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序章②

「どうぞ。適当なところに座ってちょうだい。」

「お、お邪魔します…」

轟アカネに誘われるがまま付いてきて約四時間。私は都内にある轟アカネの自宅マンションへとやって来た。見渡す限り整理整頓されて、と言うかそもそもの物が少ない。ミニマリスト、と言うほどでは無いが必要最低限の物以外しか無いといった感じだ。

「…漫画家の家ってもっと本とか資料に溢れてるかと思ってました。」

「ああ、こっちの家には殆ど帰ってこないからそういうのは下の階の仕事場に置いてるの。仕事場と同じマンションで生活圏を完結させたいって理由だけで買ったけど、ぶっちゃけ3LDKなんて広すぎるのよね。寝るのも基本仕事場だし。」

「そ、それは…税金とか凄そうですね…」

「そうねぇ。原稿料以外の収入は年度締めには無くなってるかな。」

それでも原稿料はしっかり入ってくる辺りどんだけ稼いでるんだこの人は。

「それで?何から話しましょうか。」

二人の間のテーブルの上に用意されたコーヒー。ブラックコーヒー特有の強い香りが緊張感を高めてくる。

「まず…どうして私に話そうって…」

「別に、ただの気まぐれよ。」

「気まぐれにしてはずいぶんと勿体つけてくれたじゃ無いですか。」

『お兄さんの村雨アクト、私の元カレについて知っている限りを教えてあげる』

学校でタブレットを見せられて彼女に付いてきた。道中彼女はタブレットにずっと漫画を描き続けて、何を聞いても返答は無かった。タクシーでも、飛行機でも、空港からまたタクシーに乗ってここに来るまでも。ちなみに交通費は全額彼女のカードから支払われた。

「…言ったでしょう。この業界では守秘義務って物があるの。彼と私との関係は守秘義務では無いけれど、公表してお互いにデメリットしか無いものをわざわざ表で話すこと無いでしょう。」

「…兄が元彼って、本当なんですか?」

「本当よ。でもその前に教えてちょうだい。あの人は、村雨アクトは業界を去ってからどうしてるの?」

その目は真剣に彼の身を案じているようだった。彼女のこの行動、そしてお兄ちゃんの情報を安易に外で話さなかったその周到さを信じて、全てを話した。兄が戻ってきた日のことから今日までのことを。

「………そう。さすがの才能ね。行政書士なんてパッと思いついて取れる資格じゃ無いのに。」

「一年単位で出世してますよ。本当にお兄ちゃんは…」

「天才。この言葉は彼のために作られたとしか思えないわ。」

私の言葉に続けるようにそう言って彼女はマグカップに口をつけた。彼女の表情は安堵とも寂しさともとれるなんとも言えない美しい表情だった。

「…彼と出会ったのはアクセル・ソードのアフレコ現場。あの現場では収録終わりの飲み会が恒例化されていてね。一応収録には可能な限り全部参加してたんだけどその後の飲み会はそれまで一回も行ったこと無かったの。」

「毎週飲み会ですか…それはまた。」

「あなたも大人になったら分かるけど、こういう年上ばっかりの飲み会なんて良い物でも何でも無いわよ。永遠とおっさん共の自慢話とか、おばさん連中の愚痴ばっかり聞かされるんだから。」

かなり特大のため息を吐いている辺り彼女はその飲み会に困らされたことがあると言うことだろう。お兄ちゃんは家でお酒を飲むことは無いが、今の会社でも付き合いで飲むことはたまにある。大人の飲み会って皆そんな感じなんだろうか。SNSとかの印象だと友達同士で飲みにいくのにはそんなことなさそうだけれど。

「とにかくその日、彼がアフレコスタジオに合流するようになった初めての収録終わりの飲み会に、私はなんとなく参加してみようかなって気になったのよ。彼の演技が気になって、私の今後の創作活動に生きるかも知れないって思ったのが一番の理由ってところで、その時には親密な関係になりたいとも全く思わなかった。」

天才漫画家轟アカネ。行きしなこっそり調べた彼女の情報はどれもあまり良い物とは言えなかった。本人がメディアへの露出を嫌っているわけでは無く良くも悪くも物事を正直に話している感じだ。過去には自分のアニメラジオの生放送に出演し、他誌の同系統漫画のことを酷評したこともあった。しかしそれも、酷評とは書かれているが音声を聞く限り、自分だったらこうするのにと言うような自分の意見を述べているような印象だった。他の媒体も作品に対して意見を言っているような場面は多々あるようだが、作品自体を貶めるようなことはしていない。

確固たる自分の意見を持っている、轟アカネ。その彼女が一目惚れした才能。

「実際一次会では一言も喋らなかった。全員が二次会に行こうと話し始めてて、私が帰ろうとしていたときだった。」

『こっそり抜け出して二人で話しませんか。』

全員の目を盗んでお兄ちゃんがそう彼女に話しかけたらしい。

「今まで散々色んな作品を見てきたけど、まさかリアルでそんなこと言われるとは思いもしなかったわ。まあ彼も二十歳越えてたし、私彼より二つ上だから何か起こっても別に問題は無いんだけどね。」

「アカネさんお兄ちゃんの二歳上なんですか!?同年代だろうなとは思ってたけど、まさかそんなに若かったなんて…」

「あー、もう慣れてるわよ…年増に見えるわよねえ…」

いや、年増って程でも無いけれど…原因はそのあり得ないほどの色気を放っている美貌が全てだと思うんですけど…

「まあでも私も彼もそのときはそういう気は一切無かったって後で知ったけどね。お互いに男女として惹かれたってよりは第一印象はお互いの才能に惹かれたって感じだったし。」

お兄ちゃんも原作と渡された台本を読んでアカネさんの才能に惹かれ、アカネさんもお兄ちゃんの演技を見て才能に惹かれた。二人はその後、何件かお店をはしごして創作やお互いの業界について朝まで語り合ったらしい。そのときに私のことをお兄ちゃんから聞いたようだった。

「びっくりするほど健全でおかしくて、それでいてどんなアトラクションよりも刺激的な時間だった。」

連絡先を交換した二人はそれから定期的に会うようになったらしい。丁度アクセル・ソードの収録辺りからお兄ちゃんは天才アイドル声優として世に売り出されていたため、一度目の朝帰り以降はお互いに細心の注意を払って出会っていたらしい。

「そして何回か会って、付き合ったの。高校生でも良くある話でしょ。」

「初耳でした。お兄ちゃん、そんな素振りも痕跡も一切見せなかったから…」

「あなたに見せる兄としての一面と声優村雨アクトでは別人と言っても良いほどだと思うわ。私か彼の家で会っているときのアクトは人なつっこい笑顔で年相応の男の子だった。でも本当に彼は芸能人としての自覚が桁違い過ぎたの。」

声優として活動していたときお兄ちゃんは携帯を二つ持っていた。そのうち一つは私や地元の友達といったプライベートでの交友がある人間のみが登録されていて、もう一つの携帯は完全に仕事用として分けていたそうだ。

「私も一度見せて貰ったことがあるけれど、仕事用の携帯には事務所と芸能関係の連絡先しか入ってなかったのよ。緊急連絡先に登録されているのも事務所で、そっちの携帯にはあなたの連絡先すら入ってなかったわ。」

それだけではない。お兄ちゃんは自宅に帰る際も必ず遠回りしてタクシーで帰っていたというのだ。公共交通機関を一切使わず免許も持っているのに自分の車も使わなかった。プライベートで遊びに行くときでさえ、事務所の車を使ったり、出来ないときはレンタカーを使っていたらしい。

「彼の家はパパラッチが懸賞金をかけても見つけられなかった、とも言われてた。びっくりしたわよ。実際の距離は駅から徒歩五分くらいなのに、わざわざタクシー乗り換えてまで三十分も遠回りするんだから。」

そういえばあれだけ人気になっていたのに、帰省の時も私はパパラッチに遭遇したことが無い。子供の目線だから見逃していただけかも知れないが、それほどまでに自分の偶像としての世界観を守ることに注力していたのか。

「声優としての仕事も一切妥協しなかった。ほんの数秒のナレーションだろうと、二時間尺の映画だろうと、最初の一音から最後の吐息まで天才としてのパフォーマンスを維持し続けた。」

「………お兄ちゃんは声優として何かを成し遂げようとしていたんですか。」

「…どうしてそう思うの?」

肯定とも否定ともとれる返事。私は机の下でぎゅっと拳に力を入れる。

「薄れゆく数年前の曖昧な記憶とインターネットの情報を遡るだけでも分かる。そしてあなたの話を聞いて想像がより鮮明に固まった。お兄ちゃんは声優として成功していた。」

「ただの成功では無いわ。飽和状態にある声優業界の上澄みの上澄み…それを更に濾しとったかのような黄金にも値する成功でしょうね。」

「それだけ成功していながら、兄は満足していなかった…違いますか?」

再びの沈黙。アカネさんはこの期に及んで話すのを躊躇しているようだった。

間違いない。

この理由こそが、お兄ちゃんが業界を去ってしまった原因に違いない。

じっとアカネさんの目を見つめて、彼女が口を開くのを待ち続ける。きっと彼女は話してくれる。この数時間彼女と話して分かった事だ。ここで日和ってやっぱ無しなんて事はこの人は絶対にしない。出来るはずが無い。

「………はぁ。絶対に話して貰うって意地を感じるわ。」

「そのためにわざわざ東京まで来ましたから。」

「そうだったわね…改めて実感した。あなたは紛れもないアクトの妹なのね。そういう自分を曲げないところがそっくりよ。」

初めて容姿以外でお兄ちゃんに似ていると言われた。彼女はコーヒーを飲み干すと深く、深く息を吐いた。

そして、

「その意思の硬さが、アクトが業界を追いやられた原因だと私は思っているわ。」

「追い、やられた…?」

初めて聞けた、お兄ちゃんが帰ってきた核心的理由。

「追いやられた?それってどういうことなんですか!?お兄ちゃんは人気の声優だったんでしょ!?」

「落ち着きなさい。ちゃんと私の知っている限りを話してあげるから。」

乗り出した身と速くなる脈拍。自分の状態に気づいてからも呼吸が落ち着くまで数秒かかった。

殆ど口をつけてない出されたコーヒーを一気に飲み干す。

飲み慣れていない味のはずなのに驚くほどすっと喉を通る。味の識別が上手く出来ないほどには混乱しているようだった。

「あるアニメの収録だったらしいわ。大御所の多い現場でね、そんな中アクトはレギュラー…いわゆる殆ど毎週台詞のある役だったの。」

彼女の表情は今日一番曇っている。彼女にとってもこの話は余り話したくない話ということだろうか。

「芸歴が一桁の演者はアクトと主演の新人の女の子だけだった。その子のことを回りの大御所が面倒見て、アクトがその子と一緒に切磋琢磨して良い作品を作る…きっと当時制作の想定していた現場はそんな感じだったんでしょうね。」

なるほど。この話し方や彼女の表情から察するに。

「でもそうはならなかった。」

「…声優業界に限らずだけど、芸術の世界は今でも年功序列、長く続けている人間が偉いみたいな風潮が根強く残ってるの。」

彼女は指先でマグカップをなぞりながら続ける。

「私これでもあなた位の歳から漫画を描き始めててね。一応業界歴十数年のそれなりにベテランって感じの扱いなの。」

ネットにも情報があった、天才高校生漫画家。今日に至っては美人過ぎる天才漫画家にその文言は変わっている。

「だから大御所の奴らの気持ちも分からないわけじゃ無い…でもやっぱり、恋人ってどうやっても肩入れしちゃう物なのね…」

「あの、早く説明して貰えませんか?兄に一体何があったんですか。」

「…あなたは長く業界にいる人間が何を一番嫌うか知ってる?」

私は考える。大御所ともなれば仕事が貰えない、と言うことはまず無いだろう。待遇も大御所ともなればどのスタジオでもスタッフやキャスト達から持ち上げられるだろうし…

いや違う。もしかしてそういったことが無くなるのを嫌うんじゃ無いか?だったら、恐らくそれは…

「…変化。長く業界にいる人ほど変化を受け入れるのに時間が掛かるのよ。」

「はあ…」

「中には、変化そのものを受け入れない人だっていたりするわ。」

その現場での収録は最初の一回二回は円滑に進んでいたらしい。しかし回数が進むにつれて、当時新人女性声優の中で破竹の勢いで売り出されていた主演の子が、他の仕事の兼ね合いもあって収録時間ギリギリの到着になる事が増えたらしい。それは元々それなりの数の仕事を持っていたお兄ちゃんに並ぶほどの量だったらしく、一クール(十二週間)の作品だったが八話九話辺りの収録になる頃には、新人二人の到着が揃って一番遅い、なんてことが当たり前になってきたらしい。

「高校の部活や会社なんかでもまだ残ってる文化だと思うわ。一年生は上級生よりも早く来て練習の準備をしろ、新入社員は他の皆よりも早めに出社して業務を開始しろ…」

今でこそ私は帰宅部だが、中学校は部活動への入部が強制だったのでテニス部に所属していた。確かにそこでもあった文化だった。

「声優の業界にも昔から似たような文化があったらしくってね。新人は他の役者よりも早く現場入りしろ、録音ブースの扉は新人が閉めろ、収録の合間のお茶出しもしろとか、その他雑用全般はほぼ全部新人がやれって言うのが暗黙のルールとか言うヤツだったのよ。」

「兄も、それに従っていたんですか?」

「そりゃルールだから、全部納得はしてないまでも従ってたんじゃ無い?でもアクトはその頃には一日のスケジュールが分刻みなんて事も良くあったし、何より才能があったから多少の事は現場でも許して貰ってた。」

「才能があったからって…どういうことですか。」

「現金な人が多いのよ。私みたいに自分にとってプラスになると判断されれば現場で可愛がられる。アクトはどの方面においても才能があったし、制作陣との人脈も強かった…だからアクトの世話係のポジションを大御所や中堅が奪い合うなんて事もあったらしいわ。でも…」

高層マンションの窓がガタガタと揺れる。もうすぐ台風が来るらしい空模様は曇天の空が窓の外を覆っていた。

「主演の女の子には才能と呼べる物は無かった。もちろんオーディションで選ばれるレベルには実力と人気はあったでしょうね。けれども所詮そこまでだった。彼女にはアクトのようなカリスマ性が無かった。だから現場の大御所達は割と早い段階で彼女の事を無視してアクトにばかり構っていたらしいわ。」

「そんな…酷い…」

「もちろん彼はそんなことを許しはしなかった。抱いた疑問はその日のうちに解消、彼も早々に制作に相談はしていたの。」

先輩達の態度は間違っている、なぜ同じような遅刻の仕方をしても彼女だけ責められるのか、何故誰も彼女の魅力を見出そうとしないのか。

「そう言って、彼だけはその子の味方をし続けた。制作もそこまで事態が悪化してようやく動き始めて、その現場では芸歴に関係なく気づいた人間や余裕のある人間が雑務をするという業界では異例の形態で残りの収録を進めていったの。」

お兄ちゃんの言葉は現場の常識そのものを塗り替えてしまった。その結果その新人声優は多くの技術を周りやお兄ちゃんから吸収し、今でも業界の第一線で戦い続けることが出来ているそうだ。

「けど、頭の固い人間はいつだっているものよ。アクトの起こした改革は、業界に長くいる人間ほど受け入れようとしなかった。自分たちは作品や制作に求められる演技をしに来てるんだ、その演技のサポートをするのは下っ端の役目だろうって感じかしらね。」

「は…?」

「自分たちの過ごしやすい環境を崩されたくなかった大御所達はアクトを毛嫌いするようになった。そして中にはアクトが出演するなら自分は出演しないとまで言い出した人間もいた。」

演者に嫌われれば現場に嫌われる。制作陣もお兄ちゃんを出演させれば大御所のご機嫌が斜めになってしまうのを恐れて、次第にお兄ちゃんを呼ばなくなっていった。

「何それ…そんなの…そんなのただの我儘じゃん!!!いい年した大人が自分の嫌いな人間と仕事したくないからってその人の仕事を奪って良いものなの!!?」

「もちろんそれだけじゃ無いわよ。売れてる声優には良くあることだけれど、アクトは同じ時期にたくさんの業界の黒い部分に触れてしまった。」

「でも…だからって………」

「中身は天才でも、その器は結局人間だった。しばらくは耐えてたみたいだったけどそう長くは持たなかった。」

そうして声優としてのお兄ちゃんは崩壊した。それからは東京から忽然と姿を消し、アカネさんも連絡が取れなくなってしまった。そして、私の住む地元に帰ってきた。

「…じゃあ、お兄ちゃんは…どうにもならない業界の理不尽に潰されて帰ってきたって言うんですか…?」

「…端的に言うとね。」

「どうして、あなたは当時のお兄ちゃんのそばにいながら助けられなかったんですか…?」

分かってる。この問いが我ながら的外れな問いかけだという事くらい。この人はきっとお兄ちゃんのことを心から愛していた。移動中にチラリと見えた彼女のスマホの待ち受けは、アクセル・ソードのエーラ。もう何年も前の画像を無理矢理スマホの画面サイズに収めていて画質も粗かった。

お兄ちゃんのことを話すときのアカネさんはどこか懐かしそうな、けれども恋焦がれているような表情で。たかが高校生にも好きな人のことを話しているって分かるほどだった。

そんな彼女が、お兄ちゃんのことを放っておく訳ないのに。

「………ごめんなさい。アカネさんはきっと。」

「いいえ。結果的に助けられなかったんだもの。それは初めから助けなかったのと同じ事だわ。私がもっと彼のことを見ていれば、些細な変化に気づいていれば、少なくとも彼は声優を辞めることは無かったかも知れない。」

この人は何も悪くない。それでもこの私のやり場の無い気持ちの標的になろうとしているんだ。私の気持ちがそれで少しでも晴れると思ってくれていると思う。

確かに、感情のままに当時の一番近い人に思いをぶつければ幾分かの発散にはなるかも知れない。でもそれはただの一時的な発散であって根本的な解決にはなっていない。

お兄ちゃんはきっと、その女の子や後に続く新人の声優達が実力を十分に発揮できる環境を作ろうとしたんだ。それが正しいことだと信じて、お兄ちゃんは戦ったんだ。

そんな中で戦って、疲弊して、削られて、そこにつけ込まれた。

私腹を肥やした老害共によるただの理不尽でお兄ちゃんは声優人生を奪われた。

こんなことがあって良いはずがないでしょ…

「アカネさん…声優業界ってどうやったら関われますか?」

「え…?」

「何でも良いんです。業界と関わるコネクションが欲しい。」

「あなた…まさかアクトの敵討ちなんて考えてるんじゃ無いでしょうね?」

アカネさんの顔つきが今日一番険しくなる。

「止めなさい。そんなことをアクトが望んでいるとは…」

「敵討ち?そんな高尚なものじゃ無いですよ…」

お兄ちゃんは正しさのために戦った。己の信じる、正しさのために戦った。

だったら、私が出来ることはもう決まってる。

『エリって熱が無いよね』

ああ、あったよヒナ。私にも熱が。うなされるほどの悪夢を伴った熱が、私にもあったよ。

「All for true(全ては正しさのために)何て、お兄ちゃんみたいな信念はない。私がこの業界に関わるのは全部私のため。」

「…そう。それがあなたの選択なのね。」

アカネさんが自分と私のマグカップ手に取ってシンクに持って行く。二人しかいないリビングルームに蛇口から流れる水音が冷たく響く。

「………声優業界に一番深く関われるのは声優そのものよ。私たち原作者や制作でも多少は関われるけど、あなたの望むようなアクトが潰されたような状況は見ることは出来ないわ。」

「声優…」

お兄ちゃんの後を追って声優になれば、私が証明できる。

「でも簡単な道のりじゃ無いわよ。アクトの進んだ声優の道は特殊も特殊…本来なら気の遠くなるような自己研鑽の末にたどり着けるもの…事務所に所蔵するのだってほんの数パーセント…」

私にはお兄ちゃんみたいな才能は無い。多少ルックスが良いだけで後はもう殆ど普通の人間だ。でも、それでもやらなきゃ。

お兄ちゃんの人生を奪った奴らが蔓延る業界なんて私がこの手でぶっ壊してやる。

どれだけ時間が掛かっても良い。一度燃え上がったこの黒い熱はきっともう消えることは無い。

私が声優を目指す理由、私の歪んだモチベーション。

「アカネさん…私の手助けをしてくれませんか?」

「…何をするつもりなの?」

「復讐ですよ。お兄ちゃんの恋人だったあなたにとっても悪い話じゃ無い…いや、むしろあなたはこの復讐に協力する義務がある…」

声優として活動をするなら、活動の拠点を東京に置かなければいけない。ここには都合の良いことに殆ど使われていない都心の住居がある。

凡人の私は、使えるものはなんだって利用しなければ声優になる事すら出来ないだろう。

今の私の一番の武器は、お兄ちゃんの恋人だったこの人。

轟アカネは村雨アクトを愛していた。その事実を、その愛を利用する。

我ながらやってることが悪役そのものだ。でも私は、例え自分が悪役になったとしてもお兄ちゃんが間違っていなかったと証明したい。お兄ちゃんの目指した声優業界を作りたい。

この瞬間、復讐のために声優を目指す歪んだ最悪の声優志望が誕生した。

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