53 城仕えの侯爵夫人
シモンは一時的に王都の屋敷に戻ってきている。今後は定期的に領地と王都を行き来することになっていた。
王都の屋敷に戻ったシモンが、結婚式の招待状を送った。送った数はそう多くはない。招待状を送らなかったとある親戚の女性がシモンを訪れた。
シャーロットを見下したように眺めるその女性は四十代。着飾った人だった。
「彼女は平民だというじゃないの。みっともない。たとえ養子縁組をしたとしてもフォーレの一族が恥をかくわ。私の子どもたちも肩身の狭い思いをするのよ」
「シャーロットの前でなんということを!そう思うなら結構ですよ、どうぞ我が家と縁を切ってください」
「縁を切ったところで社交界の噂になるのは防げないの。迷惑よ。同居するだけにしてほしいわ」
彼女はシモンの家とはほとんど付き合いがなかった。顔も覚えていないような遠縁だ。そんな人が誰かから話を聞いて乗り込んで来たらしい。
シモンは全身から怒りを漂わせ始めた。
「シャーロットを侮辱する人は、たとえ誰であっても許さない。今この瞬間からあなたは親戚を名乗る他人だ。さあ、さっさと帰ってもらいましょうか」
それを聞いてシモンの親戚が立ち上がり、シャーロットを睨んで悪態をついた。
「卑しい生まれ育ちのあなたが侯爵夫人だなんて。うまいことやったと、さぞかし喜んでいるのでしょうね」
「卑しい、ですか?」
シャーロットは無表情に聞き返した。
「父親は木こりだったかしら、猟師だったかしら?卑しいじゃないの」
「私はともかく私の父を侮辱するのはおやめください。なるほど、これはこういう時にこそ使うべきものだったのですね」
シャーロットは胸元から小袋を取り出した。小袋から折りたたまれて布に包まれた羊皮紙とイブライム王の指輪、実母の形見の指輪を取り出した。
「どうぞご覧ください。私は生まれを誇る気は全くありませんが、命がけで私を守り育ててくれた両親を侮辱されて黙っているつもりもありませんので」
「何を偉そうに!」
そう怒鳴りつけたものの、羊皮紙を読む夫人の顔色がみるみる悪くなった。
「まさかこれは……本物なの?」
夫人が慌てて二つの指輪も確かめ、内側の文字を読んでますます顔色が悪くなった。
「私の育ての父は王妃を守る騎士でした。猟師である今も素晴らしい猟師であり大切な父親です。このことはランシェルとバンタース両方の王家がご存じです。安易に口外すれば両王家の怒りを買うことをお忘れなく」
冷え冷えとした声でシャーロットが告げると、シモンの親戚は口ごもった。
さっきまで卑しい生まれと侮っていた娘から強い気迫と品の良さが感じられて、まるで別人に見えた。
シャーロットに圧倒された夫人は、なにやらゴソゴソと言い訳をしてそそくさと帰って行った。
「あの家の人間は二度と門を通さないようにする。すまなかった、シャーロット」
「母が申していました。『守るべき事のためなら、時には相手の所まで下りてでも闘いなさい』って。でも、自分の出自で相手を威圧するのがこんなに後味の悪いことだったとは知りませんでした」
シモンがシャーロットの手をそっと握った。
冷え切っていたシャーロットの手をシモンの手が優しく温めた。
シモンとシャーロットの結婚式当日。
場所は王都の教会が選ばれていた。
フォーレ侯爵家の当主、シモン・フォーレの結婚式は、家の格から言うとずいぶんひっそりしたものだった。
シャーロットが平民出身だからというだけでなく、シモンの母親がウベル島に幽閉されていることもあり、関わりたくないと判断した親戚も少なくないようだった。
シモンの父親はだいぶ回復していて、長くは会話出来ないまでも意思を伝えることはできるようになっていた。弟のロウウェルに付き添われているシモンの父は椅子に座ったまま、シャーロットの手に動く方の手を重ねて何度も礼を述べた。シャーロットの献身のことらしい。
「ありがとう、ありがとう」
「お義父様、私こそ受け入れてくださってありがとうございます」
シャーロットがそう言った時、外がザワザワとして三人の王子王女たちが入って来た。背後にはたくさんの護衛が控えている。
「シャーロット、僕たちも来たよ。これでも一応お忍びなんだよ」
「私たちの弓矢の先生だもの、絶対に来たかったの」
「来たかったの!シャーロットきれい!」
正式な式典用の服に着替えた三人の子どもたちを見て、参列していた全員が立ち上がり、頭を下げた。
「みんな、シャーロットをよろしくね。そんなことはないと信じてるけど、シャーロットに意地悪なんてしたら王家が黙ってないから。気をつけてね」
「気をつ……ががが……」
真似っ子アデル王女の口をオリヴィエ王女が笑顔で塞いでいた。
シモンとシャーロットは笑い出したいのを堪えながら司祭の前へと進んだ。シャーロットの花嫁姿はあの絵以上に美しかった。
その姿を眺めるリックの隣にはクレールが寄り添っている。その後ろの席には先に結婚していたスザンヌとレオンが参加していた。
この日の晴れ姿はガブリエルが絵姿に収めてくれた。ガブリエルは今や大変な人気画家だ。
結婚式の翌日、シャーロットが何度目かの確認をしていた。
「シモンさん、本当に私が働き続けてもいいのですか?」
「いいも悪いも、オリヴィエ殿下もアデル殿下もシャーロットじゃないと嫌だと言い張っていらっしゃるそうだよ」
「ありがたいことですね」
「それにしてもシャーロット、いつまで俺をシモンさんて呼ぶつもりだい?もう夫婦なのに」
恥ずかしくてなかなかシモンと呼べないシャーロットをシモンがからかう。
王都の屋敷の使用人たちはそんな二人を微笑ましく眺めていた。
結婚式の翌日であってもシャーロットは通常通り仕事だ。
「では行ってまいります」
「いってらっしゃいシャーロット。寄り道せずに帰っておいで」
「やめてくださいな。子どもじゃないのですから」
フォーレ侯爵家の王都の屋敷を出発して、シャーロットは自分用の小さな馬車でお城に向かう。
門のところで降りて使用人用の出入り口から入る。入って真っ直ぐ上級侍女管理官のメリッサのところへと挨拶に行った。ドアを開けて室内に入るなり、メリッサが立ち上がって深々とお辞儀をした。
「おはようございます、フォーレ侯爵夫人」
「あっ、はい。おはようございます、メリッサさん」
「いえ、どうぞメリッサとお呼びください」
困った顔のシャーロットを見てメリッサが笑う。
「二人きりのときは好きに呼んでいいけど」
「はい、ぜひそうさせてください」
「これからルーシーのところに行ってきてね。お祝いを渡したいと言ってたわ」
「はいっ」
衣装部に行くと、全員が整列してお祝いを渡してくれた。
「衣装部全員からお祝いです、侯爵夫人」
「ありがとうございます。わあ!これは……」
大きな箱の中は刺繍を凝らした優雅な水色のドレスが入っていた。
「忘れな草を眺めた二人のすてきな話をスザンヌから聞いたものだから」
「ごめんね、シャーロット、いえ、侯爵夫人。あんまりすてきなお話だったから、ついしゃべってしまいました」
上等な絹のドレスは精緻な刺繍が同じ水色の刺繍糸で施されていた。背中の包みボタンのひとつひとつにも可愛らしい忘れな草の刺繍が刺してある。
「さあさあ、着て見せてくださいな」
「はい」
スザンヌに手伝ってもらい、忘れな草色のドレスを着たシャーロットは花の妖精のようだった。
「みなさん、ありがとうございます」
感激しているシャーロットをそっと抱きしめて衣装部の長ルーシーが話しかける。
「我が衣装部から侯爵夫人が誕生したことは、この先ずっと語り草になります。しかも結婚しても仕事を続ける侯爵夫人。いろいろな初めてをあなたが築いていくのですね。頑張ってくださいね。みんな応援しています」
「はい。はい。ありがとうございます。このドレスは一生大切にします」
そう言って笑うシャーロットは幸せそうだ。
下級侍女管理官のリディに「下級侍女をそちらに異動させたいの。よろしく頼むわ」と託された時のことを思い出す。その時の緊張した硬い顔つきのシャーロットと今の幸せそうなシャーロットは別人のようで、ルーシーは感慨深い。
「今日はそのままそのドレスを着て行ってくださいな」
「はい!」
衣装部を出て一度一階の通路を通り、王族の居住区域へと向かう。その途中で庭師長のポールに出会った。
「侯爵夫人、おはようございます」
「ポールさん!おはようございます」
「レオンに良い人を紹介してくださってありがとうございました。あいつもすっかり穏やかな顔になりましたよ。侯爵夫人とスザンヌさんのおかげです」
「そうですか。よかった!」
お辞儀をして立ち去るシャーロットをポールが見送る。
「レオンは何のために城に入り込んだのやら。結局わからないままだった。まあ、陽が当たる側に来たようだから、よしとするか」
若い頃は王家のために仕事をしていたポールは、レオンが庭師として配属された時から(こいつは同業か?)と注意を払っていた。だが、レオンは真面目に働いていたし立太子式の頃からはガラリと雰囲気が変わり、穏やかな顔になった。
「さて、伸びた枝を剪定するか」
まだまだレオンに教えたい仕事はたくさんあるのだ。
◇ ◇ ◇
シャーロットの結婚から十八年後のこと。
「それで?それで?お母様、その先はどうなったの?」
二児の母となったアデルは現在二十五歳。西の隣国ハルウラ王国の王妃だ。
「私は子供の頃乗馬に夢中になって、毎日のようにシャーロットと乗馬をしていたわ。ある日『一人で馬に乗って森に行ってみたい』と思ったの。門番には『すぐにシャーロットが来るから』と嘘をついて制止を振り切って城の外に出たの。森を目指して走ったけど、案の定迷子になった。シャーロットの森の家に行く道がわからなくなってしまったの」
「そんな。危ないのに」
子どもたちは目を丸くする。
「そうなの。そうしたら運悪く柄の悪い男たちに囲まれてしまってね。きっとどこかの貴族の娘と思われたのね。馬から引きずり降ろされて後ろ手に縛られて彼らの馬に乗せられたわ。そのまま拐われてしまうかと思った。ところがね、森の中を移動中にシャーロットが馬に乗って追いかけて来たのよ。後ろに兵士たちをたくさん引き連れてね」
「やったぁ!」
「シャーロットがドレス姿のまま腰には剣、背中には弓矢を背負って。そして私が捕まってるのを確かめると、剣を抜いて馬から飛び降りて、ドレスを翻しながら男たちを次々斬り伏せたわ。その動きの速いことと言ったら」
「すごいすごい!」
子どもたちが拍手をする。
「シャーロットの剣の腕前に恐れをなした男たちが逃げ出そうとしたのだけれど、今度は背後から弓矢で次々と倒した。矢が男たちの腿に刺さって、男たちは皆、前のめりに転がったのよ」
「うわあ!」
「兵士が男たちを縛り上げている時、怖くて泣くこともできないでいた私をシャーロットが抱きしめてくれたの。どんなに叱られるかと思ったけど、シャーロットは『ご無事でよろしゅうございました』と繰り返すだけ。返り血に染まったまま私を抱きしめているシャーロットが、そのうちガタガタ震え出したの。シャーロットは私のために生まれて初めて人を斬ったことで震えていたのよ。シャーロットに申し訳なくてね。あれは子ども心にとても堪えたわ」
子どもたちは「はぁぁ」とため息をつく。
シャーロットはハルウラ王国の王子王女にとって生きている伝説のような存在だった。
そこまで話をして、アデルはランシェルを出てこの国に嫁ぐ日のことを思い出した。
家族には笑顔で上品にお別れの挨拶をしたのに、シャーロットに向かい合ったら涙があふれた。涙をポタポタこぼしながらシャーロットにしがみつくアデルを、その時もシャーロットは優しく抱きしめてくれた。
「アデル殿下、淑女のマナーをお忘れですか」
「だって、あなたにもう会えないなんて。シャーロット……ふえぇ」
「淑女たる者」
「わかってる。いつでも品良く落ち着いて微笑むこと。忘れてないわ、あなたに教わったこと全部。今だけよ、今だけは許して」
お付きのレナが退職してからはシャーロットがアデル王女の正式なお付きとなり、アデル王女はシャーロットが育て上げたようなものだった。
シャーロットは自分が子どもを産んでも復帰して、アデル王女に付き添った。シャーロットは夕方には屋敷に帰るものの、アデルはいつでもシャーロットに教わった淑女のマナーを忘れず、王女教育を頑張った。そして十六歳でこの国に嫁いできたのだ。
「お母様?」
「あっ、ごめんなさいね。シャーロットのことを思い出していたわ」
「いつか会いたいです、シャーロットに」
「そうね、いつかランシェル王国に行けるといいわね」
アデルは優しく子どもたちに微笑んだ。姉のオリヴィエもまた、嫁ぐ日にシャーロットと別れたくない、一緒に来てほしい、としがみついて泣いていたっけ、と昔を懐かしく思い出していた。
そのシャーロットは三十八歳になっていた。いまだに若く美しく、子どもが三人もいるようには見えない。シャーロットの二人の娘はシャーロットに似てすらりと背が高い。
末っ子でフォーレ侯爵家の跡取りの長男はまだ十一歳だ。
娘たちはシモンのプラチナブロンドの髪を受け継ぎ、長男はシャーロットのダークブロンドの髪を受け継いでいた。みんな強く美しい母が大好きだった。
「シャーロット、今日も仕事が楽しかったんだね。顔が生き生きしているよ」
「ええ。とても楽しかったわ、あなた」
シャーロットは仕事を続けていて、今はオレリアン国王夫妻の王女のお付きを任されている。
シャーロットの長女は十六歳になり、来週から上級侍女として城仕えを始める。
母に憧れている次女は十四歳で、城仕えに出る姉が羨ましくて仕方ない。
「私の城仕えは人に恵まれたから」とシャーロットは言うが、夫のシモンは知っている。彼女が手に入れた幸せはどれも、彼女の誠実さと努力で手に入れた物なのだ。





書籍『シャーロット 上・下巻』