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1 邂逅


東京都千代田区。JRの運営する中央・総武線の停車駅である水道橋駅。大学や高校その他学校が多いことから学生の駅としての認識が大きいが、休日ともなれば野球観戦や最寄りのテーマパークへと足を運ぶ家族連れの駅となる。少し歩けば居酒屋やカフェもあることから、学生生活がここで完結させることが出来ると言っても過言では無い。

学校に入学する説明会やその前にも何度か来たことがあるが、今日からは平日毎日この駅で降りることになる。

JR改札を出て大通り沿いをしばらく歩く。

道すがら同じような服装の学生らしき人を何人か見かける。高校を卒業してまだファッションというものを理解しきっていないような、俗に言うダサい服装。そしてどういうわけかそういう人たちは何故か同じ建物に向かって吸い込まれていく。その建物に入る人たちが全員ダサいわけでは無いが、周りをキョロキョロと見渡しながら入る人や、何度もスマホとエントランスを交互に見る人たちは殆どの確率で少し残念なファッションをしていた。

自動ドアの反射で軽く前髪を整えてからセンサーによって開かれる門をくぐる。

「おはようございます!新入生の方ですか?」

黒いスーツを着た職員と思しき女性がにこやかに挨拶をしている。

現在の時刻は正午過ぎ。日本の挨拶的にはもうこんにちはの時間帯であるがこの建物内に限ってはこの挨拶がどの時間帯にも適応される。

水道橋アニメーション学院声優科全日制コース。国内でも有数の歴史を誇るエンタメに特化した専門学校の声優を専攻で学ぶ学科。その生徒数は一学年数百人規模と言われ、他にもアニメエーターや漫画、イラストレーターと言った専攻があるが、唯一この科のみ専用の校舎があり、授業を受け持たない事務と呼ばれる職員も専属の人が用意されているという好待遇っぷりだ。

しかし実際それだけのことをしなければいけないほどの生徒数を抱えているので、今こうして受付で新入生達によって形成されている長蛇の列を職員の方が額に汗を光らせながらさばいているのだ。

「おはようございます、一年Aクラスのむ…『轟』です。」

「轟さんですね。ではこちらの名簿記入列にお並びになってお待ちください。」

言い慣れない名字を職員に告げて広いエレベーターホールで形成されるアトラクションの待機列の最後尾を探しそこに並ぶ。並んだ直後から次々と生徒がやって来て、私の後ろにはあっという間に数十人が並んでしまった。

今日は入学初日のオリエンテーション。全てのクラスの人間が同じ時間に登校するのでこれだけの人数になっているのだろう。

これは名簿の元にたどり着くまで時間が掛かりそうだな。

私は鞄から名札と入館証を兼ねているネームストラップをだして首からかける。ぼーっとスマホの画面を見ていると前の方で何やらざわめきが聞こえ始めた。

そのざわめきは徐々にこちらの方に向かってきているような聞こえ方だ。野次馬根性で伝播しているのではなく、ざわめきの中心がそのままこちらに向かってきている。

「おっ、いたいた。」

ざわめきの中心が私を見つけるなりにやりと笑って近づいてくる。

「なんだ、安﨑(やすざき)さんか。」

私は彼を少し見て再度スマホに視線を落とす。

「はぁ…エリ、お前くらいだよ。この学校で俺に向かってなんだって言ったあげくスマホいじり出すのは。」

「だってもう今更安﨑さんにいちいち驚いたりしないでしょ。約二年も稽古つけてくれてたんだし。」

「…俺って一応世間で見れば売れっ子の声優って自覚はあるんだがなぁ。」

この人は安﨑成伸やすざきしげのぶ。私が声優を目指し始めてからずっと基礎や技術的な稽古をつけてくれている。言ってみれば先生だ。というか、この学校では実際に先生としてたくさんの生徒を教えている。吹き替え声優業界では知らない人はいないほどの超人気声優。周りが彼を見てざわめくのは当然だった。

「あー、とりあえずエリ、ちょっと喫煙所付き合えよ。」

「私未成年なんだけど。」

「ホントに吸わせるわけ無いだろ。名簿記入の手続きは後で俺がやっとくから入学式サボって駄弁ろうぜってお誘いだよ。」

「職権乱用じゃん。」

「いいから来いって『轟』エリちゃん?」

彼は私の名前の轟の部分を強調してまたにやりと笑った。

まあいいか。入学式なんてなんのプラスにもならないだろうし。

私は安﨑さんの後をついて歩き、新入生の大行列から外れた。

轟エリは私の本名では無い。これはお世話になっている人から借りて使っている名字だ。私の本名はこの学校、ひいてはこの業界で目立ちすぎる。

轟エリ、本名『村雨エリ』

私が偽名を使うのは私の名字の村雨が数年前に突如引退した天才声優と同じだからだ。

『村雨アクト』

業界で未だに真似できた者のいないような超短期間で声優となって、最速でトップに君臨した超天才。

私のたった一人のお兄ちゃん。

そんな大好きなお兄ちゃんがこの業界で理不尽に潰されてしまったことを、彼の元恋人である漫画家『轟アカネ』から聞いた。

その日から私はアカネさんにお世話になりながら声優志望として自分磨きと自己研鑽を続けている。

全ては声優となってお兄ちゃんを潰した人間に償わせるため、兄が正しかったと証明するため。

そのためなら、どんな時間も捧げてやるつもりだ。

「ほらよ。入学祝いだ」

学校近くの自動販売機でホットのカフェラテを手渡される。

「…学校出ちゃったじゃん。校舎の中に自動販売機あるんでしょ?」

「お前の好きなメーカーの自動販売機じゃねえんだよ。それに…」

その自販機周辺はどうやら喫煙所として使われているらしい。錆びた外置き灰皿横のベンチに安﨑さんが腰掛けて、紫煙を空気に溶かした。

「…あれだけ人がいる中でお前の兄貴の話なんて出来ねえだろ。」

「………」

肯定の代わりに私は風上の自動販売機にもたれカフェラテの栓を開けて一口流し込む。

四月と言ってもまだ寒い。ほんのりと冷えた体に甘い温かさが広がっていく。

「お前、本当に声優なるんだな?」

「…アカネさんも安﨑さんも同じこというんだね。当然でしょ。」

「…はぁ。ま、そうだよな。アカネちゃんから最初に紹介されたときから、もう覚悟決まってるって顔してたしな。」

「だったら聞かないでよ。」

「兄貴の方には何て言ってこっちに来たんだ?今までみたいに遊びに行ってくる、じゃさすがに無理があっただろ。」

ビルの日陰を歩く人たちをぼんやり見ながら、手のひらの温かい感触を確かめながら、会話を続ける。

「街でやりたいこと見つけてくるって言った。住処は友達の家って事になってる。」

「はっ。まさか自分の妹が元カノと一つ屋根の下で暮らしてるなんて思いもしないだろうな。」

「そうだろうね。」

お兄ちゃんは私を送り出すときも深くは追求しなかった。毎月数万円のお小遣いを送るねと言っただけで就職も進学もしなかった私を咎めることもなくって。

東京、と言う言葉に一瞬引っかかったような顔はしていたが、引き留めたりすることも無かった。

「兄の無念を晴らす、か…分かってると思うが、お前の兄貴はそんなこと望んでなんかねえと思うぞ。」

「分かってる。でもこれはお兄ちゃんがどうとかじゃ無い。」

ぺこん、と弱い音を立てて私の手の中の缶が軽く凹む。

「お兄ちゃんが酷い目に遭って『私が』我慢できない。これはお兄ちゃんの為とかじゃ無い、私が許せないからやってるだけ。」

「そうかい…」

安﨑さんは短くなったタバコを灰皿に押し当て捨てた。立ち上がって私の頭をくしゃくしゃと撫でる。セブンスターの強いタバコのにおいが頭の上から降ってくる

「何すんの…」

「いいや?別に。」

「タバコ吸った直後の手で女の子の頭触るとか最悪。ヘアセットも崩れちゃったし。」

彼の手を払い退けて手ぐしで簡単にセットを直す。

「この学校でのことや業界でのことだったら、遠慮無く頼れよ。俺もアカネちゃんもそのためにお前の面倒見てるんだからな。」

「言われなくても最大限利用させて貰うよ。そうでもしなきゃ、私は『天才じゃ無い』から。」

声優志望になって割と早い段階で気づいたこと、と言うより昔からそうだったことを再認識したと言った方が近いだろうか。

私には声優として業界人として目を引く才能が無い。

感性、トーク力、読解力に滑舌…声優に必要な要素はどれも並の人間に毛が生えた程度でしか無かった。

かといって頭も良くないから制作側に回って業界に関わることも出来ない。

だったら、唯一のお兄ちゃんと共通の才能であるこのルックスを少しでも利用できる演者の方が、まだ可能性として高い方だろう。

「…この際だ。俺もはっきりお前に言っておく。」

「何?声優は向いてないって?」

「違う逆だ。お前はもう既に——————」

「おや、安﨑先生もこちらにいらしてたんですか。」

私の背後、自動販売機の向こう側。低く、それなのに全く曇りの無い声が私の鼓膜を震わせる。

「…珍しいですね。今日は受け持ちの授業があるんですか?」

「それもありますが、今日は入学式の挨拶があったので。」

慣れた手つきで電子タバコを咥えるその男とは全くの初対面だ。だが私はこの男のことを知っている。

「…おや?その名札はウチの生徒かな?さっきの入学式にはいなかったと思うが、初日から遅刻でもしてしまったのかい?」

「…船堀優哉ふなぼりゆうやさん…ですよね…?」

轟アカネ原作アニメ『アクセル・ソード』のレギュラー、ブレイド役。その人はお兄ちゃんが潰されたその現場にいた当事者かも知れない人だった。

「声優科特別講師クラス担当講師の船堀だ。初日からサボりとは感心しないな。」

白髪交じりの頭髪に鋭い目つき。身長も安﨑さんやお兄ちゃんよりもずっと高い。見下すように睨む視線に全身の筋肉が強張る。

「あ…えっと………」

言葉が思いつかない。この人が恐ろしいわけでは無いが、この威圧感のある目は初対面にはきつい…

「あー、この子は迷子っすよ。ほら、ウチの校舎って声優科だけでも三つあるじゃ無いっすか。間違ってC校舎に行ってたのを授業終わりの俺がたまたま拾って、んで一服するからちょっと待ってろって飲み物を条件に待たせてたんですよ。」

必死に脳内で言葉を絞り出していると船堀と私の間に安﨑さんが割って入る。

「そうだったのか。ふむ…やはり声優科だけでも校舎を統一させた方が良いかもしれないな。」

「方向音痴は確定で迷うでしょうね。二年なんて日によっては駅も違いますし。船堀さんから学長に一言言ってくださいよ。」

「確かに、校舎の問題は一理ある。でもね、僕はもっと根本的な問題だとも思っているんだ。」

安﨑さんの背中越しに匂う彼のタバコのにおいが、風によって漂ってくる電子タバコ特有の匂いに塗り変わっていく。

「学園が手厚い管理をしきれない生徒数の多さが原因、そう考えたことは?」

電子タバコの煙を私たちに掛からないように配慮してか高めに吐き出す。

「新入生の三人に一人は夏が始まるまでには辞めている。残った生徒も二年生に進級するのは入学時の半分くらいだ。」

「………」

「そして卒業後に本当に声優になれる人間なんてクラスに一人か二人…三人いればその年は優秀と言っても良い。」

「…そんな話、今日入学のルーキーに聞かせたってしょうが無いでしょ。下手したらやる気を削ぎかねない…」

「…私はそれでも構いません。」

船堀はにやりとこちらを見て笑う。

「この程度の言葉で削がれるやる気など、最初から無いも同然です。そんな子供の発表会感覚で気楽に目指されて良いほどこの仕事は墜ちていない。」

「あなたのそういう態度は教員室で何度か目にしていました…この際だから単刀直入に、何が言いたいんです…?」

「この仕事、声優という仕事は『選べる仕事』じゃ無い。初めから選ばれた才ある人間が務めて初めて完成する、芸術なのです。」

ゆっくりと開く両の手。黒のスーツが彼の不気味さを際立たせている。

「ここの生徒もその九割は雑多。残りの一割から次世代の玉を見つける場所なんですよ。」

「誰だって輝ける可能性は平等にある。あなたの言う玉だって運に恵まれなかっただけで簡単に消えて行く可能性だってあるだろ。」

「運に左右されるほど、私の育てる宝石達は鈍くない。文字通り、皆才能に溢れている。私や安﨑先生、そして…」

ビル風がざわつく。まるで彼の感情の起伏に呼応しているかのようにうねり、冷たく私の肌を突き刺す。

「消えた天才、村雨アクトのように…」

「…ッ!?」

まさかこんなに早くこの人の口からその言葉が聞けるなんて思ってもいなかった。

何を知っている、お前が原因なのか、あの日現場で何が起こった、知っていることを洗いざらい吐くまで解放してなどやるものか。

反射的に彼に飛びかからんとする私の肩を、安﨑さんが片手で押さえつけるように止める。

「どうしたんだい?そんなに怖い顔をして。」

「…そりゃあ、夢と希望に溢れた入学初日からあんなこと言われたら一言言ってやりたくなるような気持ちにもなるでしょうよ、船堀さん。」

船堀と話す間も安﨑さんは私の肩を抑えつける力を緩めなかった。

ありがたい…

痛みを感じるほどの強さで抑えつけて貰わないと、今の私じゃ振り払ってしまいそうだったから…

「これは失礼。君のその整った顔を見ていると、どうにも彼のことを思い出してしまってね。実に惜しい才能だった。」

「俺は自分の事天才だなんて微塵も思って無いっすけど、俺も船堀さんも伝説的な天才とまで謳われる村雨アクトには叶わんでしょう。でも…」

そう言うと安﨑さんは私の肩から手を離すと間髪入れずに頭に手を乗せてぐいと横に連れてきた。

錆びた灰皿を挟んで向こう側、私と船堀が正対する。

「この子もこの子の同級生達も無限の可能性を秘めている。次世代の村雨アクトが出る可能性だってゼロじゃ無い。その可能性にベットするのを渋ってるようじゃ、役者としてのあなたの底が知れちまうでしょう?」

「ははは。相変わらず熱い人だ安﨑さんは。あなたが新人の頃から変わらない情熱、だからこそこの学校でもたくさんの生徒に慕われているんでしょうね。」

船堀は電子タバコの吸い殻を持参した灰皿に押し込むとロングコートの中に手と一緒に押し込んで歩き出した。

「せいぜい期待しています。あなたが玉でであることを。」

去り際に彼は私に向けてそう言った。

彼が立ち去ってから数秒と立っていないのに、何時間も経過したかのような精神時間が流れている。

「…心配しなくても、お前はいずれあいつの元にたどり着く。」

安﨑さんの言葉が遠くに聞こえる気がする。近くにいるはずなのにぼやけていてはっきりとは聞こえない。

「だから、落ち着けエリ。」

両手で頬をぐいっと持たれ、ビルの窓に写る自分と目が合う。

今にも泣き出しそうな、なんとも哀れな顔の弱そうな女がそこにいた。

「…っ。」

慌てて安﨑さんの手を払いのけて顔を覆ってもみほぐす。

時間にしてほんの数秒だったけど、その数秒で途方も無い情報量が流れた。

ずっと追い続けてきた奴らの一人に会えた。しかも本人の口からお兄ちゃんの名前を聞くことが出来た。これで彼とお兄ちゃんが何かしらの関係があったことは確定。

そしてその数秒で今の私が船堀に遠く及ばないことも分かった。

「…安﨑さん、あの人本当にトップクラスの声優なんだね。」

「なんだよ今更。」

いつの間にか二本目のタバコに火をつけていた安﨑さんが空を仰ぎながら答える。

「船堀優哉なんて声優知らない人でもバラエティで見たことあるくらいの人だろ。」

「違う…今の一瞬で分かった。まだ私はあの領域に達してない。」

「声優目指し初めて二年弱で達して堪るかよ。それこそ………」

そう言いかけて安﨑さんは決まりが悪そうにタバコを咥えた。

「いいよ、お兄ちゃんはそうだったんでしょ?」

「あれはマジモンの特別製だ。あんな人間、もう二度と生まれねえって言われても何の不思議も抱かねえよ。」

「その特別製の領域に至らないと、私のやりたいことは達成できない。」

お兄ちゃんの無念を晴らすためには、最低でも船堀やあのレベルの人たちと渡り合えるだけの実力を手に入れなければならない。今のままのペースで練習を続けていたんじゃ時間がいくらあったって足りない。お兄ちゃんと違って天才じゃ無い私は天才が一回で理解できることを何百回と重ねなければ習得できない。

「…これ、初日に持参するように言われてた書類達。事務に持って行くよりも安﨑さんに渡したほうがはやいもんね。」

「あ、ああ、それは別に構わないけどよ…」

鞄から書類を二、三枚取り出してファイルごと安﨑さんに押しつける。受け取ったのを確認したら、自然と下を向いてしまう弱虫は帰路につく。

「どこいくんだよ。入学式はサボっちまったけど、オリエンテーションとかはまだ出られるぞ。」

「…連れ出してきたの安﨑さんじゃん。」

「それはまあ…そうだけど…」

「…マンションに戻って基礎練習と反復練習。今は一秒でも長く実力をつける時間が欲しい。」

安﨑さんに背を向けたまま駅への道を歩く。

私の入学初日は自身と最前線の実力の遠さを痛感する日となった。


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