一話 「神子」
執筆 そるの
挿絵 ぽん太郎。
【回想】
【セルア視点】
ストランダム郊外、セガーシア
セガーシアではここ十数年、人口の増加が顕著に見られた
その一方で、セガーシアにあるスラム街は更に犯罪率が増していった
街は荒れ果て、人々はどいつもこいつも死んだ目をしていた
そういう俺は、孤児だった
何も知らないガキが、一人で暮らしていくのには過酷すぎたと今でも思う
あれは俺が五歳くらいの時…だっただろうか…
詳しい年齢は分からないが、恐らくそのくらいだったと思う
冬の過酷な寒さの中、俺はこの地で、ある男に拾われた
それが、ザーヴェス・アルベートという男
その時の記憶は、今でも鮮明に覚えている
二メートルはありそうな身長の、無駄にガタイのいい大男
聞けば、ザーヴェスは政府の軍人をやっているのだと言う
ザーヴェスは俺に飯の作り方から戦い方まで、色々なことを教えてくれた
それに "セルア" という名前も付けてくれたし、読み書きも教えてくれた
あらゆるものが黒ずんだこのスラムで、ザーヴェスはこの世界の生き方を教えてくれたのだ
そんなザーヴェスは、いつも仕事から笑顔で帰ってきては、すぐに雑な飯を作ってくれるような男だった
「…………」
"セルア、お前は強くなれ。そして、その強さを正義のために使え"
そう、いつも言われていたのを思い出す
─────あれは三年前の冬だっただろうか。ザーヴェスは仕事に行ったまま帰ってこなかった
一日 …… 二日 …… 三日と待ったが、ザーヴェスは家に帰ってこなかった
ザーヴェスの帰りを独り待ちながら、遥か昔にサーヴェスに言われた、ある言葉が脳裏に浮かんだ
"俺が帰ってこなかったら、俺はもう主に見放されたってことだ"
「…………」
ガキの頃は、この言葉の意味がわからなかった
だが、今は違う
ガキだった頃から、図体だけが成長したわけじゃない
この言葉の意味が、嫌でも分かってしまう
「………………………」
そうか…ザーヴェスは死んだのか…。と、心の中で悟った
そう認めた途端、胸から熱いものが込み上げてきて、気がついたら嗚咽を出しながら泣いていた
それが、人生で初めて流した涙だった
ザーヴェスが亡くなってから三年の時を経て、俺は大体十七歳か十八歳くらいにまでは成長しただろうか
俺は故郷のセガーシアを起点に、各地を転々としながら様々な単発の依頼や汚れ仕事を適当に引き受けていた
❀
─────新暦1290年、1月12日
ストランダム郊外、ヴェルテック
ストランダム随一の、別荘地帯でもある町だ
セガーシアからはそう遠くはないが、山に囲まれている為、交通の便は悪い
世界は純白な雪景色に包まれ、時折吹いてくる風は、氷が放つ冷気のように冷たかった
自分の吐息が、煙のように大気中で白く留まり、やがて消える
眉まである黒い前髪を、指先で弄る
「(今日は殺しの依頼か……やっぱり慣れないな…)」
俺は、殺害対象のいる家の前の草木に潜伏していた
やはり、殺しはなるべくしたくないが、生きる為なら仕方がないというのが俺の考えだ
「……………」
気付けば手は冷えきっており、健康的な肌色から赤く変色してきていた
指先が上手く動かない、感覚が麻痺しかけているようだ
これだと "仕事" にも影響が出る
そう思い、手を口の前に持ち出しては自分の吐息で温める
ここに待機し始めて一時間は経つ
待つことは慣れているが、やはり冬は辛いものだ
待機中に、脳内で今日の任務の作戦をシュミレートする
任務は、セガーシアの貴族、リリーシャ家の三男、ゼーグ・リリーシャの暗殺
ゼーグはリリーシャ家の人間として幼い頃から高い地位を形成し、四十歳を迎える今日まで様々な成功を成し遂げている
そんな成功者のゼーグだが、依頼者によると人身売買に関わっているという噂がたっていた
同時にここ最近で、各地で子供が連れ去られているという話もよく聞く
スラムでは珍しくもない話だが、やはり子供が関与してくるとなると、いい気にはならない
それにこの件、ゼーグが関与している可能性は高い
なんとしてでも食い止めなければ、更なる悲惨を生むことになる
「…………」
開いた自分の手を見て、すぐさま強く握る
ただ、今回はかなり骨が折れる "仕事" だ
今までとは比にならないほど、セキリュティが厳重過ぎる
今までは運が良かったが、いつ死ぬのかも分からない仕事だ
覚悟は三年前にできている。それに、死ぬのが怖いなんて思ったことは、一度だって無い
そう思いながら、改めて自身の装備を確認する
右腰にはハンドガン、右後ろの腰にはコンバットナイフが装備されており、上手いことに服で隠れている
コンバットナイフは、初めてザーヴェスに貰ったものだ。これで、今までの仕事をたくさん熟してきた
"思い出の品" というやつだろうか
「…………」
ハンドガンの安全装置に手を掛けながら、辺りを見渡す
すると、近くに行けば視野にギリギリ入るほどの大きな門の前に、二匹の白馬が引く馬車が一台停まる
そして馬車から、一人の人物が姿を見せる
「…………」
目標、ゼーグ・リリーシャだ
ゼーグが下車し、二人の黒服の男と共に門を潜っていく
それに応じて、遠回りで森の中を通り、裏門の前へと移動する
この辺りは別荘地帯というのもあり、自然に囲まれていて土地が余っている
隠密行動にはとっておきだ
目標地点に到着する
雪が積もった茂みから頭一個分だけ出し、裏門の様子を目視で確認する
作戦通り、裏門からの侵入を試みるとしよう
裏門は正門に比べて、警備隊の人数が少ない
…… 二人か
この人数なら、警報を鳴らされる前に始末出来そうだ
この距離の狙撃なら、より確実に仕留められただろうな
概ね、観測手がいないのなら仕方ないのだが…
観測手は、狙撃手の狙撃の手助けする為の存在であり、標的までの距離や角度、風、天候、その他懸念事項などあらゆる状況を観測するのが仕事だ
それに、狙撃手は偵察と待機が主な仕事
それには、数時間から数日に及ぶことさえあり、一人で行うには集中力に限界がある
そこで観測手の出番だ
このように、大抵の狙撃手は観測手がいないと仕事が出来ない
「………ふぅ」
作戦通り、裏門の警備隊二人を後ろから確実に殺る
雪が降り積る地面を、一歩一歩確実に音を殺して進む
「……………」
近づいていく内に、前方から声が聞こえてきた
「こんな日に警備とかマジかよ…」
「今夜はもっと冷えそうだな」
警備隊の二人は、後ろを向いて仲良く雑談会をしていた
好都合だ
狙うは首筋
一発で気を失わせる
ザーヴェスに教わった、戦い方
無駄な殺生は避けるんだ
腰からコンバットナイフを取り出し、対象の首筋に忍び込ませる
─────コッ!
「…ぁ」
狙い通りだ
男の身体が、膝から崩れ落ちる
すかさず、もう一人に焦点を当てる
「─────ッ!」
気づいたか
警備隊の一人が、咄嗟にハンドガンを構えようとする
だが、遅い
ナイフの柄の部分を、強く叩きつける
「く……ぁ…」
「……ふぅ」
二人は気を失っている
暫く立ち上がることは無いだろう
「………」
警報機は鳴らされていない
倒れた警備隊が装備している無線機を、腰から外す
「───────」
報告もされていないようだ
無線機を戻し、倒れた警備隊を見る
「………………」
いや…さっさと終わらせてしまおう
今日は一段と冷える
急ごう。裏門の警備隊の定期通信が途絶えたとバレると厄介だ
警備隊を隠している暇はない。さっさと侵入してしまおう
裏門からの侵入を試みる。扉はきっちりと施錠されていて、びくりともしない
他に侵入できそうな場所…
「………ん」
近くに窓があった。施錠はされているが、ここから侵入出来そうだ
ハンドガンのマガジン部分で窓を叩き割り、小さな穴を作る
そこから反対側まで手を通し、解錠する
窓を開き、侵入したところで一つ違和感を覚えた
「(誰もいねぇな…)」
そう、警備隊の姿が一人も見当たらないのである
外はあんなに厳重なのに、中はそうでもない。リリーシャ家の人間がそう指示しているのか?
かなり大胆に行動したつもりだったが、バレていない
「…………」
更に用心深く、館の中を凝視する
「……っ」
突如、足音がした
二階に続く階段から、大きなシルエットが降りてくる
咄嗟に物陰に隠れて、様子を見る
大きな足音が、館に反響している
「(……来たか)」
ゼーグ・リリーシャだ
後ろ向きに顔だけ壁から出し、様子を確認する
ゼーグはそのまま階段を降り切り、玄関の方へと近づいていく
すかさず、後をつける
すると、ゼーグは唐突に下を向いて止まった
ゼーグは、大きな虎皮の絨毯を野太い腕で退かし、その場で姿勢を屈め、緻密な金属音と共に何やら手を動かしている
数秒程だった後、床下に入り込み、そのまま姿を消した
「(地下室…?)」
銃とナイフを構えながら、地下室へと続く年季の入った石畳の階段を下る
「…………」
辺りは地上の光が届いておらず、全体的に薄暗い
数十歩間隔で明かりが灯っているものの、あまり奥まではハッキリ見えない
更に階段を下ると、階段の終わりが見えてきた
正面には、闇で奥が見えない真っ直ぐな通路
ずっと見ていると、永遠に道が続いているのではないかと錯覚してしまいそうになる
「…………………」
少し歩いた所に突き当たりがあり、更にそこを右へ行くと小さな部屋があった
「は、離して下さい…っ!!」
突如、その小さな部屋の方から声がした
「(女の声…?それにかなり小さな…)」
部屋にそっと近づく
そこには、ゼーグと幼い少女がいた
少女の見た目は、十歳くらいだろうか
「……………」
少女は吸い込まれるような青色の瞳をしており、まるで長い純白の髪の毛がその小さな体を包み込んでいるようだった
「(青色の目…純白の髪…)」
即座にリボルバーを腰から抜き、背後からゼーグの頭に突きつける
「……ッ!な、なんだお前ッ」
同時に腕を後ろに持っていき、ゼーグの身体が壁と並行になるように押さえつける
「声を出したら殺す。指示に反しても殺す。分かったら静かに目を閉じろ」
ゼーグは震えながらも静かに目を閉じ、指示に従う
「答えろ。何故ここに "神子" がいる」
「か、買ったんだ…っ!!」
ゼーグは慌てた様子で、声を張り上げている
「誰から?」
「…………」
ゼーグはバツが悪そうに俯き、沈黙を選択する
「答えろッ!」
先程よりも声を誇張させ、ゼーグの回答を促す
「ひっ…」
「……………」
寛容な心で待ってみるが、ゼーグは口を開かなかった
「……誠に残念です」
冷徹な声でゼーグを圧倒する
右手に持っていたハンドガンを、ゼーグの後ろ頭に突きつける
「ま、待て…ッ!」
ゼーグは必死に抵抗するが、きつく押えた身体はビクともしない
「さようならです」
「…あ、嗚呼、神よッ!どうか我に御加護を…ッ」
………汚職に手を染め続けた、救いようのない奴が信仰を謳うか…
「どうやら、アンタの守護神とやらは休暇中のようだな」
「待…ッ!」
─────バンッバンッバンッ!!
親指で安全装置を解除し、引き金を引いた
狭い空間に、乾いた銃声が三発ほど鳴り響く
同時に前方にそびえ立っていた、目障りな壁が大きな音を立てて前方に崩れ落ちる
ゼーグの倒れる風圧で、部屋の中に充満していた硝煙の匂いが、冷えた空気と混ざり合う
「……………」
横でその様子を見ていた少女は、何も声を発さず、ただ倒れていくゼーグを見ていた
返り血で赤く染った手を、ゼーグの身を包んでいる服で拭き、ゼーグの洋装の中を漁る
中には、鍵が四つ連なったリングがあった
それを手に取り、改めて少女に向き直る
「……………」
少女は、片腕に手錠が付けられており、天井と繋がっていて引っ張られている状態になっており、その華奢な体には、服とは呼べないような一枚の布だけを纏っていた
少女の体は薄汚れていたが、その綺麗な純白の長髪と透き通るようなライトブルーの瞳は、薄暗い地下室の中で一際輝いていた
「……………」
少女は、ただじっと俺の方を見つめていた
その瞳は、本当に幼い赤子の無垢な瞳にも見え、はたまた全てを諦めたような目にも見えた
神子というのは、特別な力を持った者のことであり、この世にひと握りしか存在しないと言われる希少な存在だと聞いたことがある
神子の力は神から授かったとされ、ちょっとした奇跡を起こすような力から、世界を揺るがすような強大な力を持つ者まで、様々な力を持った神子がこの世に存在する、と
確か、神子の命は十五年ほどだとも言われていたか…
"神子の呪い" なんて呼ばれ方をしていた
「……………………」
この少女が持つ青い瞳に純白の髪……神子の特徴に一致している
「いつからここに居る」
「………」
少女は俯いたまま、沈黙を続ける
僅かに震えている、怯えているのだろうか
そんな心配を直ぐにかき消すように、少女が口を開く
「覚えて…ないです…気づいたらここに居ました…」
「気づいたらここに居た…か」
「……………」
腕を組み、思考を巡らす
神子だと判明した瞬間に、実の親がこいつを売ったか、はたまた誘拐されたか
いずれにせよ、こいつは身寄りのない孤児だ
「………………」
少女は儚い目で、俺を見つめる
こいつには現場を見られた、普通はその場で殺すしか無い
だが………
「(……ダメだ)」
この少女が…昔の俺と重なるんだ
俺も、こいつのように暗闇の中で、絶望の海を泳いでいたんだ
きっと、救いのない、真っ暗な海を
ザーヴェスが手を差し伸べてくれなかったら俺は一体どうなっていたんだろうか…
「…………」
その少女を見て思う
かつてのザーヴェスも、同じ気持ちだったのだろうか
それに、身寄りのない孤児を放っておくわけにもいかないしな
これが、ただの自己満足だろうと関係ない
なんだか、そんな気がするんだ
「……………」
組んでいた腕を解き、少女に向き直る
「お前、ここから出たいか?」
「ぇ……は、はい」
俺の質問の意図を分からなかったのか、少女は少し詰まりながら答える
「よし」
俺はそう言い残し、少女の手錠をゼーグの持っていた鍵で解錠する
「ついてこい」
少女はきょんとした顔を浮かべながら、こちらを見ている
「ま、待ってください」
「どうした」
「どうして、私を助けてくれるんですか…?」
少女は右手で左手を包みながら、胸の前におき、俺に尋ねる
「……違う。俺はお前を、高値で売る為にやってるだけだ」
つい適当な嘘をついてしまう
その方が、素直についてくると思ったからだ
「そう…ですか…」
しかし、自身の身柄を売ると脅しても、少女は表情一つ変えなかった
長い間監禁され続け、恐怖心が欠けてしまっているのだろうか
「抵抗しないのか」
「……あなたが悪い人じゃないことは分かってますから」
「……は?何故そう言える」
「貴方の心の声が聞こえるんです…」
「………………」
少女は、申し訳なさそうな顔を向けた
「…………神子の力か…?」
「分かりません…ただ常に人の声が頭に響いてきて…次第に、その声がその人の心の声なのだと分かりました」
テレパシー…のようなものだろうか
この少女は最初から全てを分かっていた、ということか…
これは一本取られたな…
「(はぁ…やっぱ俺は悪人にはなれねぇよ、ザーヴェス…)」
「…………?」
少女は首を傾げた
やはり、他人に心の声を勝手に聞かれるというのは、心地よいものでは無い
だが、こいつも恐らくこのことを気にしているだろう
だから俺は何も聞かないし、何も言わない
それでいい気がした
「……っと」
立ち上がり、少女を見て気付く
少女は、こんな雪の日にかなり薄着でおり、気が付けば小刻みに体を震わせていた
自分の着ていたコートを脱ぎ、布一枚だけを纏った少女に、頭から自分のコートを被せる
ぶかぶかなコートを着ている少女を見ると、どちらかと言うとコートに着させられているようだ
「え…でも…」
「お前の素性がバレたら厄介だろうが。その目立つ髪と目を隠すためだ」
少女は、手で自分の髪と目の付近を触る仕草をしている
「ぁ、はい」
「行くぞ。とりあえず隣国セルフォリアのリーヌを目指す。一応、俺はリリーシャの人間を殺したお尋ね者だからな」
地べたに座っていた少女が立った時、突然不自然な動きを見せて再び座り込んだ
「いっ…」
「怪我してるのか、痛むか?」
少女の足首には手錠のような痕が付いており、微かに青く滲んでいる
先程外した足錠の跡か…
「いえ…大丈夫です」
少女は発した言葉とは裏腹に、容易に立てないほどの様子だった
恐らく、小さい頃からつけていた足錠を今までずっと付けていたのだろう
長らくつけていた金属と皮膚のずれや、成長に伴って出来た、足錠による足の圧迫なども重なってできたのだと推測できる
「嘘をつくな。これからかなり歩くことになるんだぞ」
俺はその場でしゃがみこみ、そのまま顔だけを少女に向ける
「ほら。おぶってやるから体よこせ」
「えっと…」
「早くここから出ないと警備隊が来るぞ」
「ぁ…すいません…っ」
少女は慌てた様子で、直ぐに俺に体を預けた
階段を登り、リリーシャ家の館を出て、雪が舞い散る銀色の世界の中を、少女をおぶりながら歩く
その華奢な体を時折揺すりながら、凍った路面を慎重に歩いていく
その間、少女はただじっと俺の背中に体を預けていた
隣国。と言ってもそう遠くはない
ヴェルテックはセルフォリアの国境線近くに存在する地域だ
とは言っても、徒歩では時間がそれなりにかかる
早めに出発することが吉だろうな
「ん、そうだ。お前、名前はなんて言うんだ」
歩きながら、少女に問う
「名前…ですか…?」
「あぁ」
「名前はないです…」
「そうか、困ったな…」
普通に考えたらそうだな
俺もザーヴェスに名前をつけてもらった
監禁され続けた身寄りのない孤児が、名前があるとは考えにくい
「…………」
ふと、脳裏に記憶がよぎる
"蓋世のルーリア"
地下に監禁され続けてきたこの少女は知らないだろうが、これはストランダムに伝わる神話で、突如として現れた女神ような女が不思議な力で、戦争で傷ついた兵士を治療し、この国に勝利を齎したとされている
この神話が過去に実際に起きたことだと言い張る老人もいるが、大半の人間は御伽噺として片付けているようだ
かく言う俺も、その一人なのだが
「…………」
"蓋世"
世を覆い尽くすほどの甚大なる力…か
いくら何でも誇張し過ぎではないか。と、つい思ってしまうが、そう否定できないような神子が存在するのも確かなのだ
実際に、この少女のテレパシーも使い方を誤れば悲惨な事態になるかもしれない
「…………………」
蓋世……
「……ルーリア」
「…え?」
「あ、あぁ。お前の名前、ルーリアなんてどうだ?」
「ルーリア、ですか…?」
つい口に出して喋ってしまった
そのことを取り繕うように、俺は少女の名前として提案した
少女が胸の前で指を絡め、なんとも言えない表情を少し下に向ける
「気に入らなかったか」
「い、いえ!とんでもないです…いいんですか?私なんかが名前を頂いても…」
「……ただ、名前が無いと不便だからな」
簡素なビスケットを口にひとつ収め、背中を向けながら少女に話す
「あ、ありがとうございますっ」
ルーリアは、プレゼントを貰った幼子のような純粋な笑顔を俺に向けた
「ぁ、えっと。私は、貴方の名前を知りません…」
「俺か?俺はセルアだ」
「セルアさん…」
ルーリアは俺の名前を復唱しながら、俯いている
「さん付けはいい。面倒だ」
「ぁ、じゃあ、セルア…」
「あぁ」
"セルアとルーリア"
名前も似ているし、兄妹と偽ってもあまり違和感がないかもしれない
適当につけた名前だが、妙にしっくりきたしな
「……………」
長らく名前を呼ばれていなかったからか、少し違和感を感じる
ん、そうだ
「ルーリア」
「…………」
要件を思い出し、名前を呼んでみるが、ルーリアはぼーっとしながら静止している
名前呼ばれたこと、気付いてないのか?
「ルーリア、お前だ」
「……は、はい!」
ハッとしたように俯いていた顔を上げ、威勢の良い声で返事をする
「一つ質問だが、お前はいつ頃からその力を手に入れたんだ」
「あ、えっと…」
ルーリアは改まってきちんと腰を下ろし、こちらを見ながら口を開いた
「不思議な力が自分にあるかもしれないって思い始めたのは、五歳頃でした…」
ルーリアは自分の物語を語り紡ぐ
ルーリアが力を自覚したのは五歳頃だったらしく、その頃には既にリリーシャの家に居たのだという
相手の口が動いていないのに、その人の声が聞こえる
聞こえないはずの声が聞こえる
最初はそんな些細なことから始まったが、歳を重ねていく内に、段々と "神子の力" を理解していったのだと言う
やはり、自分の力に気持ち悪さを感じたこともあったらしい
確かに俺がその立場になったら同じことを思うかもしれない…
「……………………………」
俺たちはその後、無言で歩き続けた
❀
────── 一時間後
雪に包まれた銀世界で、ルーリアをおぶりながら歩く
指先はジンジンと痛み、外の冷たい空気を目一杯に取り込んでいる肺は悲鳴を上げていた
「……………」
ゼーグの屋敷から出て、暫く歩いただろうか
国境門まであと少しだ
「ルーリア、大丈夫か?」
「……………」
「ルーリア?」
ルーリアに呼び掛けてみるが、返答がない
「………すぅ…」
一旦、歩くのを止めて耳を澄ませば、背後から一定のリズムで寝息が聞こえてきた
こんな寒い日によく眠れるもんだ、と感心した
今日初めて会った時も、こんな寒い日に布一枚で地べたに座ってたからな
寒さには強いのかもしれない
起こさないように振動を抑え、再び歩く
世界はまるで、雪圏球のように、粉雪が宙に舞い上がっていた
歩いていると、真正面に国境門が見えてきた
「……………」
そして、その両端には武装した男が二人立っていた
「(国境警備隊…?前に通った時は居なかったはずだが…)」
足早にその場を通り過ぎようとする
「おい、待て」
すると、二人の内の図体がデカい奴が声をかけてきた
「なんだ、急いでいるんだが」
「そんなに大したことではない。少し確認がしたいだけだ」
………。
「確認?」
「あぁ。先程リリーシャ家の第三王子、ゼーグ・リリーシャが暗殺されたと報告を受けてな」
「……………」
もう伝達されていたか…
…しかも、対策が早すぎる
俺の見解では、もう少し猶予があったはずだ
唐突に、二人の男の腕章が目に入った
「(あれは、政府軍…?)」
盾に三本、剣が縦向きに刺さっているのが特徴の腕章
ザーヴェスも、同じ紋章を掲げた軍服を着ていた
間違いない、この国を統治している "セガーシア政府軍" だ
だが今までは、ここまで大胆には表に出なかったはず…
何故、今になって動いた…?
今回の件が、政府軍にとって何か関わりがあるのか?
リリーシャ家とも大きな関わりは無かったはず…
「リリーシャ家って、あのヴェルテックの貴族のか?」
「あぁ。それと同時に、リリーシャ家で保護していた神子が誘拐されたとの報告もある」
「……その話が俺らになんの関係があると?」
「ただの確認だと言っただろう。その子を確認したいだけだ」
男の目線が、背中でおぶっているルーリアに固定される
「……こいつは俺の妹だ。その誘拐された神子じゃない」
「ただ、顔を確認するだけだ。じっとしていろ」
男の手が、俺の背中に顔を埋めているルーリアのフードに近づく
まずい……
こいつが神子だと知れたら、厄介どころの話じゃなくなる
「おいっ!ちょっと待…」
やはり、殺すしかないのか……?
……覚悟を決めろ、セルア
ゆっくりと腰に装備しているナイフに手を近づけ……
すると、唐突に背後から声が聞こえた
「…痛い……痛いです…」
今にでも消えそうな声
それは、ルーリアの寝言だった
怖い夢でも見ているのか…?
「どこか、痛むのか?」
男は伸ばしていた手を止め、尋ねた
俺は咄嗟に思考を回転させ、言葉を紡ぐ
「あ、あぁ……実は家が火事になって、妹の顔が半分爛れてしまってるんだ……悪いが、見ないであげてくれるか…?」
流れるように口にした嘘で、男に眼差しを向ける
「そう、だったのか…悪い…」
男がルーリアに向き直る
「嫌な思いをさせて悪かったな。ほら、通れ」
男が国境門の鉄格子に手をかけ、俺らが通りやすくする為に通路を広げてくれた
「いいのか?」
もう片方の男がそう言うが、男は寂しげな表情をして頷いた
「あぁ、いいんだ。俺にも妹がいるが、そんな妹の爛れてしまった顔なんか想像すらしたくない…」
すると男は表情を落ち着かせ、続けて語った
「悪かったな。あ、あと、セルフォリアにマトランという有名な薬剤師がいる。そこで見てもらうといい」
「あぁ…ありがとう」
そう言い残し、ストランダムとセルフォリアの国境門をくぐる
「…………………………」
誰も踏み込んでいない雪道を再び歩く
"…痛い……痛いです…"
ふと、先程のルーリアの寝言を思い出す
これは本当に… "夢" なのだろうか
本当は、過去の記憶が "夢" としてフラッシュバックしているのではないのか?
俺の知らないあいつの過去に、よほどの何かあったのか?
それとも他に何か…
「……………」
そんなことを熟考していると、次第に風が強くなってきた
ここは山も近い。天候が急変する前に、早めにリーヌへと向かわなければならない
俺はルーリアをおぶりながら、セルフォリアの吹雪の中へと消えていった