44 裁きの時間
レオンは森の中を移動しながら今後のことを考えていた。
(場合によっては俺は姿を消さなきゃならないな。庭師長にはまだまだ習いたいことがあったが)
シモンが自分のことを上の人間にどう報告するのか不明だ。
(いつでも逃げ出せる準備だけはしておくか)
それに今朝はとんでもなく遅刻している。それらしい遅刻の言い訳を考えなくては、と思いながら城を目指した。
シャーロットたちを乗せた荷馬車が城の通用門に到着すると、大騒ぎになった。
御者席には顔をぐるぐる巻きにされ、上半身を血だらけにしたシモン。
スカートを引き裂いて綺麗な脚を剥き出しにしたシャーロットも、手やワンピースのあちこちが血で赤く、荷台には怪我人が四人も転がされている。
リックもところどころ返り血を浴びていて、戦場帰りみたいな有様だ。
すぐに兵士や白鷹隊が殺到してシモンは医務室に運ばれ、襲撃者は荷馬車ごと運ばれて行った。
シャーロットとリックは事情を聞かれるために城の一室へと連れて行かれた。そこに衣装部のルーシーとスザンヌが駆け込んできた。
「シャーロット!あなたが血だらけだから着替えを持って来るよう言われたんだけど、怪我は?」
「私は無傷です。でもシモンさんがっ!」
涙を浮かべて駆け寄ろうとしたシャーロットを見て、ルーシーが慌てた。
「待って待って。まずは着替えをして顔や手に付いてる血を洗いましょう。あなたどこもかしこも血だらけだわ。お父様にも着替えを用意します。スザンヌ、あなたはシャーロットをお願い。私は男性用の着替えを持って来るわ」
ルーシーは血だらけのシャーロットに抱きつかれないようにしながらスザンヌに指示を飛ばした。
謁見用の少人数用の部屋に、国王と王妃が並んで座っている。その前には制服に着替えたシャーロット、顔に白い包帯を巻かれたシモンも着替えている。その隣は使用人用の服に着替えたリック。
呼ばれた宰相以外は人払いがなされて、少人数用とはいえ広い部屋には六人だけだ。
「まずは無事に帰還できてなによりだ。シモンの怪我は深手ではないのだな?」
「はい。傷は浅いです」
「使用人に確かめさせたが、四人はバルニエ侯爵の護衛で間違いないそうだ」
シモンが苦しげな顔になる。
「おそらく母の借金のせいかと。シャーロットに手を出したのは、私が役に立たなかったことへの仕返しでしょうか。シャーロットと剣の鍛錬をしていることを聞き及んだのかと思われます」
「いや、違うんだ、シモン」
エリオット国王は額に右手の指先を当てて考え込んでいる。それを見てクリスティナ王妃が国王に小さく話しかけた。
「陛下、そろそろシモンや宰相にも真実を伝えるべきなのではありませんか?今後、このようなことが再び起きないとも限りません」
「ああ。そうだな。私も今、それを考えていたところだよ、クリスティナ」
エリオット国王はシャーロットを見て話しかけた。
「シャーロット、お前の秘密をここで話してもいいだろうか」
リックが顔を上げ、シャーロットは一度うつむいてから顔を上げてシャーロットが返事をした。
「陛下、私のせいでシモン様にお怪我を負わせました。もう、こんなことはたくさんでございます。他の人達に秘密にしていただけるなら、私はかまいません。いいわよね?お父さん」
「父さんはシャーロットの考えを尊重するよ」
そこから国王がシャーロットの生まれのことをシモンと宰相に説明した。
要所要所でリックに確認し、細かい部分はリックが補足した。かなりの時間が過ぎた頃、シモンと宰相は驚きで少し口を開き、目を丸くしてシャーロットを見つめていた。
「なんと。あの事件の王女がこの侍女だったとは。陛下、歌劇の筋書きの上を行く話ですな」
「シャーロット、このままでは危ない。バルニエ侯爵にそなたの出自を気づかれてしまった以上、何か手を打たねばなるまい。襲撃者のことでバンタース王国に抗議はできるが、前王の娘をこちらに返せと言われる可能性が大きいぞ」
皆が打開策を考え込んでいるところにドアがノックされた。
宰相が対応に出て小声で話をし、慌てて国王に早足で近づいた。
「陛下。バンタースの王子一行が戻って来たそうです」
「……ほう?」
エリオット国王が驚いた顔になり、それからゆっくり笑顔になった。その笑顔がかなり黒くて、王妃は苦笑した。
シャーロットたちは隣室へと移動させられたが、なぜか謁見室との境のドアは全開にされていた。話を聞いていろ、ということだろうと三人は判断した。
慌ただしい足音がドアの外から聞こえてきた。
ゆったりと構えている国王夫妻と宰相の前に、バンタースの王子、従者ルイ、バルニエ侯爵の三人が入ってきた。
「これはイブライム王子。どうしたのだね?」
「陛下、私、大変な見落としをしていました」
「ほう。見落としとは?」
「アデル王女付きの侍女のことです。彼女を見た時、どこかで会ったことがあると思いながら思い出せないでおりました。ですが帰途の馬車の中で思い出しました。彼女は私が王城で毎日目にしていたソフィア前王妃の絵姿にそっくりなのです」
興奮した様子のイブライム王子の背後でバルニエ侯爵の顔色が冴えず、視線も定まらない。
侯爵の様子を眺めながらエリオット国王は(さて、どうしてやろうか)と冷静に考えていた。
「陛下、あの侍女に会わせてください。彼女が前王妃の娘ならば、連れ帰らねばなりません。いえ、連れ帰ってやりたいのです。私の従姉妹ですから他国で使用人をさせておくわけにはいきません。それに連れ去られた経緯を聞き出さねば」
「なるほど。そんなに母親にそっくりでしたか」
エリオット国王の声に含まれる不穏な色にイブライム王子がわずかに眉をひそめた。
「陛下?」
「実はつい先程、その娘が襲われたのだよ、イブライム王子」
「襲われ……無事なのですかっ?」
「ああ、安心しなさい。その侍女は無傷です。彼女は大変に剣の腕が立つ娘でね。一緒にいた者と力を合わせて襲撃者を全員、殺さずに連れ帰って来たのだ。残念だったな?バルニエ侯爵」
黒い笑顔でバルニエ侯爵に声をかける国王の視線をたどって、イブライム王子がゆっくりと侯爵を振り返った。
「侯爵?どういうことだ?」
「殿下、これにはいろいろと事情がありまして」
「事情?まさか……お前が襲撃に関係してるのかっ!」
弁明したくても侯爵の頭に思い浮かんだ言葉はどれもこの場では言えないことばかり。それでも侯爵は脂汗をかきながら弁明しようと口を開いては閉じ、また開いては閉じる。
「殿下、襲撃した者たちは全員がその侯爵の護衛ですよ。他国に祝いの名目で訪れて、我が王家が大切にしている使用人を殺そうとする。これがバンタース王国で起きたことならば、ジョスラン国王はどう処分するのか。ぜひ聞かせてほしいものだ」
何も知らない王子と従者ルイが困惑しているのを見て、エリオット国王は控えの部屋に向かって声をかけた。
「シモン、シャーロット。二人とも入ってきなさい」
バンタースの一行が振り返る中、血の滲む包帯を巻いたシモンと緊張した顔のシャーロットが入って来た。リックは国王の言葉の意図を察して気配を殺したまま室内にとどまった。
「イブライム王子よ。この後で襲撃した当人たちに会ってもらうが、まずは我が国の被害について説明しよう。シモンは我がランシェル王国の侯爵家当主だ。そのシモンがバルニエ侯爵の護衛たちに斬りつけられ大怪我を負った。シャーロットを殺そうとしたことも問題だが、侯爵家当主が被害を受けた。これはもう、国家間の戦争になってもおかしくないほどの大問題だよ?」
イブライム王子が言葉を失ってシモンとシャーロットを見つめる。
かなりの間を置いて、イブライム王子が話しかけたのはシャーロットでもシモンでもなく、バルニエ侯爵だった。
「侯爵、私は父に関する黒い噂のことを、ずっと悪意で捏造されたものだと思っていたよ。あの噂は本当だったのか?父上が実の兄を毒殺し、生まれて来る子どもをも手にかけようとしていた、というあの噂だ。長年の腹心だったお前なら知っているのだろう?ずっと尋ねることすらためらっていたが、今こそ問い質そう。お前に襲撃を命じたのは父上なのか?」
「……殿下、私は何もお答えできません」
「そうか。答えられないのか」
イブライム王子は悲しみとも怒りともつかない顔で侯爵を眺めたあと、エリオット国王を振り返った。
「バンタース王国王太子の権限により、只今をもってこの者の身分を剥奪し、貴国の侯爵及び使用人への襲撃を命じた『平民』として差し出します」
「殿下っ!お許しください!わたくしは陛下のために尽力してまいりました!それだけはどうか!」
「バルニエ、罪を犯したら償うのがこの世の道理だ」
イブライム王子が静かに言い放つのを聞いて国王が控えていた騎士たちに目を向ける。
「幽閉せよ。平民用の牢獄だ。間違えるなよ」
「はっ」
「陛下、この男が犯した罪、バンタースを代表して私が謝罪します。必ずこの償いを国として行うことをお約束いたします」
バルニエ侯爵は立ち上がり、後ずさるが逃げることなどできない。騎士たちがその両腕をがっしりと掴んで引きずるようにして部屋から連れ出した。
静まり返った室内で、イブライムが深々とシモンとシャーロットに頭を下げた。
「まことに申し訳なかった。この責任は私が負う」
「殿下。その謝罪、謹んで受け入れます。私はもう十分です。それよりも……」
そこまで言ってシモンがシャーロットを見る。
「それよりも今は、シャーロットのことを話し合わなければならないと存じます」





書籍『シャーロット 上・下巻』