35 王女たち 弓矢編
弓矢専門店のブログで弓をひと張り二張りと数えるのだと知りました。
丁、挺、本という単位もあるそうですが、今回は「張り」で。
シャーロットの立場は上級侍女となり、王室のお子様たちの護衛兼遊び相手兼刺繍担当となった。
「あなたがいなくなったら寂しくなるわ」
「お使いに出てもなかなか戻らない人が配属されたら困るわ」
「あなたの縁かがりは最高の仕上がりなのに」
「シャーロット……ふえっ」
最後の声はスザンヌだ。妹のように可愛がっていたシャーロットが衣装部からいなくなるのを悲しんでいる。
「同じお城にいるんですもの、また一緒にお昼を食べましょうよ、スザンヌさん」
「約束よ?」
「はい! もちろんです!」
ルーシーはシャーロットの上級侍女の制服をサイズ直ししてくれた。ウエスト部分からふんわりと膨らむ制服は、背の高いシャーロットによく似合った。
制服に袖を通してみて感動する。ずいぶん上品なデザインなのに窮屈なところがなく動きやすい。
「ぴったり」
「似合うわ」
「このまま夜会に行ける」
シャーロットが着ると制服さえ華やかに見える。
「お世話になりました。たまにお邪魔してもよろしいでしょうか」
「もちろんよ」
「待ってるわ」
衣装部の皆に見送られて王族が暮らす区域へと向かった。
正直を言えばもう少しこの部署で腕を磨きたかった。だが、自分の身の安全のために王族の近くで働くようにと言ってくださる王妃殿下のお気持ちに応えなければ、とシャーロットは覚悟を決めている、
「シャーロット、待ってたの!」
「待ってたの!」
「オリヴィエ殿下、アデル殿下、お待たせいたしました」
「シャーロット、弓矢を射るところ、見せて!」
「見せて!」
お付きの侍女さんたちにそっと視線を送ると
「練習場には連絡を入れてあります」
との返事。
シャーロット、二人の王女、それぞれのお付きの女性二人、護衛二人の七人で剣の鍛錬場の隣にある弓の練習場に移動した。
行く途中でお付きの方たちに質問される。
「シャーロットさんは弓はどこで学んだの?」
「動物を射たことがあるの?」
「血が出ることもあるでしょう?」
ひとつひとつに丁寧に答えているうちにドレス姿の女性たちの顔色が悪くなっていく。
シャーロットは(あっ、これは加減して話をしないと大変なことになる)と遅ればせながら気づいた。
お付きの方たちは高位貴族のご出身だ。狩りを遠目に見物したことはあっても、動物の解体なんて見たことがないのだろう。聞かれるままに正直にしゃべったことを反省した。そっと二人の王女に目をやると、はしゃいでいて聞いていない様子だったのでホッとした。
弓矢の練習場に到着すると、そこに十名ほどの兵士がいた。
一番年配の男性は名をゼムと自己紹介して対応に出てくれた。
「王妃殿下からのご命令なので練習場を空けましたが、あまり頻繁だと困ります。我々は練習も仕事なのです」
と少々機嫌が悪そうだ。
「申し訳ございません」
頭を下げるシャーロットを見て、オリヴィエ第一王女がムッとした顔になった。
「私とアデルが見たいって言ったの。シャーロットにそんな言い方しないで」
「殿下、しかしながらここは兵士が鍛錬をするところでございます。遊び場ではないのでございますよ」
お付きの女性たちはソワソワし始め、
「そうね、お仕事のお邪魔しては申し訳ありませんわね」
と早くも帰りたそうな雰囲気だ。
「やぁだぁ! シャーロットの弓を見たいぃ!」
「アデル殿下、ですがお邪魔しては」
お付きの女性がそう諭すが、普段は大人しいアデル王女がぽっちゃりした両腕をブンブンと振って怒る。
「見たいの! シャーロットの弓矢、見たいの!」
そんな経緯があって、今。
シャーロットは並べてある弓を手に取って使いやすそうな物を選んでいる。
ゼムが近寄ってきて
「弦も兵士の体に合わせた強さに調整してありますからね。使ったことがありますか?」
と話しかけてきた。
「長弓は初めてです。私は森の中で動物を射るのに短弓を使っておりましたので」
「長弓が初めて? それではおそらく弦を引くのも無理でしょう」
「そうかもしれませんね」
ゼムは(目の前にポトリと矢を落とすのがせいぜいだろう)と思い、シャーロットは(長弓を試せるのはちょっと嬉しい)と思う。
会話をしながら弓を手に取ってじっくりと眺め、ひと張りの弓を選んで指で弦をつまんで引っ張ってみた。まとめて筒に入れてある矢も一本手に取り、「重い」と独り言をつぶやいた。
「練習をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「どうぞ」
ゼムに見守られながら矢を番え、ギリッと弦を引いて放つ。ヒュンッ! という音を立てて矢が飛んで行く。
シャーロットが放った矢は的にこそ当たらなかったが、的の背後の土壁にしっかりと刺さった。
一瞬の静寂の後に「ええっ?」「おおお?」という納得してないような、驚いたような、複雑な色合いの声が見ていた兵士たちから漏れた。
「なるほど。短弓との違いが少しわかりました。あと数回練習してもいいでしょうか?」
「あ、ああ」
「シャーロットすてき!」
「すてき!」
「格好いい!」
「いい!」
王女たちの声援にシャーロットは振り返ってにっこりしたが、表情を引き締めてからまた矢を放つ。迷う時間が少ないのはいつも通りだ。
ヒュッ! ターン!
「おおお?」
「ええっ?」
今度は的の端に当たった。
弓兵たちが唖然とする中、続けて三本の矢を放つ。
ヒュッ、ターン!
ヒュッ、ターン!
ヒュッ、ターン!
真ん中こそ外したが、全部の矢が的に刺さる。
「真ん中にはなかなか当たりませんね。悔しい」
「おいおい。あんたほんとに長弓は初めてか?」
「はい。森では短弓しか使いませんから」
「狩りをしてたと言ってたな?」
「はい」
「獲物はなんだい?」
王女たちが聞いているのでチラリとそちらに視線を送り「ウサギや鹿」と答えるのを躊躇していると、ゼムもそれを察してくれたようで、それ以上は聞かずにいてくれた。
シャーロットは全部で三十本の矢を放ち、ほとんど全てが的に当たった。しかも最後は中心部をわずかに外れた場所に矢が刺さった。
最初はあからさまに迷惑そうな顔をしていたゼムが「もう少ししたら中心も行けるな」などと言いだした。
弓兵たちも一緒に競いたいのかソワソワしている。さすがにそんなことはできないと判断して、シャーロットは三十本を射終えた後は自ら矢を回収し、お礼を言って練習場を後にした。
その日はもう、大喜びのオリヴィエ王女とアデル王女がシャーロットから離れず、弓の使い方や森の話をせがまれた。そして夕方になり、そろそろ王女たちの部屋から下がろうという頃になって、オリヴィエ王女が「私も弓を習いたい!」といい出した。
お付きの侍女さんたちがはっきりと困った顔になる。
「それは、陛下のご許可が必要ですわ」
「どうして?」
「淑女のお勉強には入っていないことですので」
シャーロットは余計なことは言わずに挨拶をして部屋を出た。
翌日の朝。
王族の私的区域に入ると、二人の王女がはしゃいでいる。
アデル王女が両足でぴょんぴょん跳ねながら近寄って来る。その背後でオリヴィエ王女も満足げな顔だ。
「弓矢、大丈夫なの! 危なくない弓矢!」
「お父様とお母様が、当たっても怪我をしない物ならいいってお許しくださったの」
「怪我をしない弓矢ですか」
お付きの侍女さんが「担当の職人が用意するそうよ」と教えてくれた。
「弓矢ぁ! アデルもターンて!」
アデル王女は弓矢を放つ真似をしながらとても嬉しそうだ。
後日届けられた弓は、小さくて美しい工芸品のような仕上がりだった。握りの部分にバックスキンが巻き付けられ、他は磨かれて艶のある弓、弱めに張られた麻の弦。矢の頭には硬い矢尻ではなく、革に羊毛を詰めた球が縛り付けられていた。
室内では使用禁止で、庭で使うようにという注意と共に渡されたとのこと。
二人の王女は遊びの時間になると夢中になって矢を飛ばし続けた。
結果、数日のうちにそこそこ矢を飛ばせるようになっていて、シャーロットと三人で長い時間的を狙って弓を引いて過ごした。
シャーロットの護衛兼遊び相手の仕事は平和で順調だった。
王女たちがお勉強の時間は一人で刺繍をしていた。
飛んでいるピチット、振り返っているピチット、花の根元を齧って蜜を楽しむピチット。
いろいろな姿のピチットを刺繍し続けて十羽のピチットが完成すると、王女たちは順番にひとつずつ好きな刺繍を選んで五つずつ分け合った。
王女たちは大満足でピチットを持ち歩き、並べて眺めたり小鳥になりきっておままごとのように刺繍の小鳥を動かして遊んだりしていた。
オレリアン王子は立太子式に向けて覚えなければならないことがたくさんあるとかで、最近はほとんど顔を合わせることがなかった。
立太子式は本来は十歳から十五歳の間に行われるそうだが、男子のみが王位継承権を持つこの国で、王子はオレリアンだけ。なので次の王子が期待薄い今回は「兄弟の中から次の国王を選ぶ」という手順が省かれ、早めに立太子式が行われるのだそうだ。
(頑張ってくださいね、オレリアン殿下)
立太子式は来月。
たまに通路でチラリと見かけるオレリアン王子はいつもお供に囲まれて忙しそうだった。シャーロットは心の中で応援していた。
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