39 チュニズ王国の真珠
ノエル殿下に庭を案内するにあたり、シャーロットは事前に庭師長のポールに相談した。
「庭を案内ねえ。チュニズは南の国だから、この国にあってチュニズにない花や木を見せるべきなんだろうか。レオン、お前はどう思う?」
「そもそもその王子は花はどうでもいいんじゃないですかね?」
「どうでもいいとはどういう意味だい?」
「親方、王子は花を見たいんじゃなくて、シャーロットと庭で二人になりたいのでは?」
ポールは「あー、それもそうだなあ」とレオンの意見に納得する。
レオンはシャーロットを見ながら(悪い話ではない)と思う。シャーロットがチュニズの王子に見初められてあちらに渡れば、おそらくバンタース王国とは縁が切れる。この国の王城で働いているよりずっと安全だと思った。
そう思いながら(この娘を十七年間も殺そうとしていた俺が、なに心配してんだか)と自嘲する。
「シャーロットにとってはいいお話かもしれませんよね、そうなったら」
「そうなったらって?」
「その王子と結婚したらって話です」
「結婚って。ないわよ」
「まあ、玉の輿だわな」
「ポールさんまで……」
シャーロットは昼のパンをもそもそと食べ、冴えない気分で昼休憩を終わりにして王女たちの部屋へと戻った。その後ろ姿を見ながらレオンは(あの綺麗な顔の白鷹隊の男、知ってるんだろうか。間違いなくシャーロットに惚れてんだろうに。教えてやったほうが親切か? いや、そんな出しゃばり親切は俺の柄じゃないな)と思う。
翌日の朝十時。
ノエル王子が迎えに来た。シャーロットは護衛やお付きの方々を含めて総勢八名くらいで行くものだと思っていたのに、ノエル自身が護衛を連れておらず、王女のお付きの方々も同行しないと言う。
「王女殿下がいらっしゃるのですからお付きの皆様もご一緒にお願いいたします」
するとオリヴィエ王女がすまし顔で断る。
「私は行かないわ。ね?アデル」
「うん、おじゃまなの」
お付きの方々がくすくす笑っていて、彼女たちが王女たちに何かを吹き込んだことは明白だった。お付きの方々はシャーロットに生温かい視線を向けてくる。
「さあ、行くぞ」
「は、はい」
諦めきれずにドアのところで振り返ると、全員が声を出さずに口だけ動かして「行ってらっしゃい」と手を振っていた。そんな気は利かしてくれなくていいのに、と思いながら歩いているシャーロットに比べて、ノエルはご機嫌だ。
「立太子式はもうすぐだな」
「ノエル殿下は立太子式に参加なさるためにこの国にいらっしゃったんですよね?」
「いいや、違う。それは兄の役目だ。俺は例年通りに真珠を売りに来ただけだ」
「真珠ですか?」
ノエルによると、チュニズ王国は何十年も前から真珠を売りに来ているのだそうだ。一年間に採れた真珠のうち、質のいいものだけを選んでこの国の王家に運ぶ。もちろん他の国にも売りにいくが、ランシェルの王家は上得意客なのだそう。
「ランシェルの王女は昔から真珠のアクセサリーを持って嫁ぐだろ? ネックレス、ピアス、指輪、ペンダント、ティアラ。あれに使われる真珠は全部チュニズの真珠なんだ」
「私はそれも知りませんでした」
「なんだ、知らなかったのか。真珠は貝が作るものだからな。大きさ、形、色、巻きの厚さが全部違う。だから過去に買い上げた真珠と照らし合わせて、色を揃えたり大きさを揃えたりして毎年少しずつ買い足してくれるのさ。ランシェルはそうやって十数年かけて真珠のアクセサリーを作って嫁入り道具にするんだよ。今の王家は王女が二人だから、上得意客様だ」
「そうなんですか」
二人で歩いているうちに前回レオンに教えてもらった四阿に着いた。
クレマチスの盛りは過ぎていて、今はラナンキュラスがたくさん咲いていた。色とりどりの豪華な花を眺めながら、ふと視線を感じて辺りを探すと、少し離れた場所でレオンが作業していた。
レオンはシャーロットが見ているのに気がつくと「うん、うん」とうなずく。
(うんうん、て何よ)と思ってノエルを見ると、ノエルは自分をじーっと見ている。
「なんだ、あの庭師と親しいのか」
「ただの知り合いです」
「お前はもてるだろう」
「いえ」
「仲のいい男はいないのか」
ふと、シモンの顔が浮かぶ。二人だけで食事に行ったことがあるのはシモンだけだ。
(でも、仲がいいと言っていいのかどうか)
「いるようだな。俺は気にしないが」
「気にしないって、何をでございますか?」
「お前、俺と一緒にチュニズに来ないか?お前のように美しさと強さを兼ね備えた女は稀だ。弓の腕もたいしたもんだった。気に入ったよ」
(決断が早い……)
ろくに会話もしないうちに国に来ないかと言われて、失礼にならないお断りの言葉をこの場では思いつかなかった。
「全く嬉しそうな顔をしないんだな。チュニズでは嫌か?」
「チュニズが嫌なのではありません。失礼ながら、どんな国かも存じ上げないのです。ただ、私はまだ、結婚したくありません」
「お前は何歳だ?」
「十七です」
「なんだ、十分じゃないか。チュニズはランシェルほど身分にうるさくない。俺は第三王子だからよけい問題ない。俺の妻になれ。チュニズ王国はいいところだぞ。ちょっと前までは海賊を生業としていた連中が多いから、少々荒っぽいところはあるがな」
嫌だ、と思った。
多分、平民の自分にはとんでもなくいい話だろうし、チュニズに行ったらバンタースの影に怯える必要もない。だけど咄嗟に(嫌だ、嫌だ嫌だ)と思った。
母の行方がわかり、父が戻って来た。
自分は小さな世界から広い世の中に踏み出して、多くの人と関わりながら働くことが楽しくて仕方ない。お城仕えを捨てたくない、この暮らしを手放したくない。
「返事がないのか。無理強いする気はないが、立太子式が終わって各国の使者が帰ったら俺も帰る。それまでに返事をくれ。よく考えろ。俺が王子としてお前を無理矢理連れ帰るのではつまらんからな」
「わかりました。すぐにお返事できず申し訳ございません」
その場はそれで話が終わり、チュニズの生活や気候の話などを聞いてノエルと別れた。
王女たちの部屋に戻り、お付きの方々に根掘り葉掘り質問された。肝心な箇所はぼやかして、チュニズの話を聞いていた、と説明しながら刺繍をした。
平民の自分が他国の王族の求婚を断るにはどうすればいいか、ぐるぐる悩みながら自分の部屋に帰ろうとしているところに声を掛けられた。
「シャーロット?」
「はい。あっ、メリッサさん」
「ちょっとこっちにいらっしゃい」
そう言って上級侍女管理官のメリッサがシャーロットの腕に自分の腕を絡めるようにしてグイグイと引っ張り、彼女の部屋に連れ込まれた。
「な、なんでしょうか」
「あなた、チュニズの第三王子と二人でお庭を歩いていたんですって?」
「はい。ついさっきですが」
「やっぱり。見ていた人がいて、私の耳にも届いたのよ」
「メリッサさん、噂って本当に羽が生えてるんですねぇ。ほんの少し前のことなのに」
メリッサはなぜか憤った顔で「あなた今から時間がある?」と言う。
「ありますけど、そろそろ夕食の時間ですので食堂に行かないと」
「いいわ、私がご馳走するからちょっと私に付き合いなさい」
「……はい。わかりました」
こうしてシャーロットはメリッサと外食に出ることになった。