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6 土砂崩れ

 王都から東に向かって馬車で一時間ほどの位置にある小さな集落ニールス。三十戸ほどの農家の集落だ。

 

 ニールスの丘の上、奥まった位置に一軒の農家がある。

 そこに暮らしているのはクレールという五十歳のふっくらした女性だ。クレールはその一軒家に長年独りで住んでいた。


 ある日のこと。

 ゴゴゴゴという地鳴りと地響きがした。続いて激しい振動がして、クレールの家の中の家具や食器がガタガタと音を立てた。


 初めての経験に驚いて固まっていたクレールだったが、音と地響きが収まってしばらくしてから恐る恐る家を出た。すると、何日も降り続いた大雨で土が緩んだのか、家の下方の斜面が崩れて落ちていた。

 

 土砂の勢いが凄まじかったらしく、この辺りでは目印になっていた欅の大木が土砂に押し流されて根こそぎ倒れていた。


「地崩れ? 大変! 街道を塞いでる!」


 そう声に出して家の敷地の端まで行って崩れ落ちた土砂を見下ろした。

 すると大量の土砂に馬車と馬が横倒しで埋まっていることに気がついた。わずかにその一部が顔を出している。


「まあ!」

 まだパラパラと小石や土が落ちる中、クレールは九十九折(つづらお)りの斜面を急いで下り、馬車が埋まっている街道まで駆けつけた。馬車は原型を留めないほどに押し潰されていた。


 馬車の御者席にいたらしい男が首まで土砂に埋もれて目を閉じている。石が当たったのか、頭から酷く出血していて顔と首が血まみれだ。一緒に倒れている馬は既に息をしていなかった。

 苦しまずに息を引き取ったのは神様のせめてもの思いやりかと、目を閉じて二秒ほど神に感謝の祈りを捧げてから男に声をかけた。

「もしもし、そこのあなた! 生きてますかっ?」


 男は返事をしなかったが、少しだけ眉を寄せた。クレールは土砂を踏みながら男性に近づき、声をかけながら相手の腕を優しく叩いた。


「しっかりしなさい!」

「助けて、くれ」

 男が目を開けて弱々しく声を発した。

 クレールはそこから先、『火事場の馬鹿力』というものを自分の身で体験した。普段なら駆け上がれない斜面を一気に駆け上がって家に戻り、スコップを手にして駆け下りた。


 男の身体にみっちりと覆いかぶさっている石や土をスコップで掘って取り除き、積み重なっている土砂が少なくなってからは素手で土を取り除いた。途中で自分の爪が痛いことに気づいたが、もうどうでもよかった。やっとどうにか男を引き出せるようになった時には、真冬なのに汗がポタポタと滴り落ちていた。


 パラパラ、コロン。コロン。


 突然、斜面の上から小石と土が転がり落ちてきた。

(また崩れるのかも)

 そう思ったクレールは男の右腕を持ち上げ、自分の首に回した。男の手首をつかみ相手の脇の下あたりを抱えて「フンッッッ!」と踏ん張って男を引っ張り上げた。そのままずるずると大柄な男を引きずりつつその場から離れた。男の左脚が膝下で変な方向に曲がっているのに気づいたが、今はそれどころではない。


 崩れ落ちた土砂の山から二十メートルほど離れた時、ドドドドッ! ゴゴゴゴォッ! と凄まじい音を立てて斜面がまた崩れた。崩れた範囲が広がっているのを見て、クレールは自分と男が間一髪のところで命拾いしたことを知った。恐怖で膝から力が抜けそうだったが、クレールは(まだよ! まだ気を緩めちゃだめ!)と自分を叱りつけた。


「さあ、しっかりつかまって!」

 男を励ましながらクレールはまた斜面を登り、自宅に向かって一歩一歩足を進めた。一度休んだらもう動けなくなるのを感じていたから、一度も休まずに進んだ。

 やっと自宅の玄関の土間まで男を運び込んだ。とりあえず男を土間に寝かせ、クレール自身もそこに仰向けに倒れ込んだ。いくら呼吸しても身体が要求しているだけの空気が足りず、しばらくはハァハァと荒い息を繰り返した。


 少し落ち着いてから起き上がろうとしたら力が入らない。(まだ。まだよ私。もう少しだけ頑張るのよ)と疲れ過ぎてブルブルと震える己の手足に活を入れ、クレールはまた男を引きずって居間まで運んだ。


「ちょっと、あなた、目を覚ましてよ。ねえ、ちょっと!」

 大声で呼びかけても男は返事をしない。仕方なくクレールは居間の床に横たえた男の隣に毛布を敷き、男の身体をゴロリゴロリと二回転がして毛布の上に寝かせた。折れている脚が痛いらしく男が呻いた。男の身体にはまだまだ血や泥や土がたくさん付いていたが、着替えさせたくてもクレールの体力はとっくに底を突いていた。


 仕方なく汚れたままの男に毛布を掛け、流れ出ていた血を拭き取り、頭の傷に清潔な布を当てて包帯を巻いた。男のズボンを膝の辺りでハサミで切り取り、折れている脚にはありあわせの添え木をして包帯をしっかり巻いた。頭の血は既に止まりかけていて、ベタベタした血の塊になっていた。


 この近辺には医者はいない。この男を連れて医者のいる王都まではとても行けそうにない。王都の医者を連れてくるほどのお金の余裕もない。

 だから男が助かるかどうかは男の体力頼み運頼みだった。


「暖炉の火をもっと大きくしなきゃ」

 だが膝も腕もぷるぷると震えて力が入らない。仕方なくクレールは四つん這いになって暖炉まで進み、薪をくべた。


 あまりに疲れていたし動転していたので、クレールは男に「あなたは一人だったのか、それとも馬車に誰か乗っていたのか」と尋ねることを思いつかなかった。どちらにしろ男が意識を取り戻すまでは待たねばならない。


 少ししてから崖崩れの場所を見に行くと、二度目の崖崩れで馬車も馬も大量の土砂に押し流されて、道の反対側の崖下へと落ちていた。馬車と馬は今はもうすっかり土に埋もれて見えなくなっている。


 馬車が押し出された先は街道から三十メートル以上も下だ。あそこに行くには身体にロープを結んで木に結び付けてから崖を降りなければならない。クレールにはとても無理なことだった。

(誰かが乗っていたとしても、もう生きてはいないのは間違いない)

 クレールは万が一誰かが乗っていたらと思い、その場で立ったまま長い祈りを捧げた。彼女はとても信心深いのだ。


 男は夜中に意識を取り戻し、ケヴィンと名乗った。意識はしっかりしているように見えたが、自分がどこから来てどこへ行くつもりだったか、思い出せないと言う。


「何も思い出せないの?」

「いや、昔のことは全部覚えている。だが、途中からのことが全く思い出せない」

「どんなことを覚えているの?」

 そう尋ねるとケヴィンは口を閉ざした。思い出したことを言いたくないらしい。クレールはそれ以上は追求せず、ケヴィンの身体の回復を優先することにした。

 ケヴィンと名乗った大柄な五十手前くらいの男は真面目そうな外見だった。ずいぶん鍛えられた身体の持ち主で、悪い人には見えなかった。


 土砂崩れで塞がれた街道は、そこを利用する集落の農家の人々によって翌日から復旧作業が始まった。復旧作業は続けられ、四日後には元通りになった。


 作業をする人々は、道を塞いでいた土砂を崖の下に投げ捨て続けた。『その崖の下の土砂の中には馬車が埋まっている。もしかしたら人が乗っていたかも知れない』とは言い出せないまま、クレールもその作業を手伝った。


(それを言ってみんなに危険で大変な手間を取らせて、もし馬車が空だったら申し訳なさすぎる)

 クレールは作業の間中、ずっと悩んだ。


 迷って迷って、クレールは(せめて鎮魂の祈りを捧げよう)という結論に至った。



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