49 美術商ロウウェルの驚き
「やあ、シモン。待ってたよ。そちらが噂のお嬢さんだね?はじめまして私は叔父のロウウェル……」
そこまで言ってロウウェルは、お辞儀から顔を上げたシャーロットを見て固まった。しかしすぐにまた笑顔になって大人の対応をする。
「ロウウェル・カルリエです。さあ、まずは店内にどうぞ」
と店内に招いてくれた。
美術商のロウウェルはシモンの父の弟で、カルリエ伯爵家の四男だ。
四男だからロウウェルには伯爵家の当主になれる可能性が生まれた時から無いも同然だった。どこぞの貴族令嬢の婿になるか、それが嫌なら自力で経済的自立の道を探るしかなかった。
そんなロウウェルは子どものころから、美しい物が大好きだった。絵や彫刻、工芸品などを扱う仕事の存在を知った時は(これこそが自分の進むべき道)と思い、迷うことなくその世界に飛び込んだ。
ランシェル王国で大人気を博した歌劇「悲劇の王妃」の舞台装飾を、ロウウェルは若手の時に一時期手掛けたことがある。その時にバンタース王国の前国王夫妻の絵姿を何度も見ていた。
その悲劇の前王妃によく似た美女が今、甥っ子に連れられて店内を興味深そうに眺めている。
(ここまで似ている人がいるのか)
早鐘を打つ心臓をなだめつつ、最近当主になったばかりの甥っ子を引っ張って店の端に寄る。
「おい、シモン。あのお嬢さんはどちらのご令嬢だい?」
「シャーロットは城の上級侍女ですよ。どうかしましたか」
「お前……ああ、そうか、お前は歌劇なんて観たことがないか」
「ありません。なんの話です?叔父上」
「あのお嬢さん、バンタースの悲劇の王妃にかなり似てるんだ」
シモンは思わず舌打ちをしそうになった。
「他人のそら似ですよ」
「それはもちろんそうだろうが。大変な美人じゃないか。上級侍女ってことはどこかの貴族のご令嬢だろ?噂になっていないのが不思議だよ」
「彼女は猟師の娘です。平民ですよ」
「平民?平民の娘ではお前と結婚できないだろう。何か考えはあるのか?」
「叔父上。話は全然そこまで進んでないんです。ですから叔父上は余計なことは何も言わないでください。絶対にですよ」
「わかったわかった。だが、いざとなったら私に相談しなさい。口うるさい親戚筋は私がなんとかしてやるから」
ロウウェルはやっと女性と付き合う気になったシモンが怖い顔をしているのを見て、(こりゃ本気だな)と驚いた。一方のシモンはシャーロットを見る叔父の興奮ぶりが気に食わない。
(美しければ物でも人でもお構いなしか)と呆れる。
この叔父がとにかく美しい物に目がない、ということは重々承知していた。だが、五十に手が届こうというのに十七歳のシャーロットの美貌にはしゃいでいるのが若干腹立たしい。
そして叔父の言葉でフォーレ侯爵家の親戚筋には口うるさい者が少なくない、という不愉快なことも思い出した。
「そうですね。叔父上、その時はよろしくお願いいたします」
「任せなさい。こういう時のためにフォーレ侯爵家のうるさ型とも付き合いを続けているんだ。お前と違ってな」
確かにそうだった。
フォーレ家の親戚たちは才能や努力よりも母と同じように世間体や血筋を大切にしている。それを不快に思っているシモンは、あまり付き合っていない。だがこの叔父は商売に長けていることもあって、シモンの父が婿入りしたフォーレ家の面倒な親戚たちとも如才なく交流している。
「フォーレ家の親戚が何か言ってきたら私が助太刀する。その代わりに……」
「ああ、そうでした、叔父上はタダでは動かない方でしたね」
「そう言うな。私が助力する代わりに彼女の絵を描かせてくれないかな。もちろん腕の立つ画家を選ぶし売り込み先も厳選する。悲劇の王妃の絵なら間違いなく人気が出る。どんな高額でも買い手がつく。本物の王妃の絵は売ることができないが、彼女なら似ているだけの別人だから売れる。売り上げをフォーレ侯爵家の再建に使えばいい」
シモンはシャーロットの絵がどこかの誰かに買われて眺められている場面を想像してみた。
「いや、お断りします。他の対価にしてください」
「けちくさいことを言うなシモン。絵に描いたって彼女が減るわけじゃないだろう。いい取引だぞ?あのお嬢さんの気持ちを聞いてみてくれ。私は儲けたいんじゃない。自分の利益は含めないよ。私はただ、美しい絵をこの世に送り出したいだけなんだ」
そこでシモンはいっそう声を小さくして叔父に詰め寄った。
「叔父上、どこの世界に好きな女性の絵を売り出して財政を立て直す男がいるんですか。もう結構です。親戚筋も自分でなんとかします。そもそも話はそこまで進んでいないんです。絵の話はここまでにしてください」
そこまで言ってシモンは叔父から離れた。そして骨董品や絵画を真剣に眺めているシャーロットに近寄った。
「シャーロット、何か気に入ったものがあるかい?」
「どれもすばらしいですね。森の中の暮らしでは見たこともないものばかりで感動しています」
そう答えるシャーロットの首と耳が赤い。頬もほんのり色づいている。
森で狩りをしてきたシャーロットは耳がいい。なのでシモンとロウウェルの会話が丸聞こえだった。二人がシャーロットとシモンの結婚を前提として会話しているのを聞いてしまい、慌てていた。
(気まずい。私が聞いていたことを知られたら大変に気まずい。どうしよう。話を聞いていたことは気づかれないようにしなくちゃ)
「さあ、もう出よう。どこかでおしゃべりをしよう」
「はい」
じんわりと汗が滲む。母はこんな時の対処法を何か教えてくれていただろうか。
山ほど叩き込まれた『淑女のマナー』を頭の中で大急ぎで総ざらいしてみる。だが焦っているので何も思い出せない。シャーロットは焦ったまま馬車に乗り込んだ。馬車は王都の賑やかな通りを進んでいる。
「シモンさん、どこへ行くんですか?」
「俺が好きな景色があるんだ。シャーロットに見せたいなと考えていたんだよ」
そう話すシモンの顔をようやくまじまじと見る余裕ができた。
(このシモンさんが私のことを『好きな女性』って……)
シモンの言葉を思い出した途端にブワッと顔が赤くなるのが自分でわかった。
(落ち着いて。深呼吸して。気取られないように)
「あれ?シャーロット、顔が赤いけど。具合が悪いんじゃないよね?」
「いえ。全く。着慣れない服を着ているので緊張しているだけです」
「そのクリーム色のワンピース、よく似合うよ」
「ありがとうございます。この靴もこのワンピースに合わせて新調しました。私の過去一番のおしゃれ靴です」
シモンは笑顔でうんうんとうなずいている。
「おしゃれなワンピースも似合うし、森で見た狩り用の服装もよく似合ってた。あの服装が似合う女性はそうそういないよ。普段から鍛えているから動きもきれいだし」
「ありがとうございます」
そんな会話をしながらも、シャーロットはさっきの「肖像画を描かせてくれたらフォーレ侯爵家の財政立て直しの役に立つ」という言葉が頭から離れない。
自分は肖像画を描かれることは構わない。もうバンタースの影に怯える必要がないのだ。似ていると言われても他人のそら似で押し切ればいいではないか。
(シモンさんの役に立ちたい)
実母や両親やクレールさん、陛下に王妃殿下。皆が自分を助けてくれた。シモンは自分のために大きな傷を負った。絵を描かれるぐらいで役に立つならいくらでも描いてもらって構わないと思った。
(だけど、それを私が言ったら、他の話も聞いてたことを知られちゃうか)
窓の外の景色を眺めながら悶々とする。
やがて馬車は丘の上に到着した。
そこは見渡す限りの青い忘れな草の群生地だった。ゆるやかな丘陵すべてが青く染まっていた。
「こんな景色が王都の近くにあったんですね」
「忘れな草は雑草みたいな扱いだけど、俺は好きだよ。ムクドリの卵のことを手紙で読んだ時にここを思い出したんだ」
「あっ、たしかにあの卵の殻の色と似ていますね」
「花壇ではバラみたいな華やかな花がもてはやされるけど、俺はこの花が好きだな」
それから二人はしばらく波打つ水色の海のような丘を眺めた。
「侯爵家の立て直しは一年や二年では終わらないんだ。三代にわたって散財したツケを払うんだから仕方ないんだけどね。どうやったらあんなにドレスやアクセサリーに注ぎ込めたのか、理解に苦しむよ」
「そうですか……。お身体に気をつけてくださいね。そう言えば、シモンさんのお父様はお元気なんですか?」
「ああ、だいぶ持ち直したみたいだ。なかなか会いに行けてないが」
シャーロットは忘れな草を見ながら、シモンの父を思った。
「シモンさん、お父様に会いに行ってあげませんか。私の母みたいにいなくなってからでは何もしてあげられないんですから。って、お節介ですよね。ごめんなさい」
「いや。ありがとう。そうだね、近いうちに会いに行くよ」
シャーロットが忘れな草を摘んで花束にしていると、その姿を眩しそうに見ていたシモンが、シャーロットの隣に来た。ずいぶん顔が強張っている。
「シャーロット、俺が家を立て直すまで、俺を忘れないで待っていてくれるだろうか」
シャーロットは母にこれだけはいつも褒められた『いい姿勢』になってシモンに向かいあった。そしてマナー違反なのを承知の上で口を開けて楽しそうに笑った。
「いいですよ。五年でも十年でも待ちます。シモンさんこそ私を忘れないでくださいね」
シモンが嬉しそうな顔になり、シャーロットをそっと抱きしめた。
シャーロットは抱きしめられながら決意した。
(私、絵のモデルになる。この人を助けるために)





書籍『シャーロット 上・下巻』