38 王子たちの絵姿と弓矢対決
一日の仕事を終えて部屋に戻ると、バンタース王国のイブライム王子とチュニズ王国のユベル王子の絵姿が届けられていた。
添えられたメモには「詳細な到着日時は不明」と書かれていた。同室の仲間が興味を持ってこちらを見ている。
「それは?」
「王子様たちの絵姿みたい」
「見せて見せて!」
「わあ、どちらの殿下もきれいなお顔ね」
「王子様って感じ!」
バンタース王国のイブライム王子は濃い茶色の髪をオールバックにして真っ直ぐこちらを見ている。どことなく雰囲気が実父に似ていた。
チュニズ王国のユベル王子は黒髪を短く刈り込んでいて少し垂れ目の黒い瞳が穏やかそうな顔立ちだ。
同室の侍女仲間ははしゃいでいるが、シャーロットはそんな気分にはなれない。イブライム王子だけでなく、従者の方々にも見られないようにしなければ、と思う。
最近、眠りが浅いのはそんな心配のせいか。
翌朝、シャーロットは王族の私的区域へと向かった。
「おはようございま……」
ドアを開け、王女たちへの挨拶の途中でシャーロットの声が止まった。
一昨日通りで絡んできた船乗りたちの親玉が、アデル王女を高く持ち上げてキャッキャ言わせているのだ。親玉は入ってきたシャーロットの方に顔を向けて少しだけ目を見開いた。
「ほう。お前はあの時の娘じゃないか。なんだ、城で働いていたのか」
「おはようございます。王女殿下のお世話係のシャーロットでございます」
二人の様子を見てお付きの女性たちが会話に入ってきた。
「シャーロット、こちらはチュニズ王国のノエル殿下でいらっしゃいます。殿下、シャーロットをご存知なのですか?」
「ああ。ちょっとな。俺の子分が彼女に迷惑をかけたんだ」
(殿下?この人が? 海賊にしか見えないけど! それに渡された絵姿と名前も違うし顔も違いすぎるのだけど! どういうこと?)
「ノエル殿下、シャーロットはねえ、弓矢が上手なの」
「上手なの!」
どうやらこの海賊はノエルという名前で、オリヴィエ王女、アデル王女とあっという間に仲良くなったらしい。シャーロットはなんだか自分の大切な王女様たちを横取りされたような気分になった。
「へえ。弓矢? 剣も得意そうだったが」
するとオリヴィエ王女がニコニコしながらノエルに質問する。
「ノエル殿下も弓矢がお得意ですか?」
「おお。得意だぞ。その娘と俺、どっちが上手いか見てみるか?」
「見たいです!」
「です!」
(そんな。私は嫌ですよ)
海賊と弓矢対決なんて、どう考えても厄介な結果しか想像がつかない。なのでシャーロットは別の提案をしてみた。
「オリヴィエ殿下、今日はお部屋で遊びましょうか」
「ううん。弓矢がいい。シャーロットとノエル様の弓矢の勝負!」
「しょーぶ!」
「よし、やってみるか」
「まあ。楽しみですわ」
なぜかお付きの方々も目をキラキラさせている。
(これはもう私には止められない)と項垂れるシャーロット。
二人の王女がお付きの女性と護衛、ノエル、シャーロットを従えて、弾む足取りで弓の練習場に向かった。
弓矢の練習場は二十名ほどの弓兵が練習をしていた。
ターン! ターン! と矢の当たる音が響く中、ノエルは
「練習中にすまない。王女様たちがご希望なんだ。少し練習場を借りることはできるかな?」
と声を張った。
前回も対応したゼムはノエルを知っていたらしく
「これはこれはノエル殿下。ようこそいらっしゃいました」
と腰低く対応に出た。
「ささ、どうぞ、お使いくださいませ。道具はこちらに」
「ほう。これがランシェルの弓か。木は何を使ってる?」
「何種類かございまして、こちらがイチイの木を使った弓で……」
シャーロットたちの時とは別人のように愛想良く対応しているのを眺めながら、シャーロットは皆の後ろで気配を消していた。だが、そんなことで隠れられるはずもない。
「娘。隠れてないでこっちに来い」
「……はい」
「あっ。あんたはこの前の」
「たびたびお邪魔します」
シャーロットは申し訳なさそうにお辞儀をし、ゼムは(なんでまたあんたが?)という顔になった。
ノエルは道具にあまりこだわりがないらしく、さっさとひと張りの弓を選んだ。自分で矢筒を運び、練習を始める。それを見てオリヴィエ王女がシャーロットを急かした。
「ほら、シャーロットも練習して」
「はい、殿下」
シャーロットも道具にそれほどこだわりはない。自分の愛用の弓ではないのだから、どれを選んでもたいした違いはないのだ。
それでも前回と同じ赤っぽい木で作られた弓を選び出し、弦の張り具合を確認した。二十本ほど矢が入っている矢筒を運んでノエル殿下の隣に移動した。
十本ほど矢を放つ。前回で長弓の扱い方はなんとなくわかったつもりだ。今回は最初から的に当たるが、真ん中の小さな円にはなかなか当たらない。
(実家にある短弓なら全部真ん中に命中させられるのにな)と思う。勝負をコントロールできるほど長弓の扱いに慣れているわけではないから集中して丁寧に射るだけだ。
(いいわ。全力で真ん中を狙ってもどうせ負けるだろうし)
「よぉし。じゃあ、勝負だ。真ん中は十点、次の円は五点、その外側は一点でどうだ?」
「それで結構でございます」
「勝った方は負けた方を一日好きに使えるってことにしよう」
「なっ! 困ります! わたくしは侍女で仕事が……」
「まぁ! 恋物語の見せ場のようですわね」
「ほんとですわ。ワクワクします」
他人事のお付きの方々は頬を染めてはしゃいでいるが、シャーロットは(もう。私は嫌ですよ。勝っても負けてもいいことがないじゃないの)と眉を下げた。救いを求めたくてもお付きの女性たちははしゃいでいるし、護衛の騎士さんたちはシャーロットが助けを求める視線を送ると、フイッと顔を逸してしまう。
(そうですか。もういいですよ。どうせ海賊の親玉と私じゃ勝負にならないだろうし)
シャーロットは悩むだけ無駄と諦めて、勝負に臨むことにした。
勝負はシャーロットが先攻。ノエルが後攻。
五本ずつ矢を射て点数を計算することになった。周囲で見守っていた兵士たちがこそこそと喋っていて、聞き耳を立てるとどうやら「どちらが勝つか」を賭けているようだった。
(もう!)
やや破れかぶれな思いで矢を番える。
「いきます」
森の中で体の小さなリスを狙っている時を思い出して矢を放つ。
ヒュッ、ターンッ!
「五点!」
なぜか責任者のゼムが張り切って点数を読み上げた。
「次は俺だな」
海賊王子がたいして力も入れてない風に軽々と弦を引いて矢を放った。
ヒュッ、ターン!
「五点!」
交互に矢を放つ。王女たちだけでなく背後の兵士たちもが息を殺すようにして見守っている。五本ずつ矢を放ち、最後にゼムが困った顔で点数を読み上げた。
「えー、シャーロットが四十点、ノエル殿下が三十五点。えー、えー、この勝負、シャーロットの勝ちとなります」
「シャーロットが勝ったわ! すごーい!」
「すごーい!」
「シャーロットさん、お見事ねえ」
「これはまいった。娘、俺の負けだ。たいした腕だな」
ノエルは笑っている。
二人の王女も、お付きの女性も、背後の兵士たちも盛り上がって笑っている。
ただ、ゼムだけは苦虫を噛み潰したような顔でシャーロットを睨んでいる。
(わかってます、負けるべきなのは私だってわかってますって。最後の二回、少しだけ外すつもりだったのに真ん中に行ってしまったんだもの。長弓は不慣れなんだもの。露骨に外したら興ざめだと思ったんだもの! 海賊があんな腕とは思わなかったんだもの!)
嫌な感じに冷たい汗が出て、シャーロットはハンカチを使いながら下を向いた。
勝負に負けたのにノエルはご機嫌で、
「さあさあ、娘。明日は丸一日お前の言いなりになるぞ」
などと言っている。
「殿下、わたくしは仕事がございますので」
「つれないことを言うな。では王女たちと一緒に庭の案内をしてくれるか?それなら仕事になるだろう?」
「え?」
(それ、勝った方の要求なのでは?なぜ負けたあなたがそんな提案を?)
シャーロットは理解できずに目をパチパチしていたが、責任者のゼムはノエルの提案を聞くとホッとした顔でその要求に乗ってきた。
「そうですね。それがようございます。シャーロット、明日はノエル殿下を案内して差し上げなさい。お付きの方々、それでよろしいかな?」
「もちろんですわ!」
「ではシャーロット、殿下の案内を頼むよ」
「……はい」
そこでハッと気がついた。
(もしや弓矢対決はただの口実で、海賊は最初から勝ち負けなんてどうでも良かったのではっ?)と顔を上げてノエルを見ると、案の定ノエルはニヤニヤしてシャーロットを見ていた。
(私、馬鹿みたい)
手のひらで転がされていた自分に脱力してしまう。
こうして翌日は二人の王女とノエル王子を引き連れて城の案内をすることが決まってしまった。
(私はお部屋の中でおとなしくしていたい)
王女たちの部屋に戻る間、シャーロットの頭の中にシモンの顔が浮かんだ。
(シモンさんに護衛として同行をお願いできたら少しは心強いのに)
だが、大忙しで疲れを溜めていたシモンにそんなことは頼めるわけがないし、そんな権限が自分にあるはずもない。
シャーロットは明日のことを思うと憂鬱で、王女たちと遊んでいてもため息を繰り返してしまった。