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34 シモンとその母

 シャーロットとの食事を終えたシモンが白鷹隊の宿舎に戻った。

 部屋に入るとドアの下の隙間から差し込まれた白い封筒が床にあった。シモンは苦いものを噛んだような顔になってそれを拾い上げた。予想通り、差出人は自分の母だった。


 封筒を摘み上げ、ペーパーナイフを引き出しから取り出して封を開け、便箋を中から引っ張り出した。便箋には母の特徴ある文字が並んでいる。


「話したいことがあるから家に戻ってきなさい」


 内容は相変わらずで、二十五の大人の男に対して幼い子どもに命令するような文章だった。

(外部に連絡を取らせるなと言っておいたのに。こうして手紙を出せる状況になっているわけだ)


 母が外に連絡を取れる状態ということは、事態はもう猶予ならない。シモンはそのまま部屋を出て馬に乗り、実家に戻った。シャーロットとの夕食が心安らぐ楽しい時間だっただけに、やり場のない怒りと悲しみがいっそう大きく感じられた。



「ああ、シモン、やっと帰って来たのね。いい加減宿舎暮らしなんてやめて家から通えばいいのに」

「話したいこととはなんですか?」


 シモンの母エルザはフッと顔を歪めて笑う。


「ご立派な人間に育ったこと。相変わらず母親への敬意が欠片もないのね」

「……」

「まあいいわ。今度、オレリアン殿下の立太子式があるでしょう?バンタース王国のイブライム王子も訪問なさるはずよ。あなた、なんとかしてイブライム王子と繋がりを作りなさい」

「何のためにです?私はこの国の王族を守る白鷹隊なんですよ?」


 母は無知な子どもを見るような目でシモンを見た。


「このままでは我が家はいずれ破滅よ。綺麗事を言っている場合じゃないの。なんのために白鷹隊に入ってるの?」

「王族の方々をお護りするためです」

「はぁぁ。あなたって本当に変わらないのね。融通が利かないったら。せっかく美しい顔に産んであげたのにご令嬢を魅了することもできない。白鷹隊に入れるようにしてあげたのに、有用な情報のひとつも手に入れてこない。ほんとうに何ひとつ役に立たない。顔が綺麗なだけの役立たずよね」


(この母は昔から俺の努力など知ろうともしない。俺が自分の思う通りに動いたかどうかだけが大切な人だった。昔は悔し泣きしたものだが、今はただただ虚しい)


 シモンは疲労感に襲われながら何度も説明したことをまた試みる。


「母上、白鷹隊に入れたのは私の努力の結果です。母上が誰かに渡した賄賂とやらは無駄になったのですよ。あなたは騙されたのです。それと、バンタースの貴族は私が白鷹隊だから金を貸したのです。返せない借金のために私が国の機密を盗むことを期待してね。あなたを気の毒に思ったからではないのです」


 いつから母はこんなに愚かになっていたのか。

 常軌を逸していることに気づかないのか。


「そんな考えはもうやめないと、嫁いだサシャにまで罰が下ります。いや、親族皆が処分されるでしょう。その危険をわかっていてそんなことをおっしゃってるんですか?」

「これは長男であるあなたの役目でしょう?我がフォーレ侯爵家はあなたの努力と献身にかかっているの。なぜわからないのかしら」


 婿養子の父が半年前に突然倒れて言葉をほとんど話せなくなった。

 半身が全く動かなくなり、以前からの父の希望に従って温暖な土地で療養するようになってから、母は暴走し始めた。


 心細さからだろう。父が倒れてから急に近寄ってきた人物にすがり、怪しげな投資話に巨額の財産をつぎ込み、あっという間に財産を失った。同時にその人物も消えたそうだ。


 王女だった曾祖母が降嫁してきた時のフォーレ侯爵家は豊かだった。

 だがそれ以降は財政が右肩下がり。

 豊かだった頃に家を戻したい母は、シモンが五、六歳の頃から資産家の貴族令嬢との婚姻を望み、まるで子供同士の見合いのような茶会を父にも無断で繰り返していた。


 結婚相手から金をむしれなくなったら離婚させて次の資産家を狙うだろうことは簡単に想像できた。


 以前はそれが婚約に結びつく前に父が止めてくれていた。

 シモンが成長してからは自分で防ぐことができた。

 だが侯爵家の財産は母に裁量権があった。

 今回は制御役の父が倒れ、母が財産を自由に動かせるようになったことが被害を大きくしていた。


 見栄を張らずにいられない性格の母は、財産を失ったことで更に恐慌に陥った。以前から付き合いがあったバンタース王国の貴族と頻繁に連絡を取り、借金を重ねていた。

 宿舎暮らしのシモンがその事実を知った時にはもう、その貴族からの借金は相当な額になっていた。


「王子の立太子式までは白鷹隊を辞めるわけに行かないのですが、その後は爵位を返上して平民として慎ましく生活しましょう。私が働いて母上を養います」


 一週間ほど前、シモンがそう提案した時、母親は興奮して目を吊り上げ、罵詈雑言を撒き散らしながらテーブルに叩きつけて割ったグラスを自分の喉に当てて見せた。

 本気ではない。わかってはいたが飛びついてそのグラスを取り上げた。


『部屋から出さないように。特に他国への手紙を出させないように』

 そう使用人に命じた。

 母が落ち着いたらもう一度話し合うつもりでいた。

 しかし落ち着くどころか、母はついに国の機密を盗めと言い出した。自分が手を打たなければ最悪妹を利用しようとする可能性もある。借金も膨らみ続けるだろう。


 母は止まらないだろう。生きてる限り。

(もうここまでか)


 シモンはわめく母の声を背に受けながら実家を後にして城へと戻った。時刻はもう夜の九時過ぎで、いくら遠縁とは言え国王に面会を申し込むには遅すぎる時間だったが、シモンは無礼を承知で面会を願い出た。



 すぐに国王が現れた。

「どうした、シモン」

「重要な報告がございます」


 そこからシモンは詳細に母の状態、実家の状態、母が自分に何を望み、誰と連絡を取り合っているのかを国王に報告した。最後に

「どんな処分も受ける覚悟はできております。ですが、何も知らない妹だけはどうかお許しください」

 と言って頭を下げた。

 国王は話を聞いても全く驚いた顔をしなかった。


「やっと覚悟ができたか。お前がいつそれを申し出るか、心配して待っていたよ。お前に限って国を裏切ることはないと思ってはいたが、ずっと気が気ではなかった。もうすぐ祝いの使者たちがここに集まる。バンタースの人間もな。その貴族も来るのだ」


 国王は労りのこもった眼差しでシモンを見ていた。


「陛下……ご存じだったのですか」

「私を誰だと思っているんだい、シモン。身近な臣下のことを何も知らずに国王が務まるわけがないだろう」


 そう言ってエリオット国王はゆっくりと立ち上がった。


「今、この時を以てフォーレ侯爵家の当主は、シモン、お前だ。夫人は遠隔地にて療養。実際に悪事を働いておらずとも、王家の末裔でありながら国家に対する反逆の意図を持ったことは見逃し難い。お前の妹は無関係だよ」

「陛下……ご厚情に感謝いたします」


「バンタースの貴族からの借金に関しては返さずとも済むよう私が手を回す。なに、あちらだってことを公にされたら困るはずだ。侯爵家の今後は経済の立て直しが大変だろうが、心して励め」

「はっ」


 少しだけ間を置いて、国王が静かに語りかけた。


「私はお前が助けを求めて来たら、もっと早くにこうするつもりでいたんだよ。今までよく耐えた。つらかったな」


 シモンは奥歯を噛み締め、必死に平静を装った。

 最初から人払いがなされて二人きりだった部屋で、パン!と国王の手を叩く音が響いた。すぐに侍従が入室した。


「フォーレ侯爵家に人を送り、侯爵夫人を確保せよ。夫人は我が王家の親族だ。手荒には扱うな。そのままウベル島に移送の措置を取れ」

 侍従は眉ひとつ動かさずに一礼して足早に部屋を出て行った。


「シモン、もうお前はフォーレ家の当主だ。白鷹隊は立太子式後に除隊、その後は侯爵家当主として国家に仕えよ」

「はっ」


 シモンは謁見室を出るまでは気を張っていたが、謁見室を離れた通路で立ち止まり、そのまま立ち尽くした。

 おそらく母は即刻ウベル島に送られるだろう。ウベル島は国の南端に位置する孤島で、『高位貴族が入る療養所』と言われているが、実状は『上品な監獄』みたいなものだ。

 乱暴な扱いこそされないものの、生活は管理され、島を出る自由は与えられない。

 許されるのは手紙のみ。


 外に面した通路から空を見る。

 早春の夜空は湿気で薄く霞がかかっていた。ほんのり暖かい春の空気の中、夜空は滲んだような星の光で満たされていた。


 シモンは星々を見上げながら小さく声に出して母に声をかけた。

「母上。この世に私を送り出してくださり、ありがとうございました。どうぞお元気で」


 一度うつむき、それから顔を上げてシモンは住み慣れた宿舎へと歩いた。




 フォーレ侯爵家の近くに馬車が止まり、身なりの良い屈強な男たちが静かに侯爵家を訪問した。

 先頭の男が、対応に出た執事に国王の印を押された紙を示した。驚く執事にひと言「動くな」と告げて真っ直ぐに夫人の部屋へと向かった。


 驚きのあまり声を出すこともできずに固まっている夫人を素早く男たちが取り囲んで両腕を抱え、四人で囲んで歩かせた。

 恐怖と困惑で立ちすくんだまま眺めている使用人たちに、リーダーらしき男が静かに声をかけた。


「これは陛下のご指示である。今夜をもってシモン様がフォーレ家のご当主となられた。お前たちは何も見なかった。夫人は病で療養所に送られた。それ以上は何も知らない。何も見ていない。いいな?それさえ守っている限り、お前たちは何の心配もない」 

 使用人たちは皆揃って無言でうなずいた。


「さあ夫人、参りましょう。暖かく静かな場所へお連れします」




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