3 蕾の花束
「アカネ先生!俺の作ったプロット見てください!」
「自信作なのね…まずは担任の先生から添削を貰うところから始めましょう…」
「先生の学生漫画家デビューに衝撃を受けて、私高校の頃から漫画しか描いてこなかったんです!」
「そう…高校は卒業できたみたいで安心したわ…」
「………」
「無言で原稿だけ渡されても私もどうして良いか分からないわよ…」
梅雨の空模様が続く六月の終わり。私は珍しく人に囲まれていた。
専門学校の特別講師として知り合いの作家から是非講義をしてくれと頼まれ、その人とは顔なじみであったのでつい承諾してしまった。
別に特別講師自体が初めてというわけでは無い。漫画家になって制作のテンポ感を掴めるようになってからは編集さんから頼まれて芸大やここのような専門学校で教壇に立つと言うことも何度か経験している。
けどどうにも私は感覚でやっている部分があるのでその感覚を人に教えるというのが苦手だ。
原案の考察からネーム、下書き、清書…どれもその人独自のやり方があると思うし、私の話なんて参考程度に聞いて自分の技術の向上にさっさと努めた方が絶対に身のためだ。
といっても、その私もここ二年ほどは漫画やイラストとは全く関係ない分野を一人の少女に教えていた。
担当の職員が気を利かせてくれてやっと教室から出て待合室へと戻ることが出来た私はスマホでとある人物に連絡を入れた。
『今終わった。待合室にいる』
『りょーかい』
簡単な文章でのやり取りが終わるとそれから五分もしないうちに扉をノックする音が聞こえてきた。
「よ、アカネちゃん。」
「シゲにい早すぎない?暇なの?」
「あんたら師弟は俺に対する口の利き方がなってないよな…」
私の親戚で声優の安﨑成伸。初めて会ったのはものすごい遠い親戚の葬式。お互いアニメの収録で顔を合わせたことはあったがその時は親戚とは認識していなかったので親戚だと知って驚いた。
ちなみにこのシゲにいという呼び方は二人の時だけしている呼び方だが、最初はシゲおじさんと呼んでいた私に何回かして切実な顔をしながらおじさんは辞めてくれと懇願されたのでこの呼び方に落ち着いた。
「はぁ…で?本日はどうして水アニ(水道橋アニメーション学院)へ?」
「伊藤先生に頼まれたの。」
「伊藤先生ってあのエロ同人作家の?」
「そ。あの陵辱痴漢専門の同人誌を描いてるとは思えないほど陽キャで本人が超巨乳な伊藤先生。」
「女性の口から陵辱って出てくると男性としてはいたたまれない…というかよく引き受けたな。」
「元私のアシスタントってのもあるけど、一番は私の講義と引き換えに今抱えてるアシスタントの子のサークルを冬にシャッター前にしてくれるっていうから…」
とどのつまりバーター案件。私一人の気苦労で面倒見てる子が経験積めるなら安いものだ。
「ほんと、相変わらずアシスタントに甘いよな。」
「その分要求値の高いものを提出して貰ってるから。アシスタントの実力向上は廻り巡って自分の作品に還元されるのよ。」
「さっすが若くして漫画家を生業としてきた人は違うねぇ。」
待合室のソファにドカっと座ってテーブルに置かれたケータリングのお菓子をつまみ食いするシゲにい。
私の記憶が正しければこの人も声優として仕事し始めたの滅茶苦茶早かったと思うんだけど。
「…その教育方針のたまものか?あの問題児は。」
「…エリがどうかしたの?」
「名前は挙げてないのに認識する辺り、アイツが問題児だって事は自覚してんだな。」
元々異常なまでの執着心をもって練習に打ち込んでいたけど、ここ数ヶ月は本当に異常としか言えない。私との練習やシゲにいのワークショップは継続して行っているし、それに加えて学校も始まった。本当に起きてる時間の全てを声優としての向上に使っているような印象だ。
「ついてこいよ」と言われ私はシゲにいについて声優科の校舎へと移動する。
「今日は声優科も特別授業の日でな。ここ二、三年で卒業して事務所所属や預かり所属になったやつらが一年生と一緒にアフレコの授業をやるんだ。」
「もうアフレコ練習?二ヶ月なんてまだ基礎練習しかしてないのかと思ってた。」
「昔はそうだった。でもそれじゃ夏休み前までに何か違うってんで辞めていく奴らが毎年一定数いたんだよ。」
「何そのふざけた理由。」
「十人いれば十人の本気度合いがあるって事。皆が皆人生賭けて声優やりたいとは思ってないって事だ。」
思わずため息が出る。エリはエリなりの考えがあってここを選んだみたいだったけど、やっぱり最初から養成所を勧めた方が良かったのかも知れない。
「…で、学校側もこれじゃまずいって思ったんだろうな。ここ数年は入学月からアニメアフレコの授業が入るようになって、おかげさまで途中で辞めていく生徒の数も減少してるって訳だ。」
「でもここって演技未経験の子ばかりでしょ?いきなりそんな授業して成立するの?」
「大体は声優の真似っこ遊びだよ。でもそれで生徒のモチベが保てるんならって職員皆苦笑いだよ。」
エレベーターに乗ってビルの最上階へ。そこは声優科のイベント行事で使われることもある教室のフロアで、普段は壁で仕切っている部屋を壁を取り払うことで大きなフロアの教室にしている。
奥にはアフレコブースがあって廊下からもフロアからも中の様子が見えるような構造になっていた。
中ではどこかのクラスがアフレコ実習を行っている。
「…これは、何というか…反応に困るクオリティね………」
「アカネちゃんは声優ではないにしてもアフレコの現場に触れる機会が多かったからな。比べるのは仕方ないことだ。」
廊下にも専用のスピーカーが何個かあって中の音声とミキサールームで指示を出している職員の声が聞こえる。
台詞を喋りきれるだけまだマシ、ほとんどの生徒は台本を読むことと映像に合わせることでいっぱいいっぱい。そんな中だから新人とは言え現場に出ている卒業生の演技が余計に上手く見える。
「卒業生達はちゃんと演技できるのね。」
「そりゃまあ一応所属か最低限マネージメント対象、加えてウチを卒業して三年やそこらで所属できるだけの実力はあるからな。」
ようは将来有望な優等生達か。そんな先輩達の演技を見て聞いて、生徒達の表情は輝いているものもいれば真剣そのものに聞いている人もいる。
「なるほど…この学校、なかなかに体育会系なところあるわよね」
「…やっぱ気づく人は気づくよな。」
「この特別授業、やる気のある人間ほどダメージを受けるようになってる。」
やる気のある人間や実力がそれなりにある人間は他人の実力というものを正確に判断できる。それは生徒同士でもそうだろうし、今自分たちの目の前で演技をしている直近の実力がある先輩の技術の凄さも分かるだろう。
要するにこの特別授業はやる気の無い人間にはアフレコが出来るというモチベーション稼ぎ、やる気や実力のある人間には自分たちが直近で目指すべきラインの実力を実感させることが出来る、一回で二度おいしい一石二鳥の授業というわけだ。
卒業生達もそれが分かっているのか事前に聞かされているのか、一切の手加減無く全力でお芝居をしている。まだまだ粗い部分はあるがさすが優等生達。与えられた役をきっちりとこなしている。
これは生徒によっては心折れるだろうなと思いつつエリを探す。参観日の親ってこんな気分なんだろうか。
前々からAクラスということは聞いていたので端の方を見るとじっとブースの中を見つめるエリの姿があった。
しっかり集中しているときの癖まで出ているからちゃんと授業を聞いているのだろう。まあ初めからそこは心配していなかったが。
だが妙だ。私はその教室の中の光景に軽い違和感を感じる。
エリに、というよりはエリのクラスメイトにだ。
「…?エリのクラス、他のクラスより人数少なくないかしら。一年のクラスには少数精鋭のクラスなんて無いって聞いてたのだけれど。」
「………まさにそれだよ。エリが起こしてる問題ってのは。」
「…どういうこと?」
「すぐに分かる。Aクラスからはエリが選抜されてるからな。」
シゲにいがそう言うとすぐにブースの扉が開きエリの名前が職員によって呼ばれる。
台本を持ってブースの中に入るエリその目は集中していて、私の稽古やシゲにいのワークショップを受けているときと全く同じ表情だ。
ブースと教室を隔てる扉、そしてその更に内側の重い防音の扉が閉められ、エリとその他の卒業生達がマイクの前に立ち映像が動き出す瞬間に構えている。
映像と録音の開始を告げるキューランプが一回、明滅する。
台本は数年前この学校が制作委員会に参加していたアニメの抜粋で全部演じきっても十分ほどの短いものだ。
生徒が一番台詞の多い主人公、もしくはヒロインを演じ卒業生がその脇を固めるという配役構成。台詞の量は生徒が圧倒的に多いが、場数と経験の差で卒業生が圧倒的上を行くと言うのがここまで見てきた印象だった。
所詮専門学校の生徒なんてそんなものだろう。まあ、エリがその程度だなんて私は微塵も思っていないけど。
「エリは、自分の事をアクトのような才能が無い凡人だと思ってる。」
「ええ、実際その見立ては合ってる。エリにはアクトのような天才的なまでの魅力は無い。」
卒業生から台詞が始まり、数十秒。
「だが…」
「でも…」
エリの台詞が始まる。
「「あいつ(あの子)には才能がある。」」
一言目から先ほどまでの生徒達とは比べものにならないクオリティ。さながら現場のような緊張感にブースの空気が変わった事がこちらからも感じ取れる。
「あいつは自分の目の前で演じた役者の強みを即座に自分の演技に落とし込めるんだ。全力で集中して観察して三割から二割の完成度ってところだが、そんな芸当第一線で活躍してる奴らでも出来る人間の方が稀だ。」
先ほどまで生徒が主人公を演じたときにヒロインを何度も同じ卒業生が演じていた。その卒業生はヒロインが主人公に疑問を投げかけるシーンで今まで隠していた気持ちをゆっくりと語る。そのテンポ感と呼吸の心地よい間、それをエリは吸収して、自分の芝居に落とし込んでいた。しかも、卒業生をわずかに上回るクオリティで。
「それがあいつの『吸収の才能』」
エリの台詞は続く。次のシーンは場面が変わってヒロインと敵の戦闘シーン。そのシーンも先ほどから一人の卒業生の力みの声が印象に残っている。だがそれは演技や間のセンスや技術だけで無くその卒業生の体格や喉、肺の強さがもたらす結果であってこれをエリが今の体でコピーすることは不可能。
エリは台本の台詞が一瞬途切れたタイミングを見計らって、自分の身長より低めにセットされているマイクの前に即座に移動する。エリは先ほどから何度か見ている段階でこのシーンの時にはこのマイクが限定的に空いている事に気づいていた。
「さらにあの子は、現状の自分にある知識と技術を即席で組み合わせてその場で新たな技術へと昇華させることが出来る。」
腰を落とし体勢をわずかにかがめて前のめりになるように台本を構える。しっかりと映像は確認でき、背の低いマイクに移動したことでかがめた時の口の高さとマイクの高さがぴったりとリンクしている。そして腰を落として加えて腹筋に負荷の掛かる体勢を取ることによって言葉に力を込めることに成功している。
「それがエリの『学習の才能』」
映像はクライマックスにさしかかる。登場キャラ全員が続けて台詞を放つ入れ替わりの激しいシーン。その中で一番目を引いていたのは、いやこのアフレコの時間を今の一回きりの収録で持って行ったのは。
「この全てどれも半端な人間がやったってただの付け焼き刃だ。だがあいつは、エリの復讐心がそれを許さない。」
「あの子は普通の人が十出来るようになれば習得したと認識するようなことを、百も二百も出来るようになるまで繰り返し追求する。」
全ては自分の実力が兄に、アクトに遠く及んでいないと自覚しているからこその行動。強すぎる天才と同じ遺伝子を持ちながら、その天才の光を見るばかりだった。
「エリの最大の才能にして後天的に手に入れた才能『努力の才能』」
その光に埋もれて、本来は目覚めるはずの無かった才能が復讐という強すぎる養分を蓄えてゆっくりと芽吹いていった。
彼女にもし、アクトと同じだけの才能があるのなら…いまはまだ花開いていない才能の花束、それは蕾の花束。
アフレコの実習が終わりエリがブースから出てくる。
あれだけ迫真の演技をしていながら息一つ上がっていない。
その後ろ姿を見る卒業生の中には、何人か目に涙を浮かべているものもいた。
努力という才能によって開花した天才の遺伝子。越えなければならない壁を提示するつもりが、彼らは今の自分たちでは越えられない壁を目の当たりにしてしまった。
「…Aクラスはな、五月の段階で半分の生徒が辞めちまったんだ。エリに勝てるわけが無い、あいつはレベルが違うって全員口々に言ってたよ。」
先ほどまでアフレコを終えて戻ってくる生徒には拍手があったが、エリの帰還時には全員が呆気にとられているだけだった。
「ったく…何が才能が無いだ………あんなの他の生徒、いや、俺から見たって断言できるぜ。」
何事も無かったかのように自分のクラスに戻り、クラスメイトと二三談笑したらまたいつものエリに戻っていた。
「あいつは、化け物だ。」