46 春終わる森と春の心
「シャーロット、あそこを見て。小鳥がいる」
「殿下、あれはミソサザイですよ」
「あれがミソサザイか。図鑑で見るよりずっと可愛いな!」
「お兄さま、どこですか?教えてください」
「どこって。遠眼鏡で見ている場所を口で説明するのは難しいんだよ」
オレリアン王子とオリヴィエ王女が会話する後ろでアデル王女が小鳥の笛をスピピー!と強く鳴らした。ミソサザイがその甲高い音に驚いて巣から飛び立ってしまった。
「ああっ!もう。だからお前たちを連れて来るのは嫌だったんだ!」
「お兄さまのケチ」
「ケチ!」
口喧嘩をしている三人の王子王女を見てシャーロットが微笑む。小鳥の笛は王妃殿下が独り占めしていたオレリアン王子をこってり叱り、ひとつずつ配り直された。
ピチットもやって来てオレリアン王子やオリヴィエ王女の手に乗ってくれたものの、アデル王女にだけは頭に乗る。小鳥も幼い子どもには対応を変えるのかとシャーロットとオレリアンは驚いた。
「チチチッ!チチチッ!」
ピチットは今回すぐに森に戻ってしまった。
「きっとお嫁さんを探すのに忙しいか、もしくは雛が孵って大忙しなのかもしれませんね」
「ピチットの巣も見てみたいなあ」
「さあ、どうでしょう。私もなぜかピチットの巣に案内されたことがないのです」
春の終わりの森は生命力にあふれている。
芽吹いた木々は強まった陽ざしを受けて爽やかな空気を作り出している。あちこちに小鳥が巣を作り、雛を育てている。
今回森に来るにあたって、三人はそれぞれ一本ずつ遠眼鏡を与えられていて、目の良いシャーロットが小鳥の巣を見つけては殿下たちに場所を教えている。アデル王女は逆側から覗いたりするので危なっかしく、シャーロットはずっと付き添って目を傷めないよう注意を払っている。
「この大きなブナの木の幹に耳をくっつけてみてください。この木が水を吸い上げている音が聞こえますよ」
「ほんとに?あっ!ザーッて音がする!」
「本当ね!すごい!生きてるって感じがするわ!」
大人になった今は、大木の幹から聞こえる音は枝や葉がこすれる音ではないかと気づいている。でもシャーロットは子どもの頃に父がしてくれたこの話が大好きだった。幼いころ、ざらつく幹に耳をつけてその音を聞いていると、木の呼吸音を聞いているようで飽きずに聞いていられたものだった。
時々遠くの木々の間を仔鹿を連れた母鹿が通る。
子育て中の母鹿は神経質になっていて、こちらに気がつくと素早く逃げてしまう。それでも鹿を見た子どもたちははしゃいで、(お連れしてよかった)と思う。
シャーロットは森を案内しながらも、前回は一緒に歩いていたシモンがいないことがほんのり寂しい。
王子王女に森の中を案内し、前回同様にイノシシの炙り焼きを父が用意してくれて、みんなで食べた。オレリアンたちが特に喜んだのはサラサラした蜂蜜だった。
「美味しい!城で出される蜂蜜ほど甘くない。蜂蜜は喉が痛くなるほど甘いだろう?この前も思ったけど、ここの蜂蜜は美味しいな!」
「蜜蜂は花の蜜を一度巣に溜めてから、蜂が羽で扇いで水分を飛ばして濃くするのです。これは濃くなる前の薄い蜂蜜です。私も大好きですが、採取するタイミングが難しいんですよ」
シャーロットの説明を聞いて三人の子どもたちは「城に持って帰りたい」とねだった。「もちろんお土産にします。ご安心ください」と言われて大喜びだ。聞いていた護衛の何人かは甘党なのか、羨ましそうな顔をする。
シャーロットは笑顔を絶やさず「森の生活の案内」をした。
木の幹を走り回るリス、素早く逃げるウサギ、遠くをぞろぞろ歩くイノシシの親子。子どもたちは森の見学をたっぷり楽しんだ。
帰りの馬車では森ではしゃいで疲れた王子たちは全員熟睡してしまった。その三人の王子王女を護衛の兵士たちが抱き上げて部屋へと運び、シャーロットは刺繍の時間になった。
今はオリヴィエ王女のリクエストで、森に咲く花を刺繍している。
スズランやブルーベル、ミモザやスイセンなど、森でも花壇に負けないくらいきれいな花が咲く。オリヴィエ王女の白いワンピースにせっせとそれらの花を刺繍していると、心は勝手な方向へと飛び立ってしまう。
(シモン様は今頃どんなお仕事をなさっているのだろうか、お顔の傷の治りは順調だろうか)
ふと気づくとシモンのことを考えている自分がいて慌てる。
両親とだけ会話する十六年間、誰かをこんな風に思うことはなかった。これが誰かを好きになるということだろうかと思う。今までなんとも思ってなかったシモンのことが、あの襲撃の日以来気になって何度も思い出してしまう。
(でも、好きになったところで身分の差が消えるわけじゃないのに)
そんなもやもやする気持ちを忘れたくて、シャーロットは衣装部のスザンヌを食事に誘うことにした。
二人はスザンヌお勧めの食堂でヒソヒソと会話をしていた。
「それで?それで?」
「それで、何度も同じ人のことを思い出したりするのって、好きになったってことだと思いますか?」
「もちろんよ!ああよかった。シャーロットもやっとそんな気持ちが生まれたのね!」
「えっ?どういうことですか?」
「だってあなたったら」
そこまで言ってスザンヌがクスクス笑う。
「あなたったら、そんなにきれいでいろんな男の人に言い寄られてるのに、全部バッサリいってたでしょう」
「でもみんないきなり怒り出すから謎でした」
「それ、噂で聞いたことがあるわよ。最初の頃、あなたは人の話を聞くときに優し気な微笑みを浮かべながら熱心にうなずいて聞いてたんですって?そんなことをやられたら、たいていの男の人は勘違いするって。なのにいざ告白したら『そんなつもりはありません』て言われるんだもの、そりゃびっくりするわよ。怒るのはどうかと思うけど」
「あれは!」
そこで思わず自分も笑ってしまう。
あれは母がそうしろと教えてくれたからやっていたのだが、今思うと母が教えてくれたのは貴族が夜会などでやるべき仕草だったのだ。
母は田舎貴族の侍女だったと言っていた。本当は王妃付きの侍女だったが、そこで学んだことを良かれと思って自分に教えたのだろう。だが今にして思うと貴族の生活しか知らない母の教育は平民の娘にとっては的外れなことも結構あったのだ。
「ふふふ。そうですよね。お城で働くようになってだいぶ経ってから、私がやってたことは少し変だったなってわかるようになりました」
「で?こんな美人さんの心に居座っている幸せ者はどなた?」
「それは……言えません」
「あら、残念」
二人でクスクス笑っていると、店のドアが開いて見覚えのある男たちが入って来た。
「あっ」
シャーロットが思わず声を出すと、その男たちが全員こちらを見た。庭師の集団である。そのうちの一人はレオンだった。レオンはシャーロットに気づくと軽く目礼をした。レオンとはあの襲撃の日以来顔を合わせることがなく、お礼も言えないままだった。誰が読むかわからないから「襲撃のことを教えてくれてありがとう」などと手紙に書くわけにもいかず、伝言を誰かに頼むわけにもいかずに困っていた。
今、お礼を遠回しに言うべきか迷っていると、レオンはシャーロットの気持ちを察したのか小さく首を振った。(余計なことをするな)という意味だと判断して、シャーロットは庭師たち皆に軽く会釈するだけにとどめた。
使用人の門限が近づいて、シャーロットとスザンヌは店を出た。家に帰るスザンヌと別れ、ひとりで城の門を通って城内に入ったシャーロットに、レオンが走って近づいた。
「あら?お酒を飲んでいたのでは?」
「そうだが、ちょっと聞きたいことがあって」
「はい、なんでしょう」
「シモン様は俺のことを何かおっしゃっていたか?」
「いいえ、何も」
「襲撃があった日、バンタースの王子たちが城に戻って来ただろう?何かあったんじゃないのか?」
「レオンさんはなぜそれを気にするの?そもそも私が襲われることをなぜ知っていたの?」
「たまたまやつらが話してるのを小耳に挟んだんだよ」
「そうなんですか……」
(それは少し変ではないか、そんな話を庭師に聞かれるような場所でするだろうか)と思うし、レオンにどこまで話していいかわからず考え込む。だが、レオンは命の恩人だ。あの日レオンが襲撃のことを知らせてくれなかったら、木剣を用意することもなく危ない目に遭っていただろう。
シャーロットは言える範囲で伝えることにした。
「バンタースの国王陛下の体調が悪いと聞きました。近くイブライム王子が国王になる、と」
「……そうか」
「あの、レオンさんはバンタース王国と繋がりが?」
「ないさ。俺はこの国の生まれ育ちだよ。隣国の王のことは歌劇を観てから興味を持っただけだ」
「そうでしたか」
いや、絶対に何かの繋がりはありそうだ、とは思ったが、本人が違うというのに詮索するのは恩知らずだ、と判断して口を閉じた。
「引き止めて悪かった。じゃ、おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
シャーロットと別れたレオンは、自分の部屋に戻りながら深く深く息を吐いた。
「そうか。国王が代わるのか。俺はおそらく解放されるんだな。ジョスラン国王が退位するのなら、もうシャーロットのことは探さないだろう。反王家の連中だって、イブライム王子を退けてまで他国で平民として育ったシャーロットを担ぎ上げないはずだ。賛同者がいないだろう」
走ったせいで酔いが回って来た。
クラリとなりながら自分の部屋に入る。ドサッとベッドに腰を下ろし、背中を丸めて目を閉じた。
「そうか。自由になれるんだな」
後で問い詰めてくるだろうと思っていたシモンは、その後何度か顔を合わせたにもかかわらず、チラリと自分を見てうなずくだけだった。
(どういうことだ、あとからみっちり俺に質問すると思っていたが)
◇ ◇ ◇
シモンは国王に呼び出されてことの次第を詳しく説明するにあたり、レオンのことも正直に伝えた。国王はレオンのことを調べさせたのだが、レオンについての情報が何も出てこなかった。
レオンが城に提出した身上書には、天涯孤独の身であり働きながらあちこちを移動していた、と書いてあった。それを否定する材料も肯定する材料も出てこなかった。
「レオンのことは保留とする。ポールに預けてしばらく様子を見よう」
エリオット国王の判断により、レオンは毎日庭師長のポールに鍛えられる日々を過ごしていた。





書籍『シャーロット 上・下巻』