37 船乗りたちとクレールのワンピース
ランシェル王国の南に位置し、海を隔てた国、チュニズ王国。
そのチュニズ王国から大型の商船が一隻、ランシェル王国に到着した。
「酒と美女が待ってるぜ」
「今回は懐があったかいぜ」
楽しげな船乗りたちに船長が声をかける。
「これから王都に向かう。今回は荷物が多いからお前たちも連れてきたが、くれぐれも羽目を外すなよ。お得意様のランシェル王家から出入り禁止でも食らったら、えらいことだからな」
「大丈夫ですって船長」
「とにかく問題を起こすな。いいな?」
「へぇい」
船乗りたちは準備された荷馬車に荷物を運び込み、王都を目指す馬車に分散して乗った。船乗りたちは今回、荷運び役と護衛役も兼ねていた。その分船乗りたちへの賃金もかなり多い。
船長はいつもなら信用できる船乗りだけを連れてくるのだが、今回は特別だった。
今年はランシェル王国で立太子式がある。
各国から要人が集まり、お供の人数も相当な数になる。その人々を相手に商売をするため、チュニズ王国の商人たちはたくさんの商品を運んできた。城内で商売をすることはランシェル側の了解を得ている。
今回に限り荷物が多いため、危なっかしい顔ぶれも多少連れて来なくてはならなかった。
やがて荷馬車の列は王都に到着し、無事に城に商品を運び入れた。船乗りたちは十日間の自由行動となった。彼らは滅多に来られないランシェルの王都を楽しんだ。懐は潤っているし、母国よりずっと華やかなランシェルの王都は、船乗りたちにとって、格好の息抜き処だ。
シャーロットはその日、早上がりだったのを幸いに、クレールに渡すワンピースを持って夕方のお城を出た。ニールスの集落まで行く乗り合い馬車を使えば、それほど時間はかからない。
乗り合い馬車の乗降所を目指して陽が傾きつつある繁華街を歩いていた。
通りの前方から、日に焼けた屈強な男たちの集団が来る。顔立ちや服装が明らかにこの国の人間とは違っていて、集団は目立っていた。往来を歩く人々も気づいているらしく、混雑している通りなのに、彼らの周囲だけは妙に空間が空いている。
(目立たないように。目を付けられないように)
呪文を唱えるように心で繰り返しながら、シャーロットは顔をうつむけて足早に歩いた。
だが、下を向いたところでシャーロットは目立つ。
「兄貴、あの娘を見てくださいよ。さすがはランシェルだ。あんな美人がいますよ」
「ほお。確かに美しいな」
兄貴と呼ばれた男は船乗りたちの兄貴分のノエルだ。年齢は二十五歳。
黒く長い髪を三編みにして後ろに垂らしているノエルは、胸元を開けたシャツの首には貝殻と珊瑚のネックレス、左右の耳にはデザインの違う大ぶりなピアス。日焼けした指には金のごつい指輪。シャツの上から着ているベストには派手な刺繍。
他の男なら滑稽に見えるであろう装いも、大柄で迫力のある顔立ちのノエルが身に着けると舞台役者のような華やかさを生み出していた。
ノエルは立ち止まって興味深そうにシャーロットを見た。
するとノエルの腰巾着であるラモが気を利かせてシャーロットに声をかけた。男たちの中でランシェルの言葉を話せるのはこの男とノエルだけだ。
「そこのお嬢さん、ちょっといいかな」
「はい、なんでしょう」
シャーロットは心の中で(うわ、来たぁ)と呻き声を漏らしつつも上品に受け答えをした。
「俺たちは酒と肴の美味い店を探してるんだけど、お嬢さんはそんな店を知らないかい?」
「さあ。私はあまり外で食事をしませんのでわかりません。先を急いでいるので失礼致します」
そう言って頭を下げ、通り過ぎようとしたシャーロットをラモが通せんぼした。
「なんですか」
「じゃあさ、お嬢さんが俺たちと一緒に店に行かない? ご馳走するよ」
「行きません。そこをどいてください」
「そう言うなよ、な?」
そう言って男がシャーロットの手首を掴もうとした。シャーロットは素早くその手を払い除け、一歩下がる。腕の払い方が素早くて、ラモは逃げる手首を捕まえ損なった。
兄貴分の前で体面を傷つけられたラモの顔が赤くなった。
「ちょっと美人だからって気取りやがって!」
(またこれか)とシャーロットはげんなりする。
シャーロットは辺りを見回すが、近くの人たちは足を止めてこちらを見ているのものの、関わり合いを恐れて視線を合わせない。ラモはシャーロットが後退りしながら「近寄らないで」と言ってもニヤニヤしながら近づいて来る。
(仕方ない)
シャーロットは箒を持って固唾を呑んで見ていた商店の使用人に近寄った。
「その箒を譲ってください。あとで代金を払います」
「は、はいっ?」
はい? と尋ねながら差し出された箒を両手で持ち、片足で箒の柄を踏み折った。折った柄を持って構える。その間も目はラモから離さない。
「どうしてもと言うなら相手になります」
「へえぇ。面白ぇじゃねえか」
そこでノエルが声を発した。
「ラモ、もういい、やめろ」
「兄貴……」
ラモはやめろと言われても引き下がりたくなかった。女は自分を睨んでいるし周りの人間が見物している。引くに引けない。
ラモがシャーロットに手を伸ばしたがスルリと逃げられた。シャーロットが箒の柄を打ち込もうとしたところでノエルが再び声をかけた。
「そこまで。ラモ、離れろ」
「兄貴!」
「その娘は腕が立つ。お前じゃ無理だ。怪我をする前に引け」
「ええ?」
「離れろ。言うことを聞け」
渋々ラモが引き下がる。
ノエルはシャーロットに
「悪かったな、嬢ちゃん。ちょっとはしゃいでただけだ。許してくれ」
と声をかけ、ラモを引きずるようにして歩き出す。
離れぎわに「兄ちゃん、箒の代金だ」と言ってコインを指で弾き、箒を提供した若者に放った。
二重三重の人垣はすぐに散り散りになっていく。
「ごめんなさいね、箒を折っちゃって」
シャーロットがそう言いながら頭を下げると、若者はモゴモゴと助けなかったことを弁明している。シャーロットは「いいんです。私こそごめんなさい」と言ってその場を離れて歩きだした。
「あの人たち、なんだったのかしら。船乗りみたいな服装だったけど」
ぷりぷりしながら乗合馬車に向かった。
気持ちを切り替えてシャーロットはクレールの家を目指した。
乗合馬車を降り、しばらく歩いてクレールの家にたどり着いた。急に訪問したシャーロットに驚いたものの、クレールは歓迎してくれた。
「まあ!このワンピースを私に? シャーロットさんが縫ったの?」
「はい。先輩に教えてもらいながら縫いました」
「なんて上品でおしゃれなワンピースかしら。あっ、目立たないけどすごく綺麗な刺繍が!」
「うふふ。気づきましたか。そこ、頑張りました」
クレールは感動の面持ちでシャーロットをギュッと抱きしめた。
「シャーロットさん、来てくれて嬉しいわ。ワンピースもありがとう」
「いいえ、この程度。私と父さんはすっかりお世話になりました」
「私、誰かに贈り物をされたのは二十年ぶりよ。夫が生きているときに貰ったのが最後。贈り物をされるのがこんなに嬉しいことだって、忘れていたわ。ありがとう。本当にありがとう」
クレールは早速ワンピースを着て見せてくれた。
ゆったり目に作ったワンピースはクレールによく似合った。
「大切なお出かけの時に着るわ。ありがとう」
「いえ、普段着にしてください。良かったらまた縫いますので」
その夜はクレールが育てた野菜をたっぷり使った料理でもてなされた。
そのまま焼いたり茹でたりしただけなのに、野菜が甘くて美味しかった。
泊まるように言われてその夜は遅くまでクレールとおしゃべりした。
クレールの子ども時代の話、夫婦二人暮らしだった頃の話をシャーロットは興味深く聞いた。クレールの低めの穏やかな声は、自然に眠くなるような声だった。
灯りを消した夫婦用の寝室で、二人でベッドに入る。
母とは雰囲気が違うクレールだが、久しぶりに母と同じ年代の女性と過ごした時間は、しみじみとシャーロットの心を癒してくれた。
「クレールさん、たまに遊びに来てもいいですか?」
「もちろんよ!大歓迎だわ」
「それと……」
「なあに?」
「最近お父さんに会いましたか?」
「いいえ。あなたのお祖父様たちがいらした時に会ったのが最後よ」
「森の中で一人で暮らしているお父さんが心配です。時々会いに行ってやってくれませんか?」
すこし間が空いて、クレールが暗い部屋の中でおずおずと声を出した。
「嫌じゃないの? お母さん以外の女性がお父さんと親しくするの」
「私はもう十七歳です。結婚して母親になってる人だって少なくありません。いつまでも父にべったりっていうのもおかしいですから。それに、お父さんには笑って暮らしてほしいなって思うんです」
「そう。わかった。シャーロットさん、ありがとう」
(もうこれからはお父さん自身のためにこの先の人生を楽しく生きてほしい)
最近はそう思っている。
翌朝、クレールの馬車で城まで送られて、シャーロットはいつもの生活に戻った。王女たちが待つ部屋の扉を開けて元気に挨拶をした。