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41 温室

 今日は王族の私的な部屋ではなく、慣れ親しんだ衣装部に向かった。スザンヌが縁かがりを大量に持ってきて「あちらで何かあったの?」と心配そうに聞く。


「いえ、特には何もありません」

「そう? 王族付きに異動になったばかりでこっちに戻るって、変じゃない。衣装部は使者が来る前は衣装の制作で忙しいけど、人が集まってからは仕事がないのよ。逆に王族付きの仕事はこれからが忙しくなるんだもの。何かあったのかと心配してたの」

「私じゃ役に立たないのかもしれませんね」


 王妃の配慮の理由を知らないスザンヌは、気の毒そうな顔になって「気にしちゃだめよ」と慰めてくれた。


 シャーロットは居心地の良い衣装部でせっせと縁かがりの仕事をこなした。衣装部の人たちにお使いを頼まれると、シャーロットの臨時異動の事情に気づいているらしい責任者のルーシーが

「ハンナ、あなたが行ってきてくれる?」

とシャーロットの代わりに入った新人にお使いを回してくれた。その都度シャーロットはハンナに小さく頭を下げた。


 夕方になり、仕事を終えて食事をし、(今夜はゆっくり部屋で刺繍でも)とくつろいでいると、夜の八時すぎに『お付き』の女性がやって来た。


「遅い時間に悪いわね。これから少しだけアデル殿下のところに来てもらえないかしら」

「はい。大丈夫です。何かありましたか?」

「アデル殿下が風邪気味で。いえ、お風邪自体はたいしたことがないのだけれど。もう夕方からずっとぐずっていらっしゃって、『レナが来ないならシャーロットに会いたい』って泣いていらっしゃるのよ」


 レナさんはアデル王女が一番懐いているお付きの方だ。

 話を聞くと、今日はそのレナさんがお休みなのだそうだ。シャーロットは以前からその方を(疲れていそうだな)とは思っていたが、やはり体調不良らしい。


「わかりました。今すぐうかがいます」

「助かるわ。ありがとう」


 王女の部屋に到着すると、アデル王女が悲しそうな顔をして走ってくる。シャーロットに抱きついて泣き出した。


「シャーロット、レナがいないの」

 泣いているアデル王女に視線を合わせて、シャーロットがしゃがみ込み、そっと抱きしめた。


「レナさんはお休みですが、私がおりますよ、殿下」

「ずっと?」

「今夜は私がずっとおそばにおります」


 そう言うとアデル王女はかがみ込んだシャーロットの肩にぐりぐりと顔をこすりつけた。

「レナに会いたい。ふえぇ」


 泣き出したアデル王女を左腕で抱き上げて、背中をトントンと優しく叩きながら窓に歩み寄る。見下ろした庭にはいつもよりたくさんのランプが灯され、多くの人影が動いている。


 王妃殿下はきっとお仕事で忙殺されていらっしゃるのだろう。今までもこれからもお忙しいのだ。

 だからアデル殿下は具合が悪い時に最初に会いたい相手がお付きの人なのだ、と切なく思う。

 王妃様を筆頭に、貴族は子育てをしないのがこの国の常識だから仕方がないことなのだけれど。

 国と民のために尽力する王妃様は、とんでもなく忙しい働くお母さんなのだ。


「殿下、本を読みましょうか?」

「ううん」

「眠くないですか?」

「眠くない。抱っこがいい。抱っこでお散歩」

「お風邪ですからお外は……」

「お外がいい。ふえぇぇ」


 困って他のお付きの女性に目を向ける。

「お熱はないので少しだけなら。膝掛けに包んで抱っこをお願いできるかしら?」

「はい、わかりました」


 お付きの女性は誰も四歳のアデル王女を抱っこで歩くなんてできない。できるのは筋力のあるシャーロットだけだ。

 体調が良くないアデル王女は何時間もぐずっていたらしく、皆の顔が疲れている。本来なら帰宅しているはずの顔ぶれがまだここにいるのだから、どれだけ大変だったかは想像がついた。


 シャーロットはアデル殿下を膝掛けにくるんで抱き上げ、階段を降りて庭に向かった。階段で前を歩く護衛が振り返り、「自分が代わりますか?」と声をかけてくれたが、即座にアデル王女がイヤイヤをする。


「ありがとうございます。大丈夫です。私は力がありますから」


 シャーロットがそう答えるとアデル王女はシャーロットの首にしがみついてピタリと身体をくっつけてきた。泣いている小さな背中をさすりながら歩く。


「イチゴ、見に行く!」

「イチゴですか?殿下」

「うん、イチゴ」


「イチゴはどこに?」と護衛の男性に尋ねると「温室です」とのこと。

「では温室に参りましょうか」

「うん、行く」


 シャーロットはアデル殿下を抱っこしたまま歩く。ノエルのことがあって以降、なんとなく心細い。この柔らかい身体を抱っこし続けたい気分だった。

(心細いのは私もアデル殿下も同じね)と思いながら歩く。


「いちごーいちごーいちごー」

 温室が見えて来ると、さっきまで泣いていたアデル王女が抱っこのまま歌いだした。シャーロットは(ああ可愛い)と思う。子どもに接することなく育ったので最初こそ対応がわからずに戸惑ったものだが、今では王女たちが可愛くて仕方ない。


「イチゴ、あっち!」

 温室に入ると抱っこされていたアデル王女がもがいたので、そっと下ろす。そのままアデル殿下が走り出し、通路の角を曲がったところで誰かとぶつかって仰向けに倒れた。


「殿下っ!」

 シャーロットと護衛、お付きの方々の全員が駆け寄る。

 ぶつかった相手がアデル王女を起こしてくれた。「よいしょ」とアデル王女を立たせてから男性が蘭の鉢植えが並べてある棚の陰から全身を現した。


「大丈夫だと思うが、確認してくれるか?」

 穏やかな声でこちら側に話しかけた男性を見てシャーロットの心臓がトン!と一拍だけ強く動いた。

 バンタース王国のイブライム王子だった。


 シャーロットは反射的に腰を深く曲げ、下を向いてお辞儀をした。護衛たちも礼を述べたり謝罪をしたりしている。シャーロットの耳の奥が緊張でキーンと鳴る。

 皆がアデル王女とイブライム王子に目を向けている。誰もこちらを見ていないのを確認しながらシャーロットは護衛の大きな身体の背後にさりげなく立ち位置を変えた。


「大変失礼いたしました、アデル王女殿下」

 イブライム王子は胸の前に腕を曲げてアデルに頭を下げた。


「初めてお目にかかります。バンタース王国のイブライムでございます。アデル王女にお怪我がないといいのですが」

「だいじょうぶ。ごめんなさぁい」

「こちらこそ失礼いたしました」


 イブライム王子は蘭の花を見に来たらしく、何人かを引き連れてゆっくり蘭の展示を見ていて出て行く気配がない。

シャーロットは静かに控え目に過ごした。

 目が合わないよう、注意を引かないようにしながら皆と一緒に動く。アデル王女はイチゴを見つけて機嫌を直し、触ったり眺めたりしている。


 やがてイブライム王子はお供たちや護衛たちと温室を去っていった。少ししてからシャーロットたちもアデル王女を促して引きあげることにした。アデル王女はイチゴを摘んでもらい、両手にひとつずつイチゴ持ってご機嫌だ。


「殿下、さあ、また抱っこで帰りましょう」

「うん! イチゴ、持ってて」

 アデル王女は護衛の男性の大きな手のひらにイチゴを二つ載せると、またシャーロットの首にしがみついた。


 


 温室を出たイブライム王子が城に向かって歩きながら背後に向かって声をかけた。

「ルイ」

 そう言っただけで続きを喋らない王子の意図を察し、侍従のルイが王子の斜め後ろにぴたりと近づいた。

「はい、殿下」


 イブライム王子が小声で話しかける。


「一人、美しい侍女がいたね?」

「いましたね」

「なあルイ、お前はあの侍女に見覚えはあるか?」

「いいえ、ありません」

「そうか。私は見覚えがあるんだ。だがどこで会ったのか思い出せないんだよ。絶対にどこかで会っているはずなんだが。喉元まで答えが来ているのに思い出せないのが実に気持ち悪い」

「殿下がお会いになっているのなら私も会っているはずですが、覚えはありませんね」

「そうか。旅の疲れのせいで勘違いをしているんだろうな」


 そこでイブライム王子は「ふふっ」と笑ってルイを見る。


「あの侍女はルイの好みのタイプだろう?」

「はい。そうですね。よくお気づきで。でもさすがに他国の王族付きの侍女では」

「面倒か。それにしてもランシェルの蘭の収集はなかなか充実していたな」

「はい。我が国にはない種類が何鉢も並んでいましたね」

「どこで手に入れたのか聞いてみなくては」

「私の方で調べておきますが」

「頼むよ。あの黄色い小さな花の蘭、特に気に入った。ぜひ私も手に入れたいものだ」


 仲の良い主と従者は穏やかな雰囲気のまま賓客用の部屋に入った。




 翌朝、ノエルが衣装部にやって来た。

「シャーロットを借りてもいいかい?」

「はい、殿下」


 ルーシーが返事をして、シャーロットに(悪いわね)という視線を向ける。もちろんルーシーが断れる相手ではないのでシャーロットは(大丈夫です)という意味を込めてうなずいた。


 ノエルは二人きりになるとすぐに話を始めた。

「帰りまで待つと言ったが、やはり早く返事が聞きたい。気持ちは決まったか?」

「大変申し訳ございません。チュニズには行けません」

「……そうか。なぜだ?」

「私は私を好いてくださる方と結婚したいと思っております」


 ノエルが「はて?」という顔になってシャーロットを見る。


「俺はお前が気に入っているが」

「恋人とお子様が本国にいらっしゃるそうですね?」

「ああ、誰かに聞いたのか。心配は無用だ。俺は君を一番大切にする。約束する」

「申し訳ございません。私には耐えられそうにありません。今後もここで働きたいと思っております」

「……そうか。実に残念だ」


 案外あっさりと諦めたノエルは「じゃ」と言って去っていった。少し元気がなさそうだったが、シャーロットは罪悪感を心から追い出した。本国に帰れば可愛い恋人と子供があの人を待っているのだ。自分が居なくても大丈夫なのだ、と。



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