45 去る人と戻る人
「シャーロット、あの指輪をイブライム殿下に見せるように」
「はい、陛下。イブライム殿下、中に名前が刻んでございます」
イブライム王子はシャーロットが首から外した小袋から指輪を取り出して渡すと、指輪をジッと眺め、中の文字も確認した。
「間違いない。赤子と共に盗まれたとされるソフィア様の指輪のことは聞き及んでいる。この指輪をこうして本人が持っているなら、指輪は盗まれたのではなく、赤子も私欲で拐われたわけではない、という何よりの証明だね」
イブライムは指輪を返し、悲しげな顔で続ける。
「私は父に関する噂話を信じなかった。私の知っている父はそんな人間ではないと思っていた。だが、シャーロットの人生を変えたのは父なのだね」
「殿下、私の実母は私が危険に遭うと判断したのでしょうが、私が王城にいたらどうなっていたのか、真実は誰にもわからないことでございます。何よりも私は幸せに育ちました。自分の人生に不満はありません」
しかしイブライム王子は首を振った。
「真実を知っている人間が一人だけいる。父、ジョスラン国王だよ。私はなぜ父があんなに酒と食べ物に執着するのか、ずっと不思議だった。だが今わかったよ。父はきっと、いつ王座を奪われるのかと休まらない心をなだめるために大量の酒を飲み、満腹してもなお食べ続けていたのだろう」
イブライム王子は小さめの声で語り続ける。
「シャーロット、君がバンタースに行きたくないと言うのなら、無理強いはしないよ。せめてものお詫びに私が君にしてやれることはないのかい?」
「ございます。私のことを忘れてくださり、もう思い出さないでくださることです。私はそれで十分でございます。豊かな生活も訪れたことのない国の王族の地位も欲しいとは思っておりません」
「そうか……。わかった。では残念だが君のことは忘れることにしよう。君に平穏と幸せがこの先も続くことを約束するよ。それでもこれだけはさせてほしい。万が一、何かで必要になるかもしれないから、これを」
そう言ってイブライム王子は黒いオニキスが飾られた指輪を自分の指から外し、懐から羊皮紙を取り出すと、そこに何かをサラサラと書いてシャーロットに手渡した。受け取ったシャーロットがそれを読む。
『シャーロットは我が従妹であり、前国王夫妻の第一子であることを証言する。バンタース王国王太子イブライム』
「陛下、バンタースの人間が大変にご迷惑をおかけしました。父は現在、体調が良くありません。私が国に戻り次第父に代わり、バンタース王国を治めることになりましょう。私が王になった暁には、今回のようなことは決して起こさせないとお約束いたします」
そう述べてイブライムは深く頭を下げた。
◇ ◇ ◇
イブライム王子たちが帰国した翌日、シモンは白鷹隊を除隊した。
翌日の朝、稽古を終えてからシモンが城を去ることを告げた。
「明日、俺は領地に戻るんだ。フォーレ侯爵家の当主として家の経済の立て直しに専念しなくてはならないんだよ」
「えっ。もうお会いできないのですか?」
「我が家の領地は王都から近い。会おうと思えば会える距離だ。俺は君に会いたいが、迎えに来たら君は会ってくれるか?」
「はい。もちろんです」
シモンは包帯を巻かれた顔で嬉しそうに笑った。
「よかった。『私に用事でもあるんですか?』と、真面目な顔で聞かれるんじゃないかとハラハラしてたよ。では俺が君の休みの日に合わせる。俺もその日だけは休みにしよう。俺が城まで迎えに来る。開門の時間じゃ早すぎるか?」
「いいえ。でもそれだとシモンさん、いえ、シモン様はいったい何時に領地を出ることになるんですか?」
「様付けはやめてくれ。君は俺が出て来る時刻なんて気にしなくていい。俺が会いたいんだ、喜んで早起きするさ」
昨日からシモンの言葉が積極的でシャーロットは戸惑うが、毎日続けていた鍛錬にシモンが来なくなり、顔も見られなくなるのは寂しかった。
「わかりました。では次のお休みの日、開門の時刻にお待ちしています」
「よし、その日を楽しみに仕事を頑張るよ。手紙も書く。じゃ、その時までしばしお別れだ」
シャーロットの休みの日を確認し、シモンは微笑んで去って行った。
その後ろ姿を見送り、朝の庭を城へと戻る。
シモンは他の人のように自分の容姿をほめたりしなかった。自分の剣の腕に興味を持ってくれて腕前を誉めてくれるのが嬉しかった。
食事の時も当たり障りのない会話だったし、他の男性のように「俺をどう思う?」とか「これからは君のことをシャーリーと呼んでもいいかい?」などと気味の悪いことも言わなかった。だから二人でいても居心地が良かった。
(だけど、もしかしてシモンさんは私に好意を持ってくださっているのでは)
そうかもしれないと思う端から(まさか)と思う。相手は侯爵家当主で自分は平民として生きることを決めた猟師の娘。
「ないない。ありえない」
「なにがありえないんだ?」
「えっ」
振り返るとそこにノエルが立っていた。シャーロットは予想外の人物の登場に驚いて目をパチパチしてしまう。
「ノエル殿下。お国にお帰りになったのではないのですか?」
「帰るつもりだったが、立て続けに城仕えの貴族から真珠の注文を受けてな。貴族の家を回って注文を受けていたら帰りそびれたんだ。今、暇か?」
「いえ、もう部屋に戻るところでございます」
「お前は相変わらず素っ気ないんだな。まあ、いい。なあ、俺と広い世界を見てみないか?妻でなくてもいい。俺と一緒に船に乗り、各国を回って真珠を売る生活も面白いぞ?」
(はい?)と眉を寄せて大柄な男の派手な顔を見る。妻でもないのに一緒に旅をする意味がわからない。そもそも真珠を売り歩く生活より城仕えがいい。
「いえ。結構でございます。私にはお城で仕事がございますので」
「ふぅ。答えは変わらないか。なあ、シャーロット。俺のじいさんは本物の海賊だったんだ。ばあさんは、他国の貴族の娘だった。船旅をしていたばあさんをじいさんが見初めて力ずくでさらって妻にしたそうだ。そんな乱暴な出会いでも、俺が知っている二人は仲が良かったぞ?」
拉致された女性の話をされて、シャーロットはジリッと後ろに下がろうとしたがすぐ後ろに壁がある。下がれないことに焦って、ノエルをキッと見返した。
「ふむ。睨みつける顔も美しいな」
「そこまでにしてくださいませ、ノエル殿下」
ノエルの背後から庭師長のポールが声をかけた。
「ポールさんっ!」
シャーロットはノエルを避け大きく半円を描くようにしてポールの近くに駆け寄った。
「へえ。シャーロット、お前は年寄りにも人気か」
何も答えないシャーロットをポールがかばって引かない。
「彼女をさらうつもりですか。大変な問題になりますよ」
「そうかな。侍女ひとりのためにもめ事を起こすような国があるとも思えないが」
「ノエル殿下。シャーロットは王妃殿下のお気に入りです。無理やり連れて行くとおっしゃるならば、王家が黙っていません」
「庭師がずいぶん偉そうな口を利くんだな」
するとそこに可愛らしい声が降ってきた。
「いや、母上だけではない。シャーロットは僕のお気に入りでもある!諦めていただきます」
ずいぶん上の方から声がして、大人三人が上を見上げると、二階のバルコニーからオレリアン王子が顔を出していた。その手に遠眼鏡があるところを見ると、野鳥の観察をしていてシャーロットとノエルのやり取りに気づいたのか。
子どもといえどこの国の王太子が割って入ったので、ノエルはさすがに口を閉じている。
「シャーロットは手放しませんから!」
「ませんから!」
早朝だというのに、なぜかオレリアン王子の隣にアデル王女の顔の上半分が手すりの向こうから現れた。
「くっくっく。人気者だな。仕方ない。ここは引き下がろう。だが来年も俺は真珠を売りに来る。また来年も会おう、シャーロット」
ヒラヒラと片手を振って去って行く後ろ姿を見ながら(お断りです!)と言い返したいのはグッと堪え、シャーロットはノエルの背中を睨みつけるだけにした。
こんな時間に庭にいたということはノエル王子は城に泊ったのだろう、と気づいた。いつまでいるのか心配になる。
去って行く後ろ姿を見ながら、いきなり連れ去られたりしなかったことにホッとした。
「ポールさん、ありがとうございました」
「なんのこれしき。年寄りの早起きもたまには役に立つもんだ」
「そういえばレオンさんを最近見かけませんが」
「真面目に働いてるぞ。以前はよく部屋を抜けだしたりしていたようだが、最近はやっと腰を据えて働く気になったようだ」
「そうですか。ちゃんとお城にいて働いているのなら安心しました」
シャーロットはポールに礼を述べて部屋に帰り、着替えてからオレリアンたちの部屋へと向かった。
「危ないところだったね、シャーロット。あの海賊王子は鍛錬の時からシモンが立ち去るまで、だいぶ離れた場所で腕組みしたまま待っていたんだよ。これは怪しいと思ってずっと見張ってたんだ」
「オレリアン殿下、もしかして私とシモン様の会話も聞いていらっしゃいましたか?」
「残念ながら君たちの会話は聞こえなかった。今度読唇術を学ぼうかと思ったよ。海賊の声は大きいからよく聞こえたな」
「殿下、読唇術はおやめくださいませ」
「冗談だって。読唇術を学んでも、シャーロットとシモンの会話は読まないよ。ねえ、それより、父上が立太子式をちゃんと務めたごほうびに、また森に行ってもいいとお許しくださったんだ。またシャーロットの家に行ってもいい?」
シャーロットはにっこり笑ってうなずいた。
「もちろんでございます」
「アデルも行く!」
「ええ?いやだよ。お前が来たらピチットが来ないかもしれないじゃないか」
すると会話にオリヴィエ王女も参加した。
「お兄さま、残念でした。私とアデルも行っていいとお母様がお許しくださってます」
「オリヴィエもか!うわぁ。僕の楽しみが台無しだよ」
三人のやり取りを微笑ましく聞いていたシャーロットはアデル王女を抱き上げて宣言した。
「みんなで森へ参りましょう。小鳥の雛がたくさん孵っているころですよ!」





書籍『シャーロット 上・下巻』