目を落とす。
やっと、やっと現場に出ることが出来る。ここでの授業はもちろん私にとって為になる要素しか無いが、それでも色んな先生や金井さんから聞く限り、現場での経験値は学校での授業の何十倍も大きいと聞く。
私には遠回りしている余裕も実力も無い。より早くお兄ちゃんの領域に近づけるならそのための最短ルート、ありがたく踏みしめさせて貰う。
「…多分初現場だよね。おめでとう。」
「ありがとう。良かった、先生達も金井さんも一緒の現場で初仕事のスタート切れて安心だよ。」
「そう。どうやら今回は若干私のバーター入ってるけど、それでもドラマCDの現場なら轟さんなら問題なくこなせると思う。」
「…金井さんは私のことを買いかぶり過ぎだよ。私、高校の途中まで演技なんてやったこと無かったんだよ?」
「だったらそれは才能の域だよ。少なくとも同年代に、あなたのように短期間でそこまでの実力をつけた人間を私は知らない。」
金井さんはどうにも私を高く評価している。これが経験と実績から来る余裕なのかそれとも本当に彼女の目には私が実力者に写ってるのかは分からないけど、少なくとも今の私に映像の無い現場だからと余裕でいられるほどの実力はあるとは思っていない。
「役名は女子高生AとB。台詞の量はほとんど変わらないし、今の私たちに役年齢も近い…これ、今日の放課後練習の題材確定だね?」
「そうだね…蛍火君達には悪いけど、金井さん今日時間あるんだよね?」
「多分同じ事考えてるから、いいよ。この授業終わったら私が教室申請出しとくから。」
収録は八月頭。それまでに私が出来ること、今はこの身近な同い年の格上から吸収できる技術を可能な限り身につけること。
私の初現場までの役作りが始まった。