幕間 序章???
私は昔から年上というものが苦手だった。
小学校の登校班も上級生達の威圧感が苦手で、毎日理由をつけては一人で登校した。
中学生に入学してすぐ、絵を描くのが好きだったので入部した漫画研究部の部長に告白された。断り方を知らなかった私は流されるままに付き合って、年並みのデートに行くこともあった。
けれども時が進むにつれて、どうやら私には絵の才能があるらしいことが発覚した。部長と一緒にWEBで持ち込みに出した漫画がそのとき丁度開催されていた漫画賞の銀賞を獲得したのだ。担当が付いて、次回は連載用の原稿を作りましょうと言われた。
その賞に部長はかすりもしなかった。残念ながら部長はただのちょっと絵が描けるだけのオタクという国内だけでも掃いて捨てるほどいる一般人の一人でしか無かった。
連載を貰って部活に行っている暇が無くなってしまった私は副部長の計らいで名誉部員として出席を免除して貰えることになった。
部長とは自然消滅的な流れで別れた。どこの高校に行ったのかも、今何をしているのかも知らない。
高校は連載の妨げにならないように通信制の高校を選んだ。月に数回登校するだけであとはテストさえこなせば卒業できるシステムは連載昨夏としてはありがたい限りだったが、そのせいで高校時代の友人というものが私には存在しない。
高校を卒業して成人して自分の作品がアニメになると、担当さん以外の人と関わる機会も増えた。
私よりずっと年上の人から告白されることもたまにあった。新年会で気のあった女性作家の友人が言うには、私は歳に見合わぬ色気がある…らしい。
告白してくる中には都内の一等地に住んでいるような人もいたが、私は才能が無い人間に興味を抱けないみたいだった。
私の作品に良い影響を及ぼしてくれる人にしか興味が無いし、それ以外の人と話す時間は無駄とさえ思っていた。
だから、何か一仕事終えた後の打ち上げとか言う名の免罪符を掲げた飲み会なんてものは嫌で嫌で仕方なかった。
「『アカネ先生』!飲んでますか!?」
自分よりも大きくて太い手が私の方をずんと叩く。私の隣では自分より二回りも上の男が歳に見合わない金髪のロン毛を雑に後ろで束ねて、ビール瓶を振り回している。
「…ええ。」
「おやおや、ドライですねぇ。先生くらいの年頃ならまだ遊びたい、盛り上がりたいお年頃なんじゃないですか?」
「…私は今日のこの飲み会には仕事の一環として来ていますから。」
『アクセル・ソード』アニメ化された私の連載していた漫画。今日はその収録の打ち上げに来ている。
いつもだったら収録が終わり次第速攻で帰宅していたのだが、なんの気まぐれだろうか。きっと電車で帰るのが面倒くさいから適当な理由つけてタクシーに乗る自分を正当化するためだ。そうに決まってる。
でなければ、こんなおっさんおばさん共の自分語り聴き放題ビュッフェ会場なんて誰が好き好んで来るものか。
「監督ー、レギュラー陣が呼んでるっすよー。」
音響の誰かが私の横の金髪ロン毛を呼んでくれた。
助かった。人と話したくないから一番下手側の角に座ったのに、なんの罰ゲームかずっと監督が横に居続けたから。
丁度監督が他の何人かを巻き込んで二次会の話をしている。何が楽しくて罰ゲームの延長戦なんかやるものか。
頃合いを見て制作の人に帰るって伝えよう。やっぱり飲み会なんて、時間の無駄でしか無い。
「轟先生。横、良いですか。」
とか思ってたらまた誰か来た。一瞬聞こえないふりでもしようかと思ったが、いくら居酒屋とは言えこの距離が聞こえないのは無理がある。
私はグラスに残った飲み放題の薄いカシスオレンジを飲み干して鞄に少ない荷物を入れ始める。
「あなんたは二次会には行かないんですか?…えっと、確か。」
「アクトです。村雨アクト。エーラ役の。」
「ああ、例の天才の…」
意図せず口に出てしまいはっとする。普段ならこんな失態絶対にしないのだが、やはり少量とは言えお酒を飲んだからだろうか。お酒に弱いわけでは無いのだが雰囲気も合わさって所謂場酔いをしてしまったのだろうか。
「あ、えっと………」
「大丈夫です。言われ慣れてますから。」
「…すみません、配慮が足りませんでした。」
村雨アクト。今回の収録から座組に合流した業界を騒がせている天才。今日の演技もその世間の評価に恥じないクオリティだった。
「…何故謝るんですか?」
彼はテーブルのフライドポテトを乱雑に取り分けてそこから一本ずつ食べている。整った顔立ちがジャンクな食べ物を頬張る姿は、彼の年齢相応の姿だと言っても良いだろう。
「…天才という言葉は決して褒め言葉じゃありませんから。」
そう言って私は彼に一礼するとその場から逃げるように店の外に出た。
天才。
私もそう言われることが多々ある。
大人達は私を持ち上げるときにその言葉をよく使う。
世間からしてみれば中学で漫画の連載を開始したというだけで十分異常者なのだろう。
天才とは、凡人が理解しがたいものに無理矢理意味を持たせるために用いる言葉だと私は思っている。
漫画家を初めて最初の数年間、私はアシスタントと馴染むのに苦労した。彼らにとっては自分より一回りも二回りも年下の人間を先生と呼ばなきゃいけないことがそれなりにストレスになったのだろう。私としても自分の担任くらいの人たちに指示を出すのは苦しくて仕方なかった。
見かねた担当さんがテレビ通話でのコミュニケーションの場を設けてくれなかったら、もしかしたら私はアシスタントなしで漫画家をやっていたかも知れない。そう考えるとぞっとする。今の作業量でも、一日八時間くらいしか寝られないのに、もっと少なくなるとか絶対無理。
初めてのテレビ通話。今後の展開と作業の割り振りを指示している時だった。私はモブキャラを描くときにそれほど時間をかけなくても最初からそれなりのキャラが描けた。
当時他の絵描きの人の事なんて全く知らなかった私は、子供の私に出来るのなら大人のアシスタントの人たちは出来て当然なんだろうと思い込んでいた。
「天才のアカネ先生には分からない」「アカネ先生の技術は天才だから真似できない」
私にはそれが衝撃の言葉だった。なんの悪意も無く、なんで出来ないんですかと言ってしまった。
当然、担当さんからはもっと周りに合わせた指示を出すように言われた。
キャラが描けないなら色んな芸術に触れて引き出しを増やせば良い、速度が遅いなら模写でも何でもして手を筆に慣らせば良い。
そんな当たり前のこともしないのに何を言っているんだろうと思った。
もちろん子供の私だって、アシスタントと言う仕事が出来ているのだからそれなりに努力している事くらい知っている。
でも、今より高みを目指そうとしないのはどうして?どうして現状の自分以上の存在が現れただけで思考放棄するの?
そのときから徐々に才能がある人以外に興味を示すことが無駄なことなんだと思うようになってしまった。
「あのっ!」
「…?」
店を出てすぐ。繁華街の喧騒が周りに響き渡る中で背後から呼び止められたその声を、私ははっきりと認識した。
透き通った、なのにしっかりと耳に残る中音域の声。
「…まだ何か?」
村雨アクトだった。
「先生、もしかして才能の無い人に興味が無いんじゃ無いですか?」
驚いた。
今まで人に興味が無いだのコミュ障だのと適当なことを言われることはあったが、ここまで明確に自分の事を言い当てられたことは無かったから。
「…そんなことは無いですよ。どうしてそう思ったんですか?」
人間というのはどうして自分の図星を当てられると否定したくなるのだろうか。心の奥底を見せてその人に弱い部分を握られたくないから?
「天才と言う言葉を僕にかけてきて、謝ってきたのはあなたが初めてでした。」
「…そうですか。」
「アクセル・ソードの原作を読んだとき、その話よりも原作者に興味が湧いたんです。轟アカネという『自己中心的人物』に。まさしく天才だって。」
「………初対面で人のことを自己中呼ばわりだなんて、ずいぶんと失礼じゃ無いですか?」
「僕はそうは思いません。僕も自己中だから…」
「自分が天才と呼ばれる自己中だから、私も同じ自己中だと?」
腹は立っていないのに何故か声が大きくなる。
脳内で処理するよりも速い速度で反射的に口から言葉が出てくる。
「だって轟先生、他の人のために作品を描いてないですよね。」
「…そんなわけ無い。漫画家として一番意識しなきゃいけない読者のことはちゃんと考えて…」
「大部分は、でしょ?ホントに大事な部分は誰に理解されなくても良いと思って描いてる…違いますか?」
「…っ!漫画家でも無いアンタに何が分かるの!?」
「分かりますよ。僕は天才漫画家じゃ無くても『天才声優』ではあるから。」
彼がそう言って反論の言葉を返そうとしたとき、ちょうど店内から他の人たちが二次会に行くためにわらわらと出てきた。
「あれ?轟先生まだいらっしゃったんですか?やっぱり二次会、一緒に行きませんか!」
「い、いえ…私は…」
「監督っ。皆待ってるんですから、早いとこ二次会どこに行くか決めてくださいよ!」
監督に絡まれて場を逃れる言い訳を考えていると、村雨アクトが監督を私から引き離してくれた。
すぐに集団の輪に戻っていく監督を見送ると、その隙を突いて彼が戻ってくる。
「もし…もしよろしければ…」
彼は器用に私にだけ聞こえるように目線を外しながら耳打ちをしてきた。
「こっそり抜け出して二人で話しませんか?」
これが一人の漫画家と一人の声優の出会いの夜だった。
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