5 白鷹隊のシモン
ランシェル王国の軍隊の中でも『白鷹隊』と呼ばれる精鋭部隊は国民の憧れの的だ。少年たちは彼らのようになりたいと願い、女性たちは理想の結婚相手として憧れの目を向ける。
白鷹隊の兵士たちは精鋭部隊の象徴である真っ白な制服を支給される。それを着て王都を歩くと、老若男女皆に尊敬や憧れの目を向けられる。一般の兵士は紺色の制服だ。そんな白鷹隊の何人かがシャーロットに近寄ったものの、全くなびいてもらえなかった。
簡単に手に入らない花はいっそう手に入れたくなるもの。
シャーロットのことはあちこちで話題になり、シモン・フォーレは、同じ女性の話をあちこちで何度も聞かされ、「ダークブロンドに茶色の瞳のスラリとした侍女シャーロット」のことを聞き覚えてしまった。
シモン・フォーレは白鷹隊の隊員だ。
プラチナブロンドの髪に深い青の瞳といういかにも貴族的な外見で、鍛えられた体躯、男でも見惚れてしまう美しい顔の二十五歳である。
ある日、昼休みに敷地内をシモンが歩いていた。
ただそれだけだったが、近くにいた女性の使用人たちが熱い視線を向けてくる。シモンは視線が合った相手には控え目な笑顔を返しながら歩いていた。
その笑顔は美丈夫ゆえの防御術だ。「お高く止まっている」という反感を持たれないようにするためだった。だがシモンに笑顔を向けられた女性たちは頬を赤らめてうつむいたり、はしゃいだ声を発したりして騒いでいた。
シモンは噂のダークブロンドの侍女が左手から歩いてくるのに気がついた。
彼女は重そうな箱を抱えてシモンが歩いているレンガ敷きの小道に合流し、シモンに気づくとペコリと頭を下げてから自分を追い抜いて行った。
大柄なシモンもそこそこの速さで歩いていたが、きっちりお団子にされたダークブロンドの髪との距離がどんどん開く。シモンは(どんな早足だ?)と驚いた。
チラリと顔を見たが、たしかに仲間が騒ぐだけはあった。整った顔立ちだけでなく、全身から凛とした雰囲気が漂っていた。
シモンが彼女に二度目に会ったのは、ある日の夜明けだった。
翌日が休みという夜、シモンは同僚たちと深酒をした。どうせ明日は休みだからと夜明け近くまで飲み、店主に「もうそろそろ店を閉めますから」と困った顔で言い渡されて店を出た。
一緒に飲んだ仲間はそれぞれ実家や恋人のいる家に向かったが、シモンは兵舎に向かった。まだ辺りは暗く、東の空が黒から深い藍色に変わろうかという時刻だった。シモンは女性使用人たちの寝起きする建物の脇を歩いて宿舎に向かっていた。
ブン! ヒュッ! ブン! ヒュッ!
明らかに木剣を振っている音がして、(こんな時間に熱心だな。誰だろう)と、音の出どころを探した。シモンの目に入ったのは、庭の片隅で木剣を素振りする女性らしき姿だった。ひとつに縛った長い髪が左右に揺れていた。
(女?)
意外な事実に目を凝らして見ると、常夜灯のオイルランプの光を受けて素振りをしているのは例の噂の侍女だった。
シモンが驚いて見ていると、相手がピタリと動きを止めて体ごとこちらを向いた。まだ夜明け前の暗い時刻なので、彼女からは自分のシルエットしか見えないはずだった。
声をかけようかどうしようか酔った頭で迷っているうちに、侍女は素早い動きで建物の中に入ってしまった。
「へえ……」
深酔いしていてもわかる。あの剣さばきは初心者ではない。
しばらく呆然としていたシモンだったが、今見たことがなんとも意外で一気にシャーロットのことが気になった。
シモンの個室の向かいの部屋を使っている白鷹隊の一人は、シモンが帰って来た物音をベッドの中で聞いていた。(朝まで飲んでいたんだな)と半分眠りながら思った男は、突然シモンの「へええ!」という声が聞こえてきてギョッとした。シモンは美しい外見で愛想がいい男だが、中身は真面目な努力家、どちらかと言うと堅物なのを知っていたからである。一人でしゃべってる声なんて初めて聞いた。
「なに? どうした?」と半身を起こした男はしばらく耳を澄ませていたが、その後は何の声も音もしなかったので再び布団を被って再び目を閉じた。
シモンは服も脱がずにベッドに仰向けになっていた。眠ってはいなかった。酔っているシモンは天井を眺めながらニコニコしていたが、やがて我慢できずに「面白い!」と結構な声の大きさで独り言を言い、今度は向かいの部屋だけでなく両隣の住人を驚かせた。
一方、そそくさと建物に入ったシャーロットは、静かに自室に戻っていた。
木剣を自分のベッドの柵とマットの隙間に押し込んだ。剣の素振りは恥ずかしいことではなかったが、侍女が行うのはとても珍しいことだと今は知っている。他の女性は誰一人として剣の素振りをしていない。しかも「騎士の家の出でもないのに?」と何度か驚かれたので、あまり人に見せないほうがいいと思っていた。
両親と暮らした森での生活は、とても穏やかで楽しい思い出ばかりだった。だが、こうしてたくさんの人間の中で暮らしてみてわかったのは、自分はかなり変わった環境で十六歳まで育った、ということだった。
他の家に遊びに行くことも、他人が遊びにくることも一切なかった。
キングストーンの町に出かける時は必ず両親が一緒で、自分に誰かが話しかけると両親はシャーロットを促してその場を離れるようにしていた。
「いったいどういう理由で他人との関わりを断っていたのかしら」
父も母も人嫌いというわけでもなかった。
三人でキングストーンの商店街や市場に出かけた時、両親は愛想良く店の人たちと会話していた。だから、避けていたのはシャーロットと他人が関わることだったと思う。
(今にして思うと、お父さんは猟師なのに剣の心得があるのも不思議な話よね)
でも悪い理由は思いつかない。
両親は誠心誠意、シャーロットに良くしてくれた。
「赤ん坊だったシャーロットが捨てられていたから、拾って名前を付けて自分たちの子として育てた」という話を疑う理由もなかったし、疑いたくもなかった。
「生まれたばかりのシャーロットのためにもらい乳に奔走したり、山羊を飼ってその乳を飲ませたりした」という思い出話は何度聞いてもほのぼのとしたし、ありがたいと思った。
(どこかで生きていてよ、お父さん、お母さん)
凛々しかった母の「シャーロット?」という呼び声をもう一度聞きたかったし、優しかった父の「さあシャーロット、狩りに行こうか」という声も懐かしかった。
二段ベッドの上段で天井を眺めていた目からツーッと涙が流れ落ちた。
鼻をすすると、部屋の反対側のベッドの上段に寝ていたイリヤが声をかけてくれた。
「シャーロット、何かあったの?」
「ううん。何もないわ。ただちょっと、両親に会いたいなって思っただけ」
「そう……。今度のお休み、よかったら私と王都に出かけない?」
「ありがとう。でも家に帰りたいから」
「そう。わかった。気が変わったらいつでも言ってね。王都を案内するから」
「ありがとう、イリヤ」
「どういたしまして」
その会話を同室の他の二人も聞いていた。(不憫なシャーロットのためなら自分も王都の案内役を買って出よう)と思いながら。シャーロットは美人なのにそれを自慢することが全くない。本当に真面目に働いている。他の侍女たちが怠けていれば、黙ってその分まで働いている。
それを知っている同室の侍女たちは、美人で世知に疎いシャーロットに対して、かなり前から保護欲をかき立てられていた。
気立てのいい仲間に恵まれて、シャーロットの城暮らしは概ね平和だった。